Ep.136 エルヴァイナの夜
水の中位精霊シズクと契約を交わした日から、既に3度の夜を越えていた。
僕達はその間も順調に歩き続けて、日が傾きかける頃には眼前に大きな街が見えてきていた。
「ふぅ……。……見えた! あれがエルヴァイナ!」
一日中歩き続けた足に鞭打って踏み出した一歩の先に、白い塀で囲まれた大きな街エルヴァイナの街並みが目に写り、僕の疲労は吹き飛んだ。
「おう、そうだ! デカイだろう? この辺じゃエルヴァイナが一番都会なんだぜ」
「それならいろんな物や情報が集まりそうね!」
平原に堂々と構える白き街。その街に入るための門は4ヶ所、各方角にあり街道が先へと続いている。多くの人の往来があるからこそ発展し続けてきたのだと窺える。
遠目だから定かでは無いけど、花の都ボリージャや砂の街グラドよりも広いかもしれない。
きっと見たことの無い物もたくさんあるに違いない。
そんな期待で胸が踊った。
「ラシード、街に着いたらあの約束、果たしてもらう」
ウィニが真剣な表情でラシードを見上げて言った。
あの約束ってなんだろう? ……あ、わかった。
僕はキリッとした顔のウィニの口元から覗くよだれで全てを察した。
「わーってるって! 美味い肉料理の店に連れてってやるよ」
「ん。くるしゅーない――早く連れてけ」
一応平静を装おうとしたのか落ち着いた風に返したウィニだったが、すぐに我慢が決壊して目を爛々とさせてラシードにしがみついていた。
美味い肉料理のワードに僕のお腹も反応してしまったのは内緒だ。
「ほら、くさびんもおなか鳴ってる。早く連れてけ」
……ばらすな。
エルヴァイナの街に無事に辿り着いた僕達は宿に向かい、まず部屋を確保した。
部屋は2部屋借りた。今回からはラシードも加入したので、僕とラシード、サヤとウィニでそれぞれ相部屋だ。
その後荷物を置いて身軽になったら、僕達は揃ってウィニ待望の食事に繰り出した。
ラシードに連れられてやってきた繁華街は夜も賑わっていた。建ち並ぶ店の灯りで真っ暗な所がない程だ。
様々なお店が並んでいて、屋台から流れる食欲をそそるいい香りが鼻を擽る。
これはウィニには堪らないだろうなと思った矢先、早速フラフラとウィニの足は屋台の方へ導かれていた。
それを躊躇いもなく引っ張り戻す僕とサヤ。これまでの旅でも何度となく経験した状況で、僕達にとってはもう慣れたものだ。放っておくとウィニはあっという間に屋台の餌食なのだ。
建ち並ぶ店には食事が出来る店も多かったが、冒険に役立ちそうな道具屋や、小物などの雑貨屋も混じっていた。
昼間は手作りのアクセサリーの路店なんかもあるらしい。
だが、並んでいるのは店だけではなかった。
ボロボロの布切れを纏い、地面に突っ伏してやせ細った腕を掲げ施しを懇願する人達も所々にいた。
彼らは貧民街の物乞いで日々苦しい生活を強いられているという。日雇いにありつけたら幸運な方で、そうでなければこうして乞食紛いな事をしなければ食べていけないのだ。寝泊まりする場所も、家と呼べる大層なものではないという。
貧困層が存在するならば、それは光と闇のように富裕層も当然存在する。ここの領主はまだまともな人らしいが、酷い領主が治める街では治安も悪い。
……同じ街に暮らしているのに、どうしてこんなにも生き方が違うのだろうか。村の皆と協力して暮らしてきた僕に取っては理解できなかった。
「――着いたぜ! ここだ」
ラシードの声で思考の海から引き戻された僕は現実に立ち戻った。目の前には一件の店が建ち中から肉の焼ける匂いが漂ってくる。
「いい匂い……すんすん…………」
あ、ウィニがまた匂いに導かれてる。
「ははは! ああなるのも無理ねえわな。俺らも行こうぜ!」
店の中はお客で賑わっていた。冒険者の身なりの人や、街の人と広い客層だ。
広い店内にテーブル席が幾つも設置してあり、忙しなく料理を運ぶお店の人達が出来たての料理を配膳していた。
その内の一人が僕達に気付き、笑顔で小走りにやってくる。
「いらっしゃいませ! 4名様ですね? こちらへどうぞ!」
元気な声の女性の店員さんに席へ案内されて、丁度4人用の丸テーブル席に着く。店員さんは注文が決まったら呼ぶように笑顔で告げると忙しそうに小走りで離れていった。
「大きな食堂だね」
「こういうところはレストランって言うんだぜ」
「それよりはやく! はやく!」
目をキラキラさせたウィニが注文を急かし、皆でメニューを眺める。料理名の横にはその料理の絵が書かれていて、それすらも美味しそうに描かれていた。
どれも美味しそうで目移りしてしまうな。
「わたし、これ!」
「おっ! 豪快なのいくねえ〜。俺も決まったぜ」
「僕は……どうしようかな…………」
なんとか数ある中から2つに絞るが、どちらにしようかと唸る。
……う、ウィニの目が早くしろと言っている。
「どれで悩んでるの?」
と、サヤが顔を覗き込んだ。
「これと、これで迷ってるんだ。……どっちがいいかなぁ〜!」
どちらの料理も捨て難くて悩ましい!
そうしているとサヤがふふっと笑う。
「それなら私はこれ食べたいわ! クサビはこっちを頼んだら? 分けたらどっちも食べられるでしょ?」
「……おお、サヤ冴えてる。そうしよう!」
サヤが僕が悩んでいたうちの片方を指差して言う。
なるほど、サヤと分けるという手があったか。
サヤの食べたいものが偶然同じでよかった!
それから店員さんを呼び、料理を注文する。
ウィニはちょこんと座っていたが、しっぽは待ちきれないとばかりにフリフリとご機嫌そうだ。
「ふふっ!」
サヤが楽しそうに微笑む。料理楽しみだね。
「……いいかウィニ猫、あれがいい女ムーブだ」
「ほあー?」
ラシードがサヤの方をチラっと見て、ウィニの猫耳にそっと呟いていた。ウィニは僕と同じくまったくなんの事か分かっていない。それどころじゃないようだ。
「ちょっ……! 別にそんなんじゃないわよっ」
「ははは!」
今度はサヤが顔を赤くしながら、笑うラシードに反応している。……ん? 何の話をしているんだろ。
その後それぞれ注文した料理が運ばれてきた。
ウィニは大きな骨付き肉の塊を注文していた。ウィニの顔くらいありそうなお肉から肉汁が滴っていた。
あまりの迫力に思わず僕は唾を飲み込んだ。
僕達の料理も凄く美味しそうだ。
ラシードはお肉やチーズをパンに挟んだ大きなサンドイッチだ。赤や黄色のソースがパンから覗かせていて美味しそうだ。
僕はひき肉を捏ねて焼いた料理とパンだ。なんと鉄の皿の上に載ってやってきて、ジュージューと音を立てていた。かかった黒いソースが鉄板で熱されて、いい匂いと肉の焼ける音で心が踊った。
僕がもう一つで悩んでいてサヤが注文したのは一口サイズに切ったお肉がごろごろと入ったビーフシチューとパンのセットだ。サヤも嬉しそうな笑みを浮かべている。
「頂きます!」
手を合わせて頂く。……熱々でめちゃくちゃ美味しい……!
約一名は一心不乱だったが皆美味しそうに頬張っている。やっぱり美味しいものを皆と囲んで食べると自然と笑顔になるね。
「クサビのも美味しそうねっ……もらいっ」
「あっ」
サヤが器用にお肉を切り分けてその一切れを自分の口に運ぶ。そして、ん〜! と舌鼓。
サヤが僕のご飯を横から奪い取る。その光景に懐かしさを感じて思わず穏やかに、ふふっと笑いが漏れた。
「うふふ。クサビも懐かしいって思った?」
「まさに今思ってたところだよ」
「これからもこんな幸せが続くといいわね」
サヤが優しい表情をして見つめている。まっすぐ見つめてくるその瞳に思わず胸の鼓動が一つ跳ねた。
「ほらクサビ、私のも食べてよ。……はい、あーん」
「じ、自分で食べるからっ!」
くすくすと笑って僕を揶揄うサヤがなんだかいつもよりも可愛く見えて耳の裏が熱くなった。
そして楽しい食事の時間は過ぎ、僕達は満足気にお店を出た。熱々の料理を食べて体が熱くなっていたせいもあって、夜の街を通る風が心地よい。
「よっしゃ、飯も食ったし今日は宿に戻って休むとするか!」
「そうね! 明日はいろいろ見て回らなきゃ!」
「おなかいっぱい……」
皆で満足そうな様子でのんびり宿まで歩く。
食べたかった料理を二度楽しめた僕も大満足だった。サヤのお陰だね。
……あれ?
そこで僕は気が付いた。
もしかしてサヤ……。迷っていた僕に合わせてくれたのではないだろうか。
僕がどちらの料理も楽しめるように……?
前を歩くサヤの後ろ姿を見る。
ウィニにじゃれつかれながらも、穏やかな笑顔を咲かせているサヤの姿に、僕は高鳴る鼓動に自分の想いを再確認していた。
以前サヤの想いを聞いた事がある。
だが僕の想いはまだはっきりと告げた事はなかった。
僕は心の何処かで使命を優先すると、関係を進める事から逃げていたのかもしれない。
でも…………。
サヤ、君は……。
ずっと待っているのだろうか。僕が想いを告げるその時を。
……僕もきっとこの意気地無しをなんとかしなきゃいけないんだよな……。
「クサビー? どうしたの、行くわよ!」
「――あ、うん! 今行くよ!」
落ち着いたら真剣に考えよう……。
そう思いながらサヤ達の後に続いて歩いたのだった。




