#17 報い
恐怖、なんて一言で片づけられるような状況ではない。
窓の外に見える、上下にジェット気流を吹き出す「中性子星」と呼ばれる白い天体のあるこの場所に、およそこの宇宙とは無縁の存在が前触れもなしに現れたのだ。
当然だが、俺は死を覚悟した。あの時、この本物の死神からナポリタンをかばったとき、俺が命と引き換えに、死神も含む他の乗員の命を助けるつもりかと問うてきた。
つまり、こいつは俺の命を奪いに来た、というわけだ。
なにせ、俺にとりついていた死神が、俺をむしろ助けていたことがばれてしまったからだ。いや、最初からこいつは気づいていたのだろう。前回は見逃したが、今回ばかりはもはや、言い逃れができない状況だろう。
「不甲斐ない、実に不甲斐ない」
そう言いながら、死神は降り立った。俺はふと、背後を見る。同じ死神であるナポリタンが、ガタガタと震えている。
「わ、わしは……そう、わし自身の願いをかなえておっただけじゃ。もはや、悔いはないわ」
と言いつつも、大鎌を両手で握りながら、恐怖に震えている。俺はそんな死神の前に立ちはだかり、ドクロ顔の本物の死神に叫ぶ。
「狙いが俺の命であるならば、こいつではなく俺を狙え。そのためにこいつを、230年もの間、封印してきたのだろう」
ところが死神は、手を伸ばしてきた。ナポリタンの持つ鎌よりもずっと大きく鋭い鎌を持つ右手ではなく、左手で俺の肩に触れる。
「邪魔だ、人間よ」
とてつもない力で、俺を押しのけた。そしてそのまま、もう一人の死神であるナポリタンの前に立った。
「死神としての役目を果たさなかった報いを、そなたにはうけてもらう」
そう言って死神は手を伸ばす。てっきり俺は、あの本物の死神が持つ大鎌を振り下ろすのかと思っていた。
が、その伸ばした手は、ナポリタンがしがみついているあの大鎌を握る。そして、それを取り上げた。
「もはやそなたは、死神ではない。これより先、苦しみを受けるであろう」
そう言い残すと、ナポリタンから奪った大鎌を握ったまま、ふわりと浮き上がる。
そしてそのまま、消えてしまった。
なんだ、何が起きたんだ?
状況が呑み込めない。が、大鎌を奪われたナポリタンが、バタンと倒れる。
「おい、死神! どうした!?」
俺は慌ててナポリタンを抱き上げる。その時、ナポリタンの身体に触れた手から違和感を感じる。
生温かい。まるで、生きている人間のように温かい。やつは死人であり、風呂上りでもなければ体温が上がることなどなかった。
それが、妙に温かい。
そんなナポリタンが、こう言い放った。
「は……腹が、減った」
そのまま俺はこいつを抱きかかえ、食堂へと連れていく。いつものナポリタンを出すと、ナポリタンのやつは自身と同じ名を持つこの食い物を、一心不乱に食べ始める。
「美味い! 美味い! 美味い!!」
未だかつてない勢いで、3皿ほど食い尽くした。大鎌を持たず、代わりに握るフォークでこの赤いパスタを貪り食うこいつの姿に、コナー曹長もドン引きだ。
「な、なにがあったんですか? なんかナポリタンちゃん、顔色までよくなってる気がするし……」
そうだ。何もかも人間のようになってしまった。来ているローブは相変わらず死神臭さを残すが、それ以外はただの娘にしか見えない。
いや、元々、娘にしか見えない風貌だったが、それとは違う何か生気のようなものを感じる。
で、ようやく空腹が収まったところで、俺はこいつを食堂から連れ出す。
「おい、どこに行くのじゃ!?」
「いいから来い!」
そう言いながら、俺が連れて行ったのは、医務室だった。そこで、こいつを診てもらうことにした。
「心拍数は60から70、血圧も正常。体温は36.2度。何の異常もありませんね」
診断の結果が出た。つまり軍医が今述べたことは、こいつは普通の「人間」だということだ。
「確認したいのだが、こいつは230年前より蘇った死神だ。そういう兆候は残っていないのか?」
「いえ、明らかに人ですよ。心臓も動いてますし、脈もあり、肺呼吸もしている。提督に反論するようで申し訳ないですが、どう見ても230年前からよみがえった死神には到底、見えませんよ」
つまりだ、あの本物の死神がやったことは、こいつを人に戻した、ただそれだけのことのようだ。
が、それだと最後の意味が分からない。
「これより先、苦しみを受けるとやつは言ったが、ただ人に戻っただけじゃないか。これのどこが『苦しみ』なんだ?」
医務室から再び艦橋へと戻る途中、俺は人に変えられてしまったナポリタンに尋ねる。
「何を言うておる。十分に苦しみを与えられておるぞ」
「なんだ、どこか苦しいところがあるのか?」
「先ほどの空腹、そして眠気に渇き、恐怖や怒りなど、生きるということは苦しみの連続じゃ。実際、さきほどより体が重くてかなわん」
「なんだ、死神というのは、身体の重さを感じないのか?」
「少なくとも、歩いていて疲れを感じることはなかったな。てことで、わしは疲れた。そなたの椅子を借りるぞ」
で、艦橋に着くや否や、勝手に指揮官席に座る。
「……何が、どうなっているのです?」
「分からん。が、一つわかったことがある」
「何がです?」
「こいつが、人になったということだ」
すでに鎌を持たず、両手が自由になったナポリタンは、大あくびをしている。腹が満たされたため、今度は眠気が襲ってきたのだろう。そのまま椅子の上で眠りこけてしまった。
追撃戦が終わり、敵の艦隊が200万キロ先まで離れていった。準戦闘態勢は維持されているが、まもなく戦闘態勢解除命令が出されるであろうタイミングで、この図々しい娘は目を覚ます。
「ふわああぁ、よく寝たぞ」
トロンとした目で、辺りを見渡す。妙に血色のいい顔色に、乗員や艦長らは戸惑いを隠せない。
「どうだ、何か、変化はあるか?」
「うむ、寝たら喉が渇いたな。どれ、食堂へ行ってオレンジジュースでもいただく……」
「おい、俺はまだここを離れるわけにはいかないぞ」
そう答えるのと同時に、艦橋の出入り口の扉をばたっと開く音がする。現れたのは、コナー曹長だ。
「カイエン准将! ナポリタンちゃんが人間になったって聞いたんですが、本当ですか!?」
ああ、そうか、そういえばコナー曹長にはまだ話していなかったな。
「ああ、そうらしいのだが……」
「てことは、准将閣下に付きまとわなくてもよくなったってことじゃないですか! ちょっと、ナポリタンちゃん、こっち来て!」
「ななななんじゃ!?」
そういいながら、指揮官席でまどろんでいたナポリタンをコナー曹長は腕を引いて連れて行ってしまった。
ああ、そうか。そういえば俺の死神ではなくなったのだから、俺についてくる必要はないのか。
そういえば、何週間ぶりだろうか、あの死神と離れるのは。そばにはいつも付きまとっているという生活に慣れ過ぎたためか、急に大鎌を持ったあの銀髪の娘がいなくなると、どことなく空虚感がある。
しばらくすると、戦闘態勢の解除命令が出され、戦闘終結が宣言される。
「そういえば、久しぶりですね」
エイレン中佐が、俺にそう告げる。
「何がだ?」
「いえ、お一人で歩く姿を見るのが、随分と久しぶりだなと思いまして」
「そうだな。言われてみれば、いつもは後ろに大鎌を持った厄介なやつが付きまとっていたな」
「ところで、その死神……ではなく、ナポリタン殿ですが、これからどうされるおつもりですか?」
「そうだなぁ……『人』になってしまった以上、宇宙港には住めなくなるな。住み込みの使用人か、あるいは婚姻した相手でなければ、この星の人は宇宙港の街に住めないというのが決まりだ。そうなると、ダグラス家に引き取ってもらうしか……」
「わしは、ダグラス家には帰らぬぞ。230年前のダグラス家なんぞに帰ってどうするんじゃ」
いつの間にか、背後にはナポリタンがいた。気づけば、あの黒いローブ姿ではなく、私服姿にされていた。
「どうですか? せっかく人間になったのだから、あんな不気味なローブは脱ぎ捨てて、私の服を着せてみたんです」
「何やら落ち着かんのう。まだドレスの方が着慣れておるわい」
「贅沢言わない! あと、ちゃんと女湯の方で風呂の使い方も教えたんですよ。それから、ちゃんと彼女専用の部屋も用意しておいたんです。人間になってしまった以上、まさか准将閣下と一緒に住まわせるわけにはいきませんからね」
随分と手回しの良い主計科員だな。
「それじゃあ、あとは部屋に案内するわね。ちょっとこっちに来てちょうだい」
「お、おい、わしはまだこやつと話が……」
「そんなこと、明日でもできるでしょう。それよりも、さっさとこっちに来るのよ」
といいつつ、コナー曹長がまたナポリタンを連れて行ってしまった。
で、久しぶりの一人の時間を、部屋で過ごす。いつもまとわりついていたあの黒ローブの死神がいないのは、むしろ解放されてすがすがしいはずなのだが、妙に空虚感が残る。ぽっかりと、穴が開いたようだ。
まあ、慣れるしかない。こればかりは仕方あるまい。そう思いながら俺はベッドの上で寝そべって、スマホを眺めていた。
が、その時、コンコンとドアをノックする音がする。
鍵を開け、ドアを開けると、そこにいたのは黒ローブ姿のナポリタンだった。
「なんだ、もう就寝時間のはずだろう。それに、なんだってまた死神の格好に戻ってるんだ?」
俺はそう告げるが、何やら言いたげな顔でこちらを見つめている。そして、ボソッとこう呟く。
「……部屋に、入れてはくれぬか?」
別に付きまとう義務は、もうなくなったはずだ。が、黒ローブ姿の元死神は俺の部屋に入ると、ベッドの横にある椅子の上に座る。
が、入ったところで何やら言いたげな顔をしつつも、何も言わない。何しに来たんだ、こいつは。なかなか話し出さないこの娘に俺は。ふとある疑問について尋ねた。
「そういえば一つ、まだ判明していない謎がお前にはある」
「な、なんじゃ、謎とは?」
「お前確か、死神に向かって『やりたいことがある』といって抗った、その結果として死神にされたと、そういう話だったな」
「い、いかにも」
「そして今日の戦闘直後、本物の死神に対してお前はこう言い放ったな。『自身の願いをかなえておっただけ』だ、と」
「そ、そんなことを言うたかな?」
「つまるところ、お前のやりたいこと、願いとはいったい、なんなのだ? それをかなえていたとは、何を意味するんだ?」
そう、こいつが現世に残るほどの強烈な願い事、それがあるがゆえに、やつは死神にされた。そして、人間に戻される直前にこいつは、それを「かなえているところ」だというようなことを言い放った。
俺に付きまとうことで、何の願いをかなえていたのだ? この謎だけが、どうしても俺の中に残る。
「……わしが隣国に嫁ぐ途上、その隣国の兵に殺されたという話をしたじゃろ」
「ああ、そういえばそうだったな。死神に殺されたのではなく、殺された結果、死神があらわれたのだと」
「わしは、貴族の娘じゃ。好きな相手を、選べる身ではなかった。が、書物庫に入り込み、そこでたくさんの書物を読んだ。中には、好いた相手と仲睦まじく暮らすという話もあった」
「なんだ、戦記ものばかり読んでたわけではないのか」
「いや、戦記ものであったぞ。とある騎士の物語じゃ。途方もなく強い騎士というわけではなかったのじゃが、その騎士はいかなることがあっても命を落とさず帰ってこられたのは、愛する妻がいたから、という話じゃった」
戦記ものと恋愛物語が混ざった話に聞こえるな。まあ、そういう物語の一つや二つ、あってもおかしくはないだろう。
「そ、それで、わしはずっと願っておったのじゃ。たとえ隣国の貴族の嫡男であっても、もしかしたら仲睦まじい家庭を得られるのではないかと。ところがその遥か手前で、わしはその隣国にすら入ることなく殺されてしまった」
「つまり、お前の願いとは、誰かと寄り添い生活をすることだと、そういうことなのか?」
「そうじゃ。好いた男とともに人生を歩み、苦楽を共にする。それが、わしの願いじゃった」
聞いてみると、随分と平凡な願いだな。とはいえ、肩ぐるしい貴族生活で、そんな淡い生活に期待を寄せたくなる気持ちも分からなくもない。
が、おかげでもう一つ、謎が増えた。
「となると、新たな謎が出たのだが、聞いてもいいか」
「かまわぬ」
「そんな願いを持ったやつが、どうして俺の魂を狙う死神としてつきまとってきたんだ?」
そう聞かれたナポリタンは、顔を真っ赤にする。しばらく目線も合わせずにもじもじしていたが、ローブの頭のパーカー部分をめくり、あの長い銀色の髪を出す。
「わしは、何の前触れもなくこの世に復活した。目の前には、その時には知る由もない馬のない馬車が走っており、鹿も地面は土ではなくアスファルトなどという堅い地面に変わっておった。おまけに、とてつもなく高い建物が並んでおる」
「それは、230年経ったからというより、その場所が宇宙港のど真ん中であり、我々が宇宙からもたらしたものだ。もう少し別の場所であれば、230年前とはさほど変わらない光景だっただろうな」
「いや、そんな光景などどうでもよい。わしが驚いたのは、その黒い道の上をそなたがこちらに向かって歩いてきたことじゃ」
「俺が? なぜ、そんなことで驚く必要がある」
するとナポリタンは、ますます顔を赤くしつつこう答える。
「……まあ、なんじゃ、一目惚れというやつかのう。わしが物語で頭の中に描いておった男と、瓜二つだったのじゃよ」
それを聞かされた時、俺は急に顔面が熱くなるのを覚えた。およそ素直さのかけらもなかったこのナポリタンという元死神から、一目惚れという言葉が飛び出した。それが、俺の心に突き刺さる。
「と、いうわけじゃ。だからわしは、そなたの死神だと名乗り、付きまとうことにした。共に暮らし、共に食べ、共に寝る。ちょっとわしが描いておった生活とは違うが、それはそれで楽しき暮らしじゃった」
そう告げると、こいつは突然、ローブの前を縛るひもを一本一本、ほどいていった。徐々に露わになる肩や胸、そしてローブがばさりと音を立てて落ちる。
ローブの下には、下着など着ていない。それは、死神時代からそうであった。が、今は生きた人間だ。見慣れた姿ながらも、俺の心臓は高鳴る。
「だから、わしはダグラス家ではなく、そなたと共に歩みたい。そう思うて、ここに来たのじゃ。そなたは、どうなのじゃ?」
そんな姿で迫るのはずるくないか? いや、だが俺自身もどこか、こいつとの暮らしをいつの間にか楽しんでいたような気がするな。だから俺は、こう答える。
「その前に尋ねるが、俺は軍人だぞ。それも、毎度危険な任務を押し付けられた戦隊の指揮官だ。そんなやつと一緒になりたいなどと、お前にとって不幸な結果をもたらすかもしれないのだぞ」
するとナポリタンは、小さな胸を揺らしながらこう反論する。
「何を言うとるか! わしがそなたを死なせなければいいだけのことじゃ、今までだって、やっておったじゃろう!」
憤慨するナポリタンも、なんだか可愛いな。それを見た俺は、思わずこいつを抱き寄せた。
「ということは、出撃のたびについてくるつもりか? 妙なことを言う貴族令嬢だ」
「お、おい、わしはさっき、お前に告白したのじゃぞ! 曖昧な答えで返そうとするでない! 男らしく、ちゃんと答えよ!」
おっと、そうだったな。って、共に歩みたいと言っただけでは告白とはな。まあ、素直さがないご令嬢にとっては、十分すぎる告白なのか。そのうえ、一目惚れしたとまで言わせたのだ。俺自身も、曖昧に済ますわけにはいかない。
そこで、素っ裸になったナポリタンを抱きしめたまま、おれは耳元でこう呟いた。
「俺もいつの間にか、お前のことが好きになっていた。今さら、手放したいとは思わないな」
やれやれ、もっといい言葉はなかったのだろうか? だが、ナポリタンのやつは、こんな言葉で満足してしまった。俺の腕の中で、満面の笑みを浮かべていた。




