壊れる女
夢を見るメカニズムというものは現代でも解明されてはいません。願望の表れ、又は、脳の情報整理のために人は夢を見るのだ、と説明する者もいます。だけど動物も夢を見ることが解っており、複雑な脳構造を持つ人間に限らないのも謎の一つです。
人間であれば誰でも見る夢。眠っているのに急に泣き出す赤ん坊は夢を見ているのかもしれません。でもそれってどんな夢なのでしょう……
だけどこんな夢を見たことがありませんか?
ーーあれ? これって夢だ。
そう。それが現実ではなく夢だと解ってしまうこと。
たまたま偶然にーーーナニかが切っ掛けとなって現実ではないと解ることもあるのかもしれません。でも、夢を見ようと意識して見る不思議な夢ーーー「明晰夢」と呼ばれる夢があるのです。
明晰夢、それは夢だと自覚しながらもその夢を見続けることが出来ます。そして夢だと自覚しているから夢をコントロールできるのです。その夢に誰を登場させるか、更には、登場させた人物が何を考え、どんな行動をするか、そんな自分以外の他人までもが貴方の思うがままなのです。貴方の夢ですから。
どうです? 見たいと思いませんか? 隠さなくてもいいんですよ。「推し活」が昂じてしまい、一度でいいからアノ人のカラダに触ってみたい、私を抱きしめて欲しい、と思っているアイドルなんかがいませんか? ……出来るのですよ、明晰夢を見ることで。
そんなの所詮は夢だとバカにしていませんか? そう思っているのなら現実と夢との違いを改めて考えてください。実際に体験をするか、それとも想像なかの違いだと思っていませんか? だとするなら、夢で口づけを交わした相手の唇や舌の感触、匂いや唾液の味までもがハッキリと自覚できたら? それは現実となんら変わりはないのでは? セックスだって現実と違わないのですよ。信じられませんか? 「性は脳なり」なのですよ。脳が性を支配してるのです。男女ともに。ふふふふ………現実のセックスと変わらないどころか現実以上らしいのです。男性であればそんな夢なら毎日でも見たいと思うでしょう。女性だって同じじゃないですか? 夫がいる既婚者であろうと。
ただ問題があるのです。それも2つ。
一つは、意図しないのに悪夢が侵入してくることがあるのです。現実にはあり得ないナニか、例えば映画で見たゾンビなんかが出てきて、そいつに襲われるということもあります。
それともう一つは、目が覚めにくいのです。憧れの誰かとセックスをしていたのに、その誰かが急にゾンビになってしまい、そいつに噛みつかれ、悲鳴を上げながら抵抗してるのに目が覚めず、生きながら身体を、内臓を食われ続ける。そんな夢を、信じられないほどの痛みと、のたうち回るくらいの苦しみと恐怖を感じながら見るのです。いや、見るというより体験するのです。痛みも性と同様に脳が支配してますので、脳が痛いと思えば痛いのです。
え? 明晰夢を見ているときに、その夢の中で死んでしまったらどうなるか? さ~~……わかりません。
「休み明けってだるいね」
高校2年生の夏休みも終わり、2学期最初の日の学校がようやっと終わった。クラスで仲の良いマリが、騒がしい教室の中で話し掛けてきた。
「キャハハハハハハ!!」
教室の後ろの方からワザとらしい笑い声が響き渡る。誰の声なのか見なくても解ったけれど、思わず振り向いて見ると、武藤さんの処に集まっている何人かの1人、菅野ミサが3人いる男子に媚びを売るようにして騒いでいる。その3人の男子の中には工藤君がいた。背が高くてスタイルが良くって涼し気な目をした工藤君。その工藤君の肩に菅野ミサの手が触れた。
ーーーどうしてあんな女に触らせるの?
ーーーやめろ、俺に触るなって言えばいいのに。
「俺達カラオケ行くけど、サツキとミサも来ない?」
そう言ったのは安藤だ。好んで工藤君の傍にいるようだけれど、そうすれば自分も目立つと思っているのだろうか。工藤君の隣にいると余計にくすんで見えるのに気づいていないの?
「うん、行く行く!! サツキも行くよね?」
武藤五月さん。仲の良い人にはサツキと呼ばせている。いいな、私もサツキって呼んでみたいな。女の私でも見惚れるほど美人で可愛いくて、そしてスタイルがいい。そんな彼女がいるから菅野ミサまでが1軍扱い。笑える。
工藤君と安藤、それともう1人の男子ーー田淵君ーー彼はちょっといいかも。眼鏡をしているから一見すると大人しそうに見えるけれども、運動神経がとても良くって眼鏡を外せば間違いなくイケメン。
「遅くまではムリだから途中で抜けるかもだけど」
そう言った武藤さんの声が聞こえ、男子3人は2人の女子を引き連れて教室から出て行った。
「今週の日曜日って暇? 映画観に行こうよ。どうしても観たいのあるんだ」
学校の帰り、隣を歩く中田マリが言った。マリは映画が好きだ。ジャンルにはさほど拘ってはいないようだけれど日本映画ではなく洋画が好きで、今までも何度もマリに誘われ映画館に足を運んだ。
元々は映画に興味など無かった私だったけれど、マリが観ようと言う映画はどれも面白く、よほど予定でも無い限りは断ったりはしない。でも外国の映画には濃厚なベットシーンが珍しくなくって、同級生と一緒に観るには気まずいものも多くて、初めてマリと一緒に観に行った時は、観終わった後に入った喫茶店で私の顔は赤くなっていて、そんな私の顔見ながらマリが言った。
「なんかさ~~、ジンジンきちゃったよね」
確かに私は火照っていて自分でもそれが分かっていたけど、同意を求めるように言われて凄く恥ずかしかった私は下を向いてしまった。しかしマリは明け透けだった。学校ではそんな話を誰かとしているとこを見た事がなかったマリなのに、身を乗り出し、小さな声でオナニーしたくなっちゃうよね、と、クスクス笑いながら言った。
私は本が好き。小さい頃から気が付くと小説を読んでいて、マンガは殆ど読まない。自分でもどうしてマンガを読まないのか分からないし、驚くほど綿密に組まれたストーリーの漫画があるのは知っているけど、それでも読みたいとは思わない。もしかするとキャラクターのビジュアルというか見た目を、読み手である私が想像できないのが嫌なのかもしれない。映画も漫画と同じでキャラクターの想像など出来ないのに、不思議と面白くて、誘われたらまた行こうと思っている。あの大画面と迫力のある音響のせいだろうか?
私の好む小説のジャンルは決まってはいない。ミステリー、ホラー、サスペンス、そして恋愛モノも読む。でも作者のクセというか言葉の繋ぎ方や表現の仕方がどうしてもダメなものもあって、そう感じてしまった作者のは二度と読んだりはしない。
恋愛小説の中には想像を掻き立てる生々しい描写もあって、ページを閉じて目を瞑ると淫靡な世界が広がり、そこでは男の手が私の身体を這っている。私は自然にオナニーをしていた。けれどそれを誰かに言ったことなどない。それなのにマリに同意を求められ、思わず頷いてしまい、そんな私を見て満足げな表情だったマリ。
小春の様子がおかしい。いったいどうしたんだ?
篠原小春とは高2の時のクラス替えで初めて同じクラスになった。一目で私と気が合う子だと分かった。話し掛けてみるとやっぱりだった。周りに流されない拘りみたいなものがあって、それは女子高校生らしくなく、ともすれば周りから浮いてるように見られる、私と同じ匂いがした。
私はSNSなんかに興味がなく、ラインだってやりたくない。そんなことを学校で言ったら大変な目に合うからラインだけはしている体裁は取ってはいるが、正直どうでもいい。
背が高くて脚も長くて胸が小さくスレンダーな武藤五月というクラスメイト。目とか鼻とか唇、それに額という顔のパーツがバランスよく配置された女。あれって整形じゃないかな。妙に整い過ぎて人工的。そんな見た目で1軍扱いされてるけど、そもそも1軍ってなに? よくわかんないけどどうだっていい。とにかく私に話し掛けてこなければそれでいい。だって空っぽだよ、あの女。喋っても絶対つまんない。その点、小春は知的で、話してみるとビックリするくらい博識だけど、それをひけらかしたりしない。そして可愛いし面白い。
小春は本が好きだと恥ずかしそうに言ってたけど、家に遊びに行って心底驚いた。部屋の壁が全て本棚。ここって図書館って思うくらい本が並んでて、そして本棚に入りきらない本が床に無造作に積み重ねてあった。読んだ本はブックオフにでも売ったら? って私が言うと、また読みたくなるからと、やっぱりちょっと恥ずかしそうに言っていた小春の顔が妙に可愛かった。
床に積み重なる一番上にあった本ーーー小春が最近読んだと思われる本に、シュニッツラーの「夢小説・闇への逃走」があった。これって確かニコールキッドマンとトムクルーズ主演で映画化された「アイズ・ワイド・シャット」の原作だ。あの映画は動画配信で観た。映像よりもストーリーが凄くエッチで忘れられない映画の一つだ。あの映画って原作からストーリーを弄ってるのだろうかと思い、その本を手に取ったみた。
「ん? 読んでみたいのあったら貸して………ぁっ………それ……」
私が手に取った本がナニか分かったのだろう。そして、そんな小春の反応から小説も映画と変わらない内容なのだと思い、あまり本など読まない私だったが興味が沸いた。
「うん、これ借りるね」
「……………うん…………」
小春は顔を赤くして俯いてしまった。ちょっと可哀そうだと思い、話題を変えようと映画に誘うと、映画館に行ったことがないと言う。子供の頃に夏休みとか冬休みに親に連れてってもらわなかった? ドラえもんとかワンピースの映画、と聞くと、マンガは好きじゃないの、と言う小春を、いいから一緒に来なさい、絶対に面白いからと強引に連れて行った。
隣でスクリーンに魅入る小春は、緊張する場面では息すら止めて私の手を握りしめていた。そんな彼女は場面がベットシーンに変わるとお尻をモジモジさせて溜息をついていた。だからちょっと虐めてみたくなって後から言ってやったのだ、オナニーのことを。すると真顔で頷いていた。可愛い。
そんな小春がなんだかおかしい。夏休み中のことだ。
二人で街に出掛けて、スタバでフラペチーノを啜ってる時だ。
私はエスプレッソが入ってちょっと苦味のある生チョコレートフラペチーノ。小春はやっぱり小春らしくていつもフルーツ系が好きでバナナナバナナという舌を噛みそうな名前のフラペチーノ。スタバはちょっと高いけど、あの頭が痛くなるキンキンさは、やっぱり夏には欠かせない。
「ーーー私………ウワサされてる」
何を話題にしてた時だったか忘れたけど、唐突に、そう、唐突に小春が言った。
「え…………ウワサって?」
そう尋ねても目を伏せてこっちを見ない小春は口を開こうとしない。ウワサってナニ? そもそも今って夏休みだよ。何処で誰が小春のウワサをしているのを聞いたの? グループライン? それともチャットか掲示板?
ウチの高校にも裏サイトなるものがある。私はそんなモノに書き込みなんてしない。けどチェックはする。あまり表に出ないウワサ話が書き込まれることがあるから。ウワサなんて根の葉もないモノだと一蹴するのは危険だ。そしてネットでのウワサ話とリアルの世界でのウワサ話は互いに影響されている。
ごくごく少数しか知らないスキャンダラスな秘密。そんな秘密がリアルの世界だけで広まるなんてことはマズない。でもその秘密を知った人が己の胸に留めていられるかとなると疑問だ。誰もが喋りたい、吐きだしたい、そんな欲求にかられる。だけど不用意に喋ってしまうと、あいつは信用できない、おしゃべりだ、と陰口を叩かれ、これもウワサとして広まる。だから書き込まれるのだ、ネットに。喋りたいという欲求、それと、自分はこんなことまで知っている情報通なの、という自己顕示欲を満たすのがネット。匿名であるのが無敵だと勘違いさせ、まるで正義の味方になったような書き込みが多い。だけど書き込まれる文章には人それぞれのクセがあって、頻繁に書き込むと身バレする。あれを書き込んだのはアイツだ、というウワサがリアルの世界で広まる。
誰かに嫌な思いをされると、した相手を貶めるウワサを広めるのに役立つネット。だけど執拗に書くヤツは特定される不思議な世界が学校の裏サイト。私以外にも、書き込みはしないが絶えずチェックしている人は大勢いると思う。
〇年〇組のN・Sって援交やっててまじキモイんですけど、という書き込み。それが1度ではなく頻繁に書き込まれたことがあった。N・Sなる女子が誰なのか皆が分かった。でも学校でのN・Sは成績が良くって真面目で可愛いって評判の子で庇う人が大勢いて、結局、書き込んだヤツがバレて、そいつがリアルの世界で誰からもガン無視。でも私はN・Sが売春やってるのマジだと思うし、N・Sを庇った人の中にも私と同じように思った人はいるはず。ウワサってホントかウソかは重要じゃない。そんなの真剣に考えて行動してる高校生なんかほんの僅か。大半は面白いからそのウワサに乗るヤツばっか。いい気になってるヤツのマウント取りたいだけ。
小春のおかしなウワサなんか聞いた事もないし、ネットで見かけた記憶もない。
「どんなウワサ?」
ようやっと顔を上げた小春。
「マリ……………あのこと………誰かに喋ったりしたの?」
小春はこういう喋り方をする。尋ねるのならハッキリ「誰かに喋った?」と言えば良いのに、「喋ったりしたの?」というように余計な語尾がつく。そして、アレとかソレといった、ぼかす言葉をしょっちゅう使うから要件を早く知りたい時などイライラする。あれほどの読書家なのに。
「あのことって?」
そう聞き返した途端に思い至った。もしかしたらオナニーのこと? まさか、違うよね。だが頬を染めて頷いている。
世間知らず過ぎる。本ばっかり読んでいるからだと言いたくなる。いったいいつの時代の高校生なの?
昭和から平成にかけて裏ビデオなるものがあったらしい。結構な値段がしたとか。でも今ならネットでいくらでも観れるからそんなモノはーーー裏も表も関係なく売れない。そしてアダルト業界もダメになってるっていう。そんな世の中では逆に昭和にあったピンク映画が見直されてるとか。つくづく男ってヤツはとも思うけど、エッチな動画を誰でも観れてしまうから、観たことのない女子高生なんかいない。中学生だって観てる。そんな動画に出演している女性はセックスだけではなくオナニーもする。それって当たり前の行為。女性のオナニーが市民権を得たのってネットのおかげじゃないかな。
だから小春がしてたって誰も驚かないしウワサにもならない。だってウチの学校でしてない女子っている? いないよ。
「そっ、そうなの?…………でっ、 でも………喋ったりしたんじゃ………」
「……………あのね〜〜……………喋ってません。そもそも喋る意味が分からない。みんなしてんだから面白くもなんともない話でしょ」
きっと小春の勘違いだ。ネットじゃないと言うのだから、誰かが何かを喋ってるいのを小耳に挟み、それを自分のことを喋っていると…………ええ? それってどういうこと?
「誰が喋ってたの? 今って夏休みだよ。学校だってないし………どこで?」
「え…………うん…………昨日、ショッピングモールで………男子2人が………名前は知らない。別のクラスの人だと思う……」
「昨日!? ………昨日は私と一緒に街の図書館に行ったよね! 小春が行きたいって言うから。けっこう遅くまでいたけど、その後に一人でショッピングモール行ったの?」
「え? ………あれ? 一昨日だったかも…………」
小春の話は要領を得なかった。昨日のことなのか一昨日なのか、名前も知らない男子二人が小春をチラチラ見ながらーーニヤニヤしながら喋っていたーーー小春は自分のウワサをしていたと思ったらしいが、学生服を着てる訳でもない。そいつらがどうして同じ高校の同級生だと分かったのかも不明。
そして昨日ーーー夏休み最後の日に小春からメールが着たのだ。夜の9時頃だ。
ーーー小春だけど電話してもいい? マリにちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど、今っていい? 明日学校始あるからその時に会って喋ればいいとも思うんだけど、学校始まる前に………
小春はメールを好んで使う。ラインは殆ど使わない。長いからだと思う。今きたメールも長い。私もいつまでもやり取りが続いてしまうラインは苦手でーーー終わったと思って放置してたらキレられ、既読にならなとキレられーーー1度に用件を全て伝える事ができてそれで終われるメールの方が性に合うのだが、それでも小春のメールには辟易する。そもそも電話をするのにメールで予約が必要なのか、とも思うが、小春らしいのでそれについては言わないが、今から電話するけど都合悪くない? という内容のはずがどうしてこんな長文に出来るのか。ーーー無駄な才能だ。最後まで読まずに私は電話をした。
「もしもし、私。メール読んだけどどうした?」
今日のお昼頃に武藤さんからショートメールがきて驚いてしまった。ラインで友達登録をして欲しいという内容のメール。武藤五月さんの電話番号は知っていたけれどアドレスを交換している間柄ではなかったから、ちょっと待っててね、今登録するから、と返信してから電話番号でラインの追加登録をすると早々に彼女からの許可があってラインが着た。
ーーーいきなりでゴメンね。2学期が始まる前に会って話したいことがあるの、どうしても………
なんだろう? でもラインを読んだ途端にドキドキしてきた。私も武藤五月さんと直接会って喋ってみたい。時間と場所をどうしようかとラインでやりとりしていたけど、やっぱりラインって好きになれないな。短い文って凄く乱暴のような気がして。
結局は武藤五月さんが私の家に来ることになった。私がスタバかマック、それと喫茶店の名前を言ってみたのだけれど武藤五月さんがハッキリしなくて、ずいぶんとヤリトリが続いた後に彼女が、篠原小春さんの家に行ったらダメ? と言ってきたのだ。部屋を片付け掃除機を掛けて、それから彼女が来るのを待っている間に考えてみると、誰かに見られるのを嫌がっていたのかもしれない。話っていったいなんだろう? 武藤五月さんの整った顔とモデルのような身体が目に浮かんだ。
「………つきあって欲しいの………」
伏し目がちにそう言った武藤五月はやっぱり凄く綺麗で、私は直ぐには何を言われたのか分からないまま、彼女の顔をずっと見ていた。……え? なに? どういうこと?
「ずっと前から好きだったの………あなたが………だから……付き合って欲しい。………ダメ?」
気が付くと武藤五月の唇が私の唇に触れていた。
生れて初めてのキス。相手は女性だったけれど全然嫌な感じがしなかった。すごく柔らかくていい匂いがして、私は目を閉じるのを忘れていて、武藤五月の顔をボーーっと見ていた。
それから彼女となにを喋ったのか思い出せないけど、返事まってるから、と帰る間際に彼女が言ったのは覚えている。武藤五月さん、綺麗で可愛いし、私も好き。でもどうしよう……
女の人と付き合ったことがない。武藤五月さんになんて返事をしたらいいのか考えていたら夜になった。
私はマリにメールをした。するといきなり電話が掛かってきた。マリだった。マリのこういうところが嫌い。あのことだって平気で言うし、マリはガサツでデリカシーに欠けると思う。私の部屋でアノ小説、夢小説・闇への逃走を見つけた時だって、ズバリ言われて凄く恥ずかしかった。本なんか読まないマリがどうして知っているのかと驚いたけれど、まさか映画化されていたなんて知らなかった。読んでみたいと言ったマリに、ダメだなんて言えないから貸したけれど返ってこない。何度も読んだから返ってこなくたっていいのだけれど、マリに、私が読んだ時のことを想像されていると思うと顔から火が出る。
「小春、聞こえる? 私………マリ、中田マリ。もしもしーーーー!!」
「え………あっ、ごっ、ごめんね………ちょっとボーっとしてた」
「大丈夫? ………ところで聞いて欲しいことって?」
小春の話は、武藤五月にコクられたんだけど……というものだった。え? それって私に言っちゃっていい話? 付き合うならいいけど、もし振っちゃうならマズイでしょ。いや、付き合うにしたってヤバイと思う。私も見た目がボーイッシュなせいで中学の頃から下級生の女子からラブレターを何度も貰った。だからそういう女の子を気持ち悪いなんて思わないし、可愛いと思う。付き合うつもりはないが。
世の中が多様性の時代になったと言われるが、やっぱり偏見があって、自分がそういうタイプであってもそれを隠している人が大半だ。でも武藤五月がそうだったというのは驚き。アイツなら男に不自由しないだろうに。
「っで、小春は好きなの? 武藤五月のこと」
「…………うん………スキ」
だったらいいじゃん。付き合えばいいと思う。
「でも……」
なんだか歯切れが悪い。いつものことでもあるが。
「私………この前にね………工藤君からもコクられて………付き合ってるの………」
「はい?? えええええ………マジで?」
「うん………」
そんなの初耳。ウワサにだってなってない。どういうこと? 私が知らない工藤君?
「工藤君って………うちらと同じクラスの工藤樹のこと?」
「うん、そう。工藤樹君。…………彼………ウワサになるの嫌だから……誰にも言わないでくれって」
「それって……隠れて付き合ってるってこと?」
「………うん」
「どうして?」
「……う~~ん………どうしてかな?」
「っで、どこまでいったの?」
「どこまでって…………手ぇ繋いだ…………でもね、武藤五月さんにはキスされたの」
小春の話には妙な違和感がある。クラスで最も人気があるのが武藤五月と工藤樹だ。その2人には他のクラスや下級生や上級生にも好意を持っている人がいるというウワサだ。要はモテるのだ。私は興味がないが。そんな2人が二人そろって小春に告白をした? それも片方は女だぞ。その女にキスされた? まぁ頭が空っぽな女だからそんなこともあるのかもしれないが………
私も小春とそれほど付き合いが長いわけじゃない。だけどクラスで篠原小春の立ち位置ぐらいは分かる。大半のクラスメイトにとっての小春は、目立つことのない極めて平々凡々の女子だ。私のようなちょっと斜に構えた者であれば小春の可愛さとか面白さが解る。ーーー噛めば噛むほど味が出るスルメは、噛まなければ単なる干したイカだ。それと小春は似ていて、良さが解る人は実際に小春と絡んだ人だと思う。いきなり、それも見た目でーーーよく見ればとっても可愛い顔をしている小春だが、とびきりじゃないーーそんな小春にあの武藤五月と工藤樹が恋をするか?
夏休みも終わり2学期が始まった。小春は結局どうしたのだろう? 聞いてみたい気もするが、いざとなると聞き難い。これって何だろう? 一つ聞いてしまうと、新たな疑問や辻妻の合わないことが次から次へと出てくるような気がして、それが怖くて聞けない。
昼休み、廊下に菅野ミサが珍しく一人でいるのが見えた。
「菅野さん、ちょっといい?」
「あああ、ビックリした。急に声かけないでよ………っでナニ?」
こいつマジで嫌い。性格悪すぎ。
「工藤君って付き合ってる人いるってウワサ聞いたんだけど……」
「ええええええええええええええええええ!! だれ? だれ? だれ?」
「いや………きっと間違い……菅野さんが知らないなら」
「そうでしょーーーーー!! うちら5人ってみーーーんなフリーなの!! そこらへんの安いっぽのと一緒にしないでくれる」
小春とは以前と同じように喋り、笑い、そして一緒に帰った。小春の口から工藤樹のことも武藤五月のことも出ないから私も言わない。
日曜日は小春に一緒に映画に行こうと言ってあるが、もしかしたらデートかもしれないとの思いもあったが、小春は、なんの映画? と楽しみにしているようだ。
「へっへっへ………ホラー。怖い?」
「ムっ、ぜーーんぜん平気だから。だってホラー小説だって普通に読むし、そのあと一人で寝るのが怖いなんてこともないし」
映画は、私の評価は★4つだ。うん、かなり面白かった。原作のないオリジナル作品なのだが、凄いアイディアと、お金の掛け方が半端ない映画なのだが、キャストの演技力が強烈だった。
小春はというと、ずっと私の手を握り続けていて一時も離さななかった。
映画の帰りに入った喫茶店。小春が目を輝かせながら喋っていた。
「声に出す台詞がない映画って初めて見たんだけどね、目と……それと表情だけだよね。それだけで映画観てるこっちに全部が伝わるなんて……あれが演技力っていうのかな? でも目だよ目! 目の演技ってどうやったらできるようになるのかな? 役者さんってどうなってんだろう? すごいよね。私、感動しちゃった………でもね……あの怪物……すごく不気味で怖い………あんなのに襲われたら私……」
いや、きっと襲われたりしないから。でもあの怪物の見た目は強烈でエイリアン以来だと思う。エイリアンという映画の主人公は勿論エイリアンなのだが、あのデザインはギーガというスイスの画家が創作したという。どうやったらあんなの思いつくの? 世の中には天才ではなく鬼才って呼ばれている人がいるけど、頭の構造が違うんだろうな。ギーガの「ネクロノミコン」という作品集を買いたいとすら思う。でも今日観た映画のあの怪物は誰のアイディアなんだろう?
そういえば小春はエリアンを観たことあるのだろうか。あの映画は何本もの続編がつくられたけど、やっぱりなんといっても最初のが一番だ。
「ーーーーーーって言われたんだけどね…………」
小春が何かを言っていた。え? ごめん、聞いてなかった。
「…………オナニーのこと」
え……? 今日観た映画にそんなシーンあった? いったい何の話?
「工藤君がね………工藤樹君がウワサを聞いたって言ってた………私がしてるってウワサ………ソレって本当なのかって聞かれて……」
どういうこと? 小春っていったい………もしかしたら息を吐くようにウソを言う子? それとも私を困らせようとしてる?
でもテーブルを挟んだ真向いに座る篠原小春は、目を落ち着きなく動かし頬を染めてはいるが、いたって真剣な顔。
前にも言ったと思うけど高校2年生にもなってそれって普通だよ。中学生だってしてる。工藤君って、バカ? それとも……全部が小春の妄想?
喫茶店を出て小春と別れた私は電話を掛けた。
「私だけど、今って喋っても大丈夫? …………今日ウチの親っていないんだよね。泊まりにこない?」
私の上で私の身体に突っ伏している彼の激しい鼓動と息遣いが心地いい。同じクラスの田淵涼太。
普段は眼鏡を掛けているから大人しそうな印象を受けるが、小学生の頃から水泳を続けている田淵君の身体は逆三角形で胸が厚く、腹筋も凄い。そして眼鏡を外せばすれ違う女性が振り返るほどのイケメン。それが私の彼だ。
去年の夏休みから付き合い始めたから、もう1年にもなる。
田淵君が言った。
「付き合ってるのバレたら、ある事ない事ウワサされる。俺、そういうの嫌なんだよな。だから誰にも言って欲しくないんだけど………そういうの嫌か?」
私も同感だった。一つ上の先輩の話は有名だった。私たちが1年生の一学期が終わろうとしていた時期だった。2年生に凄くモテる男の人がいたのだが、その先輩が同級生の或る女子に告白をして付き合うこととなった。私はその女の先輩のことは知らないけど、男の先輩のことは知っていた。それくらいモテて有名だった。それから暫くすると凄まじい噂が学校中に広まり、ネットでは更に尾ひれがついた。
女は処女じゃない、中学の頃から売春をしている、避妊もしないから何度も下ろしてるし慢性の性病持ち、金さえ払えば何でもヤるから相手が女でもヤる、売春は親公認、父親はただで毎晩ヤってる……
どうしてそこまでターゲットにされてしまったのかは1年先輩ということもあって分からない。それにここまで酷いウワサになると、誰もそれが真実だなんて思ってはいないはずが、そのウサワは衰えず、事実、彼女が歩いていると絶えず後ろ指がさされた。
そしてウワサが消えた頃に彼女が学校を辞めたと聞いた。
ーーーウワサは怖い、ウワサ自体が生きているようだ
私は隣で仰向けに寝ている田淵涼太に訊ねてみた。
「ねぇ……女子ってオナニーすると思う?」
「えええ? …………するでしょ、普通。マリはしないの?」
「する………」
そして最も肝心な事を聞いた。
「田淵君って工藤君と仲いいよね」
「ああ、アイツとは幼馴染だからな。俺とマリのことだってアイツだけは知ってる」
「そっか……そうなんだ…………工藤君って今つきあってる子……彼女っているの?」
「いや、今はいない。中学の時はいたけどね。でもなんで?」
「うん………なんかね………工藤君ってモテるでしょ。だからコクられたりするだろうな~って……私はタイプじゃないけど……」
「アイツは見た目はああだけど性格キツイぜ。女だろうがズケズケ言うからな。それに今は誰とも付き合う気ないんじゃないかな~。中学の時につきあった子に凄く束縛されちゃって、今でもウンザリしてるから」
ーーー面会できるようになったって。今週の日曜日、11時に病院の1階ロビーで待ってるから、都合つくなら一緒に行こうよ。
中学の時のグループライン。何人かは別の高校に行き、あの頃みたいに毎日顔を合わせることは無くなったが、まだこのグループラインは生きていて、最近どう? などと誰に言ってる訳でもない問いかけが頻繁にあって、俺も返事を入れている。
日曜の10時半に着いてしまった俺は、さすがに早すぎたと椅子に腰かけようとしていると、向こうの方から駆けて来る女の人が見えた。
「久しぶり~~元気してた?」
そう声を掛けてきたのは今日の面会を提案してきた幼馴染の一人、武藤五月だ。
「ああ、元気、元気、そっちは?」
「なんとかね~~。ところで涼太は最近樹と会ってんの?」
「ああ、たまに連絡くるしな」
俺たち4人はガキの頃からの幼馴染で高校生となった今でも互いを下の名前で呼び合い、相手の苗字を忘れることもある。
「おっ、マジかよ……俺が一番乗りかと思ったのに、二人とももう来てんだ」
「へ~~、噂をすれば影ってマジなんだ」
「はぁああああ? 俺のウワサしてたのかよ。五月のことだからどうせロクなウワサじゃないだろうから聞きたくもないけどな」
「悪かったね!!」
「揃ったことだし、行こうか。何号室かって分かてんだろ?」
「うん……306号室」
武藤五月、工藤樹、それと俺は病院のエレベータ―に乗り込んだ。俺たちは家が比較的近いせいで小学校に上がる前から気づいたら一緒に遊んでいた。小・中学校も当然同じで仲が良かったのだが、3人共が違った高校に進学していて、別々に合う事はあっても3人が一堂に顔を合わせたのは久々だった。もしかすると中学卒業以来かもしれない。それなのにエレベーターに乗った途端、会話が弾まなくなった。誰もがきっと同じことを考えている。いったいどうなってるのか。
病室に入ると、おばさんが出迎えてくれた。懐かしい。小学の低学年の頃は家に遊びに行って、このおばさんの焼いてくれたクッキーを皆で争うように食べたのが思い出された。
「よく来てくれたね~~……みんな元気だった? ちゃーんと覚えてますよ。ちっちゃい頃から美人さんだった武藤五月ちゃん。悪戯好きの悪ガキだった工藤樹君、いつもクールで水泳が得意の田淵涼太君………」
そこまで言ったおばさんが顔を伏せ、頬を伝う涙を拭っている。何と声を掛けていいのか……
「ほらマリ………いつまで寝てるの。みんな来てくれたよ、起きなさい……マリ」
もう1人の幼馴染、中田マリ。目が覚めないまま一ヵ月以上が経つという。
病院のベットに寝ているマリは、そのベットに拘束されていて、その姿に誰もが息を飲んだ。まさかこんな状態だなんて思いもしなかった。
「………暴れる時があってね………だから………」
俺たちの驚いた様子におばさんがそう言った。そして途切れ途切れに続けた。
「マリの脳波調べたらね、レム睡眠っていう深い眠りにずっといるらしいの。………ノンレム睡眠……浅い眠りがなくて………先生はそれがどうしてなのか分からないって…………でも……普通は起きるよね! 揺すったり叩いたりすれば深い眠りだって起きるのに…………過眠症の治療薬も点滴してるのに………なにがどうしちゃったのか………」
「原因不明ってことですか?」
「そう…………でも見て、顔の色つやだっていいでしょ! 点滴で栄養だって取ってるから……普通の健康な人と変わらないの。夢だって見てるのよ、ふふふふ……寝言も言うしね」
おばさんは自分の娘が普通の人と変わらない健康であると言おうとするが、それが無理である事を誰よりも知っている。声が震え、無理に作った笑顔の口元も震え、今にも泣き崩れてしまいそうなおばさんから眼を背けずにはいられなかった。
「あの………これ……」
武藤五月が代表で買って来た花をおばさんに渡した。
「ありがとう。とっても綺麗……いい香り……マリ」
おばさんはベットに拘束されているマリにその花を近づけ、香りを嗅がせた。ほんの少しの刺激でももしかすると目覚めるかもしれないと考えているのだろう。俺もきっとそうする。
「花瓶に入れてくるわね。あなた方、まだいいんでしょ? いっぱい話し掛けてあげて……お願い………あっ、そうだ。シノハラコハルってお友達………知ってる?」
「え………シノハラ……コハル……女の子ですよね? 中学の時はそういった名前の子は……いなかったよね?」
武藤五月が俺と工藤樹に同意を求めるようにそう言った。そして、
「私と樹は別の高校に行ったから………涼太はマリと同じ高校なんだから分かるんじゃない?」
幼馴染で仲が良かった4人は高校進学で、俺と中田マリだけが同じ高校を選んだが、武藤五月は女子高、工藤樹はスポーツ系で有名な高校へと進んでいた。だがマリと同じ高校の俺もシノハラコハルという名前に憶えがない。
「あの~~おばさん………そのシノハラコハルという人が……なにか?」
「え……あ………寝言でね…………マリがこうなってからも色んな寝言を言うの。その中にね………コハルがどうしたとか……とにかくコハルって言葉が頻繁に出てきて………よくよく聞いてたら、シノハラコハルって言ってたことがあったから、きっとお友達の名前なんだろうって思ったんだけど……………そう言えば、2年生になってからのマリ、映画を観に行くようになってね………ふふふふ………小学校の頃はあなた達の後くっついて遊んでたのが、中学になると本ばっかり読むようになってちょっと心配してたんだけど……嬉しそうに、友達と映画に行くからお小遣い前借させて~~なんてね」
そういえばそうだった。小学生の頃は男の子も女の子もなく4人で……いや、ちょっと大人しいマリが俺たち3人の後を追いかけるようにして一緒に遊んでいたのが、中学になるとスカートなんて履いているのを見た事のない男まさりの五月だけは相も変わらず俺と樹と一緒に遊んでいたが、マリとは少し距離ができていた。それでも幼馴染の一人として俺も樹もなんの拘りもなかった。
「マリに、誰と映画に行くのって聞いても、お友達、って濁してたから、もしかするとボーイフレンドかなって思ったりもしたんだけど、しつこく聞くのもアレだし………きっとシノハラコハルって女の子と行ってたと思うの。でも……どこの子? その子の声を聞けばマリが………」
おばさんは藁にもすがる思いなのだろう。俺は同じ高校の女子の名前を全て知っている訳でもないし、1年生や3年生など他の学年となるとまるで知らないから、おばさんに、調べて見つかったら、見舞に行くよう伝えます、と言った。
「そう、ありがとう………お願いね」
おばさんが花瓶に水を入れるために病室から出て行くと、残った俺たちには沈黙が広がった。一人部屋のベットで目を開けようとしない中田マリ。暴れるからという理由で両手をベットの脇に革バンドで固定された姿で俺達を出迎えた。声の掛けようがない。それに、そんな姿を目の当たりにした俺達3人には、いったい何を喋ることができる。ただ茫然と見てた。
ん……?!マリが動いた。白い掛け布団の下のあるマリの脚が動き、膝が立てられた。
「マリ! マリ! ………私だよ、武藤五月! お願い……目を開けて!!」
一瞬、そう呼びかける五月の声に反応したのかと思うほどマリが動いた。ベットの脇に拘束されている手が自分の身体の方へ行こうと動き、革バンドが引っ張られ、立てられた左右の膝がくっつき、そして長い息を吐きながら声を漏らした。
「え………マリ? どうした? 苦しいの?」
腰をうねらせ、身体を仰け反らせた。
「おっ、おばさん呼んでくる!」
「ナースコール! ボタンどこだ!」
俺と樹が声を上げた。
「ダメ!! 呼んだらダメ!! おばさんも看護師も呼ばないで………アンタたちも見たらダメ! 見るなーーーーーーーーー!!」
そう叫んだ五月が俺たち2人の前で両手を広げ、立ち塞がってマリを見せないようにしている。なに? なにがあった?
「出てって!! 廊下に行って!!」
訳が分からず唖然と突っ立ている俺と樹を、五月が強引に廊下へと押し出した。
ピシャリと閉められた306号室の扉。微か聞こえた。長い、糸を引くような擦れた声。
病院からの帰り、五月がボソっと言った。
「怖い………凄く怖い。もし私があんなふうに………マリみたいに目が覚めなくなったら………あんたたち絶対に来ないで……そして……誰もお見舞いに行ったらダメだって伝えて」
月曜日、俺は学校でシノハラコハルという女子を探した。俺の学年ーー2年生にはシノハラという苗字の女子が一人もいない。でも1年生には2人、3年生には1人いた。俺はそいつらのクラスに出向き、本人に直接聞いた。
ーーーあんた、なんて名前?
どいつもコハルという名前じゃなかった。3年生のシノハラユウキという男だか女だか分からない名前の女子はーーーとんでもなく短いスカートの女子は、腕を組みながら、
「はぁぁぁあああ? 名前聞いてどうすんの? 付き合って欲しいならそう言え。彼氏いるけど考えてやってもいいぞ」
夜、俺は工藤樹に電話を掛け、いなかったことを伝えると、樹が言った。
「俺ももしかしたらと思って、うちの学校の女子調べたんだけど、やっぱいなかった」
武藤五月にも電話を掛けた。すると五月も自分が通ってる女子高を調べ、更には、俺たちが通った中学校の1つ下の学年、それと1つ上の学年全部を調べたが、全て空振りだと言った。
「あれから色々と考えたって言うか……思い出してたんだよね、マリのこと。あんたと樹は気づいてなかったと思うけど、マリは私のこと苦手だった。マリって……大人しいし、なんていうのかな~~……特に中学生になってからのマリって、まるで敬虔なクリスチャンみたいなとこがあって………うまく言えないけどわかるかな~~……あのね、女だからって聖母マリアみたいな人なんている訳ないのに、なんか、そうでなきゃならないみないなとこがあって、でも身体はみんなと同じで思春期でさ………あれっておばさんの影響だと思う。マリって一人っ子でしょ。あのおばさん過干渉だった。気付かなかった? っで中3の時にマリに相談されたことあってね………一人エッチのこと。私って、姉ちゃんもいれば兄ちゃんもいるからだと思うんだけど、マリから見たらガサツで………マリにしてみたらってことだからね。だから言ったの、マリが悩んでるみたいだから、バンバンするよって。あははははは………あんただってお姉ちゃんいるんだから分かるよね。そしたらドン引きされちゃって………でもさ~マリの方から言ってきたからちゃんと答えたのに、真っ赤になって下向いちゃうって………なんて言って欲しかったんだろう? それと凄く不思議なんだけど、マリが映画を観に行くようになったけど、誰と一緒に行ってるのか分からなかったって言ってたよね? それって有り得ないと思う。あのおばさんなら娘の後隠れてついてくぐらいのことやるよ。そんなおばさんでも分からないって言うなら、きっと一人で行ってたんじゃない?」
武藤五月は男なら振り返るくらいに美人だし、スタイルもいい。だけどガサツだ。それはずっと前から思ってたし、確か小学校の4年生くらいだったと思うけど、一緒に立ちションをしたこともあって、俺にとっては女だとは思えないし、マリがちょっと苦手だったというのも気づいてた。
「ーーーーだからね、マリって心と身体が一致してなかったんじゃないかな? 今は夢の中で暮らしてるんでしょ? ………あの時、あんたたちを廊下に追い出した後ね……マリは満ち足りた……幸せそうな顔してた。うん、もしかしたらだけど………自分の意思で夢に逃げ込んだって気がする。あ~~それと思い出したことあるんだけどさ、マリって昔っから本好きだったでしょ。っで中1の時に、これ面白いから読んでみて、って貸してくれた本あって、それが外国の作家が書いた小説で、私当時はあんまり本って読まなかったし、ちょっと何ページか読んだんだけど、何だか全然面白くなくって、そのまま自分の本棚にしまっちゃって、マリも、どうだった、とか、返してなんて言わないからずっと忘れてたんだけど、お見舞いに行った時におばさんが、マリが中学生になったら本ばっかり読んでてって言ってるの聞いて思い出したの、借りっぱだったこと。探したらあって読んでみたんだよね、今更だけど。題名が、夢小説・闇への逃亡っていうんだけど………なんか意味深だよね。内容はかなりのエッチ小説でびっくりしちゃった。だって中1の時だよ、マリが貸してくれたの。当時の私が全部読んだとしてもちょっと理解できなかったと思うくらい、大人の、それも心の内のエッチな妄想の物語。それで、あれ? このストーリーってちょっと知ってるっぽいって思ってネットで検索したら、ニコールキッドマンとトムクルーズの「アイズ・ワイド・シャット」の原作だった。あの映画、私も観たことあるけどエロいよ~~。観たことある? それとマリが最後に観た映画って……ホラーじゃないかな。というのもね、マリが病院のベットに拘束されてたでしょ、それって暴れるからって言ってたけどね…………うちの学校卒業して高看に行く人って多いの。だからあの病院にも何人も先輩いて、ウワサ聞いた。入院患者の中に目が覚めない女の子がいて……それってマリだよね。暴れるから拘束されてるんだけど、もの凄い悲鳴上げてベットから叩き落ちて、何かから逃げてるみたいなんだけど、それでも目が覚めないって。………悪夢見てるんだと思う。ホラー映画で観たものが出てくる悪夢…………私、もうホラー映画観るの止める」
武藤五月は昔のまんまの武藤五月だった。工藤樹と3人でマリの見舞に行った時の五月は、久しぶりに会ったせいなのか、大人になったという印象だったのが、こうやって長電話で喋っていると、相変わらずの武藤五月だ。
そして五月は、電話を切る間際に、
「マリはあんたのことが好きだった。気付いてたんしょ? だからと言って、なんでマリの想いに応えてやんなかったの、なんて言うつもりないし、好みってのもあるだろうしね」
確かに俺は知っていた。マリが俺を好きだということを。だけどマリは武藤五月のことも、友達としてじゃなく、女としてというのも変だか、恋愛の対象として好きだったことに気づいていた。五月のことが苦手なんだけど好きという複雑な思い。それに気づいてないのは当の五月で、工藤樹も気づいていた。今更そんなことを五月に言うつもりはないが、やっぱり五月は、ガサツだ。
それにしても夢ってなんだろう。五月は、マリが夢に逃げ込んだのでは、と言った。そうかもしない。でも誰から逃げた? なにから? マリは現実の自分から逃げたのかもしれない。夢って………
ーーー噂は独り歩きを始める。まるで生きているかのように………
そうか、噂と同じかもしれない。もしかすると夢は独立したナニかで……え? どうして急に噂なんて言葉が頭に浮かんだんだろう……