歴史の国へ
新章です
獣王国を出た後、首尾よく行商人の馬車と相乗りすることに成功した俺たちは、行商人の行く先の国まで同行することした。
「いやあ、最初は殺風景だなーって思った獣王国だけど、いざ離れるってなると寂しい気もするな!」
「そう? あんな国に惜しむような場所ないよ!」
「故郷に対してひどい物言いだな……」
シュカが毒気なくカラカラと笑った。多分、彼女なりの冗談なんだと思う。
故郷との別れを寂しく思う自分の気持ちを吹き飛ばすような、そんな冗談。
シュカは居場所のできた故郷を去って俺たちと共にいることを選んでくれた。
そんな風に考えると、なんだか改めてシュカを褒めないといけない気がしてきたな。
俺はすぐそばにあったシュカの頭に手を置くと、そのまま雑に撫でた。
「ふわっ!? きゅ、急になに、キョウ君!」
シュカは顔を真っ赤にしてこちらを見上げてきた。その瞳にはうっすら涙が浮かんでいるようにすら見える。
これは……抗議の意思、か?
「ああ、嫌だったか、悪い。なんか、犬を撫でるみたいな? そんな感じで撫でてた」
「……へー、そっか」
俺の返答を聞くとシュカは急に醒めた顔をしてそっぽを向いた。耳までへたっと下がっている。
そして俺の手をペッと弾く。
「女の子にそういうの気軽にやるのはどうかと思うよ。同じ男だった身としてはね」
「お、おお……」
びっくりするくらい冷たい声だった。
俺がシュカの豹変に怯えている間にも、馬車はどんどんと進んでいた。
ボコボコとした地面を走っていた馬車の揺れがだんだんと少なくなってくる。
外を見れば、整備された石畳の道にさしかかったようだ。
「なあ、道があるってことはそろそろ着くってことだよな?」
「あー……キョウ、まだ道は長いかもしれないぞ。ボクの予想が正しければ、この石畳は旧帝国の残した道、今のリブリアに続く道路だ」
「……なに、旧帝国、リブリア?」
急にヒビキがわけのわからない単語を連発し始めて困惑する。
おい、俺でも分かる言葉で話してくれ。
「あら、たしかに言われてみればそうかもしれないですね」
ヒビキの言葉を聞いたソフィアが納得したように頷く。どうやら彼女には今ので伝わったみたいだ。
俺はこっそりとシュカに聞く。
「なあ、なんの話が分かるか?」
「知らないよ……というか、近すぎ。離れて」
シュカはまだ怒っているらしく、俺の体をグイグイと押し返してきた。痛い。
「キョウ。リブリアっていうのはリブリア共和国、つまり今から向かう国のことだ。その領土の周辺には、その前身である旧リヌマリア帝国の築いた莫大な道がある」
俺たちの様子を見かねたヒビキは、眼鏡をクイッと上げると説明を始めた。
「旧リヌマリア帝国は周辺国家に次々と侵略戦争を仕掛けて領土を拡大していた。その過程で、荷馬車の通れる道を次々と整備していったんだ。帝国が滅んだ後でもその道は残っている。……キョウなら、『全ての道はローマに通ず』って言葉を聞いたことがあるんじゃないか?」
「……?」
ヒビキの問いかけに首をかしげると、彼女は肩をすくめてため息をついた。
「いや、お前に期待したボクが馬鹿だった……」
「ヒビキさんが丁寧に説明してくださったように、旧リヌマリア帝国の敷いた石畳は広大なことで有名です。目的地に着くのは、もうしばらくかかるかもしれませんよ」
ヒビキとソフィアの説明通り、石畳はしばらく続いていた。
椅子が揺れなくなったので、随分と快適になった。
こうしていると整備された道の有難さを感じる。
理由はどうあれ、道を造った先人に感謝だ。
概ね二時間程度すると建物が目立つようになってきて、都市部に入ってきたのが分かる。
石造りの建物が中心の、古風な街並みだ。
「なるほど、これが噂に聞くリブリアですか……壮観ですね」
「ソフィアも見るのは初めてなのか?」
「ええ。こちらの方の地域には縁がなかったので」
普段は落ち着いた様子のソフィアはやや高揚しているように見えた。
先ほどの説明を聞いた感じ、この世界では有名な観光名所のようなものだろう。
「おい見えるかキョウ! あれが噂に名高いシュルツの橋だぞ!」
「お、おう……」
ヒビキが何やら興奮しているが、彼女が指差しているものが何か分からない。
俺が生返事をすると、ヒビキは鼻息荒く説明を始めた。
「シュルツの橋といえば、歴史の転換点に何度もなった交通の要所だ。ここを越えればリヌマリア帝国までは一直線だ。特に有名なのは――」
「分かった、分かったから! ちょっと離れろ!」
興奮したヒビキはズイと俺の顔を覗き込んでいた。話すたびにどんどん近づいてきて、今では彼女の眼鏡が俺の頬に触れていた。
まるで今からキスでもするかのようだ。
そんな状況にようやく気づいたらしく、顔を赤くしたヒビキがサッと離れる。
「わ、悪い」
「あ、ああ……」
そんなに照れられると、こっちも気まずい。
ヒビキは少し潤んだ瞳でこちらをチラチラと見ていた。
顔だけは正統派美少女である彼女にそんなことをされると普通に絵になるのでやめて欲しい。
ヒビキは仕切り直すようにオホンと咳払いをすると話を続けた。
「と、とにかく。リブリアっていう国はこんな歴史的に重要な建物や場所が沢山存在している国なんだ。そして、それらの歴史を記録した貴重な歴史書が収められている大図書館が特に有名だ」
「へえ……」
ヒビキの興奮具合を見るに、どうやらそれはすごいことらしい。
行商人の馬車は、リブリア共和国の内部まで入って止まった。
どうやら彼はこの国で商売をするようだ。
俺たちは駄賃を払って彼と別れる。無口だけどいい人だったな。
「まずは人の集まる場所に行って聞き込みをしよう。周辺での魔王の噂なんかが聞けるかもしれない」
ヒビキの提案を聞いて、人通りの多い道を歩き出す。
とはいえ、知らない国では話を聞くのも一苦労だ。
獣王国のように見た目だけでジロジロ見られることはないが、いきなり気さくに話しかけてくるような人間もいない。
見た感じ、この国では来訪者は珍しくないようだ。
おそらく観光客と思われる格好の人を多く見かけた。
それに、来る時に世話になった行商人のような恰好の人も沢山いる。
「さっき見た石畳のおかげで、この国は人の行き来が盛んなんだ。国土はかなり小さくなったが、市場の規模はかなり大きい。特に宝飾みたいな高級品なんかがよく取引されるらしいぞ」
「宝飾……ネックレスとか指輪とかか? ……でもなあ、そういうのはあまり興味がないんだよなあ。美味しいものとかないのか?」
「ああ、そういうのもあるらしいぞ。パスタとかな。特に魚介類を使ったものが有名って書いてあったな」
「おお、パスタ! 楽しみだな!」
そんな風に話していると、ちょうど目の前に出てきた建物に「観光案内所」と書いてあるのが見えた。開放的な建物の中には観光客らしき人が沢山いる。
他の国では見られなかった光景だ。
中に入ると、壁面いっぱいに様々な広告が貼り付けられているのが真っ先に目に入ってきた。
どうやらこの国の観光地が各々の宣伝をしているようだ。
歴史的な重みのある神殿や、充実したサービスを提供する老舗の宿屋。
見ているだけでもワクワクしてくるような光景だ。
「すみません、話を聞いていいですか?」
ヒビキが受付にいる人に話しかける。受付は二十代くらいの若い女性だった。
奇麗な顔立ちに、小さなピアスが似合っている。
そしてその指には……結婚指輪が嵌められていた。残念。
「ええ。リブリア共和国へようこそ」
「大図書館への行き方を教えて欲しいです。それから、最近このあたりで魔王の噂などがあれば教えていただきたい」
「大図書館については、ここで簡単に説明しますね」
彼女は手元から地図を取り出して、簡単に道順を説明してくれた。
ヒビキがそれにうんうんと頷いている。
俺とシュカはすっかり理解を諦めていたので、二人で案内所をグルグルと回っていた。
ヒビキに任せれば大丈夫だろう。楽しそうだし。
少しすると、魔王の噂についての話になっていた。
「軍事関係はこの国の最高権力である議会の領域です。正直、その動向は一般人には分かりかねますが……ただ、最近は騎士団が少々慌ただしいようです。何か武力を必要とする事件が起きたのかもしれません」
先ほど街並みを眺めていた感じ、獣王国のように悲壮感のある様子はなかった。
けれど、地元の人間からすると感じることもあるようだ。
「それが、魔王に関係するものだと?」
「おそらくは。この国が今更他国と戦争をするとは思えません。となると、魔物や魔王に関連した何かがあるのかと」
ヒビキの説明では、リブリア共和国は永久中立国とかなんとか言っていた気がする。
旧帝国が解体された時にそのあたりは決められたみたいだ。
「そのあたりについて聞きたいのでしたら議会や騎士団の人間に話を聞くのがいいでしょう。ただ、全員が忙しい身の上です。勇者と言えどそう簡単に合うことはできないと思います」
「なるほど……分かりました。ありがとうございます」
「ええ。楽しい旅行をお楽しみください」
ヒビキに続いて案内所を出る。
見るからに上機嫌な彼女は、すぐさま大図書館の方へとスタスタと歩き出した。




