Ep.376 ゼファイア
一頻り勝利に酔いしれた僕達は、セイランを休ませるべく地上に降りて、この日は野営で休息を取ることになった。
このまま大陸を横断するのは酷だと思い、僕から提案してのものだった。風の祖精霊との話もあるが、まずは一番の功労者を労いたかったのだ。
森の中での野営の為、セイランには人型になってもらい、僕達はテントを張り、サリアの神聖魔術の結界で魔物を寄せ付けないようにして準備万端。火を囲んで談笑に更けるのだった。
火を囲む仲間達にしれっと混ざって談笑している風の祖精霊を僕は機を窺うように見ていた。そろそろ本来の目的の為の話を切り出したくて、タイミングを見計らっていたんだ。
そんな僕の眼差しで察したのか、皆の談笑は落ち着きを見せ始め、僕や風の祖精霊を見据えていた。
「……風の祖精霊様、お話をしてもいいですか?」
僕は静かになったのを確認すると、風の祖精霊に向けて言葉を紡いだ。
「ああ、いいとも。さっきは白熱したいい勝負だったね」
風の祖精霊も待っていたかのように僕に目を向けて涼やかに笑む。
「風の祖精霊様からは手を出さない、というハンデ付きでしたけどね……」
僕は苦笑いを浮かべながらそう先ほどの勝負を振り返り、居住まいを正して相手の瞳をまっすぐ見つめた。
「……でも僕達の勝ちです。試練は乗り越えられたと見ていいですか?」
「もちろんさ。……まあもともと面白そうだったから協力するつもりだったけれどね?」
そう言って高らかに笑い飛ばすと、風の祖精霊は両手を何かを包み込むように合わせ、風の魔力を手の中に集めていく。
やがて魔力の収縮が収まると手を開いて見せた。
「……んじゃ、他の祖精霊に倣って、君にコレを授けよう」
風の祖精霊の手のひらにあった物は、黄緑色に輝く結晶体だった。
アグニ達などの、契約を果たした祖精霊から授かった物と同種の結晶の風属性版だ。
見るからに風の力が凝縮されているのがわかる。
「ありがとうございます!」
僕は結晶を受け取ると、お辞儀で精一杯の感謝を示した。
集まった結晶は火、地、闇、風。これで4つ目だ。
なんの捻りもないが、他のに倣って風の結晶と呼ぶことにしよう。
「よかったわね、クサビっ」
「はい! 皆のお陰ですっ! 本当にありがとう!」
僕は満面の笑みを見せると、みんなをぐるりと見渡した。
僕はまた一歩前進したんだなと思うと同時に、これからまた一つ大きな壁にぶち当たることを思うと、自然と顔を引き締めるのだった。
「じゃあクサビ。ササっと契約、やってしまおうか?」
と、決意を抱いていた僕に風の祖精霊は軽薄な様子でさらりと言ってのけた。
契約に伴う負担は、毎回途轍もない程大変だというのに……。
「……はい! よろしくお願いします……っ」
だけど強くなる為に、契約は願ってもない事故に、僕は風の祖精霊に頷いた。
セイランの背の上で、僕は仲間に見守られながら風の祖精霊と顔を合わせる。
祖精霊との契約は、最初は魔力不足で命懸けだったが、今はアグニ達の魔力を引き出すことが出来る為、皆の魔力供給なしでなんとか一人で耐える事が出来るようになっていた。
今回は昏倒することはないと思いたいけど……。
「よし、では始めようじゃないか! さあ、僕の名前は決めてくれたかな?」
「はい、決めました……っ!」
「……ちなみに、なんて名前だい?」
契約前に教えていいんだろうか。先に聞かれたのは初めてで、そんな疑問がまず浮かんでしまう。
しかしまだ契約の儀式は始まっていないし、伝えるだけなら大丈夫……なはずだ……多分。
「自由な風をイメージして……アマカゼというのは――」
「――ええっ! 『ゼファイア』!? いやぁ奇遇も奇遇! いやね、僕もそんな名前が良いなと思っていたんだよっ!」
「…………」
言葉を一切聞いていないんじゃないかという程の強引さに、僕は唖然。
……どうやらご本人はゼファイアという名前をご希望のようだ。風の祖精霊の振る舞いはつくづく他の祖精霊とは違うなあ。
「ぜ、ゼファイアで……」
僕は苦笑しながら頷くと、風の祖精霊は眉尻を少し下げながらウインクして、ささやかばかりの謝意を見せた。
一応強引だったことは自覚していたようだ。
面白い人だ。彼のお陰でこれからの旅が愉快なものになりそうだ。
「ははっ。では始めよう! 魔力を君に贈るよ」
「……はいっ」
そして風の祖精霊の掌から緑色の魔力が僕の胸から中へと流れ込んでいく。
その瞬間、急激に身体中の魔力が食い尽くされるような感覚に苛まれ、僕は契約済みの祖精霊達の魔力を己が内で引き出し続ける。
「さあ、契約の証として僕に名前を。……さあ、ゼ、ゼ?」
風の祖精霊はここぞとばかりに返答を誘導してくる。今の僕にはそれにツッコミを入れる余裕はない!
「〜〜っ! ゼファイア!」
「オッケー! 僕の名は『ゼファイア』! これから共に良き旅をしよう!」
風の祖精霊が力強く頷くと、彼の体が緑色に光り輝きだし、僕の中へと吸い込まれるように消えていく。
すると僕の体の内から、膨大な風の魔力が溢れ出す。
やがて絶え間ない魔力の消耗も止まり、僕は激しい疲労と脱力感を感じて膝を着くも、自分の胸に手を当てる。
……中にゼファイアの存在を感じる。契約は無事に成功したようで、僕はほっと胸を撫で下ろした。
「これで4体目の契約か……。君は本当に凄い事をやってのけるね。おめでとう!」
「皆が手伝ってくれたお陰ですよ……。僕の方こそ、ありがとう……っ」
アズマがしゃがんで僕と目線を合わせ、肩を置いて労ってくれる。それに対して僕は疲労で掠れた声で感謝を返すのだった。
「もうすっかり一人で契約もこなしちゃうわねっ! でも流石に疲れたでしょう? 少し横になって。ねっ?」
「は、はい……」
サリアが座り込むと、膝をぽんぽんと叩いて誘う。
聖女の膝枕なんて、普段なら恥ずかしさが勝って断るところだが、今日は素直に甘えさせてもらうことにした。
僕がサリアの膝に頭を載せると、優しく頭を撫でてくれる彼女の手が温かくてとても心地いい。
「クサビ! そんな羨ましいご褒美を堪能してるところすまないんだけどさ、まだ話は終わってないよ!」
「――うわぁ! ……あ、あれ? ゼファイア? 召喚してないのにどうして……」
サリアの膝を枕に、横になった僕の視界に覗き込むようにして現れた風の祖精霊ことゼファイアが目の前にあって、僕は驚いて飛び起きた。
さっきの契約の末僕の中に入っていったはずじゃ……?
「……ん? もしかして僕らが君の中にいると思ってたのかい? ……まあそれは半分当たりなんだけど、半分間違いさ。僕らはそれぞれ在るべき場所に本体は留まっているんだから」
「……本体は……あるべき場所……?」
……どういうことだ?
僕が首を傾げていると、ゼファイアは言葉を続けた。
「他の祖精霊は教えてくれなかったみたいだねぇ、やれやれ。――そうさ。本体は別の場所にあり、君の中にあるのはあくまで魔力であり、それはいわば、本体とを繋ぐゲートのような役割を持つんだ」
ゼファイアは空中に浮いて胡座をかきながら説明を続けていく。
「召喚魔術というのは、主の呼びかけにゲートを通じて一時的に本体を顕現させる術なんだよ。……でも僕本体が君達に会いに来た。つまり元々ここにいるわけだから、自分の意思で出てこれるってワケ。君の目の前にいるのは召喚された僕ではなく、本体の僕なのさ!」
「……なるほど……」
《む。なんだ主よ、知らんかったのか?》
説明を聞き終えた僕に、アグニの念話が脳内に届く。
《知らなかったよっ! 教えてくれたって良かったのに〜っ》
《……ふっ》
……鼻で笑われた。
「ふっ、すまない。てっきり心得ているものと思っていたよ。私もフェンリルと共にある身として教授するべきだったな」
シェーデはあっけらかんとした様子でクールに微笑んで言った。いつも人を揶揄ってくる時の顔をしている……!
知ってて当たり前のことだったのだと気付いた頃には、僕の顔はすっかり真っ赤になっていて、サリアに頭を撫でられて慰められ、羞恥心でさらに耳まで真っ赤になってしまう僕なのであった。




