002_人間と精霊
「……ここは」
オーガンは目を覚ます。
仰向けで寝転がっている彼の瞳に映ったのは、くすんだクリーム色の革で作られた天井。
上体を起こすと自分が置かれている状況を理解する。
「……馬車に乗ってる」
一定の間隔で聞こえてくる馬の蹄が地面を蹴る音。
車輪が小石を乗り上げたときの揺れ。
それは至って普通であり、オーガンは流れていく景色をぼーっと眺めてしまう。
「違う。なんでこんなところにいるんだ」
「私が運んだから」
声のする方向に視線を向けると、そこには見覚えのある女性――もとい精霊がいた。
片膝を立てながら木箱にもたれ掛かっており、馬車という空間に馴染んでいる。
彼女が人類の大敵である精霊だとは、御者も思うまい。
「なんで……というか、あれ?」
オーガンは違和感に気付く。
「腕が、それに腹部の傷も……消えてる?」
吹き飛んだはずの左腕は、彼女の膝の上で脱力していた。
腹部の風穴も綺麗に消えている。
「治った」
精霊は端的に返答するが、説明は全く足りていない。
「少し、理解が追い付かないんだけど……俺が倒れたあと何があったんだ?」
「貴方の身体が保有していた全ての魔力が、私の身体に流れ込んできたの。そのおかげで、ほら」
左腕を軽く上げて手をひらひらと振る。
「あぁ、だから俺は倒れたのか」
「人間は魔力を生み出せるから、一時的に失っても問題ないはず。そうでしょ?」
「いや、俺も、魔力不足で倒れたのは初めての経験だからわからないけど」
オーガンは自分の腕や脚の感覚を確かめるが、特に問題はなかった。
強いて言えば、少し気怠い程度。
「そういうところは人間が羨ましい。どれだけ魔力を使おうが休息すれば元に戻るのだから」
「君は……本当に人間じゃないんだよな」
やっと、精霊はオーガンの方へ視線を向ける。
じろりと見つめられたオーガンはやや慌てた。
「いや、その……見た目が凄い人間に似ているから。そんな精霊は見たことないんだ」
この精霊は恐らく敵ではない。
とはいえ、オーガンを瞬殺できるほどの力を秘めている精霊だ。
気が変わって殺しに来る可能性も、有り得なくはなかった。
「精霊にもいろいろいるから」
そのとき、タイミングよく、馬車の後部から乗り込んできた小さな精霊。
葉っぱに短い手足がついたような、可愛らしい姿のそれは、ぴょんぴょんと跳ねて精霊の手のひらに乗っかった。
「大して自我を持たない原始的な精霊もいれば、意志をもって人間を襲う精霊もいる。でもね、仕方ないことなの。精霊が魔力を得る手段は、共食いか、生物の身体を乗っ取るしかないんだもの」
彼女の手のひらで楽し気に踊っていた小さな精霊は、風に吹かれて壁にぶつかる。
かと思いきや、壁をすり抜けて馬車の外へと飛んでいった。
「どちらもできない場合は……」
「消えるだけ。さっきの私みたいに」
精霊が人間を襲う理由も少しは理解できる。
襲わないと自分が死ぬから、生き残るために襲うだけだ。
「じゃあ、君は?」
「私があの男を殺そうとした理由?」
こくりとオーガンは頷く。
まるで人間と話すように、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめて答えを待つ。