Ep.152 Side.C 大海原へ
東方部族連合最北端の港街『ラダラット』
オリアス部族領に属し、港だけあって漁業が盛んな街であったが、昨今では魔王復活の折り海からやってくる魔物の被害が相次ぎ、安全に海に出る事も困難となっていた。
新鮮な魚を求めて賑わう卸売場も今では閑散としている。まったく、嘆かわしい事だ。
東方部族連合を取り仕切る代表3人の部族長、耳長人のアスカ・エルフィーネ
獣人族代表にして黒虎族のラムザッド・アーガイル
そして人間族代表のナタク・ホオズキ
その錚々たる顔ぶれに我を加えた4名は、海を渡りさらに北の大陸『ファーザニア共和国』を目指すべく、ラムダットで船に乗る為に来訪したのだ。
だが、魔物による被害の影響で一般のファーザニア行きの船は運行を停止しており、我々は船着場で千思万考する羽目になった。
飛翔していくにも流石の我も、大陸間の距離ともなれば骨が折れる。ましてや飛べぬ者を運びつつというのだから、飛翔案は非現実的と言えよう。
そこで我らはこの街の役所に赴き、防衛戦力を管理している防衛局に、ファーザニア共和国への船を出す旨の指示を直接行ったのだ。
このような荒業が通用するのも、この東方部族連合の武力面に権限を持っているナタクの存在があればこそだ。
些か職権濫用なのはこの際目を瞑ろう。このような所で足止めなどしていられないのだから。
――という経緯で我らは現在、東方部族連合とファーザニア共和国の間の海上を航行して1日の所にいた。
この軍船を出港させるのに1日を要したが、なんの前触れもなく最大権力者が3人揃ってやってきて、突然船を出せなどと言われての事であったのだから、迅速な準備であった方だろうな。
しかし、この3人が来た時の防衛局の責任者の顔と言ったら愉快であったが同時に不憫な事をしたと、同情の念を禁じ得ない。
軽快に海を航行する軍船は船員25名で運用される、戦闘能力を持つ全長30メートルの帆船だ。
この船を指揮する船長の下にそれを補佐する副長や航海士、非常時に対応する海兵、船員の体調を管理する船医や料理長など、比較的小型な船ながらも人材は充実している。
「ナタク殿、このまま順調に進めば今日の夕方頃にはファーザニアの大陸が見えてくるでしょう」
「了解でござる。船長、突然の打診であったにも関わらず迅速な対応、まっこと、感謝申し上げるでござる」
艦橋で進行方向を眺めながら会話していたナタクと船長だったが、ナタクが丁寧なお辞儀で感謝の意を示し、船長は恐れ多いと畏まっている。
そんな様子を退屈そうに眺めていたラムザッドは、右舷側の船縁から海上に振り向き、頬杖を付きながら溜息を吐いた。
「はぁァ……。暇だぜ。最近狩りもしてねェんで体が疼いちまってンぜ……。狩りがしてェ…………」
「まぁっ! 野蛮ですこと! そんな事言って魔物が出たらどうしますの?」
「うるせェよ! 獣人族は血の気が多いンだよ!」
此方は暇を持て余したラムザッドと、大袈裟な反応で揶揄う気満載のアスカだ。到着まで何もすることが無いというのは退屈なのは同意だな。
「そんなに暇なら、わたくしがお話相手になって差し上げてもよろしくてよ〜?」
「丁重にお断りだッ! ……たく! ……チギリ、コイツの相手してくれや! うぜェったらねえ!」
暇なのはアスカも同様のようで、暇つぶしにラムザッドを弄んで楽しんでいる。もちろん我はそれを傍観して楽しむのだ。すまんな、ラムザッド。
「ま、まあ……! そ、そんな事言われたら……わたくし……わたくし……しくしくしくしく」
「おや、泣かせた」
「ち、ちげーよッ! ……オメエも分かりきった嘘泣きしてんじゃねェ! …………お、おい…………マジで泣いてんのか……!?」
明らかな空泣だが、ラムザッドは本気でオロオロし出して途方に暮れていた。困り果てて垂れた耳はまるで大きな黒猫のようで、揶揄いたくなるアスカの心情が理解できるな。ふふ、黒虎の長は見掛けに寄らず純なのだな。
「おー、よしよし。ラムザッド……淑女を泣かすとは戴けないぞ…………」
非常に愉快故に、我もアスカの悪ふざけに全力で便乗する。
「えーん、えーん………………ちらっ」
「わ、悪かった、俺が悪かっ…………てオイ! やっぱ嘘泣きじゃねェかこのアマァ!」
「あら! わたくし本当に悲しくなりましてよ? ……あら?」
そんな悪ふざけの最中、突然に船中に警鐘が鳴り響き、そして――
「――敵襲! 敵襲! 総員戦闘配置につけ!」
けたたましく響く警鐘と船長による全体命令の号で、辺りの船員は騒然と動き出す。
そこにナタクが艦橋の方から一跳びで此方に合流し、抜刀して叫んだ。
「各々方! クラーケンにござる! 某らも加勢しようぞッ!」
そう一喝した後ナタクは抜き身で船首へと駆け出して行った。
「ああん! ラムザッドが狩りがしたいなどとおっしゃるから〜っ!」
「お、おお俺のせいじゃねェッ!」
「無駄口はそれ迄だよ、我らも向かおうか」
そして船首にやってきた我らは臨戦態勢で気配を探る。
すでに戦闘配置に着いた兵員が周囲を警戒している。その表情は殆どの者が落ち着きなく、余裕を忘れたように戦慄していた。
実戦経験の乏しさ故に、非常事態に精神が着いてこないのだ。
水面は静かに凪いでいた。だが我の五感は確かな不気味な気配を感知している。
「――ッ! 真下だ! 何かに捕まれ!」
ラムザッドが鬼気迫る警告を放ったその時、船が大きく揺れた!
ドーンという大きな衝突音がしたと同時に激しい振動に船が傾き、悲鳴とともに何名かの船員が海に投げ出される。
そして左舷間近の水面が大きく盛り上がり、水飛沫の中からその姿を視認する!
――――コォォォォ…………ッ
水面から出ているだけでも体長5メートル以上はあろうか。そのヌメリとした体表に10本の触手を揺らめかせて獲物に狙いを定めるギョロリと覗く二つの眼球……。
海の破壊者と恐れられる魔物『クラーケン』だ。
「――被害報告せよ!」
「初撃の揺れで3名が海に投げ出されました! 2名が頭を打ち付けて行動不能です! 船体への損害軽微!」
「非戦闘員は救助活動を急げ! 戦闘員数名を救命班の援護に回し、他は奴を仕留めるぞ!」
船長が的確な指示を飛ばし体制を立て直さんとしている。
この事態、無理に船を出した我らにも責任があるというもの。ここでその借りを返上しようではないか。
「やってくれましたわね。さあネコちゃん! 狩りの時間ですわよ!」
「誰がネコちゃんだッ!! ……こうなりゃあのイカ野郎に八つ当たりしてやらァ!」
戦闘時でも減らず口の絶えない我が友アスカと、完全に揶揄われ担当のラムザッドは互いに戦意をクラーケンに向けて構えた。
「チギリ殿、某らも参ろうぞ」
「ああ。……海の破壊者たる所以、何程のものか確かめるとしようか!」
ナタクが刀を構え、我は魔力を練る。
見渡す限り海に囲まれた戦場で命の取り合いが開始した。




