Ep.361 聖女 サリア・コリンドル
「――こうやって向き合うのは、あの日以来かしら、ハクサ?」
メルトアの騎士達が利用している訓練所の一部を借り受けた僕達。
アズマが見守る中、武器を携えた僕とサリアは一定の距離を取って向き合っていた。
周囲で訓練に励んでいた騎士達は、勇者と聖女、そしてそれに相対する青髪の少年の立ち合いに興味を引いたようで、次第に観戦者が増えていった。
認知されていない僕のことはともかくとして、聖女サリアが杖を振るう貴重な場面を見逃すまいと、騎士達はザワつき出す。
――向き合って第一声を放ったサリアの言葉に、僕はやや緊張した面持ちで頷く。こうなることは予想していたけれど、それでも人の視線が少し気になってしまっての反応だった。
するとサリアは記憶を呼び起こしているのか、遠くを見つめるような眼差しで、ゆっくりと落ち着いた声色で言葉を紡ぎ始めた。
「……私は、貴方の大事な右腕を犠牲にすることを決断してしまったわ。そのせいで貴方の目標の大きな妨げになって、苦労を掛けたわね……。本当に申し訳なく思っているわ」
サリアは伏し目がちに、悲しげな表情を浮かべてそう呟く。
義手が完成し、随分体に馴染んできた今でも、サリアの心のどこかでは、いつも後悔として残り続けていたのだろうか……。
「もう気にしないでください……。サリアや皆が居なければ、きっと僕はこうして立っていないと思いますから。いつも支えてくれて、助けてくれて……。感謝してるんです!」
僕は右腕を失った事。僕は一度足りともサリアや皆を責めたことはなかった。右腕の事は自分の決断の結果であり、それは僕が自分で選んだ事だから、誰のせいなどと微塵も思っておらず、救ってくれた事への感謝こそすれど、非難など発想の一片すら存在しない。
だからサリアがそんなにも心を病んでいたことに、僕は申し訳なさすら湧いてくる。……これ以上自分を責めて欲しくなかったんだ。サリアのせいじゃないのだから。
だから僕は、返って笑顔でサリアを見つめて言い放ち、同時に戦意を高める。
「あの時の僕だと思ったら、足元を掬われますよ! ……勝負です!」
不敵に笑ってみせながら僕は抜剣し、剣を正眼に構える。
その様子を見てサリアは、一瞬呆気に取られたが、直ぐに気を取り直して微笑みを返して杖をくるくると回転させた後、僕に杖先を向けた。
「……ふふっ! もともと侮ったりはしないわっ! 受けて立ちますっ」
そして僕達の準備が整ったのを見たアズマが片手を天に掲げ、振り下ろしながら――。
「――始めッ!」
合図と同時に僕は地を蹴った!
駆け出しながら、ジオの魔力を使って足に強化魔術を練り上げて、加速したところにさらなる速度を乗せて、相手への接近を試みた!
サリアは魔術師だ。肉薄すれば取れる手段は限られるはず。今度は前のように同じ轍は踏まない……!
「前よりもずっと早い……! ――『フォトン・レイン』!」
そうして接近する僕の動きに反応して、サリアは後方へ飛び退いて距離を離しつつ杖を僕に向け、無詠唱で魔術を発動させる。
直後、サリアの左右から出現する幾本もの光の矢が、雨のように勢いよく僕目掛けて襲い掛かる! それは時間差を付けて迫る光の矢の弾幕だ。
僕は速度を緩めることもせず、剣を目の前に移動させて防御の構えを取る。右手ではアグニの魔力を借りて、進行方向に火球を作り出し、大きくしていく――。
「呑み込めッ! 『火種』!」
昔から使える、僕の名付けた火属性の下級魔術。ただ火球を撃ち出すだけの初歩の初歩。
だがこの炎には火の祖精霊の力が宿っている。今までの火とは威力は段違いだ。
撃ち出した火球は、光の矢を呑み込んで道筋を示した。僕は空いた弾幕の穴に飛び込み、サリアのフォトン・レインをすり抜けた。
サリアは僕が放った火球を左に跳躍することで回避していた。そこに僕はサリアを剣の間合いに捉え、袈裟斬りを放った。
「速いわねっ! ……でもっ!」
「――ッ!」
斬撃を放つために踏み込んだ足が、突然地面に沈み掛かる!
以前の立ち会いの敗因であり、地中に仕掛けられていた地属性魔術による泥濘だ!
僕は咄嗟に袈裟斬りを中断し、後方に飛び退き距離を取ろうとした。
しかしその時、流石勇者パーティの一人だ。サリアはその隙を見逃さなかった。
「はぁっ!」
サリアは杖を僕に向ける。そしてその杖に装飾された宝玉が緑色の輝きを放っていた!
咄嗟に飛び退いたのは悪手だった……! いや、そうなるように誘導させられたのか。
あの魔力の光は風属性魔術の光!
そう思った時には既にサリアの杖から放たれた突風が襲い掛かっていた。
圧縮された空気を義手で防御したものの、飛び退いた姿勢で足は地にない僕は、反動で成す術なく後方に押し出され、サリアとの距離を大きく離されてしまった。
つまり魔術師に有利な距離にあり、僕の剣はこのままでは届かない。
常に自分に有利な距離を保ちながら戦う彼女は、まさに魔術師の模範たる立ち回りだった。
杖を油断なく構えて真剣な表情でこちらを見据えていたサリアは、体制を整え剣を構えた僕に向けて、口元を僅かに吊り上げた。
「さすがに同じ手は通用しないわねっ。前よりも確実に強くなったわ……!」
「いつまでも皆の足手纏いにはなりたくないですからね……!」
言い放った僕の言葉にサリアは武器を構えながら優しく微笑んだ。
だがそれも束の間、その聖女の笑みは、すぐに戦うべき相手に向ける眼差しへと変えた。
「――さあ! 振り出しよっ。 いつでもいらっしゃいっ!」
「――はい! 行きますッ!」
サリアの戦意に触発されるように血潮が滾るのを感じ、僕はアズマや騎士達の目を忘れ、ただ相対する者だけに集中していった。
先程よりも早く相手に接近するためには、やはりあの技を使うべきだ。僕の成長を見せる為にも、短期決戦で一気に勝負を掛けるんだ!
僕は姿勢を低くして構えた剣を両手で持ち、横流しにするようにして、剣先を地面近くへと下げる。
一気に飛び出せる体制だ。サリアもこちらの行動を察したのだろう、杖を両手で持ち、前方で構えて警戒している。
……僕が切る手札は『熱剣』。
極限まで深く集中することで、周囲の流れる時間が低速に流れる感覚下で、熱を帯びた魔力を刀身に纏う僕の奥義。
周囲にしてみれば、超高速の斬撃を放ったように見えるだろうこの奥義は、膨大な魔力を消費するが故に長続きはできないという欠点がある。
だがそれは承知の上だ。小細工など一切ない瞬間的なスピードで、相手の反応速度を凌駕して仕留める!
僕は滾った戦意を、大きく息を吐くことで鎮火させるようにゆっくりと息を吐き出すと、呼吸を整えて雑念の一切を捨て去り集中の深度を増していく――。
集中した視界の中で、サリアが杖を頭上へとゆっくり動き出していた。
――今だッ!
既に足に溜めていた強化魔術を解放させ、弾かれるように駆け出す!
刹那の瞬間で地を蹴り上げ、一直線にサリアに向かって疾駆する!
刀身に帯びた赫灼の光は軌跡を鮮やかに残し、サリアの元へと伸びていく。
「――あっ……!」
僕の接近に気付き、サリアは驚きの声を漏らした。
そして慌てて杖を振り下ろし、サリアは目の前で圧縮した風の玉を破裂させ、直後強烈な風圧により僕を押し退けつつ、自身を後方に退避せんと試みる。
サリアは自分の魔術で吹き飛んで距離を離そうと後方へ飛びつつも、魔術の行使を怠らない!
回避と同時に放たれた光の矢の雨が、今度は僕を追尾するような機動で襲い来るのだ。
「…………ッ」
僕は風圧の玉を、破裂する前に通過してサリアを追う。しかしそこに迫るは夥しい数の光の矢!
だが今の僕にはそれはゆっくりに見えている。
僕の魔力は、まるで水が蒸発するように物凄い勢いで消費されていく。
だが祖精霊達の魔力を引き出す事が出来る今の僕ならば、この弾幕を紙一重で躱し、サリアに剣を届かせるまでは十分事足りる!
この集中状態が続いている間に、サリアに剣を届かせてみせる……!
光の矢が上下左右とあらゆる方向から僕に集中して迫り来る。
左方からくる光の矢を、頭を傾けるのみで回避すると、続けて右上方から落ちてくる光の矢は義手で弾いた。さらには地面から隆起した土槍は身を捩ることで回避し、僕はその土槍を足場にしてさらに飛び出した!
「――なっ……!」
驚愕の表情を浮かべるサリアに僕は間合いへと飛び込んで剣を薙いだ!
――キィィィン!
甲高い音が響くと、僕の斬撃はサリアと剣の間に展開された、二枚重ねの防御障壁によって防がれていた!
しかし、ギリギリと押し合う中、障壁にヒビが走り始め、そして――。
――パキィン!
障壁の一枚目が砕け散り、サリアは目を見開いた。
「うおおおおーッ!」
僕はさらに剣に力を込め、渾身の力で押し切る!
二枚目の障壁にヒビが走り、全力で魔力を込めていたサリアの表情が苦渋に染まる!
――パキッ パキッ!
徐々にヒビは大きくなっていく。
「……こんなにも強くなっていたのね……っ。悔しいけど……それよりも嬉しいっ――――」
――パキィィン……!
障壁が砕け散るその時見えたサリアの笑顔は、砕け散った障壁に遮られ、衝撃でサリアは吹き飛んでしまった……。




