Ep.393 Side.C 魔王の号令
五日が経過し、サヤ達が帰還してラムザッドはすぐに帝国軍の医療棟へ搬送された。
傷は帰還までの間に大分癒えているが、失われた血液や肉体の欠損を回復させることは、例え上級神聖魔術の行使者であろうとも困難だ。
ラムザッドは血を流しすぎた。暫くは安静にしてもらう必要があるだろう。
当の本人は、帰還の為の移動三日目の馬車の中で目を覚まし、理性を失っていた間の記憶は殆どなく、サヤ達の説明を聞き混乱しつつも納得したようだと報告を受けている。
我とアスカはサヤ達に感謝の言葉を述べると、ラムザッドの無事を喜び、サヤ達全員を労った後に解散を命じた。
そして療養中のラムザッドの元へと向かう。
……彼の散華を告げる為に。
ラムザッドが療養している医療棟の一室に赴くと、彼は目を覚ましていたようで、ぼんやりと天井を見上げていた。
「あら。まるで子猫のように大人しいですわね? ラムザッド」
扉を開けるとアスカが努めて快活に、軽い調子の第一声が投げかけられる。
「……お前の減らず口はァ、相変わらずだな」
ラムザッドは不愉快そうに顔をしかめつつも応答していた。
どうやら冷静ではあるようだな。
部屋に入室した我とアスカはラムザッドの前に近付く。隻眼で見返してくる黒き虎は、見舞いされるのがむず痒いのか、ばつが悪そうな表情を浮かべている。
そんな態度を気にも留めずに我は口を開いた。
「無事で何よりだ。ラムザッド」
「……どうやらいろいろと迷惑掛けたようだな。すまねェ」
そう言うとラムザッドは、謝罪の念を眼差しに宿して我を見詰めると、その目を伏せる。
……ここで追い討ちを掛けるようで気が引けるが、重要な事を先延ばしにするのは悪手だ。しっかりと告げておかねばならない。
我はラムザッドの目を見つめて口を開いた。
「――ラムザッド。伝えておかねばならない事がある」
我のその言葉に、アスカは顔を曇らせながら居住まいを正してラムザッドを窺っていた。
だが……。
「……ナタクの事だろ。知っている」
「………………そうか」
我の予想に反して、ラムザッドは静かな口調であっさりと応じてきたのだ。
「俺ァ、あの時膨大な力の暴力を前に、連れてた部下をやられ、俺も傷を負った。俺もあそこで死ぬつもりで、その力の元凶に向かったンだ。……そこにヤツと、ナタクはいた」
静かに語り始めたラムザッドはその時の光景を追憶するように瞑目する。
「俺が着いた時にゃァ、ナタクはヤツと刺し違えていた。その直後だった。ナタクから目も眩む程の光が発して……。あれァよ、自滅の奥義だったンだろうぜ」
そして再び目を開け、我を見つめながら言う。
「その光が周囲の魔物どもを消し去って、ベリアルの野郎も深い傷を負ったように退いていった。……俺はお陰でその場を離れる事ができたが、光が止んだ頃にはナタクは影も形も無くなっちまってた……。俺はナタクに助けられたンだ」
「……そうでしたか」
アスカが神妙な声で呟き、我は目を閉じると静かに頷く。
「アイツ……こんなデカイ借り、どう返すだよ……。どうやって……返すンだ、馬鹿野郎がッ…………」
ラムザッドは拳を震わせながら、嗚咽交じりに恨み言を吐き出していた。
ここまで打ちのめされたラムザッドに、我はただ一言だけ添える。それしか掛けてやる言葉を我は持ち得なかったのだ。
「……ナタクの最期を見届けてくれた事、感謝する。……ラムザッド」
「…………ッ! ……見てやがれ魔族……。この世から完全に消し去るまで俺ァ戦い続けてやる……! 例え四肢がもがれ牙を抜かれようがな……!」
ラムザッドは絞り出すような声でそう応えた後、俯いてしまった。
アスカは何も言い出せず、悲しげに俯いているのみだ……。
そして我は、それ以上かける言葉も見つからず、無言のままその場を後にしたのだった……。
それからおよそ一週間が経過した。
我は黎明軍の部隊配置や物資の運搬などを取り仕切りつつ、今後の対策を練る作業に追われていた。
サヤやウィニ達は訓練所で毎日鍛錬に励んでいるらしい。
療養していたラムザッドも先日動けるようになり、本調子では無いものの復帰を果たしている。
そんな我は執務室で書類と格闘していた。
そこへ此方へ駆けてくる足音が響く。
――ガチャリ! とノックもなく勢いよく扉が開いた。
「――師匠! 大変ですっ!」
「どうしたのだサヤ」
そこに立っていたのは息を乱したサヤだった。
何かあったのかと顔を上げると、彼女は蒼白の表情で、焦燥感すら滲ませている事がわかった。
只事ではない何かが起きたのだ。
「そ、外を……! 外を見てくださいっ!」
「……ッ!」
我は慌てて立ち上がりバルコニーへの扉を開ける。
そこに広がる光景は……。
「……何だ、あれは……?」
帝都から遥か東方、魔族領の方角から、天を貫かんがばかりに空に突き抜けて伸びる漆黒の光柱であった。
眼下では同じくその光景を目にし、狼狽える兵士達や同志達が見える……。
「訓練の休憩をしていたら、突然あんなものが……! あれは一体なんなんでしょう!? 凄く……凄く嫌な感じがして……!」
「……わからん。だが、なんと邪悪でおぞましい光だろうか」
我は険しい表情でそう答えるしかなかった……。
「魔族の仕業なのかしら……」
「……いや。あのような禍々しい代物、幹部ごときでは……。……魔王か」
「……そんな!」
我の言葉にサヤは息を呑む。
「――こちら冒険者ギルド、エルヴァイナ支部! 突如大量の魔物が出現し、現在交戦中! 黎明軍の応援求む!」
その時、耳に付けた言霊返しから、ギルドマスターである、ドゥーガ・アルトレイの逼迫した通信が響いた。
「……なんだと!?」
エルヴァイナ……。サリア神聖王国領の都市ギルドだ。
「――こちらボリージャのセルファ! チギリ聞こえるかしら! 魔物の大量発生よ! 現在交戦中だけれど苦戦しているわ! 援軍を!」
次いで、古き友人のアルラウネのセルファが救援要請を飛ばしてきた。
南東に位置する大陸、東方部族連合の都市の一つボリージャでも同様のことが。しかも同時にだと……。
「――黎明軍へ、こちらファーザニア共和国、リリィベル・ウィンセスです。突如首都シュタイアの周辺に魔物が出現し、交戦中ですわ。……これは闇色の柱が影響していると見て間違いないですわね」
今度はファーザニアの元首自らが連絡を寄越してきた。
そうした情報が次々に舞い込んでくる中、そこにアスカやラムザッド、フェッティらが駆け込んで来て、執務室は騒然となる。
「チギリっ! あの光は……魔王による魔物への世界襲撃の号令と思われますわっ!」
一様に戦慄の表情を見せる中、アスカがそう口にする。
示し合わせたかのように世界中で発生した魔物の大量出現。あの闇の光柱が魔王による檄であるのならば……これより起こる事柄は災い以外には考えられん。
大規模な襲撃が……以前危惧していた事態が起きているのだ!
「言霊返しを介して各主要都市から一斉に救援要請が……!」
皆が狼狽えつつ声を荒げ始めた時、我は――。
「静まれっ!」
その場の空気を一気に支配するように声を張り上げた。
「……皆落ち着くんだ。以前からこの事態は想定していた。その為に我は各地に部隊を派遣しておいたのだ。直ちに各部隊に都市防衛の指示を送る!」
皆の動揺を落ち着かせようと、我は今出せる最高レベルで威厳ある声を出した。
「……ですがっ、これ程多くの救援要請が……! とてもっ……」
マルシェが震える声で訴えてきたが……。
「……ああそうだ。全ての救援要請に迅速に対応することは出来ないだろう……。現地の防衛戦力にも死力を尽くしてもらわねばならん」
我は苦い顔で応じると、皆の表情が一気に曇るのを肌で感じた……。しかし。
「よって、ここの部隊を分散させ、援軍に回ってもらう……!」
「そ、それってつまり、パーティを分けるということですか?」
サヤから戸惑いの声が上がった。
しかし我は頷いて肯定する。
「……その通りだ」
我の言葉に一同は愕然とした表情を晒す。
「お前達は一人一人が十分な戦力になる。だから転移の精霊具を用いて現地へ飛び、現地の黎明軍と合流、指揮を取ってもらいたい! パーティの連携が活かせないのは承知している。しかし今はこうするより他にないのだ……!」
我は皆を諭すように、声を張り上げて言った。
「……わかりました。師匠」
やがてサヤが重い声で了承した。
他の者達も神妙な面持ちで頷いている。
……サヤの仲間達も、それぞれの思いを胸に秘めて、黙ってそれに倣っているのだ。
「……感謝する。――ではエルヴァイナへの救援にはサヤとロシュ!」
「はい!」
「……了解」
「ボリージャへはウィニ、ラシード、支援にミトが行ってくれ給え」
「……ん」
「おう!」
「は、はいぃ」
我が指名する度に各々返事が上がる。
そして次なる場所へ移る前に……。
「……フェッティ。君はここに残れ。緊急の事態に備える為に、防衛部隊の長としてここを守ってもらいたい」
「……チギリ魔大将。悪いけどそれは聞けないわ」
するとフェッティはきっぱりと拒否してきたのだった……。
日輪の如き性格の彼女の瞳から確固たる決意の色が窺えて、確たる意思を感じた。
「何故に?」
「今襲撃を受けている中に、私とマルシェの故郷があるわ。私は皆の元へ助けに行きたい……! だから!」
「チギリ様。私も姉様と思いは同じですっ。シュタイアに行かせてくださいっ!」
マルシェが力強く声を上げる。
……彼女達が言うことは至極真っ当なものであり、我とて彼女達がそうしたいと望むのであればそれを否定する事は出来んな……。
ふ……。我にはやはり、軍運営なぞ向かんのだな。
「……わかった。フェッティ、マルシェ。君達の意志を尊重しよう」
「……! ありがとうっ!」
「感謝します……っ!」
我の言葉にフェッティとマルシェは表情を明るくし、感謝の意を口にしたのだった……。
「そして帝都防衛には我、アスカ、ラムザッド、ファルクが付き、状況に応じて対応する」
「畏まりましたわ」
「おう」
「わかった」
我の言葉に、アスカやラムザッド、ファルクは短く返事をする。
そして皆それぞれ、それぞれの覚悟を決めて我を見つめた……。
「では支度を整え直ちに向かい給え! 転移の精霊具については気にするな。我が皇帝に掛け合うさ」
「「はいっ!」」
それぞれが気合の籠った返答を見せ、そして各々動き出したのだった。




