大図書館の騒動
ソフィアの回想は数時間前に遡る。
『傲慢の魔剣』について理解するなら、さらに広範囲の知識が必要だ。
そう考えたソフィアは、だんだんと大図書館の奥へと足を踏み入れていた。
「呪いと精霊の関係性……悪霊化現象……なるほど、このあたりも参考になりそうですね」
本棚に並ぶ背表紙を眺めてブツブツと呟くソフィア。
顎に手を当てて考え込む様子は真剣そのものだ。
そんな彼女の背後から、ゆっくりと近づいてくる影があった。
「こんにちは! 熱心ですね。調べ物ですか?」
突然話しかけてきた女性は、気品を感じさせる出で立ちをしていた。
対するソフィアは、慌てた様子もなく小さくお辞儀した。
「初めまして、レディ。おっしゃる通り、このあたりで調べ物です」
「あら、思ったより紳士的。異国の騎士様みたい」
冗談めかして笑った女性は、姿勢を正して改めて挨拶をした。
「初めまして。私はララ。この国では、精霊騎士の役割を拝命しています」
「……なるほど、ただならぬ気配とは思いましたがかの精霊騎士様だとは」
精霊騎士はこの世界で数少ない、精霊魔法を行使できる騎士だ。
遠い国出身のソフィアも、その姿を見たことはなくとも名前を聞いたことくらいはあった。
「実は昨日も熱心に調べている姿を見ておりまして。調べ物なら、私も力になりますよ。これでも歴史マニアとして大図書館にはそれなりに通っていますから」
「それは……大変心強いです!」
正直なところ困っていたところだ。
蔵書量が多いだけあって、大図書館で求めている書籍を見つけるのは骨が折れる。
かなり昔の書物に至っては、カテゴリーごとの分別すらロクにされていないものすらある。
最新の書籍は調べられたが、古い文献を当たるに至って手詰まり感を覚えていたところだ。
「お任せください。ちなみに、どんなことを調べているのですか?」
ソフィアはララの問いに対して淀みなく説明をした。
仲間が魔剣を持っていること。しかし彼自身はそれにあまり危機感を覚えていないこと。そのため、魔剣の全容を明かしてその危険性をハッキリさせたいこと。
「なるほど……ソフィアさんは、そのキョウさんという方を本当に大事に思っていらっしゃるのですね」
「……な、なぜそのようなことを?」
ニコニコ笑いながら言われた言葉に、ソフィアは動揺する。
「だって、そこまで一生懸命になっているじゃないですか。それに、彼について語る時のあなたの顔はそれはもう楽しそうで、輝いていましたよ」
「そ、そのようなことはないと思うのですが……!」
反論を試みるソフィアの顔は赤い。あまりにも分かりやすい様子に、ララはまたカラカラと笑った。
「アハハッ! そういうことなら、尚のこと協力させてください。他人の恋路を応援するなら、精霊様も喜んで力を貸してくださいますでしょうから」
「精霊様が、ですか?」
聞きなれない言葉を聞いたソフィアが聞き返すと、ララは少し表情を引き締めて頷いた。
「ええ。私の契約する精霊様は善なる行いを好み、悪なる行いを嫌います。我々が善を為している間は快く力を貸してくださいますが、悪を為す時にはその力は大きく減衰します」
「そうなのですか……。人間との契約に縛られるとのことでしたから、力を借りるとはもっと機械的なものかと思っていましたが」
「ご想像通りの方もいますよ。契約する精霊の性格は精霊騎士によって様々ですから。ただ、私に力を貸してくださっている精霊様は、情動に富んだ方ですから」
ソフィアにとっては彼女の言葉全てが未知の世界だった。精霊という存在と、その契約形態。
「良ければ、精霊についてもっと詳しく教えてください。書籍での勉強も勿論しますが、私はまず、あなたの話を聞いてみたいです」
その言葉を聞くと、ララは嬉しそうに笑った。
◆
「随分と奥まった場所ですね……」
「ええ。観光客の方はこのあたりは気味悪がって近づかないですね」
ララが案内した棚は、二階の最奥に存在していた。
広大な通路を案内しながら、ララが話を続ける。
「そういえば、こんな話を知っていますか? 大図書館は、一階よりも二階の方が広い、という噂です」
「外から見る感じ、一階も二階も同じ大きさに見えましたが……」
ソフィアは大図書館の外観を思い出す。石造りの壁は、概ね立方体と言えるような形状をしていた気がする。
「ええ、通常通りであればそうでしょう。けれど、大昔には空間を広げるような魔法もあった、と伝えられています。大昔の大精霊が、大図書館に少しでも多くの書物を格納するために空間拡張魔法をかけた、という伝説があるんですよ」
「へえ……」
「まあ、こんなものは二階の広さにうんざりした当時の学者の冗談だ、という説が一般的ですがね。なにせ、二階は特に入り組んでいますから」
ララが自国でよく言われる笑い話を披露すると、ソフィアは存外真面目な顔をしていた。
「空間拡張魔法……本当にそんなものがあれば、兵站などの問題が一気に解決しそうですね。荷馬車の中の空間を拡張して……いえ、それだと馬の負荷が……重量は流石に同じだと考えると……」
「あ、あの、ソフィアさん?」
思ったよりも真剣に考えこんでしまったソフィアに、ララが恐る恐る話しかける。
「ハッ……! す、すみません。知らない魔法を聞いてついつい……」
「アッハハ! いえいえ、私としては精霊魔法に興味を持ってもらって嬉しいですよ」
談笑しつつも二人は奥へと踏み入れていく。
ソフィアは周囲を興味深そうにキョロキョロと見渡していた。
そして、通路の突き当たりに存在する本棚を見て疑問の声を上げる。
「あれは……どうしてあの本には鎖が巻かれているのでしょうか?」
ソフィアがその本を取り出す。
それは異質な雰囲気の本だった。
赤い表紙には無骨な鎖が巻き付いている。
「ああ、それは『開かずの本』ですね」
「『開かずの本』、ですか……?」
ララは教師が講義する時のように人差し指をピンと立てた。
「本は知識の継承手段として使われてきました。そして知識は、悪意ある者に伝われば害をなす恐れもあります。本を読むべき人物のみに読んでもらうために考えられたのが、この鎖でした」
鎖を解く手段を持つ者だけが中身を見ることができる。
それは古代の人たちが編み出した知識の継承方法だった。
魔力を籠めて耐久力を増した鎖。無理やり破壊しようとすれば、内側の本まで傷つけてしまう恐れがある。
「けれど、今では開錠する手段が失われてしまいました。我々後世の者は歴史的価値の高い情報に触れられず大変困っているわけです。ご覧のように」
ララは芝居がかった様子で肩をすくめた。
「なるほど……」
ソフィアは話を聞きながら鎖に触れた。
ひんやりとした金属の質感。そして同時に、別の奇妙な感触が伝わってきた。
ひんやり、というよりむしろ冷え切った氷のような感触。
ソフィアはこの感触に覚えがあった。
呪われたものに触れた時と同じだ。
聖女としての役割を果たしていたソフィアは解呪の依頼なども何度かこなしてきた。
その時と同じ感触だ。
直感に任せて、ソフィアは聖女としての力を発動した。
「……え?」
パキッ、という音と共に、鎖は解かれて床へと落下した。
「あっ、私、こわして……」
「――ス、スゴい!」
歴史的遺物を破壊したかと動揺するソフィアだったが、ララの反応は思っていたものとは違った。
彼女は跳ね上がらんばかりの勢いで喜んでいた。
「『開かずの本』が開くなんて、共和国が生まれて以来の歴史的発見です! どんなことが書いてあるんだろう……! すぐに専門家を呼ばないと!」
もはやソフィアの様子などまったく眼中になくなったララは足早にその場を去って行った。
呆然とその場に立ち尽くしていると、すぐに凄まじい数の足音が聞こえてきた。
ガヤガヤという話し声と共に、十名近い学者たちが姿を現した。
「本当に『開かずの本』が?」
「本当ですって! 直接見て確かめてみてくださいよ!」
「これは……本当だ! 読める、中身が読めるぞ!」
興奮した学者たちはあっという間に本を取り囲んで議論を始めてしまった。
展開の速さについていけないソフィアの元にララが戻ってきた。その目はキラキラ輝いている。
「本当にすごいです……いったいどうやってあの鎖を開けたのですか?」
「それはその、おそらく聖魔法のスキルの影響かと……」
「なるほど! その力をどのように使ったのですか?」
「いえ、それは感覚的というか直感的なものでして」
「なるほど! それでは、その感覚というものを詳しく教えてください! どのような種類の力を発揮し、どんな風に鎖に作用させたのですか!?」
興奮した様子のララに圧倒されるソフィア。集まった学者たちの壁と、ララの熱意ある質問のせいで逃げだすことすらできそうにない。
彼女の混乱は、事態を聞きつけたヒビキが駆け付け、彼女がキョウたちを呼んでくるまで続いた。




