Ep.345 Side.S 灯火に風が吹く
過去編第3章の開幕です!
よろしくお願いします〜(*´ω`*)
亡者平原の戦場にて、魔族幹部ベリアルただ一人の為に潰走させられた黎明軍は皆散り散りになった。
チギリ師匠の命で先行して撤退していた私達フェッティ隊は、あれから混乱する味方の部隊を助けながら合流地点を目指した。
そして夜通し後退を続けてようやく合流地点に辿り着いた頃には皆疲労困憊であったが、出来うる限りの魔物からの防衛線を構築し、負傷者の治療をしながら仲間の到着を待っていた。
やがて仲間を引き連れたアスカさんが到着すると、彼女もまた休む間もなく指示を飛ばして防御陣を築き上げ、後方待機している部隊と連絡を取っていた。
私達も他の仲間の受け入れをしつつ、魔物の襲来に警戒する。
そしてやってきた部隊に見知った顔を見掛ける度安堵し、その部隊の中に居るはずの顔が居ないのに気付く度、悲しみが棘となって私の胸を突き刺した。
……その痛みを感じているのは私だけではなく、この合流地点の雰囲気は重く暗く沈みきって、誰もが押し黙るばかりだった。
善戦して上がった士気が、ベリアル一人の存在で圧倒的なまでの差を見せ付けられ、見るも無惨に萎えきっていた。
多くの仲間を失い、私達フェッティ中隊も全員がここに辿り着くことは出来なかった……。パーティ全員が無事なのは、フェッティ中隊の中では私達希望の黎明と、フェッティさんの夜の杯くらい。
魔族幹部の力が、ここまで強大だとは……。
戦場にいた者全ての兵に刻み込まれた、魔族幹部の恐ろしい力。歴然とした力の差を。
皆思っている。どれだけ後退し防衛陣を築こうとも、また幹部が来てしまったら焼け石に水であり、ここに防衛陣を築くことに何の意味もないと。
陣内は既に諦観の様相が充満している。士気は皆無に等しく、中には自棄になる人もいて、その暗い感情は伝染していった。
今この場を懸命に繋ぎ止め、指揮しているアスカさんの瞳の奥にすら、まだ諦めてはいないものの、焦りのようなものが浮かんでいるのが私には分かる。
それでも彼女は皆を励まし続けていた。それは師匠やアスカさん達にしか知らない、使命があったから。
勇者クサビと共にあった者達にしか知らない使命が。
魔族幹部の目を黎明軍に向けさせることが隠された本来の目的であった。現にベリアルは勇者を……クサビを探していた。
幹部と対峙する事、それ自体はチギリ師匠が思い描いていた思惑通りとして、作戦の真の目的は達成されたのだろう。おそらく、亡者平原での戦いはこちらが敗北すると想定すらしていたのではないだろうか。
そこまでは私の頭では分からないけれど……。
ともかく、きっとこの状況は織り込み済みなんだ。そう思うことで私は前を向く気力を辛うじて繋ぎ止めていた。
でもこの甚大な被害の前では、私はとても成功とは思えなかった。この惨状はあまりにも……。
師匠にはここから巻き返す策が本当にあるのだろうか……。いや、なければ困る。でなければ戦場で亡くなった仲間達は無駄死にになってしまう。
しかし当の発案者である師匠が戻ってこない。
……あの人が居なくなってしまったら、私達はどうすればいいのか分からない……。
そう心に影を落とした私は、魔術で作った簡易的な防壁の上に立って、戦場の方角を不安気に眺めては師の姿を渇望するのだった…………。
「――サヤちゃん、ここにいたのね。見張りはやっているから、休んでちょうだい」
いつまでそうしていただろう。不意に声を掛けられ振り返ると、フェッティさんが防壁の上までやって来ていた。
いつも笑顔を絶やさない彼女の表情にも疲労が見えて、声もいつもよりも低く張りがなかった。
「でも、落ち着かなくて……。きっと眠れませんから……」
「気持ちは分かるわ。でも眠れなくても横にはなりなさい。いざと言う時私達がここを守るのよ」
「……はい」
フェッティさんに諭され、私は素直に頷き彼女に従う。
……そうだ、私だけじゃなく皆だって疲れてるんだ。少しでも休める時に休まなくちゃいけない。
「マルシェ達にも声を掛けておいたから、テントに皆居るはずよ。さあ、行ってらっしゃい!」
「……はい、ありがとうございますっ」
フェッティさんは私に微笑んで促す。
私はその優しさに甘えて仲間がいるテントに入る。
「ん。さぁや」
ウィニが私に気付いてこちらを向く。狭いテントの中で腰を下ろして休む彼女の猫耳はすっかりしゅんとしてしまっていて、酷く疲れた様子だ。
横に視線をちらと移すと、寝かせたハルバードに片手を添え、装備を着たまま腰掛けて項垂れるようにラシードは眠りについていた。
ウィニはそんなラシードに寄りかかっている。その逆隣にはマルシェが静かに眠っていた。
皆装備を装着したままで、突然の魔物の襲撃に備えながらの休息だ。
「ウィニ、眠れないの?」
私はマルシェの隣に腰掛けてウィニに声を掛けると、彼女はこくんと頷いた。
いつもマイペースなウィニも、かなり堪えているのね……。
私も同じ気持ちだし、ウィニが落ち込む気持ちは良くわかる。
だから慰めの言葉は掛けられず、ただ黙ってウィニを見つめるしかなかった。
「ししょおたち……帰ってこないから……心配……」
ウィニは俯いてぽつりぽつりと話す。
チギリ師匠やナタクさん、裂海の人達は殿となってベリアルを食い止めてくれた。
最も死に近い位置にいた人達の帰りを待つ不安は、ウィニの心を重くしているんだろう。
「そうね……。でもきっと大丈夫よ。師匠も、ナタクさんも、ラムザッドさんだってきっと生きてるわ……っ。私はそう信じてる」
私は月並みな言葉しか出てこない自分に無力さを感じながらも、ウィニを励ます為に気丈に振る舞う。
ウィニは顔を上げてじっと私を見つめた後頷いて、私におずおずと片手を伸ばしてきた。
私はウィニの小さな手を取り、温もりが伝わるようにと強く握った。きっとウィニは温もりが欲しいんだと思ったから……。
……握り返してくるウィニの手も、温かかった。
「……ありがと、さぁや。すこし安心した」
……こちらこそよ。手の温もりに救われているのは私も同じだから。
と心の中で呟いて、私はただ頷いた。
するとウィニは安心からか、急に睡魔に襲われたように頭を垂らし、眠りに落ちていった。
それを見届けた私も、眠れそうな気がして皆と同じように、ゆっくりと目を閉じる。
仲間の温もりを感じていると、微睡みが包んでいき私は眠りに落ちていった……。
……外の騒がしさで目を覚ます。
――――魔物っ!?
そう思い私は咄嗟に頭を覚醒させて刀を手に取り飛び起きて、急いでテントの外に出て防壁へと駆け出した!
……だが走りながら周囲の様子を探ってみると、その喧騒は戦闘の類いのものでは無いことに気付く。
防壁の方で一部の冒険者が声を上げているようだ。
「何が起きた! 敵か!?」
飛び出した私を追ってラシード達も駆けてきていた。
「どうもそうでは無いみたい! とにかく行ってみましょ!」
そして私達は防壁に辿り着くと、そこには数名の冒険者に混じってアスカさんの姿が見えた。
彼女は防壁の上に立ち、前方を注視していて、目には涙を溜めていた。
……私は彼女の視線の先を追う――。
「――ッ! ――師匠ッ!!」
そこには、負傷したのか左手をだらんとぶらつかせ、杖を支えに立ち、ボロボロの様相でこちらに近づいてくる、黒いローブ姿の紫髪の人影だった。
見まごうはずも無い。あの姿はチギリ師匠以外にありえない!
魔術師である師匠が自身を治癒する余裕も無いほどに魔力が枯渇しているのだろう。今にも倒れそうだ。
師匠の帰還に周囲は騒めき、アスカさんはそこから飛び降りて師匠の元へ文字通り飛んで行き、倒れそうな彼女を抱きしめる。
私達も防壁の外へ出て師匠達に駆け出した。
私は師匠の姿に涙が溢れてきた。
師匠が生きているという事実に、安堵で力が抜けるのを感じた。
……よかった……!
そして師匠の元へ駆け寄る私と仲間達だったが、師匠は傷だらけで顔は憔悴しきっていて、その表情に私は思わず足を止めていた。
「師匠……よくごぶ……じ……で…………」
私は何か大きな違和感を感じて、言葉を途切れさせてしまう。
そしてそこに来てようやく気付いた。辿り着いたのが師匠ただ一人であることに。
師匠が生きて帰ってきてくれて嬉しい。嬉しいが……それだけで安堵してはいけなかったのだ。
……私は意を決して口を開く。
「師匠……他の人達は…………」
私が零した言葉に、師匠がキッと顔を上げる。その瞳の奥に渦巻く無念と悲哀、悔恨の念に、私は言葉を失った……。
そして師匠はアスカさんの目を真っ直ぐ見据えて声を震わせながら紡いでいった。
「……報告する。……我らは魔族幹部ベリアルと交戦……。結果……ッ! シン・ウォーロード以下裂海メンバーは全滅ッ……。…………ナタク・ホオズキ……戦死ッ……!」
「「「――――――――」」」
その瞬間、周囲の空気が凍りついた。喜びが一瞬で吹き飛んだ。
誰もが口を噤んでしまったかのように私達は立ち尽くしてしまう。
ナタクさんが……? そんな……。ナタクさんがそんな簡単に死ぬはずがない……。そんな筈ないわ……!
私にとってチギリ師匠が生き延びる為の師匠だとするならば、ナタクさんは剣術の師匠だ。
まだ失っちゃいけない人だ……!
「……彼らの決死の行動でベリアルに痛手を負わせ、我は生き延びた……ッ! …………彼らの、いや、戦場に散った数多の命を、決して無駄にはしないッ!」
師匠の心の底から震えるような悲壮な叫びが響く。
……それは私の耳に届くが、理解は追い付かず、脳に浸透せず、ただ空しく反響していた……。
「……承知……致しましたわ……っ。…………チギリ……とにかく休んでください……っ」
「すまな……い…………」
力尽きたのか、ふらりと崩れ落ちたチギリ師匠をアスカさんがしっかりと抱き止める。
その時、アスカさんは一度目を伏せると、戦場の方角を睨み、瞳に再び魔族への闘志の炎が宿るのが見えた……。
だけど私達は、身近な人の死にただ呆然とし続けたのだった……。




