58.泣かせのギター
〈クロエ・ルセル〉
ガンツが子爵邸へやってきました。
わざわざ来るとは……あれですね。
応接間のテーブル上に置かれた大きな木箱。蓋を外すと……あのときの楽器とは違う形状。
ユリアンがどうせいちから作るならと、いろいろとオーダーして形状指定していましたから、その結果なのでしょう。
早速手に取り音の調整をしています。
ややあって、知らない曲を弾きはじめました。
全体に低調で落ち着いた曲調ながら心に染み入るとても心地よい曲。
弾き終わりました。
静まり返る部屋の中、ユリアンは不思議そうな顔で周りの人を見ています。
ワタシとて称賛すべき、したいのですが、あまりに感動し過ぎて動けないのです。
ガンツなどもそうでしょう。
ハンナなどは静かに落涙しております。
ユリアンと目が合いました……
次の演奏が始まりました。
今度は歌いながらの演奏です。
「いま〜わたしの〜ねがい〜ごとが〜かなう~な〜らば〜…………」
なんていう純粋で壮大なそして真摯な願いなのか。
抑揚のある美しい天使の歌声に楽器が奏でる旋律の妙なること。
これは現実なのか?
こんな音がこの世界に存在したなんて…………世界を旅したワタシだってこんなの知らない。
ユリアン。あなたは一体……
嗚咽する声が、啜り泣くが聞こえてくる。
なんてことなの。またしてもワタシまでもが泣かされている。
あぁユリアン。ユリアン。ワタシのユリアン……
「クロエ、あの歌をまた一緒に歌おうよ」
ユリアン!
「悦んで」
いつかの子守唄をまた二人で歌った。
堪らなかった。もう、悔いることのない……ユリアンによって我が人生は完成したのだとこの時確信した。
ユリアンこそ我が命。
歌に引き寄せられた家人たちに混じってお義母様がいた。
演奏を終えたユリアンへ近寄り抱擁している。
先を越された。
義母すらも油断ならんのか。
改まった挨拶を交わし、家族の接吻をしていた。
何故か美しいと感じた。
これほどの感動の元を作ってわざわざ運んできたガンツにはいつも通り大金貨1,000枚を押し付けた。
相場が分からんからもう定額でよかろう。
毎回渋々受け取る。
それからはガンツによる要らぬ付属装備の説明が始まった。
昔も男のロマンがなんだとか訳が分からんことをよく言っていたが、全く変わっていない。
少なくともワタシのユリアンにはそんなロマンは要らない……はず?
今度聞いてみよう。
例えば閨でしたいこと、して欲しいこと。
思えばユリアン曰くワタシ達の勝手な忖度により押し付けられた性技ばかりで……満足はしているようだが……ユリアン自身がしたいということについて確認したことがない。
よし、今夜にでも聞こう。ハンナと共に。
ガンツ一行は子爵家で客人として遇されることになった。
お義父様もガンツのことは知っていて、感激しながら歓迎していた。
今日は収穫祭初日なので、領主として、祭りの主催者として挨拶や歓待を受けていた為、ユリアンの演奏をお義父様はまだ知らない。
弟のミハイルもそちらへ同行していたから同様。
今夜は屋敷で領の有力者を招いたパーティーがあり、お義母様の強い勧めでユリアンの演奏と歌唱が披露されることとなった。
屋敷内のダンスパーティーも可能な大ホール。給仕や楽団などを含め約150人程が沈黙した。
先ほどの曲と歌。ワタシも一部参加しての3曲。
その間拍手一つない。
咳払いも飲食の音もない。
ユリアンの奏でる音だけが支配する空間と化したホールにはやがて嗚咽と啜り泣きの声だけが拡がっている。
ユリアンは既に席を立ち場を辞したあとだ。
それでも尚、人々は囚われていた。ユリアンの音の魅了に。
これも致し方なしだ。
ユリアンは収穫祭初日挨拶への立ち合いなど、嫡男としての務めを敢えて放棄している。
今日のパーティーも顔出しするつもりすらなかった。
ミハイルを前面に立てるために。
嫡子放棄は学院へ発つ前から明言していた。
もう決めたことなのだ。
ワタシとしても好ましい。家を捨てワタシを選んでくれたユリアン。
生涯を懸けて尽くし、大事にするからね。
しめやかなホールを後にしてワタシもユリアンに従った。
別室でハンナも交え三人で食事をする。
ハンナが
「他にも曲や歌はあるのですか?」
「……うん。経験に基づかない記憶とでもいうのかな、頭の中に湧いてくるんだ」
「凄い……ワタクシは幼少期以来泣くことがありませんでした。そのように育てられたのです。それなのに……ユリアン様には泣かされてばかりいます」
「そんな、まるでボクが酷い人みたいじゃないか」
「ウフフフ、極悪人です。ワタクシの初めてを奪われました」
「えぇー、じゃあ、ごめんなさい」
「許しません。このあと閨で償っていただきます」
楽しそうだな。
こういう関係も好ましいものだ。




