32.学院長の主
〈アウグスト・フォン・エールリヒ〉
翌日、急拵えの段取りにミスがないか確認しながら席次などの作業を進めていると、昼前にとんでもない事実が発覚した。
歴史学を選択している学生達へ授業場所の変更連絡が行っていないこと。
更に学生課の掲示板に誰が貼ったのか不明な張り紙があり、
「本日の学生用歴史学講義は中止。
歴史学講義を受講希望する来賓者は大講堂へ」
との記載が。
急ぎ学院内各所を確認させると正門と本館入口と大講堂入口にも掲示されているとのことだ。
激しい怒りに身を焼かれそうになりながらも、そんな場合ではないと、自身の今為すべきことをせよと言い聞かせるもう一人の私の声が激発を引き留める。
こちらの都合などいかに言葉を尽くしたところでクロエ様には届かないであろう。
執事を呼び、この事態を招いた馬鹿者どもを調べよと指示し、そして影どもを使う許可を与えた。
どんな事情があろうとも絶対に許さん!
例えそれが陛下でもだ。
赦されるにしても、拒絶され謝罪するにしてもクロエ様に会わないわけにはいかない。
教頭には敢えてこの逼迫した事態を知らせずに授業場所の変更のみを伝言させた。
大講堂へ行くと既に数百人もの重鎮達が思い思いの場所に腰掛けていた。
その中には陛下もいる。
大講堂入口は二箇所あるのだが、そのうちの一箇所は封鎖されている。
もう一箇所の出入り口には近衛騎士団員が10名ばかり控えている。
警護配置ということか?
するとそこに諸事情を乗り越えたとしか思えない学生が現れる。
騎士に押し留められた学生は戸惑いつつも質問する。
「あ、あの、こちらで歴史学の授業があると聞いて」
すると応対していた騎士からの信じ難い返答が、
「本日の歴史学講義は軍務卿主催で陛下もご聴講なされる特別なものだ。一般学生は警備の都合上、立入禁止となっておる。速やかに立ち去りなさい」
主犯が判明し、事態の深刻さをまざまざと思い知らされた。
もはや近衛騎士団員ごときと押し問答しても何も解決しない。
講堂内を見回すと陛下の斜め後方、通路脇に座っているのが目に付いた。
憤然として軍務卿、ハンス・フォン・クラッセンの元へ向かった。
「軍務卿! これはどういう仕儀なのだ! 説明せよ!!」
陛下が驚いた表情でこちらを見ている。
ハンスが立ち上がり口を開いた。
「どういうこととは何をさすのか、寧ろ説明が足らぬのは卿ではないのか?」
言うに事欠いて此奴は……
「貴様の手下と成り下がった近衛騎士が学生を遮り授業を受ける権利を奪い取っている。更に学内各所にこの授業から学生を排除するための掲示物が掲げられている。察するにコレも貴様の差し金か!?」
「貴様とはご挨拶だな。同輩とはいえ無礼であろう。まぁ、その通りだ。陛下を筆頭とした国家の重鎮達が集う場に子供とはいえ部外者を同席させるなど、警備責任者として承服できまいよ」
「この学院に於いて部外者とは貴様を含めたここにいる大人達のことだ! 学生達こそがここでの主たる者ぞ! そして責任者はこの私だ。私になんの断りもなく昨日の閣議決定事項を覆して、貴様はなんの権限を持ってこのような勝手をしているのか!」
すると陛下が
「ハンスよ、警備の件はアウグストに話を通して一部変更を擦り合わせると申しておったであろう? これはいかがしたことか」
ハンスは陛下へ向き直り軽く頭を垂れてから更に信じがたい発言を繰り出す。
「我が忠義は陛下にあり、我が信条は陛下と王国の安泰に我が身を捧げることにごさいます。その為にとる行動はどのような行いも全て正当化されるべきであります。この最優先事項のために他閣僚達は進んで協力すべきであり、アウグストの如きは些事に拘り本貫を見失った愚者に過ぎませぬ。アウグストよ、戯言を申す前に今一度思い出すがよい。お前が誰にお仕えしているのかをな」
この慮外者めがぁ!
「いや、これは一方的にハンスが悪い。ここでの卿の行いはアウグストの顔を潰したのみならず、闇女帝の不興を買うことに繋がるのだぞ? かのお方の暴威が振るわれたならばその後は責任を取るべき者など誰も残らんだろうよ。アウグストはそこにも思いを向けて対処しておるというに、卿はそれら全てを無にした。しかも独断でだ。これは予想できる結果から鑑みるに国家転覆罪の適用もあり得る事態であると朕は考える」
ハンスの顔色が見る見る青褪めてゆく。
その時、入口から声が響いた。
「エルフ様が……」
一斉に皆が入口へ視線を向けた。
当然私もだ。
クロエ様と目が合った。手招きをされる。
急ぎ駆け寄り、今言える範囲内で現状をご説明したが、当然ご納得は頂けない。
退出しようとするクロエ様。
このままでは王国への心象が地の底まで堕ちてしまうであろう。
軍務卿の如きはともかく、理を持って正しき判断をされる陛下を筆頭に、国のため、民のために尽くされる大多数の臣下達を護る為に今私が何を為すべきか……いや、違うな。
私はクロエ様への不義理が許せないのだ。
それに気付かず看過した自身が赦せぬのだ。
私こそが私の為に身を持って謝罪したいのだ。
それに気付いたとき、クロエ様の御前へと駆け出していた。
土下座をした。
常日頃、こうあるべきと思い定めた遣り方で私の最大限の謝罪の意を示した、轟音と共に。
顔をあげ、クロエ様を見据えて謝罪の言葉と次の機会を乞うた。
怜悧なご尊顔に光る永久結氷のような視線。
途端に勝手なことを言う自身が恥ずかしくなり再度額を床へ打ち付けた。
すると静まり返った大講堂の中、小さいがよく通る声がする。
天から降りてきた福音に赦しの言の葉がのる。
そのあまりの感動と至福にうち震える身体。我が生涯を捧げるべきユアハイネスのご尊顔を再度仰ぎ見たいと上体を起こそうと試みたが、そこで意識を失った。
意識を取り戻したのは夕刻頃だ。
医務室のベッドに横臥していることにはすぐに気付いた。
脇の椅子には執事のヨハンが控えている。いつものことだ。
起き上がるのを手助けしてもらい、一先ずはベッドに腰掛ける。
ん? 股間になにやら違和感があるのだが……
ヨハンからその後の経緯を聞いた。
気絶して血塗れの私を職員が担架で運び出した。
ヨハンはその後を見守るために敢えて大講堂に残った。執事ヨハン、それでこそだ。
陛下以下、事の重大さを再認識し、近衛騎士団の指揮官を呼出し事の経緯を詳細に聞き取り、軍務卿に尋問する。
概ね態様の把握ができた処で、軍務卿の解任と謹慎が即座に申し渡された。
近衛騎士団は団長、副団長に譴責の疑これ有りとされ、懲罰委員会を開くことに。
本来、近衛騎士団は国王直下の直臣であり、軍務卿の指揮下にはないのだ。にも拘らず陛下警護に名を借りて軍務卿麾下として掲示物貼り出しや入場者確認などの雑務まで請け合うなど有ってはならない規律違反なのだ。
これを期に正常化しようというのであろう。聡明な陛下らしいご判断と言える。
さて、私はどうすべきか。
いや、違うな。私はどうしたいのかだ。
私は求めない。ただ尽くすのみ。
見返りも求めず、人知れずとも我が真心に嘘をつかずに、一途にひたすらに影仕えすると決めたのだ。
ユアハイネス。我が真なる主、クロエ様に。
我が全てを持って、迅速に、正しく、対応力を持ってクロエ様にご満足頂くのだ。
そして僅かでもご満足いただけたならば至福というもの。
結果判断が困難ではあるが。
クロエ様の満足か。
そうか、クロエ様をお喜ばせ可能な人材がいるではないか。
かの至尊のダークエルフが伴侶と定めし羨望の貴公子が。
ユリアン……殿。
うむ、ユリアン殿と誼を通じてクロエ様が喜ばしく思し召す具体例などを聞き出すとするか。
とにかく迅速に事を進める必要がある。緻密な計画を今夜中に立案し、明日中に策を成立させるのだ。
その後、トイレで自身が射精していた事に気付く。
……床打した時か。
ふむ、どちらにせよ引返す道など無いのであるな。
迎えた土の曜日。
輿に関しては痛恨であったが、全体としては成功であったと言える。
ユリアン殿への気遣いは好感が得られたように思う。
やはり全ての戦略の根幹にはユリアン殿を据えるのが肝となること間違い無しである。
ふぅ、それにしてもだ、一昨日数年ぶりとなる射精をしたばかりだというのに、輿に乗り天井に頭を打ち付けた際にまたしても射精してしまった。
もはや戸惑いはない。
クロエ様へ捧げる痛みや苦痛は私の歓びなのだろう。
身体に刻まれる傷は正真正銘の勲章である。その後も見返すたびに背筋に歓喜の痺れが走る。
あぁ、クロエ様。
私が次代へ繋ぐべき義務と責任を負う我が家、我が一族。
表では王国に仕え、影ではクロエ様へご奉仕する、クロエ様の影の眷属と致しましょう。
私が死した後も、我が血を繋ぐ一族全てでお仕え致します。
永きエルフの生に寄り添うように、いつまでも。
この人も変態でした。




