#2 死神
この死神ナポリタンとの出会いは、実に些細な事がきっかけだった。
元々、こいつは2、300年ほど前に亡くなった娘らしい。どこかの貴族令嬢だったようだが、馬車に乗って王都に向かう途上、賊に襲われて殺されたと、本人は言う。といっても、その記憶が曖昧で、貴族であったこと、そしてナポリタンという名前以外にはほとんど思い出せないという。
で、その襲われたという場所の真上に、ちょうど地球1064で初となる宇宙港が作られた。
そして、こいつは突如、復活した。そこに、宿舎に戻る途中の俺とエンカウントしてしまう。
「そなたから、死の臭いがする……近いうちに、そなたは死ぬぞ」
などと言いながら、この死神は俺にまとわりつき始めた。挙句の果てに駆逐艦にまで乗り込んできて、今に至る。
「そんな物騒な話のわりに、可愛い顔してますね、ナポリタンちゃん」
艦隊と合流し、帰路につく我が艦の食堂にて、主計科のエレン・コナー曹長が黒いローブをまとい、大鎌を抱える死神に話しかけている。
「おい、あまりかかわらないほうがいいぞ。少なくとも、死神を自称するやつに関わると、ろくなことがない」
「とかいいながら戦隊長殿、実は内心、可愛い娘にまとわりつかれて喜んでいるんじゃないですかぁ?」
「こんな物騒な鎌を持ち歩くやつに付きまとわれて、喜べるわけがないだろう」
「そういえばさ、ナポリタンちゃん。せっかく食堂に来たんだから、何か食べていかない?」
人の話を聞いているのか、この主計科の曹長は。だいたい、死神に食事など不要だろう。昨日であったばかりだが、こいつには何も食わせていない。それどころか、寝てもいないようだ。食事も睡眠も、死神には不要と見える。
「おい、わしは死神だ。食事など不要だぞ」
「そうだぞ。こんなやつに、艦内の貴重な食料を分け与えるなど、もっての外だ」
「何言ってるんですかぁ。何百年も前に殺されてから、何も食べてないんでしょう? だったら、おいしい食事を摂った方がいいに決まってるじゃないですか」
と言い出したコナー曹長は、食堂の入り口にあるパネルでメニューを選び出す。何かを選んだようで、奥にいる調理ロボットが何かを作り始めた。
「おい、何を作らせてるんだ」
「見てのお楽しみです」
もったいぶるやつだな。死神に食わせるものを隠して何になる。
「わ、わしは食わぬぞ!」
「まあまあ、そういわずに。あ、もうできたよ」
ちょうど調理ロボットが、皿に盛りつけたそれをトレイに移しているところだった。そのトレイを、コナー曹長が取りに行く。
曹長によって運ばれてきた皿の中身を見て、俺はあきれ果てる。
「……な、なんじゃこの美味そうな香りの……いやいや、奇妙な料理は?」
「これね、ナポリタンっていうの」
「な、ナポリタン!?」
まさか自身と同じ名を持つ料理がこの世にあるとは知らなかったようだ。千切りされたピーマンをまぶし、盛り付けられたケチャップ漬けのパスタを前に、唖然とする死神。
「さ、その物騒な鎌をどけて、ほら、フォーク持って」
「あ、ああ……」
こいつにしてみれば、数百年ぶりの食事のようだ。だが当然、地球1064には現在もこのようなパスタ料理は存在しない。ましてや2、300年も前ならなおさらだろう。
ケチャップの香りが強めのほんのりと漂うその蒸気が、この死神の食欲をそそる。で、コナー曹長の手ほどきを受けながら、死神はフォークでその赤みがかったパスタを巻き取り、口に運ぶ。口に入れた瞬間、顔がぱあっと明るくなる。
「んん~っ!」
どうやら、味はお気に召したようだ。この声色と表情ですぐにわかる。こいつ、本当にわかりやすいな。
元貴族だと言っていたから、おそらくは当時としてはなりに豪華な食事を食べていたはずだろう。が、数百年ぶり、しかも数百年以上も文明が進んだ宇宙からもたらされた食事。いくら艦内の食堂とはいえ、それなりの味に仕上がっている。
「う、美味……い、いや、まあまあの味じゃな。さすがはわしと同じ名を持つ食べ物であるな」
こいつ、少なくとも素直な性格ではない。美味いなら美味いと、認めればいいじゃないか。
「どうだ、2、300年ぶりの食事とやらは?」
「べ、別に何も感動などしておらぬぞ。た、たまには魂を施してくれる人間の食い物とやらを、口にするのも悪くないと感じただけじゃ」
何を言っているのやら。口の周りをケチャップソースだらけにして、一皿丸ごと颯爽と平らげたじゃないか。それがこの「ナポリタン」を気に入った、何よりの証拠だろう。
「さてと、食事も終わったし、寝る前にあそこに行かねばな」
俺は立ち上がり、トレイを返却口に持っていく。死神ナポリタンも、それに倣ってトレイを置く。
「おい、わしから離れるなど、できると思うなよ」
「まさかと思うが、この後もついてくるつもりか?」
「当然じゃ。わしは、そなたに憑りついた死神じゃからのう」
「ならば聞くが、今からどこに行くかわかっているのか?」
俺の質問に、しばらく考え込む死神。少し考えて、こう答える。
「どうせ、ベッドで寝るのであろう」
「いきなりベッドに行くわけがないだろう。その前に風呂場へ向かうんだ」
「風呂場? なんじゃそれは?」
それを聞いたコナー曹長が、食べていたピザを放り出してこちらに走ってきた。
「ちょ、ちょっとナポリタンちゃん、ダメだよついて行っちゃあ!」
「なぜじゃ?」
「なぜって、男の裸が見たいの!」
「おい、風呂場とはもしかして、浴場のことか!?」
ようやく理解したようだな。こいつも一応は女だ。まさか風呂場までついては来ないだろう。
「と、いうことだ。コナー曹長、後の世話は頼む」
「了解いたしました、准将閣下」
と俺は主計科の女曹長にそう言い残し、食堂を出た。
で、風呂場へと向かったのだが、脱衣所に入った途端、なんとあの死神が入ってきた。
周りには、3、4人の男がまさに脱衣しようとしているところだ。1人は風呂場から上がり、素っ裸をさらしている。そんな場所に、黒いローブをまとった元令嬢が、大きな鎌を抱えて立っているのだ。脱衣所内は、騒然となる。
「おい、ここは男性専用の風呂場だぞ。お前が来ていい場所じゃない」
「な、なにを申すか。わしはそなたにとりついた死神じゃ。片時も離れるわけにはいかぬ」
「そうか」
そこでおれは、こいつの目の前で服を脱ぎ始める。
「なななな何をするのじゃ!?」
「何をって、風呂場に入るには服を脱がないとだめだろう」
「なんという品のないことをするのじゃ」
「ここは身体を洗う場所だ。当然だろう。もしもお前がこの先に入るというのならば、そのローブを脱いで入るのがルールだからな。そうでなければ、この先には入れないぞ」
俺はこの死神に言い放った。要するにだ、この先は来るなと言っているのと同じこと。まさか死神といえど、裸の男だらけの場所に、素っ裸で入ってくることはあるまい。
と俺は考え、そのまま扉を開いて風呂場へと向かった。
浴槽に入る前には、身体を洗う必要がある。が、宇宙船内では水節約のため、ロボットアームを使い全身を洗ってもらうことになっている。
そこで俺は、そのロボットの前に立ち、両腕を広げる。そして足元にある洗浄ボタンを踏もうとした、その時だ。
俺の隣に、なんと大鎌だけを持った、素っ裸の娘が現れた。
えっ、まさか、入ってきた? 必死に手で胸を隠しつつ、俺にこう言った。
「ま、まさかこの程度のことでわしがあきらめると思うたか。死神は狙った獲物は最後まで逃さぬのじゃ」
と口では勇ましいが、血色を失ったはずの顔を真っ赤にしながら大事なところを隠しつつ、こちらにゆっくりと歩み寄ってくる。
が、俺は目を背け、ただ一言、こう告げる。
「おい、ここに入ったからには、やらなければならないことが一つある」
「な、なんじゃ?」
「今から、俺がやることをよく見ていろ」
そういいつつ、俺は洗浄ボタンを踏む。するとロボットアームが泡を出しつつ、身体中を洗い始める。
頭と背中、腹、手足、股間部分などを一気に洗うと、シャーッとシャワーを浴びせかけられ、あっという間に身体の洗浄は終わる。
「身体をきれいにした後、浴槽に入る。それがここでの決まりだ」
「いや、わしはこっちは遠慮して……」
「2、300年は洗っていないのだろう? ならば、その汚い身体をさっさと洗え」
俺がそういうので、仕方なく見よう見真似で両腕を開き、洗浄ボタンを踏む。
当然、その後ろ姿に浴槽内にいる男性士官らの目はくぎ付けだ。
そんな娘の身体を、洗浄ロボットが容赦なく襲う……じゃなくて、洗いにかかる。
「お、おい、なんか腕の化け物がこっちに……うぎゃぁーっ!」
全身を泡だらけにされている。一応、右手にはあの大鎌を握っているが、あれはロボットでもすり抜けてしまうようで、お構いなしに全身くまなく洗われる。
やがて仕上げのシャワーをかけられて、10秒ほどでロボットから解放される。
「おーい、何ぼーっとしている。浴槽に入ってもいいぞ」
若干ふらつきながら、胸元と股間あたりをあの大鎌の柄で隠しつつ、浴槽に入る。
「ふう、これほどの大きな湯釜とは、実に贅沢な浴場じゃのう」
「お前の生きていた時代の浴槽とは、どんなものだったんだ?」
「わしの使っておったのは、身体一つが入るこれくらいのものじゃったぞ」
その手で示す形からは、おそらくバスタブのようなものであることがわかる。2、300年前にバスタブというのは、おそらくはそれでも相当な贅沢品だったのだろう。なにせ地球1064は、今でもこれほど大きな浴槽はなく、王族や貴族でもバスタブ、庶民ともなると、男女の区別もない大衆浴場に出向き、サウナのような風呂に入るしかない。
「ところで死神」
「なんじゃ」
「お前、思ったより胸が小さいな」
俺が思わずこう言ったら、周囲の士官らの視線が一斉にこの死神の胸のあたりに向けられた。それを、大慌てで隠す死神。
「わ、わしが一番気にしていることを……」
「大丈夫だ、気にすることの程ではない。ただ、いつもあの黒いローブで覆われていたから、ふと気づいただけだ」
などと冷静に返すが、俺も少し、興奮気味だ。下半身が反応しそうなのを、どうにか耐えている。そうやって茶化さないと、本能的な何かが呼び覚まされそうになる。
他の士官らは、股間を抑えてそそくさと風呂場から出ていく。事情を知らないで後から入ってくる士官は、浴槽に入る長い銀髪を持つ死神娘の姿を見て動揺する。
「さて、そろそろ上がるか」
「ま、待て! わしから逃げるつもりか!?」
「逃げようがないだろう。これから脱衣所に行き、着替えるだけだ」
そういって俺は、脱衣所に向かい、そこで身体を拭いて服を着る。
さて死神の方だが、身体は拭いたものの、長い銀色の髪が濡れて困っているのがわかる。浴槽につからないよう、頭の上でまとめていたのはよいのだが、その前に髪ごと全身を洗われているから当然、濡れている。
「仕方ないな、おい、ちょっとそこに座れ」
「何をするつもりじゃ!」
「髪の毛を乾かすんだ。ほら、こういうものがあってだな……」
備え付けのドライヤーを俺は握りしめ、死神の銀髪に当てていく。みるみるそれは渇き、やがてさらさらとなる。
「うう、何やら熱気が出て気味が悪いぞ」
「ドライヤーというやつだ。この熱気で髪を乾かすんだ。にしても、さすがは元貴族の令嬢だな。きれいな髪の毛じゃないか」
俺がそういうと、その頭部をローブで覆い隠してしまう。
「髪の毛がどうであろうと、わしには関係ない。今のわしは、死神じゃからな」
元令嬢であることは、あまり思い出したくないのだろうか。俺は軍帽をかぶって風呂場を出ると、その後ろから黒いローブ姿の死神がついてくる。
「じゅ、准将閣下……まさか、ナポリタンちゃんと一緒に……?」
で、その浴場のすぐ外では、コナー曹長が待っていた。俺はただ一言、こう答えた。
「こいつが勝手についてきて、勝手に入ってきた。それが死神の役目なのだそうだ」
俺は少なくとも、こいつを強引に風呂場に誘ったりしていない。むしろ入らないように仕向けたが、こいつはそれらを拒絶して中までついてきた。
そして、俺のこの駆逐艦内での部屋にまで、こいつはついてきた。
「寝ている間に、ぽっくり逝ってしまう場合もあるからな。わしが片時も離れず、そなたの魂を捉えてくれようぞ」
宿舎の時もそうだったが、俺のベッドの上に座って一晩中、俺を見張っている。
こいつはどうやら、本当に寝る必要がないらしい。死神だから当然なのだろうが、これまでと今とでは、ちょっと事情が違う。
それは、あのローブの中を知ってしまったからだ。
こいつ、まさかとは思ったが、ローブの下には何も着ていない。下着はおろか、さらしすら巻かずに、ただ黒いローブ一枚をまとっているだけだ。
つまり、あの下にはつい先ほど、俺の前で見せたあの裸体が……
「おい」
「なんじゃ」
「お前、本当に寝なくて平気なのか?」
「当然じゃ。今までもそうしておったではないか」
今までといっても、こいつとの付き合いはまだ3日ほどだ。だが、先ほどの戦闘、そして風呂場での出来事で、俺の死神への見方が大きく変わってしまったのは事実だ。
「一緒に、ベッドで寝ないか?」
「な、なんじゃ! まさかそなた、わしを襲おうと考えておるのではあるまいな!」
「一晩中、座っていたら疲れるだろう。寝転がった方が、心地いいぞ」
「ふん、その手には……ふぎゃっ!」
俺は強引に死神をベッドに招き入れ、その上から毛布を掛けた。そして、そのまま俺に添い寝させる。
「まったく、わしを横にしたからと言って、わしが寝てしまうとでも……」
ところがこいつ、ベッドの上に横になった途端、なんと寝てしまった。なんだ、死神でも眠るんだ。スースーと寝息を立てて、熟睡してしまう。
まあいい、俺も寝るかと、まどろみかけたその時だ。
『艦長のニアーズだ。これより当艦は、フィオレン王国の王都ヴェローニアに併設するヴェローニア港に向かう。到着予定時刻は、艦隊標準時の1800(ひとはちまるまる)』
やれやれ、せっかく寝かかっていたというのに、艦内放送で少し、目覚めてしまった。困ったものだ。
あと8時間後に到着か、そう思いながら俺は、目の前の熟睡する死神を見る。うん、少しくらい触ってもいいよな。そう思いながら、ローブの上から胸の辺りに触れてみる。
冷たいな、こいつ。そういえば、一度死んでる身体だった。体温がなくて当然か。そう思いつつ、俺もいつの間にか眠っていた。