22.天使の救済
〈ユリアン・フォン・シュワルツクロイツ〉
入学から2週間が過ぎた。同期生の派閥形成は既に完了している。
親の派閥がそのままスライドしただけなのだが、そうなると辺境伯の爺さん派閥のトップはあの伯爵令嬢のヘルガ嬢ということになる。うちは子爵だからね。他にも子爵家や男爵家の子女が2人いる。総勢4人の派閥。
それにしてもあんな目に遭っても尚、折れない心は尊敬に値する。
ヘルガ譲、いまだにオレにちょっかいかけてくるのだ。
まぁ、従者や侍女は教室とかまでは同伴しないからこそのチャレンジなのだろうけれども、毎日ランチやお茶のお誘いを受け流す日々には幾分辟易している。
しかしこの状態をクロエは察知していた。
オレが迎合しないことを承知してはいるものの気分は良くない。
でも授業時間中は同伴できない。
思案しているところで学院長からとある依頼がきた。
放課後、学院長室に招かれてのお茶。そして切り出す学院長。
「どの授業でも構いませんので教師を引受けてはいただけませんか?」
彼は王宮での引見の際に同席していた中の一人で侯爵だそうだ。
内務卿という役職と兼務しているらしい。
当然クロエが恐怖の大王だと知っている。
それなのに雇用しようとしているとは、ここにもチャレンジャーがいる。
隣りのクロエを見ると顎先を右手指先で挟みつつ半開きの眼で下方を見ている。
考え事をしているときの彼女のクセだ。
しかも熟考している時の。
まぁ、受けるだろう。
オレと居られる時間が増えるのだから嫌はない。
どの授業を受け持つのが最善かを考えて……
「では歴史学を受け持ちましょう。但し、ユリアンの学年は必ずワタシ担当に。それと、確認なのですが、空いた時間は学内の散策などしても構いませんか?」
「ありがとう御座います。学内の自由な移動は私が保証致しましょう。ご存分に検分なさって下さい」
「他の授業の見学などは?」
「勿論構いません。むしろ望むところでございます。気になる点などございましたらその場でご意見いただければ尚更有難く」
「宜しい。では明日にでも打ち合わせを」
オレなんかの思考の10kmくらい先まで考えていた。
フリーパス。
これでこの危険極まりない大魔王が通常授業も含めてオレとクラスの愉快な仲間たちを常時監視する権限を得たことになる。
しかも、オレの選択科目に手を出す口を出す。
平和なはずの武術実技の時間がいつもの限界ギリギリ汗だくワールドへ変換されて……そういや有角族の先生がクロエにビビってたな。
正体を知っているのだろうか。
こんど謝っておこう。
週始め光の曜日、午前の通常授業はいつも通り行われた。だが昼の休み時間になる手前でノックも無しに扉を開けて学院長と青褪めた顔の教頭とクロエが入室してきた。
教卓にいた教師を下がらせ、教頭が口を開いた。
「明日から選択科目の歴史学はこちらのクロエ・ルセル教師が担当することになりました」
何事かとザワつく教室内。ロイヤルな二人は喜色を浮かべている。
失禁令嬢は絶望とはこういうことだ! というテロップが幻視できそうな表情をしている。
他は見惚れるやら、嫉妬やら様々。
「クロエ・ルセル様はみてのとおりダークエルフでいらっしゃる。齢1000年を超える歴史の生き証人でもあられる。故に真実の学問を享受できる絶好の機会であることに感謝しなさい」
ザワつきに嘆声が混ざりだす。
1000歳の人とか知り合いにいますなんてヤツまずいない。ここにもいないだろう。
オレ以外は。
「さらに得難いことに、他の選択授業や実技科目にも、ときにご意見頂けるとの事。識見の深さや広さのみならず、武術や魔導に於いても比類なき絶対強者であるとホーンのレギオス師とドワーフのゴドルフ師が怯え……ゴホッ、グゥ……全霊を以て保証するとのことでした」
静まり返る教室内。
有角族の先生、やっぱり知ってたんだぁ。
すると、えーと、確か公爵令嬢のエイダちゃんだったかな?
が、立ち上がりのたまった。
「そちらのエルフ様が如何程のお方であろうとも、たかだか子爵家子息に仕える侍女ではごさいませんの? そのような者に教えを受けるなど我が公爵家の矜持が許しませんわ」
ここで一呼吸おいてから周りを見渡す。そしてさらに、
「学院長、いえ、侯爵閣下。この方の美貌に惑わされましたか? ここは良識の府にして崇高なる学びの舎、この様な……」
「黙りなさい!」
沈黙していた学院長が吼えた。
「直ちにその口を閉じてクロエ様の前に跪き、床に額を打ちつけて赦しを乞え!!」
エイダちゃんが驚愕を顔に貼付け固まっている。
「直ちにだ! 出来ぬなら陛下並びに閣僚の総意を以てミュラー公爵家を取り潰す! 早くせぬか!!」
エイダちゃん涙目、全身ぷるぷる。
「エイダ・フォン・ミュラー!! 貴様如きの陳腐な矜持で家を潰すか!」
やっと小さな一歩を踏み出してゆっくりと歩をすすめ、どうにかクロエの3mほど前までくると、崩れるように両膝をつき、やがて土下座の格好になった。
「額を打て。血を流し、良いと言うまで床に打ちつけよ」
学院長が容赦ない。
大人達が手順を踏んで紹介した師となる者。尚且つエルフに対する態度としては「絶対に」有り得ない、あってはならないことをエイダちゃんはやったのだ。
その高慢で傲慢な態度は正さなければならない。周りの大人がね。
号泣するエイダちゃんは額を床に付けるものの叩きつけることまではできないでいる。
さらに学院長が吼える。
「エイダ・ミュラー!」
フォン抜いちゃったよ。
お前は貴族じゃないと卑下されたも同然の物言い。
まぁ、この辺でいいだろう。
「侯爵閣下、ボクの愛しいクロエはこれ以上の罰を望んでおりません。どうかここまでにしてエイダ嬢をお赦し頂けませんか?」
敢えて爵位で呼んで御子として依頼した。
学院長呼びでは学生としてのお願いになってしまう。
「クロエ様の主である方の申し出なれば致し方なし」
学院長がクロエに向き直り問う。
「お赦し頂けますか?」
クロエはオレが言った「ボクの愛しいクロエ……」のところで既に表情筋が弛んでいる。
誰も気付いてないけど。
「ユリアンが赦すのならばワタシに嫌はありません」
こういう細かな仕込みが大事。
どちらにせよ、殺気を放っていない時点でそんなに怒ってないのは分かっていたよ。
アレが放出されたらみんなヘルガ嬢の仲間入り確定。
エイダちゃんに歩み寄ってから土下座している前にしゃがみ込んで、両肩にそっと手を添えて顔を上げてやる。
いろいろと溢れ出した滂沱のお顔にハンカチーフを宛てがい、
「怖かったね。でも、もう大丈夫だから。ほら、顔を拭いて」
するとオレを見たエイダちゃんの蒼かった顔が見る見る紅く染まって、オレに抱き着きまた号泣しだした。
クロエの目の前で。
「クロエ、あとで、ね?」
内心冷汗が止まらない。
だって今度は少し漏れてる。オレの真後ろで。
オレを含め教室全体が恐怖した、後に「天使の救済事件」として学院で永く語り継がれることになる騒動の一幕である。
ここで言う天使とはオレのことだそうな。
その日の夜、天使は羽以外の何かがモゲそうなほどのお仕置きを大魔王から頂いたとさ。
めでたし、めでたし。
〈クロエ・ルセル〉
小便小娘だけではないな。あの小娘も要注意リストに入れなければ。
あれで惚れない訳が無い。
ユリアンが素敵過ぎてツライ。
花が咲き、実がなるかはともかくとしてこの先も次々現れそうです。




