Ep.132 エルヴァイナへ
お、待っていたよ。
おやおや、今日はおもちゃの剣なんて持ち出して来たのかい? すっかり夢中だね!
おっと! こらこら振り回さないっ。危ないだろう?
……おや、謝った。そういう素直なところはそっくりだね。
あー、いやいや、なんでもないよ。……さあ、続きだね。
希望の黎明に新たな仲間が加わって、さらに賑やかになってきたね。目指すべき目的地に着々と歩み進むクサビ少年とその仲間たちの冒険は、ここからさらに過酷で刺激的なものになっていくんだ。
君好みの手に汗握る戦いもあるかもね?
ほら剣を置いて、いつものようにここに座って聞いておくれよ。
今日もいい風だ。
……さあ、続きを読むとしようか。
翌日のこと。
僕達は新たにパーティに正式に加わったラシードと共に、意気揚々とエルヴァイナに向け出発した。
道すがら談笑しながら和やかに足を進めていて、僕はつい旅慣れず周囲を過剰に警戒してピリピリしていた最初の頃がふと頭を過ぎり、思い出し笑いをしてしまった。
もちろん無警戒なわけではなく、それだけ心に余裕が出来てきたということなのだ。
まあ大体はラシードがひっきりなしに話すもんだから、どうやっても静かな旅にはならないだけなんだけど。
パーティに入って間もないラシードだが、完全にムードメーカーとしても地位を確立していた。
「――世界を見て回った中で、ファーザニアの宿が洒落てて良かったなぁ……飯も絶品でよ!」
ラシードの旅の土産話を聞いていると、うちのトラブルメーカーことウィニが猫耳をぴくぴくさせて反応した。
「ふぁーざにあ? それおいしいの?」
ご飯の話題には最速で反応する。それがウィニだ。
そんなウィニにラシードは一瞬ニヤリとした。……何か思いついたようだ。
「お? ウィニ猫気になるのか? ファーザニア共和国の飯はどれも絶品だったなあ……。特にいろんな具とバターを入れて魚と一緒に葉で包んで蒸したやつが最高だった…………」
「お、おぉぉぉ~!」
どんな料理なのか想像したのだろうウィニは、今日一番に大きな声を出しながら感動している。
想像してみたら確かに食べて見たくなる。
「た、たべたい……っ! くさびん! ふぁーざにあ! いこう!」
居ても立ってもいられないといった様子で落ち着きなく僕に詰め寄るウィニ。とりあえずよだれ拭こっか。
「いやー、残念だったなウィニ猫! ファーザニアは正反対の大陸だからすぐには行けねえんだわー」
などとラシードが悪戯っぽくウィニを揶揄う。
意地が悪いなぁラシード。ウィニは食欲の化身みたいな存在なのに。
ラシードに事実を突きつけられたウィニが目を見開いてショックを受けていた。あまりの衝撃によだれは引っ込み、その場にへたり込んでしまう。
「わたしの気持ち、もてあそばれた……」
「誤解を招く言い方すんなよ……よしよしおぉ、もっふもふ……」
へたり込むウィニを慰めるふりして、ウィニのふわふわな髪の毛を撫でると思いきや、わしゃわしゃし出すラシード。
「ぎにゃーー! 触るなーーっ!」
あ、ラシードがまた引っかかれてる。懲りないなあ。
「悪かったって……! ふわふわだったもんだからつい……」
「つーん」
すっかりご機嫌斜めなウィニに手を合わせて誤り倒すラシード。それを視界に入れないようにそっぽを向くウィニ。
ウィニの髪はそんなにふわふわなのだろうか?
ラシードの特殊な好みなのだろうか。確か巷ではそれをフェチっていうらしい。
ラシードはふわふわフェチということになるのだ。
「……ふん。わたしの髪を触っていいのは、さぁやとくさびんだけだから」
「それ俺だけダメじゃねーかよ」
歩きながら二人でやいのやいのやっているのを、僕とサヤは遠目に傍観していた。
「ねえ、あの二人、実はけっこう仲良いのかしら」
「え? あれのどこがそう見えるの……?」
サヤが小声で僕にそんなことを言ってくる。どこか楽しそうだ。
只今絶賛喧嘩中の二人を見て、どこに仲良い要素が含まれているのだろうか。
「だって、いつもならウィニ、本当に嫌だったらすぐラシードから離れて私たちの方に来るはずよ」
うーん。確かにそうかも? 何かあると僕かサヤの後ろでしがみつく事がよくあるからなぁ。
内心は本気で嫌っているわけじゃないのだろう。
ただ油断のならない相手とは思っているかもしれないが。
「ま、まあ……そうかも」
「でしょ? ふふ! あの二人がくっついたら面白いわね~」
「それは……どうなんだろうね」
サヤもなんだかんだであの二人を見て楽しんでいるようだ。チギリ師匠に似てきたんじゃなかろうか。
どうやらラシードは、エルヴァイナに着いたらウィニにご飯を奢るという約束でなんとか許してもらえたようだ。
――そんな平和なひと時がひと段落ついた頃だった。
空から滴る一雫が僕の額にポタリと落ちて、僕は上を見上げた。
するとその雫は次々と落ちてきて、あっという間に街道を濡らしていく。
「わあ! 大雨!」
僕達は荷物からフード付きのマントを取り出して羽織る。
顔が濡れるのが嫌いなウィニは深々と猫耳カバーが装飾されたフードをかぶっていた。
そして雨音が辺りの音をかき消すほどの豪雨に見舞われて、僕達は平原の真っただ中でそれを受ける他なかった。
「さっきまで晴れてたのに! 凄い勢いね!」
激しい雨音がサヤの声をかき消さんばかりだ。それほどに雨は激しく打ち付ける。
「……いや! 違うぞ! 空を見ろ!」
ラシードの焦りが混じる声に従って、僕とサヤは顔を雨に打たれながら空を見た。
「……晴れてる……っ」
そう。この大粒の雨が降り注いでいる真上の空は雲一つない綺麗な青色の空だったのだ。
「ど、どういうこと!?」
「わからない! まさか敵の攻撃なのか!?」
僕は抜剣して辺りを警戒する。
他の皆も警戒態勢に入り、注意深く周囲を見渡している。
「ウィニ! 何か気配を感じないか!?」
「まって……雨音が邪魔して…………。――む!」
ウィニが何かの気配を感知し、その方向に振り向いてウィニの宵闇の杖でその正体を指し示した。
「……いた。でもあれは……」
ウィニが指し示した先には、水溜まりが宙をふわふわと浮いていた。
目を凝らしてよく見てみると、その水溜まりは人型を形成しているようだった。
ただの水ではない。だとすれば…………。
「……水の精霊だよ。怒ってるみたい……。でも、わたしたちにじゃない……みたい」
ウィニは瞑目して精霊の気配を読み取る事に集中しながら言葉を紡ぐ。
精霊の姿が見えるということは、少なくとも中位以上の精霊ということだ。この大雨は精霊の力によるものか。
「一体何に怒ってるのかしら……」
「何か困ってるのかもしれない。話が出来るかわからないけど、行ってみよう!」
僕は言葉を言い終わる前に精霊のもとへ駆け出していた。
「あっ! クサビ! 一人で行かないで!」
心配するサヤの制止を背中に受けながら、僕は精霊に近付いていく。不思議とこの精霊は危険な事はしてこない。何故だかそんな根拠のない確信があった。
そして距離は徐々に縮まり、精霊の姿がはっきりと見えるところまでやってきた。
どこまでも透明で澄んだ水が人の姿を象っている。
全体が水そのものだが、シルエットは女性らしい曲線を形作っていた。
浮遊しながら腕を乱暴に振り上げたりして、まるでやり場のない怒りを所構わず当たり散らしているかのようだ。
この激しい雨音が怒りの叫びそのものに感じた。
精霊は何かに怒り狂っている。どうしようもない怒りを持て余しているのだ。
その苦しみにも似た怒りに、かつての自分の姿を重ねてしまう。……なんとか力になってあげられないだろうか。
僕はそんな精霊に、できる限り穏やかに声を掛けた。




