これからもあなたの紅茶を
パーティーに来たもののダンスをする気にはなれず、誘いを断り続けるのも申し訳なくなって気分が悪くなったフリをしてバルコニーに出ました。
そこから庭園に降りれたので階段を伝い下るとバラのアーチの前に誰か立っていました。
日が暮れていたので暗くてよく見えませんが邸から零れる光でシルエットは男性だとわかりました。
「もしかして、ヴァン?」
「……よく、わかりましたね」
アーチの影から出てきたのはやはりヴァンで、さっきよりもドキドキと心臓が大きく跳ねました。
願いと変な確信があって思わず口にしてしまったのに、まさか肯定されると思わなくて驚いてしまいました。
うそ。どうして?
「戻ってきてしまいました」
バツの悪いようなしょんぼりした声に、何で?と思いながらも嬉しくて泣きそうでした。
「ご迷惑でしたか?」
「いえ……いいえ。でも、どうして?祖国に帰ったはずでしょう?」
一歩一歩近づいてくる度に心臓が跳ねて声が震えた。本当に泣いてしまいそう。
「帰ってもすることがなかったので……それに肩代わりしていただいたお金もまだ返せてませんし」
そうなのかしら。あの後父にも陛下にも聞いたけど五星院老会と繋がっている人は誰もいなかった。
国王陛下が少し意味深な表情を浮かべていたけれどヴァンの行方も本当はどんな立場の人間かもわからなかった。
わかったことは少なくとも五星院老会は敵じゃないことだけ。
帰るというヴァンに仕方ないと考えながらも、ヴァンを取られた気分になって少し面白くなかった。
その彼が帰ってきて嬉しいと思えたけど、それと同じくらい驚いていて、それからまた任務でここにいるのでは?と嫌な気持ちがわたくしの胸を刺した。
「あの、ね。ヴァン。正直に答えてほしいの」
「はい」
「あなたが帰ってしまったのは、その、わたくしが、あの方の前でちゃんと否定しなかったから……だったりする?」
「?どういうことですか?」
後悔する度にああすれば良かった。これがいけなかったんじゃないかと何度も思い返していました。
あの時ヴァンが欲しいと言う男爵令嬢の前で『ヴァンはわたくしのものよ!』と言えば帰らなかったのではないかと、そんなことを考えていたのです。
けれどわたくしとヴァンは主従関係ですし、ヴァンは執事で使用人であって物ではありません。厳密にはわたくしの執事でもありませんでしたが。
ですが執事とは言えても物のように扱うのは違うと思ってうまく言えませんでした。
けれどあの時ヴァンをちゃんと庇わず、引き離すために王子に詰め寄りました。
もしかしたらヴァンはちゃんと男爵令嬢から守ってもらいたかったのでは?と思ってしまったのです。
「あの時、わたくしがディルク様のサインをさっさと書いてもらっていればあなたを不快な想いをさせずにすんだのに……至らない主人でごめんなさい」
「アルモニカ様……」
しょんぼりと謝れば息を飲む音と一緒に目の前で挙動不審に動いた。それに誘導され視線をあげるとヴァンの視線が下がりアルモニカの前で跪いた。
「嬉しいです。その、私がいない間もずっと考えてくださっていたのですね」
「え?!……ちっ違うわよ?!そ、そんなに考えてないわ!だって、考えすぎて夜更かししたらクマができてあなたに怒られるもの!
ちゃんとスケジュールだって守っているんだから!!」
言葉にしてしまった、と顔を赤く染めた。これじゃ四六時中ヴァンのことばかり考えてるみたいじゃない!…た、確かにそうだけど!
でもちょっとは別のことを考えてたし!そのほんのちょっと!……あれ?自分で言い訳しながら困惑しているアルモニカを見つめながらヴァンは蕩けそうな顔で頬を緩めた。
手を頬にあてたアルモニカも手袋から伝わるくらい熱かった。
「その、ね。あなたがいなくて、寂しかったわ。わたくしの生活にはあなたが淹れてくれたお茶がないとダメみたいなの」
「ふっ…く」
「?ヴァン??」
「……すみません。嬉しさのあまり心臓が止まりそうになりました」
「え?!うそっ大丈夫??」
いかなり胸を押さえるし、心臓が止まりそうだなんて言うしで薄暗い中慌てふためくと、ヴァンが肩を揺らして笑っていたのでからかわれたと怒った。
ヴァンからすれば会えるかどうかもわからずここに来てぼんやりしていたら、待ち合わせもなく運命に導かれたように会いたい人と出逢えたのだ。
しかもドレスはオパルールの卒業パーティーで着た思い出のもの。
それだけでも膝から崩れ落ちそうなほど喜びにうち震えていたのにまさかの言葉まで聞いてしまい、本当に心臓が止まってしまいそうだった。
恭しくわたくしの手を取ったヴァンは薄暗い中まっすぐ見つめ、そして愛しげに微笑みました。それだけで溶けてしまいそうです。
「またあなたの執事として雇っていただけますか?」
「祖国の、あなたの仕事の方はいいの?」
「やるべきことはやったので当分はないかと。あったとしてもアルモニカ様以上に大事なことはありませんから」
ああもう。泣いてしまいそう。震える手をヴァンはそっと包み込んでくれました。
「これからもわたくしの傍に居てくれる?」
「あなたが望む限り、どこまでもお供致します」
そう言ってヴァンはわたくしの手の甲と指先にキスを落としました。それだけでわたくしは湯立ってしまいそうです。
しばらく見つめ合っているとまた誰かの従者がわたくしを探してやってきました。わたくしのお客様は、わたくしの友人を名乗っているようです。
「愛称で〝アニー〟と呼ばれる方はミクロフォーヌ様かと」
嫌な予感。
「その者の名前は?」
「パルティー・コラール様だそうです」
うわぁ、やっぱり。
内心ヒィ、と悲鳴をあげ引きつった顔で黙っていると素早く立ち上がったヴァンがアルモニカに寄り添い代わりに話してくれました。
「コラール男爵家はエクティド王国に対して数々の不敬を働いたオパルール王国の貴族だ。そしてミクロフォーヌ侯爵家を侮辱した名でもある。
そのコラール一族は裁判後全員処罰されコラール男爵家は没落。
平民でも有罪判決を受けた者がエクティド王国へ足を踏み入れることはまかりならないと国王陛下も仰っていたはずです。
なのでその『友人と名乗る者』はコラール男爵家を騙ったエクティド王国を貶めようとする間者に間違いない。
あなたは親切心で探しているのかもしれないが、招待状もなく侯爵令嬢に対して初対面の君に愛称呼びをするアピールしてくる男爵令嬢をおかしいと思うなら一刻も早く捕らえて上司の助言を仰ぐべきだ。
放っておけば君が重罪犯を逃したと罪に問われるかもしれない。それだけ危険な相手だと警戒してほしい。
私もこの後ミクロフォーヌ侯爵と国王陛下に報告するつもりだ。わかったならすぐさま行動に移りたまえ」
「そ、そうでしたか!申し訳ありません!し、失礼しました!!」
どうやらアニーに繋がる名前を片っ端から聞き回っていたみたいです。
そんなことを普通の従者がするわけがないので彼も警戒する必要があるのかもしれませんがヴァンは従者を逃してしまいました。
もしかして本当にあの男爵令嬢が来ているの?嘘でしょう?と顔を青くするとヴァンの手が肩に回りふらつく足下が少し安定しました。
慌てて逃げて行く従者にアルモニカは不安になって見上げるとヴァンは無表情で従者を見送り、そして此方を見てフッと安心させるように微笑みました。
それだけでぐっと心が軽くなるなんて。恥ずかしいやら情けないやらで下を向き、踊るように跳ねる心臓を落ち着かせるように深呼吸しました。
戻ったら兄と陛下に不法侵入者がいるともしかしたら元男爵令嬢が来てるかもしれないとお伝えしなければ。
元男爵の娘にそこまで警戒するのは過剰かもしれませんが今までのことを考えるとやりすぎということはないように思えました。むしろ本物なら警戒どころではないわ。
「それにしてもどうやって来たのかしら?エクティドまで随分な距離があるわよ?」
馬車でも徒歩でもエクティドに辿り着くのは中々に骨が折れますし、道中モンスターもいれば治安の悪いところも通ります。
そこを女性一人が無事に抜けられる可能性は低いので手引きした同伴者がいると考えるべきでしょう。
ただ兄の話ではディルクと(強制的に)結婚できた元男爵令嬢は辺境伯領で飯炊き係になったのだそうです。夫ディルクだけではなくそこで働く者達の食事などの家事を手伝う係です。
彼女もまた辺境伯夫人にはなれず一人の使用人と同じ扱いで働かされることになったのでした。
しかし彼女のバイタリティの高さというか自由というか、連日の肉体労働に数日で音をあげた後、
『毎日は無理!アタシは辺境伯夫人よ!ううん、本当は王太子妃になるはずだったんだから!こんなのおかしいわ!
侍女を寄越しなさい!お菓子を持ってきて!お風呂も入れてよ!ふかふかのベッドやキラキラなドレスは?!
ねぇ!なんで働かなきゃならないの?!夫人は働かないものでしょう?!』
と騒ぎ立て独房に入れられたそうです。
そこで反省して心を入れ換えれば良かったのですが、その後も変わらず捲し立てては仕事をしようとしませんでした。
驚くことに独房に入れられたのに男の看守や兵士達に媚を売り働かなくてもいいように守らせようとしたそうです。
結婚したもののディルクと会えず守ってもらえないから他の方に手を出したのでしょう。
ついには接触できないはずの帝国の貴族達に取り入ろうとしたことが発覚し、危険視した管理者が女性しかいない労働収容所に送ったそうです。
女性しかいなければありえないおねだりや我が儘を聞いて甘やかす者もいませんし、妄想を本気にする者もいません。
彼女も大人しく働いているとショモナイナー公爵から連絡が来たと聞いていたのですが。
まさか女性まで口説いて脱獄してしまったというの?本当にエクティドまで来たの?と震えました。
しかもわたくしを探してるなんて。まさかわたくしに寄生するつもり?それともすべてを奪われた腹いせに処刑しに来たの??
考えたらサァ、と顔色が悪くなりました。
今度こそヴァンを奪われるとか大切な人達がオパルール王国の貴族みたいにアルモニカに冷たく接する想像をしてしまい震えて倒れそうになりました。
思った以上に男爵令嬢のことをトラウマとして認識しているようです。
怖くて恐ろしくて泣きそうになっていると肩を抱く手が強くなりヴァンに引き寄せられました。
「大丈夫ですよアルモニカ様。あの女がこの国にいるはずがありません。
もし仮に本物だとしてもあの令嬢の好きにはさせませんし、密入国をしたとして捕縛し罰すればいいだけです。
元オパルールの民達がエクティド王国に入国するには事前申告と二つ以上の審査が必要で、入国費用も元オパルール王国のみ倍から三倍の値段を支払うことになっています。
しかもあの女は関係者でありアルモニカ様の心を傷つけた主犯の一人です。そんな者の入国など誰が許しましょうか。
後程国王陛下に抗議いたしましょう。アルモニカ様にこれ以上心労をかけるようなら諸外国が黙っていないと。
それからデヴァイス帝国とショモナイナー公爵にも連絡して真意の確認と責任の追及をしなくては。
ああ、その前にそのなりすましの者の捕縛ですね。私もすぐに行って確認を……」
「だ、駄目よ!!」
思っていたよりも大きな声が出てしまい、背を向けようとしたヴァンも驚いて振り向きました。丸くなった目が可愛い、じゃなくて。
「そ、その、いいわ。行かなくて。もし侵入してきたらその時捕まえればいいわ」
わたくしは何を言っているのかしら。問題が起こる前に対処した方がいいはずなのに。でもあの男爵令嬢はヴァンを気に入っていたから会わせたくないのだ。
それが態度に出ていたのか無意識にヴァンの袖を摘まんでいて慌てて手を離しました。
「ご、ごめんなさい!皺になってしまったわね」
「いいえ。構いませんよ」
「そ、そう。……えと、そ、それよりも、そろそろ会場に戻らない?お兄様に伝えないと、」
動揺で顔が赤いのを誤魔化すようにそっぽを向いたがヴァンが動かないので気になって振り返ると申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「実は招待状がなくて中に入れないのです」
さっきの元男爵令嬢もそうですが、ヴァンも招待状を持っていなかったのです。
それでもアルモニカの姿見たさにここまで来てしまったと言われて胸が緩く締め付けられました。もしかして、最初の来訪者はヴァンだったのかしら。
「もしかして、」
そう言おうとしましたが口をつぐみました。それを問いただして水を差すよりもアルモニカは笑みを作り彼の手を取りました。少しはしたないかしら。
「それなら大丈夫よ。ヴァンにはわたくしのパートナーになってもらうわ」
兄は兄で招待状を持っていたはずだから。
少しでもヴァンと一緒にいたい。だってやっと再会できたのですもの。
熱い頬に恥ずかしさを感じながらもわかってほしい、と見上げればヴァンは潤んだ瞳で見つめ返しました。
「いいのでしょうか」
「勿論よ。だってヴァンはわたくしの執事だもの」
これからも傍に居てくれるって言ったでしょう?と悪戯っぽく笑えばヴァンもつられたように笑って「どこまでもお供しましょう」とアルモニカの手をとり直し、階段を二人で上ったのでした。
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