Ep.407 Side.C 黒の楔
――そして時は来た。
夜の砂漠に冷気が立ち込め始めた頃、闇の奥から黒い塊が街に迫り来る。
グラドを守るように広がる城壁の前には、兵士達が大盾を構えつつ整然と並び、敵軍を待ち受けていた。
我は白賢のアルマイトと共に、東門壁の上から魔族の軍勢を見据えていた。
兵士達は固唾を呑んで魔物の群れを待ち受け、静寂が両軍間に横たわる。
そして、魔物の群れが我が方に睨み合う様相で歩みを止めると、奥から一体の魔族が歩み進んできたのだ。
血の気のない白い顔色に、長い黒髪。その頭には赤黒い角が生え、その容姿はまるで宣教師のような黒の法衣を身に纏い凛と立っている。
我の直感が、その魔族を幹部の一人であると告げていた。
抑えているようだが、それでも尚収まりきれぬ程の禍々しい魔力を放っているのが分かる。
その幹部が口を開いた。
「一度ならず二度までも滅びを凌いだ人間どもよ。その姿に敬意を評して我が名を名乗ろう。――敬服せし魔王様より賜った我が名は『ハーゲンティ』である。指揮官はここへ来られよ」
やはり魔族幹部か……!
しかし、一度ならず二度までも、とはどういう事だ?
……もしや、過去に同様、突然の襲撃を受けたというが、それもヤツの仕業だったという事なのか!
我が思案を巡らせているうち、門前で兵士達と待ち受けていたジークが前へ出ようとする。
「首長お待ちを!」
「相手は魔族です! 罠ですぜ!」
ジークの近衛兵の一人とフィンドル剣大佐が制止を呼び掛けるが、ジークはハーゲンティから目を離すことなく構わず歩みを進めていく。
「構わん。もし罠の時はこの槍で奴を貫いてやるまでだ」
普段の気安い様子はなく真剣な表情でジークは言い放つ。誰もがその瞳に覚悟を見出し、フィンドルらは主の背を見守る姿勢を見せた。
「我も行こう」
「若を頼んだぞい。チギリ殿」
アル爺の言葉に頷いた我は城門の上から飛び降り、風を操り飛翔しジークの隣に着地して歩幅を合わせた。
「悪ぃな。正直ビビってたんだ」
などと軽口を叩くジークであるが、その視線はハーゲンティの隙を探り続けているようだ。
「ふっ。ならばそれは我らで分け合うとしようじゃないか」
我なりの軽口を返答すると、ジークが鼻を鳴らすのが聞こえた。
そして我らは油断なくハーゲンティの元へと歩み寄るのだった。
ハーゲンティの赤い双眸がこちらを見据える。
「おう。来たぜ。俺がグラドの長、ジーク・ディルヴァインだ」
「……黎明軍指揮官、チギリ・ヤブサメ」
名乗りを上げてハーゲンティがこちらを見つめる。
……何かを探るような、探るような眼光だ。
「黎明軍……。勇者が率いる軍であったか? ベリアルに酷くやられたそうではないか」
「ああ。あれは手痛い敗戦であったよ。だが、貴様らが恐れる勇者は未だ健在だがな」
……亡者平原での戦いは、魔族幹部ベリアルによって多くの仲間を失う結果になったのは確かだ。
だが、我々にはまだ勇者が、クサビがいる。ならば黎明軍は彼の帰還まで、彼の代わりに滅びに抗い戦い抜く必要がある。
「……それは残念なことだな。魔王様は勇者が討たれるのを心から望まれておるのに」
そう言うとハーゲンティは嘆く素振りを見せながらも、どこか余裕の笑みを浮かべていた。
ベリアルと比べ理知的な印象を受けるが、根の部分はやはり魔族。残忍で冷酷な性質である事には変わらん。
「おいおい、俺を除け者にしてくれるなよ? ……で、俺らを呼び付けて何をするつもりだ」
ジークが話を先に進めるように問うた。
「興が乗ったのだよ。これから死ぬ存在であろうとも、どのような思考を持ち、どのような言葉を語るのかを知りたくなってな」
その言葉に、ジークと我が警戒を強める。
だがハーゲンティは我らに興味を示すように続ける。
「これよりこの南の大陸全土は魔王様の領地となる! その為に貴殿ら人間には死んでもらいたい。どうだね? 自死してくれると手間が省けるのだが」
……やはり相容れないのだな。思想そのものが根本的に違うのだ。元より会話をする必要すらもなかったのだ。
しかし……この物言いに、どうにも違和感を覚える。
圧倒的な力を持つのならば、有無を言わさず滅ぼせば良いものを、何故か先の戦いも攻めきらず、今もこちらの自害を無駄に要求している――。
「――愚問だな! それに従う人間なんて一人もいねえさ」
「……ハーゲンティ。貴様、己が力を奮えない理由があるな?」
ジークの返答を聞いても尚余裕を崩さぬ様子の魔族に、我の中で疑問が鎌首を擡げ、それは口をついて出た。
その瞬間ハーゲンティの目が鋭く光る。
「ほう? ……いかにも。今の私は魔王様よりお力を預かっておる。この大地を素晴らしき瘴気の漆黒へと変える『黒の楔』! しかし……お力が余りに強大であるが故、私の力で制御せねば楔を維持をしていられぬのだよ。…………この禍々しきお力を手放すなど、決して……! あっては! ならぬのだから!」
そう恍惚と笑い出したハーゲンティの顔には愉悦の色が見え隠れしている。
……この魔族の狂気に満ちた言動。生理的に受け付けん。
しかし奴の言う『黒の楔』とは、もしや……。
魔王はかつて、現魔王領の地に黒い杭のようなものを打ち込み、辺り一体を瘴気が覆う常闇の大地に変えたという。
その大地に立ち入れば、生者は命を維持しては居られず、たちまち醜悪な魔物へと姿を変える、まさに魔の領域。
それを成す事が可能なのが黒の楔だというのか!
魔王のみが行使できるという認識であったが、譲渡も可能ということか!
だが魔王の力を制御する為そのせいでハーゲンティは自身の力を発揮出来ないようだ。さもなくば黒の楔維持する事能わずという状態か。
これは好機だ。圧倒的な力を持つ魔族の幹部と言えども、力を抑制された状態であれば――。
「――……と、言う訳なのだ。こちらの手を煩わすこと無く、滅んで頂きたい」
一頻り酔いしれていたハーゲンティが我に返ったかのように表情を戻し、愉悦を僅かに漏らしつつそう宣う。
十分な情報を得た。これ以上は無駄だろう。
「生憎我もジーク同様、人類を愛でている。魔族にくれてはやれんよ」
「やれやれ。やはりそうなるのだな人間よ。……ならば今一度陣へ戻り、彼らにこれからの死を告げるがいい」
「油断してると痛い目見るぜ。では戻らせてもらう」
「失礼する」
ジークと我はそう言い放ち、その場の三人は同時に踵を返すのだった。




