Ep.116 項垂れた槍術士
平原の空を太陽が明るく照らしていく。
鳥達の鳴き声が新たな一日の始まりを告げる。
僕達も荷物を纏めて旅を再開させて歩き出した。
幸い昨夜は何も起きず、僕の中に芽生えた迷いと向き合う時間を取ることができた。
結局のところ、僕が選択出来ることは限られている。
危険が迫るならば、ふりかかる火の粉は払わなければならない。
守るべき人達が脅かされないように、僕は覚悟を決めるべきなのだ。
……たとえそれがやむを得ずだとしても、この手を血で汚すことになる覚悟を。
カラッザ街道を順調に進んでいく。
長閑な景色が広がる平原に朝特有の爽やかな風が頬を撫でるが、時折逆方向からの風で押し出されたりする。
気まぐれな風が吹くなと思っていると、ウィニがキョロキョロと何かの気配を捉えていた。
「風の精霊がくさびんにいたずらしてる。くさびんは、人気者だね」
そういえば前にもこんなことがあったっけ。
どうやら僕は精霊に好かれやすいようなのだ。それがいい事ばかりなのかはよく分からないけど、悪い気はしなかった。
「僕って、揶揄われやすいのかなあ」
「ふふっ! クサビがぼやっとしてるからじゃない?」
僕の素朴な疑問に、サヤが口元を押さえながら笑いさらに揶揄ってくる。心外だなーと抗議をして見せる。
「ん。くさびん、精霊にモテモテ。さぁや負けてられないね」
「せ、精霊と張り合ってどうするのよっ」
「……? サヤ、精霊を攻撃したらダメだよ」
「〜〜〜ッ! このバカクサビ!」
いてっ! ……何故かサヤにぶたれてしまった。
そんなやり取りをしながら街道を歩いていたら、前の方で街道の横で項垂れるように座っている人影を見つけた。
体格の良い若そうな男の人だ。
酷く疲れているのか、項垂れたまま微動だにしない。
怪我をしているのか、それともお腹がすいて動けない、とか……?
「あの人どうしたんだろう、お腹空いてるのかな」
「行き倒れるとは情けない。ごはんはしっかり食べないとダメ」
「ウィニ、貴女がそれを言うの……?」
渋い顔をしたウィニよりも今はあの男の人が気になるな。僕は駆け寄って声を掛けた。
「あの、大丈夫ですか……?」
近くで見ると、その男の人は槍の横にも刃が付いている、ハルバードを携え、防具は動きやすそうな胸当てを付けた冒険者風のいでたちだった。
明るめの茶髪を短く切りそろえた髪型の槍術士の男の人は満身創痍といった様子で顔を上げた。
「…………ああ、ちっとばかりしくじってしまってこのザマさ……はは」
見ると体中傷だらけだ。一体何があったのだろうか。
いや、それよりも――
「サヤ! この人を頼む!」
「……っ! ええ! 今行くわ!」
サヤも男性の様態を見て血相を変えて急いで駆け寄り、回復魔術を発動させた。
見る見るうちに傷が癒えていく。精霊具の効果もあるだろうが、サヤの回復魔術の腕もかなり上がってきていた。
「おぉ……! 神聖魔術を使えるのか……。助かったぜ、ありがとう」
男性は腕を回して自身の不調がないかを確認している。
先程より活力が戻ってきたようでよかった。
それにしてもこの男の人目が細いなあ。まるで目が開いていないみたいだ。糸目というやつかな?
「すっかり傷が治っちまった! 本当に助かった。俺はBランク冒険者『ラシード・アルデバラン』だ。アンタらも冒険者なのか?」
Bランクの冒険者ならかなりの実力者だ。こんなところで何故こんなにボロボロだったのか余計に気になる。
「はい! 僕達はDランク冒険者、希望の黎明です。僕はクサビ・ヒモロギといいます」
「そうか、Dなのか。……よろしくな!」
「私はサヤ・イナリです。こっちは――」
サヤがそこまで言ってウィニに促すと、ウィニは両手を腰に当て胸を張り、仏頂面でふんぞり返ってドヤポーズを決めた。
「おとーさんの名はソバルトボロス。おかーさんはエッダニア。猫耳族にしてカルコッタ部族に属す者。父母と故郷の名を冠すわたしの名はウィニエッダ・ソバルト・カルコッタ。天才魔術師だ。よろしく」
そうだった。ウィニの挨拶は長いんだった。
さりげなく自分のこと天才って言ってるし……。
「うお……!! 猫耳! ――うおおおモフモフだな!」
「ぎにゃーーー!」
ウィニを見たラシードさんが目を輝かせて目にも止まらぬ速さでウィニの背後に回り込み頭を撫で回していた。
流石のウィニも驚き悲鳴を上げてラシードさんの顔に縦三本の爪痕を残して距離を取り、髪としっぽを逆立てて威嚇している。
「ぐわーー!」
「フーーッ! くさびん! さぁや! こいつ敵ー!」
ウィニは僕の後ろに隠れながらラシードさんを指差して憤慨する。怒りをあらわにして猫みたいな威嚇をするウィニを初めて見たよ。
ウィニの指の先ではラシードさんが顔を押さえて地面にのたうち回っていた。これは自業自得な気がするな……。
それからなんとかウィニを落ち着かせて、僕達はラシードさんからどうしてここで項垂れていたのかを聞くことにした。
「恥ずかしい話だが、この近くのダンジョンでボコボコにされてな、命からがら逃げてきたんだ」
ラシードさんは大きな溜め息を吐いて落ち込む素振りをしてみせた。
「この辺りにダンジョンがあるんですか?」
「ああ。ここからじゃ見えないが、街道を外れて少しいくと地面がくぼんでいる場所があってな。……そこにある」
そういえばこれまで本格的なダンジョンには入ったこと無かったなあ。
冒険者登録時の説明の受け売りだけど、ダンジョンと言っても種類は多岐に渡る。
例えば魔物が住み着いて瘴気が溜まり、瘴気から生まれた魔物で溢れ、やがて巣窟と化したもの。
精霊が住み着き、長い時を経て地形が属性の影響を受け、そこでしか取れない希少な素材が取れたりする場所も存在すると聞いたことがある。
「そのダンジョンはどんなダンジョンだったんですか?」
僕は興味津々にラシードさんに問いかけた。
「力試しに……な。結果はご覧の有様だが」
ラシードさんは自虐的に、どこか影のある笑みを浮かべる。
……ちゃんとした答えを聞けなかったな。あまり触れてほしくないのかもしれない。なんだか悪いことしちゃったかな。
「そうだ、なあアンタらラプタ村に向かう所なんだよな?」
調子を取り戻したラシードさんが話題を変えて僕に問う。僕はその問いに短い返事で頷いて肯定した。
「そうか! ……ならそこまで俺も一緒に行ってもいいか? ラプタ村を拠点にしてダンジョンに来たんだ。これも何かの縁だしな! ……どうだ?」
ラシードさんが僕の肩を組んで快活な笑顔で提案した。
「道も同じですし、僕は断る理由はないですよ!」
「む! やだー!」
ウィニはさっきの一件でラシードさんに苦手意識が芽生えたようで、首を大きく横に振っている。
「ま、まあまあウィニ……? ラシードさんもきっと悪気があってやった訳じゃないと思うわよ……?」
「お、おう……。さっきは悪かった! 撫で心地が良さそうでつい!」
サヤの助け舟に乗ってラシードさんが神妙な表情でウィニに頭を下げている。
ウィニはそんなラシードさんを、眉間に皺を寄せてなんとも言えない顔をして唸り、やがて諦めたように頷いた。
「……わかった。よろしくラシード」
あ、そこは呼び捨てなんだ。てっきりあだ名で呼ぶかと思ってた。……ん? じゃあなんで僕とサヤにはあだ名呼びなんだ……?
まあ、いいか。呼ばれ慣れたしね。
ウィニの許しを得たラシードさんの表情がぱっと明るくなってガッツポーズして喜んでいる。
「よっしゃ! それじゃよろしくな!」
ラプタ村へと続く街道を、途中で出会ったラシードさんを加えて、僕達はまた歩き出した。
その時ふと、ラシードさんは街道から外れた方角を見つめ、一瞬表情が暗くなったように見えたが、すぐに明るい表情を取り戻し僕達と並んで歩みを進めるのだった。




