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少年の夢 其の二

 謎のくせっけ女に連れられて靄を出ると、体に悪そうな光を放つ溶岩の大河に出た。ものすごい熱風が吹き荒れて僕は目を細めた。彼女はなにかに気づくと帽子と髪を押さえつけて叫んだ。

「ねぇ!あれ」

 僕とタチバナは彼女の視線を追い、そして愕然とした。

 僕たちがずっと探し回っていた少年がそこにいたのだ。彼も大河の近くにいた。しかし安心するのもつかの間、僕はまたもや異様な気配を感じとった。そう、タチバナが罪人に手を下した時のような...

「一緒に誰かいる...罪人?」

 目を凝らすと、確かに痩せきずの女、つまり逃亡した罪人であろう人物が一緒にいるのが見える。

「大変よ、罪人と一緒にいるなんて危なすぎるわ」

「いや、違います」

「え?」

 少年を第一に保護すべきだし、もちろんそうするが、今の少年は…あの無邪気な子供は…

 僕の脳裏に最悪の妄想がよぎった。

 同時にタチバナが駆け出した。彼も同じことを考えついたのだろう。僕とくせっ毛も慌てて後を追う。揺れる視界でどんどん大きくなる二人をしっかり捉えようとした。しかし彼らの体が急に傾いた。僕の呼吸が大きく震えた。一人の罪人と少年の行く先は光を呑む溶岩だった。

 タチバナが手を伸ばす。しかし二人の体はもう溶岩に飲み込まれそうだ。

 もうダメだ、と思ったその時、二人の背後の溶岩が消え去った。正確には、二人の体を避けるように溶岩が切り開かれた。すると今度は、罪人と子供は何も無いただの暗闇に落ちそうになった。タチバナはさらに踏切って親子のような彼らを抱き寄せた。しかしダメだ。まだ足りない。あのままじゃ三人でお陀仏だ、と直感もしない程に僕はタチバナの体を掴んだ。後ろからくせっ毛女も僕を引っ張る。

「ヒメカワくん!引っ張るわよ!せーの」

 三人がみんな体重軽かったおかげで、二人で引き上げるのはあまり苦労はしなかった。ことが終わると全員が地面に顔を突っ伏して息をついていた。罪人の女は泣いていた。火鍋につき落とされる時よりもずっと悲痛な声で泣き喚いていた。肝心の少年はタチバナと共に倒れ込んでいた。少年は上の空で、泣く罪人を見るでもなくタチバナを見るでもなく、ただ少し不機嫌そうに目を細めていた。たまに不自由そうに右手を振っていたが、それはタチバナがしつこく自分の手を離さないかららしかった。僕はその行為をまた少年を逃がさないための枷としか考えていなかったけど、僕以外の誰かがこの様子を見たら、きっと違う意味を付け足すんだろうと思った。僕は胸をなでおろした。子供が死ななくてよかったと思った。

 僕は一息つくと立ち上がって地獄の大河を見渡した。溶岩が切り開かれた形跡はなくなり、何事も無かったかのようにどこもかしこも燭熱の海だった。必死だったから無視したけど、地獄の世界に神の加護が施されたような、なんとも不思議な瞬間であったことを思い出した。同じく立っていたくせっ毛女がこちらにやってきた。

「あーもう、ギリギリ助かって良かったわねー」

「......あの」

「ん?」

 彼女は帽子を被り直しながらこちらを覗き見る。

「急に、溶岩が割れたのって何だったんでしょう」

 すると彼女はまるでなんの興味もないように少し笑って言った。

「さあ?上の人たちが気を利かせてなんかやったんじゃないの?ナマの子供死なせたらヤバいもんねー」

 くせっ毛は颯爽としていた。僕は直感的に、こいつはなにかを知っていると思った。彼女の笑みは愉しげだった。

「......何か、知っているんじゃないですか」

 僕が疑うと、彼女は身だしなみを整える動作をピッタリやめてゆっくりこちらを見据えた。面白いことを見つけた動物のような上目遣いだった。やはりこの人は、最初から全てを知っているような気がする。

 僕は警戒して黙った。しかし彼女は僕の緊張を気にすることもなく、急にずんずん近づいてくると耳元に囁いた。

「正当防衛なんかじゃない。出会ってたかだか数日の、嘘つき殺人鬼のことをあなたは黙っているのね」

 僕の全身で血が凍りついた。予想の斜め上の発言だった。なぜ、そのことを知っている。視界に入らないほど近くでくつくつ笑う女を僕は払い除けようとしたが、それより先に彼女は僕の脇を通り抜けどこかに去っていった。

「ヒメカワ!」

 自分を呼ぶ声が聞こえた。

「ちょっと、こっち来てえ」

 タチバナの間の抜けた声だ。きっとあの少年のことについてだろう。

 そうだ、今、あの女に構っている時間はない。手のかかる問題児の方と罪人の女の方が先だ。

 僕が彼らの元に駆け寄ると、少年の両腕はタチバナに掴まれたままだったが二人とも立ち上がって僕のことを待っていた。少年はそっぽを向いていた。

「こいつ、何聞いても答えやしねえ」

 タチバナは駄々を捏ねても聞いて貰えない子供のように不貞腐れていた。なんだかクソガキが増えた気がする。

「タチバナさんが聞いてもダメなら僕には尚更話してくれませんね」

 タチバナと共に少年を尋問するより、罪人の女を役人に引渡しに行ってくる方が効率がいい。そう思った僕は罪人の元へ踵を返した。

「どこ行くんだ?」

 タチバナが聞いた。

「先に罪人を引き渡してきます」

 僕はタチバナを振り返ることも無くそう言った。

「...ヒメカワ、オレが連れていくからこっちを頼めないか」

 僕は今度こそ振り向いた。

「なんで?」

「なんでも」

 タチバナの様子に不自然なところは何も無かった。ただまるでそうした方がよっぽど効率がいいと自明そうだった。でも先程のくせ毛の女のせいで、僕の頭に浮かんだのは彼と罪人を二人きりにしていいのかということだった。僕にとって罪人の命などはあまり重要ではなかったが、相方であるタチバナが暴れ回ると必然的に僕の社員生命に関わってくるのでそれは避けたいのだ。

「もしかして、また刀抜かないのかって不安?」

 タチバナは僕の心の内を明かすように言った。

「ええ」

「正直でよろしい」

 タチバナは黄金比の笑みを浮かべると、無駄のない手つきで刀を鞘ごと取り出した。

「あげる」

「え?」

 差し出されたそれに、僕は困惑するしかなかった。この刀がなければ、万が一身に危険が迫っても自分を守ることはできないのだ。

「いいんですか?」

「ヒメさんの信用は失いたくないしね。持ってて」

 タチバナは半ば無理やり僕に手渡すと、罪人の女に駆け寄って行った。地面と一体化するが如く泣きじゃくる彼女を立ち上がらせ、タチバナは縄を引いていった。

 少年と二人になった僕は、またこいつが逃げないように見張るだけだった。立派な大人なら、ここで子供を安心させるための会話やもしくは尋問の続きでもするのだろうが、あいにく僕にはどちらも上手くできる器用さもなければそもそも必要性が感じられなかったので、僕らの間には長い沈黙が続くばかりとなった。

 僕は何も言うことは思いつかなかった。だから初めに口を開いたのは少年の方だった。

「あの女性はどうなるの?」

 僕は驚いて少年を見たが、彼はやっぱり俯いたままだった。

「刑の続きを再開するか、きみのやった事全部擦り付けられて罰を増やされるかのどっちか」

「ぼくのやった事?」

 こんなことを言う彼は、別にとぼけている訳ではなかった。業火に飲み込まれて消えてしまいそうな、暗い萎れた声でなにかを探っていた。

「役人の目が届かない所まで離れたこと、脱獄を試みたこと、ついでに生者を道連れにしたこと」

「...全部ぼくが主導でやったことだよ」

「だろうね。でも、この場ではそんなこと通用しない。地獄の連中にとって、生ける者は何より尊く大切にされるからだ。きみには理解できなくても」

「......」

 少年は少し不満そうに眉をひそめた。しかし僕にはその不満の詳細は分からなかった。距離を取ったはずの溶岩の光が轟いて少年の横顔を黒く浮かび上がらせた。酷い音なのに彼は耳も塞がない。ずっとなにか考えているようだった。

「なんでそんなこと聞く気になった?」

「そっちが喋れって言ったんでしょ」

「そりゃそうだけど」

 僕は心の中で舌打ちした。賢く大人しそうな子供に見せ掛けて、やはりガキはガキなのだ。生意気なやつは嫌いである。

「......タチバナさんは優しそうだから。僕が何か言っても、いかにも僕が更生できそうなことを言ってきそう」

 少年は重そうな口で言った。

「...僕は優しくないと言っているのか」

「普通です」

 僕はこのガキに再会ぶりの拳骨を下し、残りの怒りは大人なので我慢した。実際僕は優しい人間ではないが、他人に言われると違う。別に普通でいいし。

「更生うんぬんってことは、マズイことしたっていう自覚はあるんだな」

 少年はまだ目を合わせない。でも前より上がった視線に僕は期待しかけたが、彼はグツグツ煮えたぎる地獄の海に行列を成して飛び込んでいく罪人を見ているだけだった。その瞳に熱風が吹き付けて乾いていた。

「やっぱり皆に不気味がられるんだ...地獄の人にさえ...」

 少年は掠れた声でそう言うと、また暫く何も喋らなくなった。









 子供がいる。私の暗い腹の中に。でも、私と子供、二人だけだ。あの男がもう私たちの前に現れないのなら、それでいい。私の子供に指一本触れさせてやらない。私はひとりで全部やるんだ。

 朝の光を背後に、病院のテレビでニュースが流れていた。あの男が、連続殺人犯として逃走中だそうだ。

 もしこの世に神様がいるのなら、きっとあいつを阿鼻地獄に堕としてくれるだろう。そうしたら私が、きっと私が......




「...あの、大丈夫ですか...あの」

 男の声だ。まさかあいつが、地獄に堕ちてきてくれたのか。

「うわあ!?ちょっ、ちょ」

 気がつけば私は男の襟首を掴み、地面に叩きつけていた。男の顔が私の目のすぐ下にあった。

「......」

「...あ、あの」

「...あなた、誰」

「ですよねー」

 見れば見るほど知らない顔だった。むしろあの男とは真逆のような顔立ちだった。あいつは、小顔でないし、人形のような顔立ちではないし、肌は透き通ってない。つまり、

「わっ、私はこんなイケメンになんてことを!」

 私はほぼ馬乗りで今にも彼を踏みつぶしてしまいそうな体勢から素早く地面に飛び移った。

 青年は痛そうに起き上がると、申し訳なさそうに縮こまる私に手を振った。

「大丈夫です、大丈夫。お姉さん、軽かったから...ところで、オレのこと覚えてます?」

 彼は落ち着いた口調で尋ねてきた。馬乗りした罪悪感もあいまって私は懸命に思い出そうとしたが、どういうことか、ここまで来た道のりのことをほとんど覚えていなかった。少年に騙されて、溶岩に落とされて、それからどうしたのだろう。

「覚えてないの...なんで溶岩に落ちたのに、ここにいるのか」

 彼は合点がいったように明るい声になった。

「ショックな出来事が沢山ありましたからね。きっと記憶が混濁しているのでしょう。でもとにかく、うちの坊が大変ご迷惑をおかけしました」

 彼は座ったまま私に向かってぺこりと頭を下げた。罪人に対してこのような行動をとるのは広い地底でも彼ぐらいなのではないか、というくらい丁寧な対応だった。きっといいとこのお坊ちゃんなのだろう。

「お詫びと言ってはなんですが、あいつの愚痴でも何でも聞きまっせ」

 そう言って彼は笑った。とてもにこやかな表情をしているが、私は子供に騙された身、そう簡単に信用する訳にはいかない。

「...随分明るく接してくれるのね。私の罪状、ご存知ないの?」

 すると役人はやれやれと首を振りながらも、しかし罪人のリストであろう物を取り出して調べ始めた。彼からは全く予想した行動が現れないが、私を担当している役人より遥かにいい人な気がした。

「他の役人があなたのこと担当してるんだから知ってるわけないし...てかそもそもあんま興味ないっすよ。それにこのリスト、罪人の人生記録まで載ってて不快...」

 ページを繰っていた役人の指が不自然に止まった。彼の目は大きく開かれて、息が止まるほどの緊張した気配が彼を包んでいた。

 私はちょっと気になってそのページを覗き込んだ。

 そこには、私の人生の後半部分が書かれていた。

 私は私の罪を誰にどう思われようと今更どうでも良かった。しかし彼の反応は少し大袈裟ではないかと私は思った。さっきは警戒して煽るようなことを言ってしまったが、地獄の役人ならばこれくらいの罪状など何度も見ているはずだからだ。

「お姉さん」

 役人はこちらを見もしないで私を呼んだ。彼の表情は髪に隠れて見えなかった。

「あなたは地獄に堕ちてきたとき、とても嬉しそうにしていた、と書かれています。''あいつ''がここに来たら、一生地上に上がることが出来ないように、苦しめて殺してやるって」

 一瞬、何を言っているのか分からなかった。けど、一瞬だけだった。

「でも、あなたは地獄の永遠のように長い時間の下で、なかなか堕ちてこない''あいつ''を諦めるようになってきた」

「...一体なんのことだか、さっぱり」

 私は思い出したくない、しかし思い出さないといけない情報で洪水みたいに頭がいっぱいになった。心臓がドクドク鳴っていた。体に変な汗がまとわりついた。

 ここではまだ誰も知らないはずの、''あいつ''の犯した罪、私との関係、そして今目の前にいる青年の正体。私は全部、知っていたのだ。でも、最後まで思い出せないのが、

「今井美紅さん」

 その名前に聞き覚えがあった。私は認めざるおえなくなった。

「あなたの、名前です」

 ようやく自分の名前を知れたのに、私には感動も喜びもなかった。ただ、彼のゆっくりこちらを向いた、ビードロみたいに不思議にひかるその眼に、ひたすら魅入られていた。

「美紅さん」

 彼が私を呼んだ。その声は凛としていたが、私はその中に底の見えない悲しみを見つけた。それに触れた人みんな、泣き出してしまいそうな...

 彼の白い手が私の貧しい頬に触れた。私は黙っていた。

「美紅さん、今度は、あの少年の比ではないくらいのことがあるかもしれない...でも、協力して欲しい話があるんです」


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