Ep.135 夜風に吹かれて
「……大丈夫?」
ウィニが手を握りながら真っ青になって蹲る僕を覗き込んで言った。手からウィニの温もりとは違う何か熱いものが流れ込んでくる感覚がある。以前サヤにしたように、魔力を送ってくれているみたいだ。
「クサビの呼吸が落ち着いてきたみたいね、よかった……」
すると激しい目眩や吐き気が次第に治まっていき悪寒が消えたことで、僕の顔色もいつも通りに戻りつつあるようだ。僕を横で支えてくれていたサヤが安堵の声を漏らす。
「……もう大丈夫……。ウィニ、魔力をありがとうね」
「ん! これくらいなんでもない」
「サヤも助けてくれてありがとう」
「私は何もしてないわ……酔い止めの魔術とかあるなら覚えとかないとね」
などと冗談交じりに笑いながらサヤは笑顔を見せた。
「そりゃいいな! 酒も飲み放題になるじゃねーか!」
と、ラシードも加わってくる。皆には心配掛けてしまった。
そうしてようやく僕は立ち上がり、シズクの方に向き直った。
シズクは僕の魔力枯渇に心配そうな表情をしていたが、僕が微笑むと安堵したようにはにかんだ。
「契約は成った……よかったっ」
契約前と比べると少し声色に活力を感じる。
「うん。なんとか、ね……ははは。……改めてよろしく!」
僕は頭を掻きながら笑い、右手を差し出す。
「よろしくねっ……! クサビっ」
シズクが手を取ると、びしゃっとシズクの手が飛沫となって僕の顔に飛び散り僕の手をすり抜ける。
顔と手が水でびしゃびしゃになる。
「あっ……ごめんなさいっ……私、水だから濡らしてしまうわね……」
「いや、大丈夫だよ。ははは」
シズクが紅潮しながら謝り、何故か恥ずかしがっていた。
「……必要な時は、いつでも呼んで……? 次会う時は……触れても濡れないように……頑張るから……っ」
シズクは上目遣いでチラと僕を見て言う。精霊が味方してくれるのは有難い。思いがけない出会いに感謝だね。
「うん。頼りにしてるね」
「ええ……。クサビに名前を貰ったから……魔物だって倒せるの……っ。私、クサビの役に立つわ……!」
契約してから何故かずっともじもじしてるように見えるけど、実はもともとそうだったりして。
ともかく、これから頼りにさせてもらおう。
そして僕達は精霊の泉を後にしてカラッザ街道に戻ってきた。思いがけない事があったけど、気を取り直してエルヴァイナを目指すぞ!
それから僕達はしばらく街道を歩き続け、太陽はやがて大地に沈み始める。
今日はもう魔物との遭遇はなく、暗がりが広がる前に野営の準備に取り掛かる事にした。
そしてテントを設置して食事をした後、皆は思い思いの時間を過ごしていた。
ウィニは自分のしっぽを毛繕いしている。
ラシードは火に当たりながら誰の物かの手記を読んでいるようだ。表情はよく見えず読み取れなかった。
サヤは刀の手入れをしていた。刃先をじっと見て細かい刃こぼれがないか確認している。
かなり使い込まれた刀だ。刀の至る部分が傷んでいた。
僕の視線に気付いたサヤは、刀身を丁寧に磨きながら口を開く。
「そういえば、クサビの剣は全然傷んでいないのね」
そういえばそうだなと思い、僕は剣を鞘から抜いて刀身を眺めてみた。刃に沿って光が反射していく美しい刀身には傷一つ付いていなかった。
これまで激しい戦いを共にしてきたのにも関わらず、研いで来た訳でも無いのにまるで新品のように美しい。
「すごいわね。ピカピカじゃない! 一体なんの素材で造られてるのかしらね……」
実は今まで拭く事以外は手入れをした事がないのだ。
よく考えるとそれはありえない事だった。
解放の神剣は明らかにただの素材で打たれた剣じゃない。その辺りの秘密もマリスハイムに行けば分かるのだろうか。
「不思議だよね。いままで使ってきてなんの疑問も持ってなかったよ」
「いいわね〜。私のなんて、ほら見てよ! こんなにボロボロになっちゃって……」
サヤが刀をずいっと目の前に寄越してくる。
間近で見ると何処もかしこも傷だらけだった。
この刀はサヤと一緒に苦難を乗り越えてきたんだもんな……。
「エルヴァイナに着いたら新調しないといけないかもね」
「今のはどうするの?」
そう僕が何気なく尋ねると、サヤは少し寂しげな目をして刀を眺めた。ずっと使ってきた刀だもんな、きっと愛着があるはずなんだ。
「できればこの子をそのまま使いたいけど…………。それが無理ならこの刀を素材に、新しいのを打ってもらいたいかな……。それなら形は変わってもまたこの子と一緒に居られるでしょ?」
「……そうだね。きっとその刀もそうしてくれたら嬉しいかもね」
サヤは刀を納めて『うん……』と呟いて微笑む。
「クサビも、その子がいくら傷付かないからって、手入れを怠ったら駄目よ? 物にも心が宿るんだからねっ」
「わ、わかったよ」
物にも心が、かあ。サヤの優しいところはそういう思いから生まれたのかもしれない。
そうだな。もっと大切に扱おう。その方がきっとこの剣も喜ぶ。
僕はその後剣を丁寧に磨いてあげた。光に当たって煌めくその刀身が、心做しかいつもよりも綺麗に見えた。
この剣にも心があるならば、喜んでくれているといいな。
「うにゃ……。わたし眠い」
ご飯を食べて眠たくなったのか、ウィニが目を擦りながら欠伸をしている。
「先に寝ていいよ。僕が見張りするから」
「ん……。ありがと……」
よたよたと歩きながらウィニは自分のテントに入っていった。そんなに眠たかったのか……。おやすみウィニ。
「それじゃあ私も休ませてもらうわね、おやすみ」
「おやすみ。……ラシードも休んでもいいよ。見張っておくからさ」
サヤがテントに入るのを見届けて、ラシードにも声を掛ける。
ラシードは先程から読んでいた、仲間のものであろう手記をパタンと閉じる。
「ああ……。だがもうちょい起きとくわ。夜風に当たりたくてな」
「……うん」
互いに言葉を交わすでもなくしばしの沈黙が流れる。
パチパチと鳴る焚き火の音が静けさを際立たせていた。
ラシードは焚き火に薪をくべながら物思いにふけている。その様子にどうにも声を掛ける事を躊躇われる。
「……最初は親友と2人で冒険者を始めたんだよ」
ラシードは徐ろに口を開き、思い出を振り返るように語り始めた。その表情は懐かしむような、でも寂しげでもあった。
「始めたての頃なんかもう無茶ばっかやっててよお、何度死ぬかと思ったかわかんねえ」
ラシードは嘲笑いながら思い出を語ってくれた。
「ある時たまたま別のパーティと合同で行く依頼を受けてな、それで他の3人に出会った。どいつもこいつも馬鹿ばっかで、妙に意気投合しちまった」
「そうして5人でやってきたんだね」
「ああ。背中を預けあった、……自慢のダチだった」
そう言ったラシードは空を仰ぎ、溜めた想いを吐き出すように深く息を吐いた。
「人間、死ぬ時はあっという間なんだな……。積み重ねたものを惜しむ暇すら与えちゃくれなかった……!」
「………………」
「……クサビ、お前やサヤは凄いな。俺よりもしんどかっただろうに、誰かの為に行動できる、その心意気がな」
「そんな事ない……。僕やサヤだって親を殺されて村が滅ぼされた時、どうしようもないくらい憎んだよ……」
「それでも、俺にとっては眩しいのさ」
ラシードの声が震えていた。今までずっと耐えていたんだな……。
仲間を失って、どうしようも無い程の悲しみを。
胸の内に膨らんだ、狂おしいほどの寂しさを。
……自分だけが生き残り、残された者の苦しみを。
僕にもわかる。痛いほどに理解できる……。
気がつけば僕の双眸から涙がとめどなく流れて止まらなくなっていた。それを見たラシードは慌てて言葉を投げ掛ける。
「す、すまん! 嫌味に聞こえてたか!? ……あー、あれだ! 要は感謝してるって言いたくてだな……っ」
「……わかってるよ。ラシードの苦しみを考えたら、気が付いたら涙が止まらなくなってしまったんだよ……」
僕は腕で目を擦り、涙を拭く。するとラシードの穏やかな笑い声が短く響いた。
「……俺はそんなクサビだったから救われたんだぜ……。お前は間違いなく、俺の希望だ」
ラシードが大袈裟にニカッと破顔してみせた。
誰かの希望となれたという事実が、己に課した人々の希望になるという目標に一歩近づいたような気がして心が温かくなった。
僕はラシードに笑顔を返し、精一杯の返答とした。
「……へへっ。これ以上続けるとこっぱずかしくなりそうだぜ。そろそろ寝るわ! なんかあったら起こせよ」
「うん。おやすみ、ラシード」
ラシードがそそくさとテントに入っていった。
そして一人きりになったこの時間、火の様子を見ながらこれまでの旅の思い出を振り返り、出会った人達の顔を思い出しながら思いに耽る。
月明かりの下で火に当たりながら、頬を撫でる夜風の冷たさが熱くなった胸の内には心地良く、その夜は穏やかに過ぎていくのだった。




