87.最恐の騎士と呼ばれた男
〈ガイウス・フォン・ケンプフェルト〉
夜会に護衛として同行したのは僥倖であった。
あの「狂乱の舞姫」の舞をまた見られたのだから。
いまでは境界のドライリッターと名付けられたあの屈辱と称賛の軍事衝突事案だが、帰参後瞬く間に全軍に広まり、「神」を名付ける事を忌諱する元帝国内に於いて「軍神の御使いドライリッター」との呼称が一部で定着してしまった。
だが、陛下ご自身が嫌がり境界のドライリッターに落ち着いたという経緯がある。
ドライリッターの一、破国の闇女帝。
ドライリッターの二、黒天令嬢。(天は最上級を指す)
ドライリッターの三、狂乱の舞姫。
その誰もが圧倒的な武威を持って両軍を足止めし、丸2日間戦線を維持し続けるという、見なければとても信じ難いことをやってのけたのだ。
私が停戦の使者を自ら買って出て、馬を何頭も潰しながら戦場に辿り着いたとき、幾人かの騎士とハンターと影までもが狂乱の舞姫ことハンナ殿に襲い掛かるところであった。そのうち幾人かは私も知る強者だ。
払暁前のひと時、私は自らの努めも忘れて舞姫の演武に魅入られてしまった。
私は武人として、教養人として、為政者として、あらねばならなかった。
だが、立場を抜きにすれば私はやはり一個の武人なのだ。
そんな私が忘我の徒としてそこにある美に、戦場に咲く大輪の華に魅入られ跪いてしまったのだ。
なんとしたことか!
ここは戦場、時間に応じてひとが死ぬ場所。そんなところで忘我するとは……なに? この戦局となってからは誰も死んでいない?
そんなことが?
どれだけの実力差があればそんなことが可能なのだ?
アレらは神か天人だとでもいうのか?
闇女帝だけではないのだ。陛下もあの戦闘侍女も人類最高戦力の一角を占める超越者だということなのか。
我らは彼女らに仕える……正に使徒たる者となるのか。
その使命に、その重き立場に、私達は耐えられるのだろうか?
不安? 何たることか。私は、我が軍は、そんな軟弱者ではない!
お仕えしよう。
全霊を以て、全てを懸けて追い縋り、僅かなりともお力となれるように鍛え直して、陛下に、ドライリッターに続け!!
全軍が応えた。
最前線にいた全ての将兵が生き証人だ。現実にあった神話の如き戦いを伝承してゆき、その神話の主こそが我らが王であるという燃え滾るような現実に末端の兵までもが立ち上がり激しい鍛錬に励むようになった。
近い将来、我が軍はあのマルキアス辺境伯軍にも匹敵する精強なる軍団となるであろう。
もっとも、敵することは2度となかろうがな。
使節団巡行の途次にて邂逅したあの陛下の祖父殿は……あの御仁も陛下を溺愛して居られるし、陛下も一時的に拗ねているようだが、わざわざ私書を遣わせている。
そこには確かな家族愛があった。
なんとも微笑ましいことよ。
神聖帝国貴族には見られない、純粋な愛情は羨ましいものであったな。
…………マルキアス辺境伯より陛下への寛恕の口添えを懇願されたが……いかがしたものか。
今少し様子を見よう。
ヴァン・ヘルムート王国、王都へ到着する数日前、巨大な飛竜に乗ってあの狂乱の舞姫が我が前に舞い降りた。
凛とした佇まいが麗しい。
聞くところによると、ヴァン・ヘルムート王国は第二王女殿下を陛下の側妃として嫁がせたいと申し出てきたとのことだ。
到着後に知らせて動揺を見せてはならないと、わざわざ知らせにきて頂いたとのこと。
人類最強の一角が伝令にきてくれるとは、なんという贅沢か!
了解し、更に到着後の行動の打合せを軽く行い、舞姫はその場を飛び去っていった。
叶わぬ想いを抱くものは私だけではないようだ。
同行するあの元影の表情は……影失格であるな。
王都に着くと、畏れ多くも陛下が出迎えて下さった。
最後の皇帝との落差よ……
いや、比べるのも不可能なほどに両者には深き溝がある。
全く別の存在なのだな。
王都ユリアナを出る前に遣いをやり、かの者の現状を確かめさせたのだが……未だ自害せず、虫や雑草から残飯に昇格した食事に歓び、近頃では囚人達からの凌辱に悦楽を示し始めたとか。
つくづく見下げ果てた男だ。
血があの男を皇帝に就け、制度があの馬鹿を支え、愚かな近臣があのクズをつけ上がらせたのだ。
新王陛下は彼の子孫にバカがいても王座に就けないよう、憲法なる法の上位にある概念を創り出そうとなされている。
そしてバカをそれと分かった時点で排除する制度も制定しようとなさっておられる。
「血はどのような優位性も保証しない」
とは陛下のお言葉だ。
何かを示し、多くの人々から支持された初代国王が仮に優れた人物であっても、その子や孫が同様であるわけがない。
ならば王位などは世襲しないほうが良い。
だが、国家としての纏まりの象徴としてならば存在意義が見出だせる可能性がある。
ならば王から権力を取り去り、権威のみを付与しておけば事足りる。
権力は臣下や民衆に監視付きで付託すれば良い。
自分らの為にならば真摯に働くだろうし、失策も誰のせいにも出来ない。誰もが慎重に政務にあたるだろう。
…………あのお方は一体どこからやってきたのか……聞かされてみれば得心の行くことばかり。
しかもご自身の子孫に地位や権力を残そうという欲心がまるでない。
ただ純粋に民を救い、静かに立ち去り後の世に痕跡も残さず消え去るのみ……故にか? 歴代の救世の御子の記録がろくにないのは。
ルーメル王国は初代が御子か、御子縁の者とされているが、実際のところは不明だ。
去られてはなるまい。あれほどの人物は他にはいないのだから。
強く賢く美しい人格者。そして無欲が故に国にも栄誉にも頓着しない無頼の者。
どうすれば引き留めうるか、宰相マテウスが最も危惧する懸案がこれだ。
例の件共々いずれ使者が来るであろうが、私も考えねばな。
私の孫娘を……負担にしかならぬか。
クラウディア姫君を屋敷に迎え入れ、それが日常となった11月下旬。
遂にマテウスからの使者がやってきた。
書籍かと見紛う分厚い書簡を開封し、陛下が目を通している。
凄まじい早さで羊皮紙を捲っているが……文字の大きさから言っても読了までに半日はかかりそうな物量の手紙を僅か15分ほどで読み切り……大きな溜め息を吐かれた。
「読んでも宜しいですか?」
クラウディア様である。
「みんなで読むといいよ。でもクロエ先行ね」
陛下がそう言うと、クロエ様が陛下を超える早さで……10分と掛からずに読了なされた。
御二方とも本当に頭に入っているのだろうか?
クロエ様のあとを、クラウディア様、エイダ様、ハンナ様、ヘルガ様がそれぞれのペースで回し読んでいる。
クラウディア様、エイダ様もかなり早い。
それを横目に陛下からお声が掛かる。
「南方三選王国が自立ではなく引続き恭順を求めてきたそうだよ。これに従い王国改め帝国へと国号を変えたい旨、宰相が求めてきた。何故引き続き恭順を申し出るのか……理解できないんだけど」
あぁ、そういうことか。
「従属国故に戦役にも駆り出されておりまして、先の紛争にも数多くの騎士や兵を出しておりました。中でも強兵は最前線へ出ておりましたので……陛下達の……ドライリッターのお姿を目にした者も多く……選王達も腰が砕けたのでしょう。それに作物の収穫量が戻れば我が国は経済的に躍進します。その陰で彼らは自力では立てないでしょう」
「なるほど……いっそ選王ではなく爵位付与して併合しては? それなら王国のままでいけるよね?」
「400年前の厄災以前からの独立国で、クロエ様に救われた後も暫くは同盟国でした。ルーメル王国の初期の帝国化はアスタロス・レギオンに滅ぼされた地域や疲弊しきった地域の救済という側面もありましたから。それに協力してもいたようです。しかし、時が経つと単なる拡大主義の手段としての帝国化が進み……選王国という隷属国に成り下がったのです。それでも自尊心だけはなかなか大したもので、爵位の話しは度々あったにも関わらず、全て拒否していますね」
「それじゃあ今回も無理かぁ……いっそ完全に切り離す?」
「南方の海に出られなくなるのは痛いですね」
「あぁ、交易かあ……通行権を金で買うのは? あちらも儲かるし、こちらは通れるし」
「……あちらの国軍が偽装盗賊とかやりそうですが?」
「面倒くさいなぁ、国防と治安のタダ乗りがしたいだけでしょ? これって。ドライリッター? のご利益に今後は縋りたいと」
「まぁ、そんなところでしょうな」
「ユリアン様、三つある選王国のうち真ん中の国に脅しを掛けましょう」
「クラウディア? なんの為に……あ、悪いんだ、クラウディアは」
「ウフフフ、真ん中だけ手間を掛けて降伏させればあとは勝手に落ちますわ。ソラちゃんに乗ってドライリッターが乗り込めばそれだけで終了の簡単なお仕事ですわ」
「そうですね。地図から読み取るにソラちゃんなら片道4日ですから、交渉込みで2週間もあれば……私達放置されるのですか!?」
「「「あり得ない」」」
「エイダ? ノリ突っ込みかい? 高等技術を駆使して……」
ノリ突っ込み? 陛下は時折意味不明なことを仰る。
あ、いや、それは置いておいて、
「脅しならばわざわざドライリッターが出向く必要はごさいませんよ」
「「「と言いますと?」」」
「御三方の署名入り布告書を三国全てへ送りつければよいのです。侯爵位を与える。拒否するならば戴冠後、滅びを遣わすとでも書いておけばすぐに詫びとともに併合を受け容れるでしょう」
「直接的過ぎない?」
「陛下、陛下の企図する治世にあの様な半端な恭順国など要りません。躊躇いは不要にございます」
「それで良かろう」
「クロエ……それじゃあ構文作成宜しくね、ガイウス」
「承りました」
「あとはまあ、いろいろと書いてあるんだけども……ガイウスもあとで読んでね……これ以上増やすのは全て却下」
側室か? 孫娘の事を言い出さなくて良かった。
「それから、皇女の対応についての話しがあるね。クラウディアはよく知ってる?」
「昨年公爵に臣籍降下なされたお兄様の正妻ですね。まぁ、知ってはいます」
「ハハハ、親しくはないと」
「はい。とっても」
「とっても? どんな人?」
「高慢、傲慢、我儘、邪悪な人ですね」
「邪悪て」
うむ、全てそのとおりですな。
それで、ヤツはなんと?
「宰相はどのようにすると?」
「ユリアヌスルセル王国とは無縁の人物として一切の関わりを持たないよう強く進言されたよ。そう書いてある」
「お兄様は既に別居されていて、ユリアン様の認可を受けて離縁するとの構えですわ」
「関わらない以上、認可も出来ないね。あ、そう話せばいいのか」
「ええ、宜しいかと」
「それじゃあクラウディア、君の同腹の兄様にご挨拶に伺おうかな?」
「いいえ、身分に障ります。お兄様はコチラへ呼びつけますわ」
「えぇー、そんなのいいのに」
「「「「「いけません」」」」」
「……はい」
…………なんと微笑ましいご夫婦方であることか。要所をクロエ様が締めつつも、ユリアン様が主導し、皆がそれぞれに意見して主を支える。
ユリアン様は大きな心根で異論や暴論さえも受け止め消化する。
理想の主従であり、理想の夫婦でもある。ユリアン様あっての家であり、我が国なのだな……いけない、私までユリアン様と。
陛下が余りに近すぎる。
こんな不平があるものか。
誠、よい主に巡り合ったものよ。




