Ep.113 心の中にあるから
「わー。すごいはやい」
ウィニが身を乗り出して外を見ている。反応はいつものように乏しいが猫耳と尻尾はしっかりご機嫌な様子だった。
僕達は今、砂上船に乗って砂漠の街グラドを発ち、砂漠を進んでいる最中だ。お世話になった人には昨日挨拶をしておいた。
また会える日を願って、僕達は使命を果たす為の旅を再開するのだ。
甲板に出て、目に映った軽快に流れていく景色に、今までの徒歩での旅の苦労を思い出し、人類の発明というものの偉大さを痛感する。今のこの時間も、僕達にとっての束の間の休息だ。
「ウィニ、あんまり身を乗り出すと落ちるわよ」
「見てさぁや! くさびん! ここから手を伸ばすと砂がつく」
ウィニが手を広げて付着している砂をサヤに見せる。ウィニのローブや手のひらには砂はついておらず、指先にだけ砂が付いていた。
「風の精霊のおかげで砂まみれにならないのは助かるね」
砂上船には風の精霊の加護が付与されているらしく、船体を砂から防ぐ風のヴェールのようなものが包んでいるとか。
さらにそのヴェールのお陰で早く移動ができるという。
人と共存する精霊の力あってこその砂上船なんだね。精霊に感謝しないと。
ウィニがサヤにじゃれていて、サヤはその相手をしていた。
そんな二人から視線を外してふと外を流れる景色に目をやる。久しぶりにゆっくりする時間できて、僕は自分というものを考えていた。
この世界には僕の知らないことがまだまだたくさんある。
ここまでの旅の中で、新しいものを楽しみに思う気持ち、ワクワクしたり感動したりする気持ちは確かにあった。
最初の頃はそんな気持ちを『悠長なことだ、そんな暇はない』と思って、許されない感情なのだと思っていた。
だけど今はこう思う。使命を果たす為の旅だけど、それに囚われて人間らしさを忘れたくない。感動できることに素直でいたい。それもまた僕らしい旅だ。
そう思わせてくれたのはサヤとウィニと、今まで出会った素敵な人達のお陰だ。
きっと父さんと母さんも僕の考え方に頷いてくれるさ……。
「……父さん、母さん…………」
故郷の馴染みの顔を思い出し、一人黄昏ながら風を浴びる。
もう二度と会うことが叶わない人達の笑顔が脳裏をよぎる。
途端に僕の胸の奥がじくじくと痛むような感覚を覚えて胸を押さえた。
気が付けばここまでがむしゃらに進んできた。だから何もしないで居られる時間というものがなくて、逝ってしまった彼らを思って、ちゃんと祈る時間を取れなかった。
皆に会いたい。もう一度会いたい。
そう思ってしまったら、僕の足は止まってしまいそうで不安だったんだ。
でも、今はもう進み続けられる。
……父さん。
僕もあの頃に比べたらだいぶ強くなったと思うんだ。
そりゃ、父さんにはまだまだ敵わないけど、それでもこの手で誰かを少しは守れるようになったんだ。
慢心するなって言われそうだね。
安心してよ、父さん。僕も気を抜かずにもっともっと努力して強くなって、たくさんの人の為に剣を振るよ。
『誰かの為に剣を振れ』それが父さんの口癖だ。
僕もその言葉を胸に刻んでいく。見ていてくれ、父さん。
……母さん。
母さんにとって僕はだらしない息子だったかもしれない。
今だからわかる。あの頃の僕は父さんと母さんに甘えていたんだ。
そんな情けない僕にも、母さんはいつだって優しかった。
ぐうたらな僕を叱る時でも、母さんは僕を思ってくれていたんだということを、失ってから気付いたんだ。
最後の最後の瞬間まで僕を庇って守ろうとしてくれた、勇気と優しさに溢れた人だった。
きっと僕の、誰かを守りたいという気持ちは、母さん譲りなんだ。
母さんから貰ったこの気持ちをこれからも持ち続けるよ。
かつての勇者のおとぎ話では、人を助け、人の為に力を尽くした人物だったという。
似ていると思う。
これは僕が勇者の血を引いているからなのか。
いや、違う。勇者の血がどうとか関係ない。
僕が僕であるのは、父ハクサ・ヒモロギと、母ユイ・ヒモロギの子だからだと胸を張って言える。
そんな偉大な両親を持てて幸せだよ。
父さん、母さん。
僕が必ず世界を平和にしてみせるから。見守っていてほしい……。
「くさびん、遠い目をしてる」
クサビの様子の変化に気付いたウィニが、じゃれつくのをやめて心配そうにクサビを見た。
クサビは外に目を向けて空を見上げていた。
クサビから漂う悲哀の気配が、声を掛けるのを躊躇わせる。
「……何か考え事をしてるのよ。そっとしておいてあげましょ……?」
「……ん」
私はあんな物悲しそうなクサビの姿を見たのは初めてで、なんて声を掛けたらいいのかわからなかった。
でも、何を考えているのかはわかる気がした。
「……先にご飯の支度しておきましょうか」
「……だめ。くさびんも一緒」
「――あっ! ウィニ!」
そう言うとウィニはクサビに近づいていった。私も慌てて後を追う。
「くさびん」
ウィニはクサビの横顔をそうっと覗きながら声を掛ける。
「……ん? どうかした?」
ウィニの声に反応したクサビが何事もなかったかのように顔を向けた。いつものクサビに見えるけど、考え事は終わったのかしら。
「くさびん元気ない」
ウィニにはそうは見えていなかったようだ。耳が垂れて心配そうな顔を崩さない。
思えばウィニは今までも、人の感情の変化に敏感に察知していた。そういう感覚が鋭いのね。
「そうよ。一体どうしたの?」
ここまで来たらそっとしておく方がおかしい。私もクサビに言葉を投げかけた。
「あはは……。ちょっと故郷とか、両親のことを考えてた」
そんなことだろうと思った。
……でも、そうね。ここまでゆっくり考える時間なんてあんまりなかったものね……。考えちゃったら、寂しくなってしまうから、あまり考えないようにしてきた。
「……くさびんとさぁやの故郷は……」
ウィニが口ごもっている。その先を言えば悲しませてしまうと気付いたのだろう。
でも、クサビは暗くなるどころか、むしろ晴れやかな表情で返した。
「……うん。もうないんだ。でもね、いつだって心の中にあるから」
その言葉が私の胸を強く打った。
ずっと考えないようにしてきたことに不意に直面して鼓動が高鳴る。
クサビは受け入れている。悲しみも寂しさもあるだろうに。
そんなクサビを私は傍で支えると決めたじゃない。いつだって隣で同じ景色を見ると。
たとえそれが地獄の入り口であっても、隣にいると心に決めてここまで来た。
心の部分も並べなきゃ、隣にいるなんて言えない。
だから、私もそろそろ受け入れるべきなのね…………
……私はもう目を逸らさない。悲しみも寂しさも全て受け止めて、乗り越えていくんだ。
そう、いつだって心の中に思い出はあるから。
そして思い出はこれからも紡がれていくから。
私の目から一滴の涙が零れ落ちた。
弱い私はこの一滴に込めて送り出すわ。
「サヤ……?」
クサビが心配そうに見ている。
「……大丈夫よ。私も大丈夫」
私は二人に微笑んでみせる。今度は強がりじゃない、正真正銘素直な気持ちで伝えた。
「くさびんもさぁやも、家族に会えないのはつらいね……」
ウィニが俯いて想いを噛み締めるように呟いた。猫耳が元気がない。悲しんでくれているのかしら……。
それからウィニは、私とクサビの手を取って仏頂面のまま口角を上げて、ウィニなりの笑顔を見せて言う。
「でも、家族なら目の前にいるよ。もうわたしたちは家族みたいな存在だから」
「「――――ッ!」」
思いがけない言葉に、私とクサビは同時に空を見上げて目から溢れ出そうになるものを堪える。
そんな私達の手を握って、ぶんぶんと揺らしているウィニが妙に愛らしく感じる。
「ふたりとも、どうしたー?」
ウィニが揶揄うような言い方で聞いてくる。
「「砂が目に入ったんだよ(のよ)!」」
私とクサビは同時に同じ言い訳をしながら空を仰ぎ続けた。
…………砂なんて、入るわけないのにね。
こうして遅すぎた故郷との別れは、思いがけない場所で果たすことができたのであった。




