Ep.134 名を授けること
水の精霊に案内された場所はそれほど遠くはなかった。
平原が広がる街道を外れるとそこは低地になっていて、変わった地形をしている。天変地異でもあったのかと思うほどに陥没している所もあるのだ。
精霊の住処はそんなくぼんでいる所にあった。精霊の影響を受けたのかその辺りだけ泉になっていた。
そして、その泉に複数の魔物がたむろしているのを確認した。奴らが精霊の居場所を奪った魔物か。
思ったより数が少なく、正体は5体のホブゴブリンの集団だ。ゴブリンより一回り大きく、体格は小柄な成人男性に近い。ゴブリンよりも力は遥かに強く狡猾さも持ち合わせる、油断のできない相手だ。
以前砂漠の街グラド防衛戦にて対峙した事があったが、あの時はがむしゃらで、魔族までの戦いは実はあまり覚えていない……。
ハイゴブリンが出てくるよりは数段マシな相手である事に変わりない。ここはさっさと片付けて精霊の居場所を取り戻そう。
僕達は遮蔽物に身を隠しながら様子を伺う。
泉で呑気に水遊びしている奴が2体、その近くで3体が座って下品に笑いながら談笑している。
人間みたいな行動を取るんだな……。だが奴らは魔物だ。人を見れば問答無用で命を奪いに来る獣だ、決して油断はしない。
「ウィニ、あの笑っている集団にでかいのお願い」
「ん。まかせろ」
「なら俺とクサビで水遊びしてる奴をやるか」
「うん。……でも泉の水を奴らの血で汚したくないな……」
「私も手伝う……」
「ありがとう。それじゃあ、奴らを水で泉の外まで押し出せるかな?」
「私は雨を降らせることしかできないの……。でも誰かに力を分け与える事なら……できるから……」
「それなら私が水魔術で押し出すわ。私の手伝いをしてくれる?」
「うん……貴女に付けばいいのね……」
精霊を含めた全員が意思を同じくして奇襲の段取りが固まった。後は実行あるのみ!
奇襲の為それぞれが気取られないように配置に着いた。
作戦はウィニの魔術が合図だ。
「いく」
ウィニが杖に魔力を練り込み魔術を構築していく。
僕達は飛び出す為の強化魔術を足に溜める……。
「――フレアストーム!」
僕とサヤ、ラシードは弾かれたように飛び出した!
泉で水遊びするホブゴブリンに接近する横で、たむろしていたホブゴブリンの足元からウィニの炎の竜巻が発動していた!
「……使って…………」
「ありがとう! 行くわ!」
高めに跳躍したサヤに、水の精霊が自身の魔力を送り込み、サヤの左手が青い光に包まれた。
サヤはその手をホブゴブリンへ向けて魔力を放つ。
――ブフォ!?
サヤの泉の水が突然意志を宿したかのようにうねりながら集まり、2体のホブゴブリンに牙を剥く。そしてあまりの水圧で吹っ飛ばし、泉の外へ押し出した!
「行くぞ! クサビ!」
「うん! ――はぁっ!」
僕とラシードは吹っ飛ばされて身動きもままならないホブゴブリンに距離を詰め一気に首を撥ねる。2体のホブゴブリンは為す術なく生命活動を終える。
「――1体逃げたっ」
ウィニの声に反応して、フレアストームの着弾点に視線を移すと、熱傷を負いながら逃げようとするホブゴブリンが視界に入る。
「……はっ!」
そこへ間髪入れずにサヤが瞬時に間合いに入り込み一閃!
ホブゴブリンの胴体が両断され、泉は静かになった。
周囲に気配はない。どうやら本当に5体の小集団だったようだ。
外敵の存在が居なくなり、水の精霊が泉の中央まで浮かんで移動して僕達に向き合った。
低地平原に人知れずひっそりと湧き出る泉の真ん中で、水の精霊が宙を揺蕩う。その光景はどこか物悲しさを秘めた哀愁の中に、確かな穏やかさを感じる不思議な雰囲気が漂っていた。
「ありがとう……クサビと人間たち……。私の居場所……取り戻せた……」
精霊は儚くか細い声で感謝を告げる。その声色には喜びの感情が含まれていた。居場所を取り戻せて良かった。
「良かったね。それじゃあ僕達は行くよ。また――」
「待って……っ」
踵を返そうとする僕に精霊は声に力を込めて呼び止めた。
「……恩を……返したいの……」
「と言っても、そういうつもりでやった訳じゃないしなぁ…」
と、僕は頭を掻きながら苦笑する。助けたかったから助けた。ただそれだけだったからだ。
「それなら……契約……しましょう……」
「契約?」
「そう……。我ら精霊と……人が交わす縁を……」
「契約すると、どうなるの?」
僕は突然の提案に戸惑ってしまう。そんな僕にウィニが助け舟を出した。
「精霊と契約すると召喚魔術が使える。呼び出せるようになるよ」
「召喚魔術!? すげっ」
ラシードも驚いているが、僕も聞いた事のない魔術だ。精霊と契約すると、その召喚魔術とやらで精霊をいつでも呼び出せるって事なのか……。
「クサビ……私と契約を……」
水の精霊は消え入りそうな声で提案する。いや、それはもはや提案というより懇願に近かった。
精霊から求められるのはなんだか光栄な気持ちだ。
何かの力にきっとなってくれる。ここは彼女の願いを聞き入れるべきだ。
「……わかったよ。契約を受けるよ」
「ああ……! では私に名をちょうだい……」
精霊は感激したように波立って、人型を大きく歪ませて喜んで……いるのかな?
それより名前を決めないと行けないのか。どうしよう……。うーん。
「くさびん、がんばれ」
「……え?」
名前を考えているとウィニが意味深なエールを送っていた。名前決めを頑張れって事なのだろうか。
彼女に相応しい名前はなんだろう……。僕は真剣に頭を捻りながら考える。
すると、脳裏に先程目を奪われた光景が蘇る。
晴れた平原に、草木に滴り輝く雫がキラキラと輝いて、そこに風が青々とした草花を揺らして水滴を弾いていく。そして舞ったその一滴一滴が光に照らされ輝くのだ。
「――――シズク……」
自分の中で思い浮かんだ名前を呟く。言葉にしてもしっくりきて、僕は精霊を見据えて晴れやかに告げた。
「君の名前は『シズク』だ。……どうかな?……おわぁ!」
名前を呼ぶと水の精霊は突然眩い光に包まれる。
そして、光を遮ろうと手を覆った時、僕自身も光に包まれている事に気付いた。
なんだかとても温かい。まるで人の温もりのようで安心する。
やがて光が僕と精霊の中に集束して消えていくと、水の精霊は今までに無いほどにはっきりとした声で喜びを示した。
それに加えて先程よりも姿がはっきりと見えるようになっていた。表情がちゃんとわかる。少し紅潮しながら満面の笑みを向けていた。
「シズク……! 私の名前は、シズク! クサビ、ありがとう。……そしてよろしくね」
「ああ! よろしく、シズク! …………!?」
返事をした途端、当然視界がブレて体の力が入らなくなりガクンと膝から崩れ落ちてしまった。
「ちょっ! ど、どうしたの!? クサビ!」
サヤが慌てて駆け寄り僕の体を支えてくれた。
物凄い倦怠感で上手く動かせない……。それに目眩もする。これは魔力枯渇と似た症状だった。
あああ……っ! 目の前がグルグルする!
「精霊に名前をあげて契約すると、契約主の魔力から精霊に一瞬取られる。足りなかったら失敗」
「ウィニ猫! それを早く言えよ!」
「だから言った。くさびん、がんばれって!」
「言葉足らずが過ぎるだろ!!」
なんかウィニとラシードが騒いでる……。
そ、そういうことか……! 激しい目眩に襲われているが、気絶するほど限界の魔力枯渇ではなく、その一歩手前でなんとか耐え抜いたようで、視界がグルグルして一番気持ち悪い状態だった。
「大丈夫? 横になる!?」
サヤが僕の体を支えながら心配している。
ああ……何がとは言わないけど……胃から込み上げそう…………うぷっ
……何がとはいわないけど『それ』はなんとか意地で阻止した。




