004_彼女の名を騙る
ふと、あることに気付く。
「ところで、この馬車は何処に向かってるんだ?」
「さあ。あの男に追いつかれる前に、適当な馬車に乗り込んだから」
「えぇ……金は? ただで乗せてもらったわけじゃないだろ」
体育座りで俯いていた精霊は顔を少し上げ、目だけを出す。
眉間に皺を寄せた暗い表情で、オーガンを見つめる。
そして、懐から取り出したポーチをオーガンに投げた。
ぼてっと床に落ちたそれに手を伸ばす。
「俺がディアックから盗んだ金を使ったのか」
「悪い?」
「いや、全然。俺の所有物でもないし。それにしても……」
この精霊はやけに人間味がある。
御者を脅してもよいし、御者を殺して馬車だけを奪ってもよかったはずだ。
なのに、人の金とはいえ、正規の手順を踏んで乗車している。
であれば、復讐以外の方法で彼女の憎しみを晴らすことが出来るかもしれない。
オーガンはポーチの中からある物を取り出す。
龍を象った銀色に輝く徽章だ。
「何それ」
「最高位の魔術師だけが手に出来る徽章」
眉をぴくりとも動かさず、興味なさそうに精霊は眺める。
オーガンは徽章を視線の高さまで持ち上げ、良く見えるように表面を彼女へ向けた。
「魔術師を名乗りながら旅をするのはどうかな?」
その言葉には精霊の眉が少しだけ動いた。
「それ、意味あるの?」
「この徽章を見せびらかしながら、『その人』の功績を広めるんだ。最高位の魔術師が言うことなら、誰でも話を聞いてくれるだろ」
「……私が?」
「見た目は人間と似ているし、余計なことを言わなければ気付かれないはず。それに、魔術の扱いはディアックと比べて遜色ない」
精霊は考え込み始めた。
相変わらず体育座りで顔を半分しか出していないが、彼女の瞳には色彩が戻っている。
もう一押し。そう感じたオーガンは言葉を続けた。
「もしも、旅が途中で終わってしまったとしても、君の話を覚えてくれる人はいる。全てが無駄にはならないんだ」
「そうね。そうかも」
精霊はオーガンの方へ少し近づき、徽章に手を伸ばす。
オーガンは初めて、至近距離で精霊の顔をまじまじと見る。
憑き物が取れたような、少し明るい彼女の表情には魅了されるものがあった。
重苦しい表情をしていた時は気付かなかったが、こうしてみると端正な顔立ちをしている。
精霊なのだから傷や肌荒れがないのは当たり前かもしれないが、まるで人形のように欠点がない。
オーガンの視線が釘付けになっていると、彼女は口角を上げて笑顔を見せた。
だが、それはただの笑顔ではなく、企みのあるような意地悪なものだ。
「でもね、もっといい方法がある」
「へ?」
嫌な予感がオーガンを襲う。
できることなら、続きは聞きたくない。
「私が彼女の名を騙るの。アオイ・ドールであると」
「……」
オーガンは口を開けたまま硬直した。
「言い考えだと思わない?」
「……ちょっと待ってくれ。彼女の功績を広めるのと、彼女の名を騙るのは全く違うだろ」
「何が?」
「危険だ。殺される。最悪の場合、世界各国から討伐の対象として――」
オーガンの唇に精霊の人差し指が近付けられる。
それは、人の話を遮るための行動。
「アオイと呼んで」
「それだけは……やめた方がいい」
「拒絶するわ」
その言葉と同時に彼女はオーガンから徽章を取り上げた。