Ep.128 痛みと約束
「……ウィニ、僕が時間を稼ぐ。その間に準備を頼む!」
「あっ! くさびん!」
僕は強く床を蹴って飛び出した!
そして自分の右手を剣の刃に滑らせて自傷し、僅かに赤い血が飛ぶとシャドウヴォアが一斉に右手の傷目掛けて襲い掛かる。
その黒い群れに僕は真っ向から突っ込んだ!
「クサビーッ!!」
「くさびんッ! ……っ」
瞬く間に視界が黒に染まる。全身に強化魔術で防御しながら引き付けるのだ!
僕がつけた傷に惹かれたシャドウヴォアが互いを押しのけながら集まっていき、鋭利な腕が牙が僕の体中を突き刺し、ついばもうとしてくる。
――あああああ!! 痛い痛い痛い……!!
壮絶なまでの勢いで喰らいにかかるシャドウヴォアの群れ。
魔力を全力で防御に回しても僕の体はあらゆる傷が穿たれ、全身から血が吹き出している感覚を覚えていた。
全身に痛みが絶えず駆け巡る!
僕はひたすらに顔を守るように腕を合わせて顔を覆う姿勢で魔力を練り続けた。
この状況で命を繋いでいられるのは、守りに徹した強化魔術と、服の下に着こんだ精霊具の、絆結びの衣のお陰だった。
大量のシャドウヴォアに圧し掛かられ、体のあらゆる場所を突き刺され、噛みつかれ続ける。
突入してから何分経った? それか、もしかしたらまだ何秒も経っていないのかもしれない。
体中を襲う苦痛と恐怖に、あらゆる感覚が麻痺していた。
マズイ、意識が薄れてきた。魔力枯渇が近いんだ……!
脱出する為の魔力を練る時、防御に割く魔力が偏るだろう。そこで奴らの猛攻に僕の体が耐えられるかが賭けだ。
くっ……! もう、限界だ……!
ウィニが準備をしてくれている事を信じて、僕は防御から攻撃の為の魔力に切り替える……。
無数の傷を絶え間なく受けながら、僕は体を捻ねり決死の覚悟で力を込めた……!!
「うああああああ!!」
攻めの強化魔術を解放させながら回転し、剣を水平に斬り放った!
その瞬間、腕や足に深く何かが刺さったが気にしていられない。今はこの群れから生きて脱出する為に全力を尽くすんだ!
魔力を全力で解放してさらに回転力を上げ、血飛沫混じりの刃そのものと化す。
剣に触れた数多のシャドウヴォアが斬り裂かれるが、僕を包む黒い壁は厚く未だ抜け出せない。
血を失いすぎているのか魔力の枯渇か、朦朧とする意識の中絞り出すように魔力を込め、赤い光が刀身を覆う。
僕は回転斬りの方向を縦回転にして、赤々と輝く刃を地面に叩き付けた!
打ち付けた剣から火花が散り魔力が弾ける。火花がまるで魔力に引火したかのように燃え上がる! そしてそれは爆炎となり、周囲を巻き込んで黒い魔物の壁を吹き飛ばした!
激しい爆発音と共に僕は爆風で仲間の方へ吹き飛ばされる。
地面に打ち付けられたが結界には僅かに届かない。そこをすかさずラシードが僕を結界内に引き込んでくれた。
「――ウィニ猫今だ!」
「イレクト……ディザスターー!!」
ウィニが両手で杖を前に突き出すと宝玉が激しく輝き、通路を埋め尽くす程の破壊的な力を青い雷に宿し、この一発に全てを込めたウィニの膨大な魔力の奔流がシャドウヴォアを悉く葬っていった!
その稲妻はさらに通路を駆け巡り、奥の扉すら破壊して部屋の中をも埋めつくしていった。
部屋の奥に潜んでいたシャドウヴォアの悲鳴が反響して通路を木霊していく。
こうなればどこにも逃げ場などありはしない。
ウィニは魔力を使い果たす勢いで雷を放ち続け、魔物の断末魔が聞こえなくなった頃、イレクトディザスターはようやく収まりを見せ、杖の宝玉の輝きが失ったあと、ウィニは脱力しながら膝をついた。
血塗れの男が二人に、魔力枯渇で項垂れる女が二人。
疑いようもない満身創痍の様相を呈していた。
辺りは静まり返っている。
僕は朦朧とする意識の中、辛うじて呼吸をしていた。
体が動かない。とても寒い……。
霞んで見えるのは色を失ったモノクロの世界。僕の体から色味のない液体が流れていた。
声なのか何かの音がするけど、これがなんなのかよく分からない。
戦いは終わったのか……? 皆は無事なのか…………。
サヤは……大丈夫だろうか……?
仲間を案じる思いとは裏腹に、深い微睡みの中に揺蕩うような感覚が妙に心地よく、僕は意識の底へと沈んでいった。
……どのくらい経ったのか、僕は目を覚ました。
薄暗い石造りの天井が目に入る。そこで僕は何処にいるのかを思い出し、気を失っていた事を知る。
それに後頭部が妙に温かい。
キョロキョロと見渡すとその理由に気が付いた。
僕の頭を膝に乗せ、ぐったりと壁に体を預けながら眠っているサヤの温もりだった。
サヤの傍には空の小瓶が3本転がっている。
そうだ、僕はシャドウヴォアに突っ込んで…………。
ハッとして自分の体のあちこちに触れる。散々に喰われかけた体中の傷は見当たらず、鈍い痛みは残るものの出血をしている様子もない。
転がる小瓶を見つめながら、僕はまたサヤに無理をさせたのだと臍を噛む。
「くっ……」
体中に走る痛みに耐えながらなんとか上体を起こすと、壁に寄りかかってぐったりしていたラシードが気が付き、僕に向けて口角を上げた。
「……よう、クサビ……。お互いなんとか生きてるな……」
ラシードも治療を受けたのか、傷は塞がっていたが装備はボロボロで血濡れていた。
それは僕も同じか……。
「やあ、ラシード……。また生きて会えて嬉しいよ」
そう言って僕は笑って見せるが、動く度に痛みが走ってうまく笑えなかった。
「ん……。クサビ、目が覚めたのね。良かった……」
どうやら起こしてしまったようだ。サヤは倦怠感に苛まれながらも安堵した表情を見せた。
「サヤ、治療してくれたんだね、ありがとう……。また負担を掛けちゃったね」
「そうよ……。ラシードはともかくクサビは危険な状態だったんだから……っ」
安堵の表情が次第に崩れていくサヤは僕の手を取る。
「……もう二度とあんな真似はしないで……! お願い……っ」
サヤは弱々しくもその瞳に強い意志を込めて、今にも泣きそうな顔で僕を見つめていた。
……さっき転がった空の小瓶を見た。
魔力枯渇に陥りながらも、ラシードから貰ったポーションを全て飲み干して僕達を救ってくれたんだよな……。
もし、サヤが目の前で血塗れになって倒れていたら……。
そう考えた瞬間、サヤに対して申し訳なさがとめどなく沸き出してきてしまって、僕はサヤの手を握り返して強く頷いた。
「……わかった。もう自分を囮にするような事はしない。……約束する」
「……なら今日はこれで許してあげるわ……。肩借りるわね……」
サヤは頷くと手を握ったまま僕の肩に頭を乗せて寄りかかると、ゆっくりと目を閉じて微睡みの中へと旅立ったようだ。
サヤもかなり消耗していたからな……。無理もない。
それに僕も膝枕をして貰っていたからね、肩くらいいくらだって貸すさ。今はゆっくり休んでほしい。
そう思いながら、僕は寄りかかるサヤの頭に自身の頭を傾ける。その時サヤが手を強く握り返してきたような気がした――――
それから僕達はその場にしばらく留まって体力の回復に努め、やがて全員が動けるくらいまでは回復した。
僕もいつの間にか眠っていたようで、その間に目覚めたウィニと、比較的動けるラシードの二人で周囲に魔物の気配がないか確認してくれたそうで、ここにはもう魔物は居ないという。
隠し通路の奥の部屋から、ラシードの仲間達の遺品を二人分回収したそうだ。
これで全ての仲間の遺品を回収したラシードはやるせない表情をしつつも、迎えに来れた事で折り合いを付けられたと語っていた。
僕はラシードの心を救う事はできただろうか。
でも、それを決めるのはラシード自身なのだろう。僕は救われたと願う事しかできない。
辛くもダンジョンを攻略できた僕達は外まで戻ってきた。装備がボロボロになってしまって酷い有様だ。
「ふふ。くさびんもラシードも服が穴だらけだね」
ウィニがくすくすと肩を揺らして僕とラシードを見て笑う。
自分でも穴だらけの酷い格好なのは自覚しているが、脱ぐわけにもいかないから我慢するしかない……。
僕とラシードは顔を見合わせて苦笑する。
「……まあいつもより風通しがいいのは否めねぇわな……。だが全員で生きて出られただけで御の字じゃねーか! ……帰ろうぜ!」
ラシードの言葉に、皆はしっかりと頷いて同意した。
そうだ。命がまだここにある。その喜びを噛み締めよう……。
「そうだね! ラプタ村に帰ろう!」
僕達は街道へ向けて歩き出した。
鈍く残る痛みが、生きている実感をさらに強く感じさせると同時に仲間達への感謝の念を密かに抱いていた。




