Ep.366 Side.C 机上の戦い
帝都リムデルタ宮殿内、黎明軍司令室。
撤退から約6日の後に帝都に帰還した我らは、残存部隊の再編制と同時に新たに加入した部隊の配属処理を経て、戦力の立て直しを図っていた。
撤退地から帝都までに大規模な武力衝突の報告は受けておらず、魔族幹部ベリアルによる追撃は、ナタクの命を賭した一撃によって阻止出来たのだと推測する。
彼の身を捧げる行動が、多くの味方を救ったのだ。
……ナタク。お前の死は無駄ではなかったぞ……。そして我らは抗い続けよう。最後の時が来たるまで。
ヴァレンド・リムデルタ皇帝への現状報告も既に終え、帝国軍との更なる方策の協議、黎明軍による各地への派遣など、計画を練っていく。
いくら傷を負おうとも我らに停滞は許されない。魔族が体制を立て直してくる前に、こちらも先んじて動く必要がある。
連絡用の各種精霊具を用いて、各主要都市の状況の確認も怠らない。
現状、魔物の軍勢が確認されているのは、帝国領、並びにファーザニア共和国の魔族領との国境線が主だ。
魔物の動きは想定していたよりも一所に偏っている。
動きが鈍っているのか、水面下で何かが動き出しているのか。
ベリアル以外の魔族幹部の詳細がない以上、何か企んでいる可能性が高く、今は精度の高い情報が求められる状況だった。
「――亡者平原での初戦は手痛い結果となったが、絶望するには早かろう。……しかし、ナタク殿のことは無念であった」
黎明軍と帝国軍合同の軍議にて、ヴァレンド皇帝が哀悼の意を告げる。
皇帝の眉間に深い皺が刻みながらの言葉は、命を賭して散った者達への敬意が表れていた。
ナタクや裂海の者ら、そして先の戦いで散った全ての勇士達の為に、一同は厳かに黙祷を捧げた後、軍議を続ける。
残された者には成すべき事がある。我々が前を向き魔族に抗い続ける事が、散華していった者達への手向けとなると信じて……。
合同軍議を終えた我とアスカは、黎明軍の駐屯区画へ戻ると執務室で現状の確認を行った。
机の上には報告書の類いの書類が山のように積み重なっており、我はこれからそれら全てを確認しなければならない。
この多忙に身を置く今、故人を偲ぶ暇すらない事が、事ここに至ってはささやかな心の救いだ。
身近の仲間の死というものは、薄情な我とて流石に堪えるものがあるからだ。悲哀を忘却する程に己の心を忙殺するのだ。
今はそれで良いと自身に言い聞かせ、我は心を繋ぎとめる。
「――さて、目下の敵はこの紙束の山か」
「ええ。本日中に片付けますわよ? さあ手を動かしなさいな」
我は目の前に置かれた積み重なった書類を一瞥しながら言葉を吐く。
その中のいくつかを束ねて持ち上げたアスカが我を窘めるように言うと、自分の作業スペースを確保して書類に目を通し始めた。
我は短い溜息を一つ吐き出すと、彼女に倣って視線を目下の紙の山へと落とす。
部隊の再編成や階級の決定や指揮系統の見直し、軍内外問わず現在の状況を確認し、脳内で情報を最新に擦り合わせる。
正直、このような軍運営に関する知識など我には乏しく、ここだけの話だが、各員に設定した階級など適当な部分は否めない。元々冒険者という部分が大きい為、上下関係に疎いのが災いしているのだろう。
……要するに階級は形だけなのだ。
他言は出来ん話だがな。
……さて、ボヤいている暇はない。目の前の書面の山を片付けなければ。
世界中に展開する部隊や斥候部隊からの報告を、一つ一つ精査していく……。
亡者平原方面の防衛に当たっている部隊からの報告によると、魔物の軍勢の動きは停滞しており膠着状態にあるという。小規模な戦闘はあれど、大挙して侵攻する動きは見られないという。
おそらく敵側の指揮官クラスが不在なのではないかと推測できる。奴ら魔物は、指揮官さえいなければ戦術的な行動を取らず、各々好き勝手に動くのだ。
ファーザニア共和国の国境線での防衛も問題なく、警戒状態であるようだ。かの国の大統領であるリリィベル・ウィンセス指揮下の兵と現地の黎明軍参加の冒険者、守護精霊フェンリルという戦力があるが、あちらにも黎明軍の部隊を増援として派遣中だ。
ベリアル以外の魔族幹部の動向が不明である以上、警戒は厳に保つ必要があるだろう。
報告に目を通していくうち、気になる情報があった。
それは、東方部族連合領南西、ウーズ部族領。人の体に植物の特徴を併せ持つアルラウネが多く住まう地。我がクサビらと邂逅した思い入れある場所だ。
その情報は、花の都と謡われる都市ボリージャの冒険者ギルドから齎された。
先日、突如として魔物の群れが都市に接近してきた為、これをアルラウネ達による街の防衛隊と共同で撃退したという。
それだけならばさほど珍しいことではないのだが、今回は普段の散発的な襲撃とは違い、群れが一斉に雪崩れ込んできたという。
そして戦闘中、その群れの中に、赤黒い角を生やした個体が、まるで群れを率いているかのように後方に陣取っていたらしい。
それは魔王により生み出した、眷属の特徴と合致していたとして、こちらに報告として挙がってきたということだ。
やはり脅威は、眷属を使って各地に散っている可能性が高いようだ。幹部以下の魔族にも脅威となる存在が居ないとも限らない。
各地の防衛力の増強にも手を打っておかねばなるまい。
他にも各地に散在している魔族の存在を示す情報を収集し、それらを精査して各地を優先的に防衛に当てていく事にしよう。各ギルドへの通達もしないとな……。
――そんな事を考えていた時だった……。
「チギリ魔大将! 失礼するわ!」
突如執務室に現れた一人の女性の冒険者によって我は現実へと引き戻される。
桃色の長髪を揺らしながら入室してきたのは、中隊の一つを任せているフェッティ・ゼルシアラ剣少尉であった。
彼女は真剣な表情で我の目の前に立ち、手にしていた紙を机の上に広げると、その中身を指差す。
「とにかくこの報告書を見て下さいな!」
「……これは……」
その報告は、帝国と魔族領周辺での目撃報告書だった。地理的に亡者平原にも近く、先刻の我らの戦場付近でもあった。
そしてそこには――。
「……遠方より確認の事、魔物の群れに単身突貫する黒き影発見せり。その黒き影、紫輝たる稲妻を纏い、群れを蹂躙した後、何処かへ消えた――だと?」
その内容にアスカの長耳がピクリと動き、こちらに駆け寄ってきては、報告書を我の手から奪い取った。
「紫色の雷を使う、黒い何か……ですって? ……チギリっ!」
顔を上げ我に視線を向けたアスカの表情は、まるで満開の花畑のようだった。
「……ふっ。あやつめ。どうやらしぶとく生き延びていたようだよ。我らが同士――」
「「――ラムザッド・アーガイル!」」
アスカと声が重なり、我の口角が上がるのを感じる。
ラムザッドは魔族幹部ベリアルとの戦闘の際、別方面での戦闘行動を取っていたが、あれ以来消息不明となっていたのだ。
あの黒猫、無事に生き延びていたか……!
「ゼルシアラ剣少尉。至急捜索隊を編成する! すまないがニュクサール斥候隊長を呼んできてくれ」
「承知したわ!」
フェッティが踵を返し颯爽と部屋を後にした。
その背を見送って、我はアスカと視線を合わせると頷き合う。
久々の朗報の兆しに、我らは安堵と共に胸を撫で下ろすのだった。




