6.クロエの本貫
〈クロエ・ルセル〉
赤子のユリアンは天才だ。
いや、天才という言葉すら生温い、正しく天より遣わされし御子なのだと確信できる。
彼の寿命でどこまでこの才が伸びるのかは解らない。
もし彼にこの先100年の生が赦されるならば賢者へと至る道もあろう。それは火が弱い私には啓かれていない道だ。
可能性があるぶん彼のほうが恵まれているといって良いだろう。
なんとかしてユリアンを不老化し、せめて1000年くらいの寿命を付与できないものか。
もしそうなれば私は彼の番となって彼の子を産んでもよい。何人でも。
まるで獣人族のように特定の番を愛して、中人族のように子育て中に次の子を宿して幾人もの2人の営みの結晶を育み家族という血族のみの集団を形成する。
そのために私と彼は毎日性行為に励むのだ。
こんな妄想を5年も続けていればそれは妄執へと昇華する。
そう、それは確定した未来であり、そうすべき義務なのだ。
そこへ至るための戦略の構築と落とすべき周辺人物の洗い出し。
やるべきことは数多いがワタシならばやり遂げられるだろう。
なにしろこの1,000年あまりでここまでやる気になった事柄は他にはないのだから。
ワタシのこれまでの生きる目標であった強くなるというワンテーマは今のこの事態に資するために必要な副次的なものであり、ワタシが生涯をかけるべきは正しくユリアンであると悟った。
ワタシは今、真の幸福の中にある。
子爵から話があると呼び出された。本来エルフやダークエルフは中人族の貴族や王族程度ならば対等か格上の存在だ。
創造神の対話相手として創られた原初のエルフの眷属なのだから当然だ。
この仕事も長老会の委託を受けたとある組織の斡旋であり、子爵から報酬がでてはいるものの主従関係を結んでいるわけではない。
用があるならそちらから出向けと突っぱねることもできるのだが彼はユリアンの父君でもある。
将来を見据えて下手に構えるのもやぶさかではない。
「クロエ様、お呼び立てして申し訳ございません。ユリアンは魔法士から魔術士へと順調に成長しているようですね。ありがとうございます。ところで、そろそろ契約期間が満了となりますが、私としてはさらに貴女のご助力が頂けると有り難いのですが」
やはりこの件か。
もちろん私とてユリアンの側を離れたくはない。
24時間、360日、永遠の時を経ても尚、一時も彼の側から離れず共に在りたい。
だが、彼は中人族だ。すぐに寿命を迎えてしまうだろう。
だから先ず私が為すべきことはユリアンの不老化と長寿化だ。
そのために数百年ぶりとなる里への帰参をする。
実のところ目的達成のための方法と必須物資等の目処は既に立っている。
我が力と財力があれば8割方成ったも同然。
あとの2割は長老会の許可が必要だ。
が、どのような手段を用いても目的は達成してみせる。
長老達の生死は長老達自身の決断に委ねられる事だろう。
そんなことよりも、それとは別に懸念がある。
中人族の貴族は成人時までに婚約をし成人後直ぐに婚姻する。
ワタシのユリアンが他の女を妻に迎える? そして子を成すなど……あってはならない。
もしもそのようなことになれば我が磨き上げし魔導はこの国に破壊と破滅をもたらす凶悪なる刃と化すだろう。
でもその行いはユリアンの不興を買うに違いない。
だからワタシはユリアンが王立学院へ入学するまでに不老長寿化手段を獲得し、再度ユリアンの師として、或いは最側近として近侍する立場となり……彼の最初の女となるのだ。
そして叶うならば最後の女にも。
あぁ、たまらない!
というわけで、
「その件につきましては辞退させていただきます」
「なぜでしょうか、貴女とユリアンの関係は良好なものと聞いておりますし、ユリアンからの『ずっと側にいてくれる?』との問に『もちろんです』と応えたとも聞いています。心変わりされましたか?」
胸にくるものがありワタシは膝上の手を握りしめる。
一呼吸おいてから口を開いた。
「だからこそですダークエルフのワタシが、『ずっと側にいる』ために必要なこと。それを為すためにワタシはこのあと旅をして、探し、戦い、求める術をこの手にするのです。
ですがその前に、ワタシはユリアンの父たる貴方へ1つの誓いをたてましょう、その対価としてワタシを御子の伴侶とすることを望みます。」
ワタシに見据えられたおとう……子爵が冷や汗を浮かべながら緊張も顕に問う。
「貴女の誓いとは?」
当然の問いかけだ。正面から相手を見据えて力強く告げる。
「我が全てを持って彼を護り、彼に尽くし、そしてその生涯を終えたときにはその死に殉じる。いにしえに破国の闇女帝と呼称されし我が武と魔導の全てを以て、創造神と我が祖先達へ誓おう」
目の前の男の顔が戦慄と焦燥に塗りつぶされていく。
破国の闇女帝、この二つ名がついたのは400年ほど前のことか。群れないはずの有角族が国を作り周辺国へ侵略を始めた。
神聖帝国は当時まだその前身たるルーメル王国で、御子の枝の血を引くという宰相から応戦の依頼があり局地戦程度ならば引受けると安請け合いしたらドップリと戦いに巻き込まれ、あまりに楽しい戦闘が止められず気が付いたら有角族の国を滅ぼしていたという話……に尾ヒレがついて血に飢えた狂戦士かのような伝説が出来上がった。
まぁ、ワタシの強さを端的に説明するのには便利なモノなのでときどきこうして引き合いに出すのだ。
が、ん? 本当に顔色が悪いようだが大丈夫だろうか。
「どうされた? 不調ならば人を呼ぶが」
子爵は視線を落としつつ下を向き3回ほど深呼吸をしてからゆっくりと顔をあげた。
そこにはまるで憧れの英雄に出会った幼子の如き曇りなき明るい表情に強い憧憬の念がこもった視線がのせられていた。
それから2時間ほど質問攻めにあいながらも我が誓いの受け入れと併せて対価としての望みも快く受諾してもらえた。
これで安心してここを一時離脱できる。大望を果たし大いなる歓びと幸福をこの手に!
ユリアンの主観や意向は一切無視してユリアンの将来というか人生がユリアン大好きで優秀な大人達に勝手に決められていく。
でも貴族の結婚とかなんてこんなもの。多分。
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