獣王国へ迫る脅威
シュカのことがちょっと知れた日の翌日。
ここに来た目的である魔王の討伐の為に、俺たちは今回の敵がどんな姿をしているのか見学することにした。
「魔王フランチェスコは強者揃いの魔王の中でも異端の存在だ」
そんな風に語ってくれたのは、獣人たちの中で指揮官役を務めているという獣人の女性だ。
宰相を務めているという彼女、ルピナは狼の耳を持った獣人だった。
凛々しい顔立ちに、鋭い目つき。
こちらに話しかける口調はどこかとげとげしい。
「その異様さは、敵の姿を見ればすぐに分かるだろう。……お前らが怖じ気づいて逃げ出さなければいいのだが」
露悪的に言って意地悪く笑った彼女。
けれど、俺はあまり悪い印象を受けなかった。
彼女の言葉は捉え方によっては俺たちの覚悟を試しているようにも聞こえた。
「随分と喧嘩腰じゃない? どうするキョウ君、一回殴っておこうか?」
「やめてくれ……」
挑発されたと思っているシュカは既に頭に血が昇っている。今にも殴りかかりそうだ。
というか、ルピナに会った時から既に不機嫌そうだった。
なぜ?
「弱い犬ほどよく吠えるのだな。威勢のいいことを言うのは状況を把握してからにしてくれないか?」
「口だけ達者なのは臆病者の証拠かな? 狼って群れないと行動できないもんね」
険悪な空気が二人を取り巻く。
ぐるる、という唸り声が聞こえてきそうな様子だった。
お互いに相手を睨みつけるシュカとルピナ。
「これは……相性最悪みたいだな」
「まあ、優れた能力の持ち主は反発しあうこともそう珍しくないですし……」
ひそひそと話し合うヒビキとソフィア。
シュカとルピナはお互いの威嚇に夢中でそれに気づいた様子すらなかった。
俺が何か言っても状況は改善しなそうだ。
俺は諦めのため息をつくと、周りの景色を観察し始めた。
口論を続けながらも、ルピナの足はどんどんとレオロスから離れていた。
俺たちが歩いて来たのと同じ、生物の気配のない荒野を歩く。
彼女曰く、ここまで来ればいつ接敵してもおかしくないのだとか。
ルピナの纏う雰囲気が一層固くなっているのを感じる。
やがて、彼女は前方を見てピタリと止まった。
「無益な論争をしていたら早速出てきたな。――あれが私たち戦う敵、合成獣だ」
彼女が指差した先に目をこらす。
土埃を立てる何かがこちらに近づいてきている。
真っ先にソレを目にしたシュカが、息を飲んだのが分かった。
少しすると、俺の目にもソレの姿が見えるようになった。
第一印象はおぞましい化け物、だった。
犬のような顔面は異常に歪み、左目はほとんど潰れている。
ロバのような体毛に覆われた体は二足歩行。
しかし異様なまでの前傾姿勢は、四足歩行の動物を無理やり立たせたような印象を受ける。
手には刃物のように鋭い爪。
様々な動物の身体的特徴を混ぜたような歪な存在が、俺たちの前に立っていた。
「Orrrrrr……」
唸り声のようなソレは、およそ自然界で聞くことのないだろう異音だった。
ただし、その敵意は痛いほどに感じ取れる。
間合いを測るようにゆっくりと近づいてくる合成獣に相対して、ルピナはゆっくりと腰の剣を抜いた。左手には小さな盾を構える。
「孤狼剣技――ブラッドクロー」
ヒョウのようなしなやかに動いたルピナが合成獣へと突進する。
一瞬にして剣先は体毛に覆われた胴体、心臓のあたりへと突き刺さった。
鮮血が噴き出し、合成獣の体が揺れる。
――だが、敵はそこで倒れなかった。
「Orrrrr!」
心臓辺りを貫かれたはずの合成獣は、機敏な動きで爪を振り上げる。
負傷を全く感じさせない俊敏な動きは、生命の限界を超えているようにさえ見えた。
しかし、相対するルピナに動揺はなかった。
「大人しく死ね、亡者よ」
次は頭を一突き。剣先は頭部へと深く突き刺さり、合成獣はついにその場に倒れ込んだ。
「これが私たちの敵、魔王フランチェスコの『発明品』である合成獣。……唾棄すべき方法で生まれた存在、人工の獣人だ」
彼女の口調からは、激しい嫌悪感を感じ取ることができた。
◇
安全な場所まで戻ってきてから、ルピナは改めて説明をしてくれた。
「魔王フランチェスコは研究者を自称している。その目的は『最強の生物』を作ること。魔王としては極めて珍しく、自分で戦わないタイプだな。だが、軍団となった手下の強さは他の魔王と比べても精強だ」
魔王の中では手下を持つ者も少なくない。
俺たちが王国で戦った魔王ソウルドミネーターも、かつてはアンデッドの配下を何体も従えていたという。
「南部で人攫いを繰り返し人造人間を創り上げていた彼は、私たち獣人に目をつけた」
人造人間。つまり、人間を実験台に新しい生き物に作り替えていたということだろう。
そんな彼にとって、獣人は都合の良い存在だった。
獣人は獣の遺伝子を受け継いだ人間だ。その起源については古い時代に知識が失われていて、詳細は分からない。
ただ、彼らが進化の過程で獣の優れた能力を受け継いでいることは分かっている。
「スキルの遺伝についての法則性は未だに解明されていない。子どもが親のスキルを受け継ぐことがあれば、まったく受け継がないこともある。……ただし、獣人はほとんどが親のスキルを、才覚を継承する」
長年の間獣の優れた遺伝子を継承し続けてきた獣人は、おそらく優れた能力を継承する術を本能的に分かっているのだろう。
優れた才能であるスキルを受け継ぐことができる。
生物学を、遺伝子学を研究する魔王フランチェスコにとって、獣人は格好の研究対象だったのだろう。
獣王国において、彼の最悪の実験が開始された。
「遺伝ではなく『合成』、つまりは生き物を無理やり繋ぎ合わせて出来上がったのが合成獣という存在だ。魔王フランチェスコは既にこれを複数従えている。……つまり、私たちはここで敗北すれば実験材料にされて死よりも惨い結末を迎えることになる」
獣王国において、死は戦士の誉れだった。
死力を尽くした戦いの果ての名誉の死。家族に遺体を丁重に埋葬されて、葬儀が開かれる。
けれど、魔王フランチェスコに敗北した獣人にそのような幸福は認められない。
遺体は持ち去られ、新たな実験材料として使用される。
その後には祖国を侵略する尖兵として使われる。
「戦士は勝つにしろ負けるにしろ名誉ある職だった。国の為に戦い、最期は丁寧に弔われる。だが、フランチェスコとの戦いは違う。負けた戦士は改造され、祖国に刃を向ける鉄砲玉として使われる。既に士気にも影響している」
ルピナの説明を聞いた俺たちの間に沈黙が降りた。
「どうだ、怖気づいたか? 獣人だろうと人間だろうと例外なくフランチェスコの実験対象だ。……まあ、お前たちはこの国に属しているわけではないから、今から逃げ出しても誰も責めないだろう」
やはり、露悪的な物言いからはこちらに対する気遣いが感じ取れる。
彼女は俺たちの覚悟を試している。
このような状況で尚、この国を助けるのか。魔王を倒そうとするのか。
けれども。
「逃げ出さない。ここに来た時に『お願い』されたんだ。助けて欲しいって」
あの女の子は不安に思っていた。
見ず知らずの他人ではあるけれども、可愛い女の子に真剣にお願いされたのであれば俺としては応えないわけにはいかない。
どうせ難しいことなんてよく分からないんだから、理由なんてそれだけで十分だ。
「私も、キョウさんと同じです」
俺の言葉に答えるようにして言い放ったのはソフィアだ。
「助けを求める人がいました。明日を不安に思う民がいました。騎士であれば、あるいは王族であれば、それに応えないわけにはいきません」
「ここにいるのは獣人だけだ。お前の国の民ではないだろう。それでも助けるというのか?」
「民でなくとも同じ人間です」
ソフィアはハッキリした口調で断言した。
やはり、彼女の高潔な精神はこの国に来ても同じだ。
「お前はいいのか? 頭は回るほうなのだろう?」
「ボクはキョウの選択を信じる」
問われたヒビキは迷いのない口調で断言した。
「元を正せば、ボクはキョウに救ってもらった身だ。彼が誰かを助けることを止めるなんてこと、できるはずもない。……それに、キョウは中途半端に止めるより好きにやらせた方がいい結果を生むことが多いからな。長年の付き合いに基づく経験則だ」
最後の方はちょっと冗談めかして彼女は言った。
それを聞いたルピナは頷き、最後にシュカの方を向いた。
「それで、威勢の良かったお前は?」
「……もちろん、戦うに決まってる! 最強の存在を創るなんてフザけた企み、面白くないからね。魔王フランクフルト? って奴は僕がぶん殴ってあげるよ!」
「魔王フランチェスコな」
勝手に美味しそうな名前にするな。
シュカはやる気満々と言った様子で拳を鳴らしていた。
まだ空元気のようにも見えるが、怯えは見えない。
今のシュカならきっと大丈夫だろう。
「結局全員がこの国に残って戦うのか? せっかく止めてやったのに馬鹿な奴らだな」
「なんだとー! 人がせっかく力になるって言ってるのに!」
「シュカ、いちいち突っかかってたら会話が進まない」
ひとまず彼女の口を手で塞いで、俺はルピナに話の先を促した。
「それでは、早速だが1つ頼みたい。……お前たちには、敵拠点の奪取を頼みたい」




