歴史の亡霊
「──ォオオオオオ!」
真っ白な空間に雄叫びが響き渡り、火花が散る。
心象風景の中に入った後も、亡霊騎士の気迫には衰えがない。
洗練された連撃は、スキルだけに頼らない技量を磨いてきたことが読み取れる。
けれど、鍛錬を積んできたのは俺だって同じだ。
「フレーゲル剣術──ワイドカット!」
横薙ぎに剣を合わせてパリイ。剣が右側に大きく弾かれる。
予想通りだ。俺は体勢の崩れに合わせて体を捻り、左脚を蹴り上げた。
「シッ……!」
「ッ……!」
ハイキックががら空きの胴体に突き刺さり、亡霊騎士をよろめかせた。
「ハハッ! シュカの真似だったけどうまくいくもんだな!」
「野蛮な……!」
共鳴を起こして心象風景に入ってからは、戦いはわずかに俺の有利で推移していた。
剣の腕にはあまり差はない。スキルも同程度だろう。
しかし身体能力はわずかに俺が上になっている。現実世界で戦っていた時とは真逆の構図だ。
「想いと想いのぶつかり合いって聞いてたが……こうも優勢なのは不思議なもんだな」
「──憤怒の魔剣に魂を預けた亡霊騎士の精神は、実のところ脆く崩れやすいものじゃ」
俺の言葉に答えて、ツルギの声が頭に響く。
「亡霊騎士の憤怒は契約した魔剣によって増幅され、奴の精神を支配した。……ただ、それは本当の感情ではない。魔剣によって形成された偽りのもの。ならば、妾の誘いを跳ねのけて己の力で戦うあるじどのが負ける道理はない」
「……」
ツルギに「魂を差し出せ」と言われた時のことを思いだす。
あの問いに是と答えた結果が亡霊騎士で、否と答えた結果が俺だ。きっとそういうことなのだろう。
思考を巡らせながら改めて亡霊騎士に向き直る。
フルフェイスヘルムの奥の目はよく見えない。
ただその瞳は、わずかに迷いを灯しているように見えた。
「証明してやれ、あるじどの。己の傲慢は、たかが数百年の鬱憤に負けるものではないと」
亡霊騎士が再び動き出す。高々と掲げられた剣がキラリと輝き、顔面めがけて迫ってくる。
「フッ……!」
振り下ろしを受け止めると、ビリビリという衝撃が両腕に伝わってくる。
「あまり俺を愚弄するなよ……!」
「愚弄……? 最初に意味わかんない因縁つけてきたのはそっちだろうが!」
剣を無理やり弾き返して、こちらから斬りかかる。先ほどとは正反対の構図で向き合う。
コイツと剣を交えて気づいたことがある。彼の剣は洗練されたものであるが、僅かな迷いが感じられる。
「自分でも支離滅裂なこと言ってることに薄々気づいてるんじゃないのか? お前の言う復讐相手なんてとっくの昔に全員死んでるんだろ?」
「ッ……!」
剣先が揺れるのが分かった。俺は言葉を続ける。
「お前は怒りの炎に薪をくべ続けている。自らの復讐が正しいものだと信じることでな。そうでもしないと何百年も自我を保つなんてことできなかったんだろ」
それは悲しいことだと思う。ただ──
「でも、それは今を生きる俺たちには関係ない事だ。あの国には平和に暮らす人たちがいる。新しい命だって生まれる。だから、俺はお前の言葉を否定する。間違った歴史を消し去る? なるほどそれは大層な役目だ。でもそれは、罪のない人々の生活を害する理由にはならない」
「罪人の子孫が何だと言うのだ!」
亡霊騎士が吠える。
「詭弁はもう十分だ! 俺はここでお前を打ち倒し、偽りの歴史を消し去る! 祖国の無念を弔う!」
気炎を吐く亡霊騎士は体勢を変えて再度斬りかかってくる。
けれどその切っ先は、先ほどよりも遅く感じられた。
「そう言いながら、お前は自分の矛盾に薄々気づいてるんじゃないのか!?」
剣先を弾き飛ばして、ガラ空きの腹部を思い切り蹴り飛ばす。
「騎士だったってことは民を護ろうと志したんだろ? 人の幸福を願ったんじゃないのか!? それなら、歴史の修正なんて大儀を掲げようと無辜の民の虐殺なんて許容できるはずもない!」
よろよろと起き上がった亡霊騎士が俺の言葉を否定することはない。ただ無言で剣を構え直す。
「そんなあやふやな理屈で歪んだ望みを叶えるってなら、俺がお前を征服して、阻止する。歪んだ歴史だか復讐だか知らないが、過去は過去に帰りやがれ」
思い切り地を蹴って加速し、亡霊騎士に肉薄する。
剣を構える彼の動きは、随分と遅いものだった。
「せめて静かに眠ってな」
横薙ぎの一撃には、確かな手ごたえがあった。
亡霊騎士が胴体部分から真っ二つになる。鎧の中身は──空っぽの、伽藍堂だった。
甲冑が音を立てて崩れ落ちると共に、俺の頭の中には鮮烈な映像が飛び込んできた。
◆
共鳴現象とは相手の心象風景との同期だ。
深い共鳴状態になれば、相手の記憶すら垣間見ることもある。
亡霊騎士を打ち倒した俺の脳内に流れ込んできたのは、生前の彼の記憶だった。
記憶の始まりは騎士の叙任式だ。支給された剣を手にした若い彼は、使命に燃えていた。
しかし、その高揚も長くは続かなかった。
次の記憶は凄惨な戦場だった。辛うじて勝利を収めた戦場には幾多の骸が転がっている。もう何度めか分からない、帝国からの侵攻だった。
「いつになったらこの戦いは終わるんだ?」
沈痛な顔をした同僚の騎士が呟く。
騎士団長たる彼は、その責務として彼に励ましの言葉をかける。
「もう少しだ、頑張れ。俺たちが戦わなければ民を護れないだろう」
彼の頭にあったのは、故郷の家族のことだ。優しい妻。愛らしい子ども。
それら全てが侵略によって燃やし尽くされ、消えてしまったのはその数日後だった。
それからの記憶は断片的だった。
野に隠れて野草や動物を食べて飢えをしのぐ日々。復讐だけを目標に生き、しかし瘦せ細った男一人では決して太刀打ちできない相手に歯噛みする日々。
生に絶望し始めた時、その話を聞いた。
それは、帝国のプロパガンダのようなものだった。
「──このように、我が帝国は野蛮なエルドレッド王国軍を打ち倒し、民を解放した! 愚かな王族に搾取されていた国民は我々の解放を喜び、帝国の一員になることに感謝していた。嗚呼、我が帝国の正義に喝采を!」
最初、言葉の意味が分からなった。しかし、話をする男に群がる聴衆──帝国の若者たちは、感動的な物語を聞いたと言わんばかりに喜んでいる。
一方的に侵略戦争を仕掛けたのは帝国だ。王国の民を見守ってきたのは王族だ。民は帝国の侵略に命がけで抵抗していた。
その事実が、言葉一つで覆された。反論する者は滅ぼされ、隷属した。
真実は都合よく歪めれ、それが歴史として記録されていく。
彼は様々な屈辱感を受けてきたが、この時ほど怒りに体が熱くなったことはなかった。
真実すら歪められ、まるで愚者の如く歴史に刻まれる。それなら、自分たちが正しくあろうと生きてきた意味とはいったい何だったのだろうか。
その絶望を胸に抱きながら、エルドレッド王国の騎士団長だった男は死んでいった。
◆
歴史に刻まれる、か。
「あるじどの。あるじどの」
ツルギの声が頭に響く。それでようやく俺の意識は完全に元に戻った。
「これで終わったのか?」
「ああ。ただ、これはただ過去の亡霊の精神を弔っただけ。憤怒の魔剣は依然として健在。現実世界にてあの甲冑をもう一度破壊すれば、本当のおわりかのう」
「なんだよ、二回も倒さなきゃなのかよ」
ゲーム風に言えば二ゲージ目突入、ってとこか?
「しかし、ここで奴の魂を弔ったことで現実にも変化があるはずじゃ。今の奴は中身の魂のなくなった空っぽの存在。きっとあるじどのなら打ち倒せるじゃろう」
「元から空っぽだったみたいだけどな」
甲冑の中には何も入っていなかった。とうの昔に、彼の心は死んでいたのだろう。
無意識に行い続けていた魔力の集中を解除する。すると、心象風景が崩れていくのが分かった。
不思議なまでに穏やかな気持ちで、俺の意識は現実へと帰還した。




