Ep.347 亡国の姫君
翌朝、朝食を済ませた僕達は、シェーデに先導され、人里を目指して出発することになった。
目指すはデリスベル地方の港街として今も機能している『メルトア』の街。
そこで食料の補給や、山脈を越える為の準備をしてから、深淵の大穴を目指す予定だ。
僕達はサリアから付与された飛翔の魔術でメルトアを目指していた。雪国といえどこの辺りはまだ大陸の南側であり、比較的気候は穏やかだ。吹雪に見舞われない限りは空を飛んでいけそうだ。
故郷の地を踏み締めた懐かしさのためか、シェーデは移動しながら身の上話を聞かせてくれた。
――この北東大陸を統治していたシェーデの祖国ゼルシアラ王国は、魔族との激しい攻防の末に首都は壊滅し、シェーデ以外の王家の血筋は死に絶えて、事実上滅亡してしまったという。
だが、かつて栄華を誇ったゼルシアラ王国に仕えた騎士や兵士は王都陥落の際に散り散りになって生き延び、各地の貴族と結託して、魔族へ対抗し続けているのだという。
未だにそれほどに強い結束力を維持出来ている理由は、亡国の忘れ形見である、ゼルシアラ王国第一王女シェーデ・ゼルシアラが存命であると知っているからだ。
勇者パーティの一人として活躍する『桃氷の剣姫』の存在が彼らに活力を与え続け、今日まで街を守り抜いてきたのだ。
魔王は封印され平和へと向かう世界で、彼らはきっと再びシェーデの元に結集し、彼女を王位に据えることを望むだろう。
王国再興を目指すシェーデにとって、それは決して悪い話ではないはずだ。
だが、彼女は頑なにそれを拒んだ。メルメアに向かう道すがらで、その理由が彼女自身の口から語られた。
「魔王との戦いの後、当初は私も祖国復興に尽力するつもりだったよ。……だが私は君と出会い、知ってしまったのさ。遠い未来で再び厄災が起こることを」
シェーデは決意を宿した瞳で僕を見詰めながら自身の想いを吐露する。
「確かに、この世界はこれから平和になっていくだろう……。だが私の時代での不始末で、君の時代の未来の同胞が同じ苦しみを受けることを知った今、それを見過ごすことは私には出来ないんだ」
シェーデは口角を上げて微笑む。そこには迷いも恐れも無く、ただ覚悟の色が宿っていた。
その話を黙って聞いていた他の面々も、何か思うところがあるのだろう、それぞれに神妙な表情でその言葉を受け止めていた。
魔王を討伐ではなく、封印を選ばざるを得なかったこと。それを彼女は『不始末』と言ったのだ。
「私達の代でまだ出来ることがある。それはなクサビ。君が目的を果たせるよう助力になる事だ。……それを果たすまでは故郷に腰を据える事は出来ないさ」
彼女はそう言うと、悪戯っぽく笑った。
「国の復興は、その後からでも遅くは無いさ。なに、祖国の皆なら分かってくれるはずだ」
「……シェーデ。分かりました。これからも頼りにさせて下さい!」
僕は頷いて彼女の意思に感謝した。
「ああ。任せておくといい。……さあ、そうこうしているうちにメルトアのお目見えだ」
シェーデの言葉通り、前方にはメルトアの街並みが視界に映り込んできていた。
空から見ても立派な港街のようで、さすが魔族の襲撃にも耐え抜いただけのことはある。
……それから僕達はメルトアに降り立ち、門兵に事情を話して通された。
ここでも勇者アズマの威光は効果覿面であったが、それよりもシェーデの存在の方が大きかった。
門兵の兵士達はシェーデの姿を目にするなり、跪き、涙を流して喜んでいたのだ。
僕達は城門を通る際に、門の兵士達から温かい歓迎を受けて、メルトアに入っていった。
街の中は戦いの傷跡は残るものの、人々の活気が溢れていた。
街行く人々は、シェーデの姿を目にするなり驚きの声を上げ、涙しながら彼女に歓迎した。
シェーデ来訪の報せは瞬く間に街中に広まり、彼女が歩く街道には人の波が並び、民衆から歓声が上がり、僕達の耳に喧騒が飛び込んできていた。
シェーデという存在が、どれほど街の人達の希望となっていたのかが良く分かる光景で、流石のアズマもここではただの脇役だ。
「シェーデ様ー! シェーデ様ぁー!」
街の人々から万歳の声が上がる中、シェーデは毅然たる態度で微笑み、人々に応えている。
一つ結びで後ろに垂らした長い桃色の髪を靡かせて、彼女は凛とした姿で民衆に応じながら進む彼女を、誰もが希望を目に宿して見つめていた。
そこに、前方から鎧を身につけた兵士達と、その中央を歩く豪勢な鎧に身に纏う騎士風の集団が、こちらに近づき僕達と向かい合うと、その集団の真ん中に居る男が跪く。
それと同時に両側に控える兵士達が槍を立てて一糸乱れぬ敬礼を見せた。
どうやらこの街を守護する騎士達のようだ。
「姫様ッ! このバルグント、再び貴女様にお目通りが叶おうとは……ッ! 感無量でありますぞッ!」
自らをバルグントと名乗った壮年の騎士は、シェーデの姿を目にするなり涙を滲ませながら喜びの声を上げた。
他の騎士達もバルグントさんに続き、肩を震わせている者達が幾人も見受けられた。
……本当に慕われているんだなあ。シェーデの日頃の行いの結果なんだろう。
「壮健そうでなによりだ、バルグント。私に代わりこの地を守り抜いてくれた事、感謝するよ」
「……もッ、勿体なきお言葉ッッ! このバルグント・カイゼル! 恐悦至極に存じますぞォッ!」
シェーデの言葉を聞いたバルグントさんは号泣しながら再度敬礼をする。
「ふふっ。涙脆さも相変わらずだな」
シェーデはくすっと笑いながらバルグントさんの肩に手を置く。
それからバルグントさんは暫く号泣していたが、ようやく落ち着いたのか、調子を取り戻して僕達をカイゼル邸へと案内してくれた。
どうやらバルグントさんは王国騎士であり、この地を治める貴族でもあるようだ。
「お見苦しい所を晒してしまいましたな。改めてようこそおいで下さりました、姫様、そして勇者様方」
バルグントさんは涙を拭きながら僕達に丁寧なお辞儀をすると、顔を上げて微笑んだ。
「バルグント。その姫様というのを止めないか。今の私は一冒険者に過ぎないのだぞ?」
バルグントさんの言葉にシェーデは困ったように眉を下げるが、バルグントさんは首を振ると力強く反論した。
「何を仰いますかッ! 貴女様は我ら騎士の誇り! 貴女様の帰還を、我らの民達が望んでいるのですッ! どうか姫様! 王位を継承し、ゼルシアラ王国再興をッ!」
バルグントさんの声に騎士達も揃って声を上げる。
どうやらこのバルグントさんと騎士達は、シェーデの帰還を願っていたようだ。
だが、シェーデは沸き立つ騎士達を片手を上げて静止させて静寂に導くと、静かに口を開いた。
「皆の気持ちはありがたい。……だが、まだ私の戦いは終わっていないのだ。その戦いを終えた暁には、必ず国を再興することを約束するよ。それまで、待っていて欲しい。頼めるか?」
シェーデの言葉にバルグントさんは一瞬顔を曇らせたものの、すぐに明るい表情に変わる。
「……御意に。それが姫様のご意思であらせられるのならばッ!」
バルグントさんは深々と頭を下げると、騎士達もそれに習った。
「……ありがとう。ではまず彼らに部屋を用意してやってくれ」
シェーデがそう伝えると、バルグントさんは嬉しそうに頷くのだった――。
それから僕達はバルグントさんの厚意に甘え、カイゼル邸の一室を借りて、しばしの休息を取ることにした。
シェーデはその間、バルグントさんに旅の行先を伝え、物資の補給などの協力をお願いしてくれるそうだ。
僕は宛てがわれた立派な部屋で、ベッドに身を横たえると、すぐに睡魔に襲われて眠りに落ちていった……。




