Ep.339 Side.C 敗走
我は瞬く間に崩壊した左右の砦に視線を移しながら戦慄する。
……魔族幹部の力を見誤っていた。
まさか個の単位でこれ程までの力を有しているとは。
熾烈な攻防を展開した数日間の戦況が、ただ一人の魔族によって覆されたのだ。
悪辣な魔族の考えそうな事だ。奴にとってはいつでも盤上を引っくり返す事は容易い。
我らに力の差を見せつけんばかりに、ベリアルはまるで娯楽に興じるかのように戦場に舞い降りたのだ。
……何故そのような真似をするのか? 決まっている。
我ら人類が絶望する様を見る為だ。
縦横無尽たる猛威を振るうベリアルの独壇場の前で、事ここに至っては、もはや亡者平原は戦場ではない。
……魔族による蹂躙の場だ。
このままでは、為す術なく全滅だ……!
黎明軍の部隊も帝国兵も、なりふり構わず踵を返して逃げるも魔物の群れが迫り、一人、また一人と命を散らしていく。
「くっ……ッ! ――全軍脱兎の如く亡者平原から離脱しろッ!」
最早指揮系統が維持されぬ中で我は全軍に撤退指示を飛ばすのみ。
しかし言霊返しからの返答はまばらで、各部隊の安否すら把握できない状況だった。
奴がこちらにやってくる前に、少しでも距離を稼がねば。
我は撤退しつつ周囲を見回す。
姿が確認出来るのは、中央戦線を担当していたアスカやナタクの中隊に、シンを含む我が中隊。そしてフェッティの部隊だ。その中には弟子のサヤ、ウィニ、ラシード、マルシェの無事も確認できた。
彼らの中隊メンバーの中の何名かは姿が見えなかった。
……おそらく、既に――。
……その時だった。
「……チギリッ! 撤退中の斥候部隊より伝達ですわ! 右翼砦が崩壊! ……生存者確認出来ず……っ!」
「――全滅した……のか……ッ」
切羽詰まった様子のアスカがもたらした情報は、絶望的状況であることを表しており、アスカの顔には絶望が張り付いていた。
右翼戦線にはゾフィアーダ中隊と……ラムザッド中隊が居たはずだ……!
「……ラムザッド……」
これまで死線を共に潜り抜けて来た仲間の名を口にしたとき、我の視界が歪んだ気がした――。
――いや、今は感傷している場合ではない!
それに既に戦線を離脱した可能性もある。
……それに賭けるしかあるまい。
「チギリ師匠! このままでは魔物に追いつかれますっ!」
サヤが我の隣を並走して、焦りを孕んだ叫びを上げた。
勇者の仲間であるサヤ達は人類にとっての希望だ。
ここで果てさせる訳にはいかない。
そこにナタクが我のもとに追いつく。そして彼は覚悟を秘めた眼差しで我に意志を投げ掛けた。
「某が殿になろうぞ。魔物の相手は任せるでござる」
「ならば『裂海』もお供致しましょう」
ナタクの覚悟に続く意志を見せたのはシンだ。これまで我の護衛を主に務めたが、ここでもその役目を全うしようというのか。
この状況での殿が、自身にどのような結果をもたらすか理解出来ぬ彼らではあるまい。
待つのは死。
その自己犠牲の末に犬死という誉れ無き死を辿るやもしれん。
それでも裂海のメンバーの眼差しから、シンの言は彼らの総意の様子を表していた。誇り高き東方の武士であるナタクも同様だ。
……我は非情に彼らをここで切り捨てる覚悟を決めた後、感謝の意を込めて頷き、我自身の死を覚悟する。
そしてサヤを見つめ、平静を保ちつつ言葉を紡いだ。
「サヤ、アスカ。君達は先に離脱しろ」
「…………っ」
我の言葉にサヤは目を見開き、アスカは心痛な面持ちで俯くと、我を見据えて頷いて葛藤を払った。
「――そんな! 師匠より先に逃げるなんてできませんっ! 総大将なんですよ!?」
「誤解するなサヤ。我は死にに行くつもりなどではないさ。……そうか。ならばフェッティ中隊に指令を与える。アスカ隊と共にこの先の合流地点までに、はぐれた仲間が居たら一人でも多く助力せよ!」
我はそんなサヤを尻目にフェッティに向き直り、彼女に指令を下す。
「……わかったわ! ――サヤちゃん! 皆! 行くわよ!」
「でも……」
フェッティの部隊員が先行するべく速度を上げ、フェッティとマルシェ達希望の黎明が、尚も渋るサヤに速度を合わせて先行を促していた。
そこにナタクがサヤに向けて穏やかに言葉を投げ掛けた。
「サヤ。ここは某に任せよ。其方らの行動が、多くの命を死から救えよう。其方達にしか頼める者は居らぬ。……また後程会おうぞ」
「……ナタクさん……」
サヤは悲壮な顔を浮かべ、ナタクを見つめつつ頷いて走り出す。
「師匠、ナタクさん……! 先の合流地点で待ちますっ! ご武運を!」
「……ああ」
サヤの健気な姿を認めると共に、我は心中密かに決意したのだった。
「……チギリ、ナタク。約束してくださいまし。必ず合流を果たすと」
真剣な眼差しのアスカが我らに告げる。その瞳からは懇願の意が我の胸を打つ。
「……ああ。また会おう」
「天命がそれを望むならば、また」
アスカは我らの言葉に頷くと、隊に指示を飛ばして戦線を離脱していった。
サヤ達は速度を上げて先行していく。
我はそれを見届けると、ナタクに向き直り苦笑した。
「すまない、ナタク。損な役回りをさせたな」
「なんの。某、己の死に場所を此処に定めたり。されどチギリ殿、其方をここで散らせはせんでござるよ」
「……ならば共に最後まで生き足掻こうじゃないか」
ナタクが真剣な面持ちで我を見据えて頷き、その覚悟の眼差しを受け止めるとともに、我は胸中で感謝を述べた。
……これで準備は整った。
我らは目配せして頷き合った後、魔物の群れに向かって踵を返し、武器を構え直した!
「この程度の魔物なぞ雑兵にも劣るというもの! 参る!」
「私達も続きます! 行くぞッ!」
ナタクとシン率いる裂海のメンバーが地を蹴り、魔物の群れへ突っ込んでいった。
我は杖を振り、魔物の軍勢の頭上に雷雲を発生させ、雷撃を浴びせる。
雷光が魔物の軍勢を襲い、一筋の閃光が駆け抜けていく。
その稲妻の直撃を受けた魔物は為す術なく黒塵へと化していく。
しかしそこに絶えず殺到する魔物の群れ。もはや追いすがるのは屈強な魔物ばかりである。
ハイゴブリン、甲冑骸が多数に、中には巨人のサイクロプスも猛然と迫り来る。
重厚な鎧を見に纏ったハイゴブリンの集団を正面から応戦するナタク。
魔物の攻撃を躱し、いなし、受け流して流れるような太刀捌きで確実に敵を屠っていく。
そこに飛び込んだのは裂海のリーダー、シン・ウォーロードとその仲間が見事な連携でゴブリンの群れを駆逐していく。
我はその勇姿を目に焼き付けた。
皆を救う為、自己犠牲のもと力を振るう彼らの名を忘れはしない。
――そう誓うと共に、我は死力を尽くして杖を振るうのだった。




