Ep.398 Side.M 戦火の中の里帰り
凍える山脈の中にぽっかりと空いた奈落の断崖の中心に聳え立つ、まるで塔のように築かれた城塞都市シュタイア。
ファーザニア共和国の守護精霊である白銀の忠狼フェンリルが護るガルム山も、既に夥しい数の魔物の軍勢が蔓延り、重々しい行進の音色を響かせやってくる。
それは、我々の故郷であるこのシュタイアの奈落の断崖に唯一掛けられた一本橋にも及び、退く事の許されない攻防が繰り広げられていた。
帝都リムデルタから転移の精霊具で援軍に駆けつけた私と姉様は、すぐさま戦闘に加わらんと状況を確認する為、街の最上に聳える大統領府へと向かう。
その途中私は、遠くに私と姉様が生まれ育った家であるゼルシアラ邸に目を移した。
本当は邸に帰って皆の無事を確かめたかった。母上や爺や、マリエッタを始めとした使用人達が無事である事を確かめたい一心で……。
……でも今はそんな事をしている余裕は皆無。
「マルシェ? 家が気になるのなら貴女だけでも顔を出して来ていいのよ!」
私の目の向く先を察したフェッティ姉様が努めて明るい調子で私に言う。
でも私は左の銀色の眼……魔眼で分かっていた。
今の姉様は焦っているという事を。魔眼を通して視た魔力の色がそう告げていた。
姉様の気遣いを知り目に、しかしだからこそ私は首を振る。
「いいえ。それは街を魔族の脅威から救ってからにしましょう! だって私は勇者のパーティの一員ですからっ!」
「……そうね! その為に来たんだものねっ! よーし! 早く皆を安心させてあげましょう!」
「はいっ!」
姉様の魔力の色が少しだけ暖かな色に変わっていくのを視た。
それが私の心に小さな勇気を与えてくれる。
そうして前を向いた私達は大統領府へ急いだのだった……。
桃色の髪を揺らしながら、大統領府へと続く石段を駆ける。
既に一帯は戦闘状態だった。数はそれ程多くは無いものの、飛行可能な魔物が空から襲撃を仕掛けてきており、その迎撃があらゆる所で行われていたのだ。
しかし、状況はそれ程悪い様相ではなかった。
何故ならこちらにも頼もしい味方がいる。
我が祖国ファーザニアの代々大統領と契約を交わし、氷を操る守護精霊フェンリルの存在だ。
そのフェンリルが大統領府の上空に陣取り魔物達を圧倒している。それにより防衛にあたる兵達も高い士気を維持出来ていたのだ。
「――黎明軍よりフェッティ・ゼルシアラ剣少尉、並びにマルシェ・ゼルシアラ剣少尉よ! ウィンセス大統領にお目通り願うわ!」
大統領府の衛兵に姉様は名乗りを上げる。
その名に衛兵は驚愕した様子で私達を見返すと背筋を伸ばして敬礼した。
「ゼルシアラ家の御令嬢方……! よくぞ戻って来てくださいましたなッ! 直ちに!」
衛兵達は敬礼すると、慌ただしく動き始めたのだった。
「よくぞ来てくれましたわ! この度の黎明軍の援軍に、ファーザニアより心より感謝いたします」
大統領府内の執務室で私達を出迎えてくれたリリィベル・ウィンセス様は笑みを浮かべて礼を表した。
目元には薄くだが疲労の色が窺えたものの、その声は凛としていて気丈に振舞っていた。
しかし彼女の表情に張り詰めた気配が抜けると、途端に
暗い陰を落として言葉は紡がれていった。
「ヒューゴの御息女がこうして援軍に来て下さるなんて……。貴女方の亡きお父上の事、私の不甲斐ないがばかりに……っ」
大統領はほぞを噛んで悔しげに言葉を吐き出すと、私達の前に深々とその深緑の髪を垂らした。
……亡き父ヒューゴ・ゼルシアラはこの国の武人であり剣大将だった。
ファーザニア共和国領の最西端であり、リムデルタ帝国との領地の間に陣取る魔族領……。
そこに隣接したガエリア雪原の戦場で、父上はリリスという名の魔族幹部によって命を絶たれたという……。
だけど私はこう思う。
父は大統領を守り抜いて散ったのだと。武人の本懐を立派に遂げたのだと。
「……頭をお上げください大統領。父とて武人。戦いで命を散らす事は覚悟の上でしょう。……それよりも今は亡き父の事よりも、今を生きる者達の事に尽力なさるべきです!」
フェッティ姉様が毅然とした態度で大統領に告げる。その後ろ姿はまるで物語に出てくる勇者のように清廉とした雰囲気を纏っていた。
それでこそ私が憧れたフェッティ姉様だった。
「……っ! ……そう。……そうですね。貴女の言う通りだわ。……フェッティさん、マルシェさん。力を貸してくださるわね?」
「……勿論です! 大統領」
「これ以上魔族の好きにはさせませんっ!」
「……ありがとう! ……それと、言い忘れていましたわ」
私達は強く頷き、共に戦うと意思を確認すると、ウィンセス大統領がふと何かを思い出したかのように私達に語りかけてきた。
「……?」
一体何だろうと私達は首をかしげる。
するとウィンセス様の表情がふっと和らいで声の音が流れた。それはとても愛情深く、この地の雪も溶けてしまうような温かさで……。
「……おかえりなさい。――さあ、私達も出ますよ!」
「「――はいっ!」」
大統領の言葉は私達の胸を温かく昂らせ、私達は戦意に満ち足りた。
そして私と姉様は、ウィンセス様と共に大統領府を後にするのだった。
そして最上部の大統領府からの道を戻り中層にある広場にて、私達はこの地を守ってくれていた黎明軍の冒険者達に合流した。
最上部はフェンリルが魔物の襲撃を抑えてくれる。だから私達は街の入口の一本橋に押し寄せる魔物の群れと向かい合うことになる。
地上を移動してくる魔物の数の方が、飛行型よりも圧倒的に多く、地上はほぼ完全に魔物が占拠され、現在は奈落に掛かる橋を挟んで両軍が睨み合っているのだ。
私達もすぐさま下層へと降り、入口まで移動することにした。
開かれた重厚な城門を通ってそこで見た光景は、まるで魔物の波のような黒い波だった……。
……以前、ウィニの故郷であるカルコッタに押し寄せてきた魔物よりも多い。
その時共に戦ってくれたチギリ様達はここにはいない……。この街の人達にとって私達が頼りだ。ここを抜かれる訳にはいかない。私達の力で守り抜かなければ!
そう心に刻みつけながら戦場を一瞥する。
両軍は橋と橋の間に陣取り、互いに矢や魔術が飛び交う中、橋を渡ろうと迫る魔物の大軍を、同じく橋上で食い止めようとする白銀の鎧の祖国の兵たちや黎明軍の同胞達。
互いに激しくぶつかり合いながら攻防を繰り広げていた。
地形のお陰で包囲されることなく、一方向から押し寄せる敵にだけ集中出来るとはいえ、勢いは魔族側にある。
しかし、その数に押されているのが伺えども、絶望的な光景ではあるが、絶望的な状況というわけではないのが幸いだった。
その時、戦場を分析する私の後ろで、ウィンセス大統領が美しい刀身の細剣を掲げ、凛々しい声音を張り上げたのだ!
「――勇敢なる我がファーザニアの民よ! そして親愛なる黎明軍の戦友よ! 我々には精霊フェンリルの加護があります! この、フェンリルより造られし細剣フェンリアの元に集い、我らに仇なす害悪を殲滅せよ!」
「――おおおおおーーーーーっ!!」
ウィンセス大統領の言葉に応じるように、白銀の鎧を着込んだ兵士達から咆哮が上がる!
そしてそれに応じるように、黎明軍も雄叫びを上げて武器を振るった!
「マルシェ! 私達も橋の上へ行くわよ! 何もかもをこの盾で跳ね返してやりなさい!」
「はいっ! ゼルシアラ盾剣術の真骨頂、目に物見せてやりましょうっ!」
姉様が力強く私に声を掛けてくるのに応じ、私も覚悟を決め、愛用の蒼剣リルを抜き、盾を強く握り直して駆ける!
……希望の黎明の皆もきっと今、別々の地で必死に戦っているはず。たとえ傍に居られずとも私達は絆で繋がっている……!
――私達は、負けないっ!
「――皆奮起するのですッ! 勇壮たるをここに示せ!」
大統領の号令に、戦いの音は一層に大きく、高揚を帯びたものへと変わる――。
故郷の未来を護る為の死闘が、これより始まろうとしていた。




