Ep.405 最後の鈴の声
深い藍色の空が徐々に蒼空に移り変わり、眼下には地上がその雄大さを取り戻し始める。
そんな時、アズマが感慨深そうに口を開いた。
「クサビ。これで封印の剣に必要な触媒が全て揃ったことになるね。いよいよ剣を形にする時が来たんだ」
「はい。あとは封印剣を作り、その封印の力を持続させる為に時の祖精霊の所へ向かって、そして……」
「……あの、魔王と、また戦うのね……」
僕の後をサリアが引き継ぎ呟く。
魔王との対峙が近付くのを実感しているのか、誰もが重い表情を見せている。
「……ああ。だがその前にまずは封印剣だね。祖精霊達の触媒を用いた特別な剣だ。腕の経つ鍛冶師にしか扱えないだろう」
「と、言うことは……」
僕はアズマが言わんとしている事を察して口を挟む。
皆も察しているのか、視線は僕の右に装着された義手に注がれていた。
「封印剣の作製を託せるのは、ゼクスト氏しかいないだろう」
南東大陸――僕の時代でいう東方部族連合領――北東部に位置する、ツヴェルク族による鍛冶産業の街、槌と鉄の都シュミートブルク。
そこの随一の技師であり、この右腕の義手の作成者であるゼクスト・レグニッツというツヴェルク族の老人ならばと、真っ先に浮かんだのだ。
「では行き先はシュミートブルクだな。ついこの間立ち寄ったばかりのようにも、随分前のようにも感じるがな」
そう言ってシェーデはふっと笑う。
僕にとっては5年振りだけれど。
「丁度いい。……お前ら、魔王をぶっ潰す前に、そこで上質な武具を見繕っておけよ」
ウルグラムは珍しく会話に入って、魔王への備えを忠告する。
「ええ、そうねっ」
「よし! セイラン、行き先は南東大陸、シュミートブルクだ!」
「了解した。我が背から落ちるでないぞ」
蒼龍セイランの背を撫でながら僕はそう声をかけると、蒼龍の巨躯は翼をはためかせ、南東へと進路を変えて大きく飛翔していった……。
――ここは……。
僕は真っ白な空間に立っていた。
ここはリーヴァとの試練の場所に似ていたが雰囲気が違う。
だがこの雰囲気には覚えがあった。……そう、あれはもう随分前の……。
「いるんだろう? 退魔の精霊?」
僕は何も無い漂白の世界で、そう呼びかける。
「久しぶりね。しばらく会わなかったら、随分大人びたわ」
鈴の音のような声がして振り返ると、髪も目も肌も、服装さえも、全てが白い女性……いや、精霊が立っていて僅かに微笑んでいた。
本当に久しぶりだ。しばらく音沙汰無くて、夢ではもう会えないのかと思っていたくらいには。
「本当に、久しぶりだね……」
僕は再会に沸く心を抑えながらそう言うと、彼女は小さく頷いた。
「貴方が過去に渡ってアズマに会ってくれたからよ。彼の持つ神剣の方に残る私の力を少し拝借して、ようやくこうして貴方の夢に来れたの。……だからもう夢に出てくることは出来ないでしょうね」
そう言って彼女は淡く微笑み、どこか寂し気な印象を僕は覚えた。
「大丈夫。もうすぐ現実で会えるよ。魔王に施した封印を解けば、君を迎えに行けるから」
僕は退魔の精霊に、ある種の信愛に似た感情を乗せてそう言う。
彼女は少し驚いたようで目を丸くした後で小さく笑った。
「……ふふふっ! 本当に成長して変わったわね貴方は。以前の貴方はもっと素直で、そして少し無鉄砲な感じだったもの。……それに比べて今の貴方は少しは落ち着いたわ?」
彼女がそう感想を述べると、僕は少し照れ臭くなって頭を掻いた。
「そ、それでっ、何か用があって夢に出てきたんでしょ?」
僕は話題を変えて彼女から視線を逸らしそう尋ねる。
「……前に忘れないでって言った光の技、ちゃんと習得したようね。それに祖精霊達の力が集まっている……。クサビ、貴方もう人間じゃなくて、精霊と言った方がしっくりくるくらい人外よ」
それは僕も思っていたことだったけれど、やはり彼女の言葉にはどこか説得力があるように感じられた。
「それで? 人でなしって言いたいの?」
僕は内心の複雑な思いを隠しながら、茶化すように冗談めく。
「ええ。これは人でなしよ。近寄らないで?」
「……ぷっ」
ここが精神世界であるが故、心の中を読める退魔の精霊は敢えてそれに乗ってきて、僕は思わず吹き出す。だってそんなお茶目なところあるなんて思わなかったから。
「ふふふ……」
彼女が柔らかく微笑み、僕と笑い合った。
「……ねえクサビ」
ふと笑い合った後に彼女は真剣な表情と声に変わる。
僕は静かに頷いた。
「……何……?」
彼女は僕を真っ直ぐに見つめて再び口を開いた。
「気付いているかもしれないけれど、今のクサビなら、あらゆる属性を操れるはずよ。例えば水と風の複合属性の雷や、水から派生した氷……霧とか」
彼女がそう言うと僕はハッとする。
……確かにそうだ。
僕は生きる術を授けてくれた師匠の姿を思い浮かべる……。
彼女が繰り出す雷の波動を、氷の魔術を。
それだけじゃない。他の属性と複合すれば誰も編み出した事のない属性を生み出せるかもしれないのだ。
そんな事は考えつかなかった僕は、少し気恥ずかしかったけれど、素直に彼女のアドバイスに感謝したのだった。
「……ああ。本当にありがとう……」
僕は彼女の優しさを噛み締めるように呟く。
「君は……これを伝える為に?」
「……それもそうなんだけど……」
そこで彼女が言葉を切り、僕を見据える。
「魔王の事よ。クサビは魔王の正体……元の姿を知っているわね。そして貴方は魔王すらも『救う』と決めた」
「……うん」
僕は神妙な面持ちで頷く。
……それは僕の使命だ。
たとえそれが困難で、世界の理に反する行為だとしても、僕はそれを成すだろう。そう決めたのだ。
「それが出来るかもしれないの。確証はないけれど……」
彼女はそう言い放つと、僕の瞳を見つめて告げたのだ……。
「――それは! 君の力……?」
僕の言葉に退魔の精霊は首を横に振る。
「私は退魔。魔を払い除ける力よ。この力は魔王には絶大な効果をもたらすけれど、それは救うことには繋がらない」
「…………」
僕は無言のまま耳を傾けた。
「全ての基本属性を身につけた今のクサビなら……見い出せるかもしれない」
「……それは……?」
退魔の精霊が何かを言いかける前に、白い世界に揺らぎが生じ始める。
「もう時間ね……」
彼女は残念そうな声色で呟いて僕に背を向ける。
「待ってくれ! どうすれば魔王を救えるのか、心当たりがあるなら……!」
僕は彼女に縋るようにそう叫ぶ。
「ここからは貴方が見つけるしかない。唯一の可能性は、貴方の中にあると信じるの……!」
漂白の世界が揺らぎ、退魔の精霊の姿が薄れていく……。現実の僕が目覚めようとしている……!
「クサビ……もう夢で会う事は出来なくなる。……次に会う時は魔王の前になるわ。私……待ってるから!」
「――――っ! …………」
最後にそう聞こえた彼女の声は、どこか哀愁すら感じさせるような声色だった……。
そして僕は夢から覚め、現実の世界に戻ってきた。
うっすらと目を開け、脳が緩やかに覚醒していく。すると眩しい光が目に刺さり反射的に手で影を作って目を細めた。
「あらクサビ起きたの? もうすぐ南東大陸よっ」
隣を見るとサリアが聖女の如き穏やかな笑みで僕を見ていた。
……どうやら僕は彼女に寄りかかってしまっていたようだ。
「……ごめんサリア! 重かったですよねっ」
「ふふっ。そんなことないわよ」
そうサリアは笑って言うけれど、流石に照れくさい僕は頬を掻くことしか出来ない。
……それにしても。僕の中にある可能性……か。
流れる景色を遠目に眺めながら、僕は先程の夢で、退魔の精霊が言っていた事を思い返すのだった……。




