10.父の苦悩
〈クンツ・フォン・シュワルツクロイツ〉
午後3時、庭園の奥まったところに建つ東屋にてささやかなお茶会を催した。
午前にクロエ様と話したことを妻に打ち明けたのだか、このままでは我らが愛息が『破国の闇女帝』の性的略取に遭うのではないかとの懸念を強く、強く感じると妻から切々と語られた。同感だ。
しかし、戦神との別名を捧げられ各地で武人達に崇拝されているような、なんなら私や辺境伯、国王もが憧れ、尊崇しているという、別次元の存在に目を付けられてしまったのだから最早防ぐことも抗うことも、逃げることさえも叶いはしないだろう。
あと出来ることがあるとすればユリアンの扱いについて話し合うことくらいだ。
そんな訳で急遽お茶会をということになった。
妻と私、クロエ様、そして給仕にはハンナを指名した。
現在、東屋に集った各々は全員が俯いている。
当たり障りのない世間話から始まり、学院での暮らしや授業の内容などを妻がメインとなって語る。
時折私が補足や合いの手を入れる。
和やかな空気感を演出しつつ話しを進める中、焦れたのであろうか、妻が遂に切り出した。
「ところでクロエ様のユリアンへのご好意は得難い栄誉でございますが、ユリアンのどこをお認めになられたのでしょうか」
さすが聡明なる我が妻。見事に真正面から切り込んで……って、いやいや、いくらなんでも真正面が過ぎる!
貴族として培った修辞というものがあろうに、持って回った迂遠な語り口とか−−
「まずは稀有なる才気に惹かれます。そして素直で合理的な性格はきっと素のままのワタシをも受け入れて包みこんでくれるでしょう。あと、一番は匂いですね。初対面で一目惚れでした。あら、やですわ。いい歳して人前で惚気だなんてお恥ずかしい」
ここで全員が下を向くことに。
クロエ様だけは意味合いを異にするのであろうが、我々は……初対面時? 生後6ヶ月の乳幼児に一目惚れ? しかも匂いに惹かれたと? これは想定を遥かに外れた、もはや中人族たる私には理解の及ばぬ領域の事象なのではないのか?
この異常な発言をして頬を紅く染めながら下を向いてはにかむ、怖ろしいほどに美しい人外の化け物は……いや、エルフならこれが当たり前なのか?……そんな訳はない。
この人から自分が破国の闇女帝だと明かされてから数年掛かりで彼女について調査した。
ゼーゼマン様の協力も得て行われた大掛かりな調査だ。
闇女帝の名がクロエ・ルセルであることを軸に各地の伝説や伝承を丹念に拾い集めたところ大陸各地にそれらしき名が見られた。
クラレとかカルエだとか微妙にズレた名前で記録されているものも含めると恐らく初出であろう700年程前から18件の英雄譚と厄災の物語を収集できた。
言い伝えやお伽噺などの明文化されていないものも繰り入れるならば100を超える物語にクロエは登場する。
事実の記録と思しき18件の中には当時の行政文書として残された記録もあり、それらと照合するにある時は戦慄するしかない超絶たる災害を敵対者へもたらす魔王であったり、ある時は絶望と諦観に支配された滅びの刻のさなかにある国に開放と歓喜と希望をもたらした後、対価も受けずに去っていく英雄であったり、具体的事象を可能な限り調べるに「本当に実在するのか?」という疑念と確度の高い記録とのせめぎ合いに苛まれ続けた。
原初のエルフであるシルフィーネがエルフに於ける知の最高峰なのは疑いない。
ではエルフに於ける力の最高峰はと問われれば今の私は迷いなくクロエ・ルセルであると応えるだろう。
彼女を降せる者があるとすれば創造神か代行者たる天人をおいて他にないのではなかろうか。
その調査の中で彼女の人柄に関する記述が散見された。
総合すると概ね良識の人であり弱者に慈悲を与える傾向がある。
一方で他者との関わりが希薄で自身へ向けられる好意などにも無関心だとか。
正しくエルフの性質そのものと言ってよいだろう。
つまり存在の異常さに比して割と常識人なのだ。そのはずだ。
多分この人はエルフとしての性質を捨て去ってしまったのだ。
生涯をワンテーマに捧げて大方の人が大業を成して世を去るというのがエルフのあり様だろう。
この人にとってのワンテーマは恐らくは強さ。
1,000年余りの時を強さを極めんと生きてきたその果てにユリアンに出逢ってしまったのだろう。
今の彼女のワンテーマはユリアンなのだ。
そして転ぶ切っ掛けがユリアンの体臭? であり、ワンテーマへの真摯な取り組みの対価が性的な営みなのであればもはや我々に做すすべなどないのだ。
5年半前、彼女は既にユリアンに命を捧げる誓いを立てている。
私達以上に彼女にとってのユリアンは尊く掛け替えのない存在なのだろう。
どう足掻いてみても委ねるより他ない。この狂ったダークエルフに。
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