001_消えゆく精霊
絶大な威力によって路地の面影は消えていた。
精霊が立っていた位置を中心に、爆心地近くでは壁と建物が粉砕し、遠くでは焼け焦がれている。
ただ一人、精霊の背後で丸くなっているオーガンは無傷である。
「いき……てる?」
自分の身体をべたべたと触り、五体満足であることを確認したオーガンが顔を上げると、精霊は右手を前方へ伸ばした姿のまま固まっていた。
左腕は無残にも消し飛んでいる。
オーガンは身震いした。
僅かにでも逃げ込む先が間違っていたら、オーガンの身体もあのように消し飛んでいたかもしれない。
「加減したとはいえ、まだ生きているか」
ディアックの追撃が精霊を襲う。
いつの間にか手にしていた炎の剣で、切り掛かってくる。
精霊の右手の前には透明な壁が存在しているかのように、剣は弾き返されてしまう。
だが、先程と比べて弾く力が弱そうに見えた。
すかさず、ディアックは空いているもう片方の手に剣を作り出し、切り下ろしてきた。
両者の攻防は続く。
絶え間なく切り続けるディアックと、全てを弾き返す精霊。
しかし、それも長くは続かなかった。
消耗した様子の精霊。ディアックの目には彼女の分が悪そうに見えた。
ついに、ガラスが砕けるような音が鳴り、炎の剣は精霊を切り付けた。
「くっ……」
肩から袈裟切りにされ、傷口からは小さな光の粒子が漏れ出る。
人が血液を流すように、魔力が流れ出ているのだとオーガンは解釈する。
そんな窮地に、精霊は退くのではなく、猛攻の手を緩めないディアックに向かって突き進んだ。
そして、あろうことか、もう片方の炎の剣を素手で掴んだ。
驚くべきことに、そのまま握り潰し、剣は霧散し消えていった。
「やるな」
驚きはあるが、脅威はないといった表情のディアック。
如何なる精霊の攻撃も耐えきる自信があるようだ。
そんな彼の胸元に、隻腕の精霊は手を伸ばす。
即座に対応したディアックは両腕で胸部を守る。
そんな彼の胸部に向かって、掴むでも殴るでもなく、ただ人差し指を真っ直ぐに伸ばす。
そして、ゆっくりと近付けて呟いた。
「消えて」
精霊の周囲に強風が吹き荒れる。
風によって巻き上げられた枯葉のように、ディアックの屈強な身体は後方の上空へと吹き飛ばされた。
上空で身動きが取れないディアックに対して、精霊は指差し続ける。
見えない力に押されるように、猛烈な速度でディアックは街の外へと押し出されていった。
見る見るうちにディアックの姿は小さくなっていき、ついには雲に潜り込んでしまう。
「……いなくなった」
思わずオーガンは呟く。
脅威は去ったのだ。
逃げるなら今しかない。
即座に走り出そうとするオーガンだが、背後で何かが落ちるような音に振り向く。
膝を地面に付けた精霊の背中が見えた。
その姿は弱弱しく、小さく感じた。
もともと精霊の背丈はディアックよりも、オーガンよりも小さい。
だが今は、その背丈がより小さく思えた。
「大丈夫か?」
いたたまれない気持ちになったオーガンは語り掛ける。
万が一、この精霊に襲われたとしても、対処できそうだ。
そう思えるほどに、精霊は弱って見えた。
「煩い」
ゆっくりと立ち上がり、その場を去ろうとする精霊はオーガンとすれ違う。
オーガンとは一度も目を合わせようとせず、ふらふらと歩いて行った。
そんな彼女の背中にオーガンは大声で告げる。
「その……ありがとう。おかげで助かった」
オーガンも急いでこの場を離れなければならない。
だから、端的に、自身の感情を精霊に伝えようとした。
オーガンの感謝を受け止めた精霊は歩みを止め、オーガンの方向を振り向く。
自身の気持ちを伝えられたことに嬉しさを感じて、口角が少しだけ上がる。
「……ん?」
何かがおかしいことにオーガンは気付いた。
精霊の視線はオーガンを捉えていない。それよりも高く、上空を見つめているようだった。
その方角とはつまり――
振り向こうとしたオーガンの頬を炎の槍が掠める。
正確には、オーガンの網膜に焼き付いた残像が、槍であると後から判断した。
強烈な熱風が肌を焦がし、大気を揺るがす轟音が鼓膜を震わせる。
そして、槍は容易く精霊を貫いた。
腹部に巨大な風穴を開けた精霊は、何処か遠くを見つめている。
「お、おい……」
全身から光の粒子を放出している精霊は、自身の姿を維持できなくなってきているようだ。
そんな彼女が放っておけず、オーガンは一歩ずつ近寄っていく。
精霊とは人類にとっての大敵である。しかし、敵であることと、見殺しにすることは結びつけることが出来なかった。
「……大丈夫か?」
「平気」
焦るオーガンとは対照的に、精霊は非常に落ち着いた態度だった。
「いやいや、このままだと死ぬだろ!」
「それでも、構わない」
「俺は君に助けてもらったんだ。だから今度は……」
途中までに言葉を発したとき、オーガンは精霊が僅かに微笑んでいるように見えた。
「私は人間が憎い。だけど、あなたのような人は嫌いじゃないかも」
「……」
死を受け入れている。
そう感じたオーガンは返す言葉が見つからない。
精霊の身体から放たれる光が強まっていったとき、オーガンの脳裏に一つの発想が浮かぶ。
『精霊は人を捕食する存在』であることを。
その判断が正しいかわからない。
ましてや、実体を持たない精霊がどうやって人を捕食するのかも知らない。
だが、躊躇している時間はなかった。
「俺の身体の一部を食え。そうすれば魔力を補充できるだろ」
それは、精霊にとっても予想外の言葉だったのだろう。
「……」
「指を何本か。それでも足りないなら……腕でもいいから!」
そう言いながら左腕を差し出すオーガンに、精霊は動揺していた。
「……無理」
「遠慮はいらない、早く。時間がない」
「違う。そうじゃなくて。私の場合は特別に無理なのよ」
「いいから! 死にたいなら後で死んでもいい!」
「だから、違うって――」
押し問答を繰り返しているとき、両者の指先が微かに触れ合った。
「「え……」」
稲妻が走ったような強い衝撃をオーガンは受ける。
身体から魂が抜けだしたような虚脱感。
真っ白な光で視界が染め上げられ――
ここで、オーガンの意識は途絶えた。