003_アオイ
「ただ、私は……」
「人間が憎かった?」
彼女の発言を思い出したオーガンがその言葉を口にするが、どうやら違ったようだ。
「いえ、たぶん、悔しかったんだと思う」
「悔しい?」
人間と同じ感情を持つ彼女にオーガンは驚きつつも、親身になって話を聞きたいと思うようになっていた。
「私にとってかけがえのない人を……殺された」
「その人って……つまり、人間?」
彼女は両足を抱え、体育座りをしたまま俯いてしまう。
嫌な記憶を思い出させてしまったのかもしれない。
「国に、世界に、忠義を誓っていた。それなのに、くだらない都合で世界から抹殺された」
「……」
絞り出すように、言葉を紡いでいく彼女の姿を、オーガンは直視しずらくなる。
「でも、それ自体は、辛かったけど悲しくはなかった。彼女も自分の使命を理解していたから」
「……うん」
「私が許せなかったのは、彼女の功績が全て捻じ曲げられたこと」
「それって、その人って――」
「アオイ・ドール」
その名を耳にした瞬間、オーガンは慌てて周囲を確認する。
幸いにも馬車の周りに人気はなく、馬の手綱を握っている御車にも声が届いていない様子だった。
小さく首を横に振り、オーガンは精霊に近付きながら小声で話す。
「その名前は……」
『口にしてはいけない』。そう言いかけるが思いとどまる。
彼女にとっては大切な人であるから。
「貴方も知っているのね」
「誰でも知ってるよ。子供だって」
世界を裏切った大罪人。
かつては英雄と呼ばれていた彼女だが、十五年前に大罪を犯して抹殺された。
二十歳を過ぎたばかりのオーガンにとっては、彼女について知らないことが多い。
さらに言えば、彼女が犯した大罪に関する資料は隠匿されており、何があったのか、真実を知る者は限られている。
そのはずなのだが、大罪を犯したこととや抹殺されたことは噂になっており、民衆はそれを事実だと認識していた。
少なくとも、この話に関わったところで、良いことは起こらない。
「彼女を汚した世界が許せない」
「濡れ衣ってこと……なのか?」
「……」
俯いたまま黙ってしまった精霊。
それは、肯定であることを意味した。
「でも、どうすれば……君はどうしたいんだ?」
「わからない。どうすればいいんだろ……」
その結果がディアックとの戦闘だったのかもしれない。
行き場のない怒りや鬱憤を晴らす相手として、偶然居合わせた最高位の魔術師が選ばれたのだ。
魔術師の試験に落ちたばかりであるオーガンは彼女の感情を理解しやすかった。
オーガンが盗みに手を出したのも、半分は自暴自棄だったからである。
「俺だってわからないよ。君の話が真実なら……彼女を陥れた黒幕を探す、とか?」
「それは、この世界に存在する全ての国を敵に回すってこと。世界の総意で殺されたのだから」
冷静に判断し、オーガンに反論する。
戦闘していた時の彼女と比べて、今は落ち着きを取り戻しているようだ。
だから、本心を聞き出すために、彼女の感情を少しだけ揺さぶってみる。
「いっそのこと、世界を滅ぼす?」
「それもいいかも。でも、少し疲れた」
世界中には数えきれないほどの強者が存在する。
例え、ディアックを倒せたとしても、戦いが終わることはないだろう。
沈黙が訪れた。
精霊は俯き、オーガンは掛ける言葉を考える。
何度か思い浮かんだアイデアを口にしようとするが、考え直しては口を閉じる。
精霊が抱えるのは、非常に困難で、それでいて重い問題だ。
『新しい人生を探してみよう』なんて、口が裂けても言えない。