わたくしという人
目が覚めるとそこには侍女や使用人達が揃ってわたくしを心配してくれました。魔法学校建設が頓挫したことがショックで気を失ってしまったようです。
それもそうですわね。
婚約は王命でしたが魔法教育機関の設立、指導はわたくしに課せられたもうひとつの責務でしたから。それをいいように使われ、取り上げられてしまいました。
恐らく気づかぬ間に責任者の任も解かれていることでしょう。
「わたくしは、今日ほど自分が何もできない無力な子供なのだと悔いたことはありません」
静かな部屋にポツリと呟けば握っていた拳の上にポタリと水が落ちました。
その水はポタリ、ポタリと落ちて布団に染みを作り、握った拳が震えました。
その震えは全身に渡り小刻みに震える唇をぎゅっと噛みしめると自然と嗚咽が漏れました。
もっとわたくしが王子と良好な関係を結んでいれば。
もっと根回しをしていれば。
もっと力があれば。
わたくしがもっと大人なら。
わたくしが男だったなら。
考えてもしょうがないことがグルグルと回り悔しさで身悶えしそうでした。
嗚呼、家に、お父様に、エクティドに恥をかかせてしまった。これはわたくしの落ち度だ。
すすり泣く使用人達の声を静かに聞いていると、今日はゆっくりお休みくださいと侍女に背中を撫でられた。それだけ今のわたくしは目もあてられないほど情けない姿なのでしょう。
しかしこのままというわけにもいきません。
わたくしが軽んじられれば彼女達使用人も軽く扱われる。そうでなくとも他国の者として貴族達からはいい目でみられていません。
この邸を、使用人を守るのも主人であるわたくしの役目。
エクティドからついてきてくれた信頼できる者達にこれ以上肩身の狭い想いをさせたくはありません。
どうしたらいいのか……目を潤ませ、わたくしを気遣う優しい侍女達を想って見ていると一人の従者が発言の許可を求めました。
その者は父の推薦で後から入った使用人でした。
名前はヴァン。わたくしのひとつかふたつ年上の青年で褐色な肌と黒髪、そして金眼という、エクティドでは見ないタイプの者でした。
ですがよく働き尽くしてくれていることをわたくしは知っていました。
「失礼ですがアルモニカ様は薬の量がいささか多いように感じます」
寝るために薬を用意してもらおうと考えていたところだったので先に言われ驚きました。
「また頭痛で歯を食いしばり歯茎に違和感を感じている、もしくは痛めているから咀嚼しないよう食事の量を減らしていらっしゃいます。それも悪手です。
そのせいで今回貧血を起こされましたし、その前にも立ちくらみを頻繁に起こされていますね?
そして目の下のクマを隠すために使っている化粧品で肌がかぶれ悪化しています」
まさにその通りでした。だけどなぜそれを今指摘されているのかわかりませんでした。
「これを機会に生活の改善を要請いたします」
「は、はぁ…」
この邸に来てから従者として話したことはあっても必要最低限で、こんなに話すヴァンを見たことはありませんでした。
しかも内容はわたくしを心配するもので、恐らく教えていないことまでペラペラと専門的なことを喋っている。他の者達も驚いた顔でヴァンを見ていました。
「お休みになるのでしたら飲み物をお持ちします。その間に目を冷やしましょう」
「……はい」
テキパキと指示をして部屋を出ていくヴァンにアルモニカも他の使用人達も呆然と見送ってしまいました。
どうやらわたくしはヴァンに叱られる程自分を追い込んでいたようです。
倒れて使用人達の前で悔し涙を流した次の日、いつもよりもスッキリしたなと侍女を呼べば使用人全員がやって来て起きたことを泣いて喜ばれました。
わたくしは次の日と思っていたのですがどうやら三日経っていたようで寝過ぎてしまった自分に驚きと罪悪感が芽生えました。
急いで準備し学園に行こうとしたのですが既に当分欠席するという連絡を送っていて行く必要がないと止められました。
「この四年間一日も休まず出られていたのです。少し休息いたしましょう」
王妃教育もあと少しだから体調が万全に戻ってから頑張ればいいでしょう、と使用人全員から諭されわたくしは自室へと戻りました。
そこでふと自分が映った姿見が目に入りました。頭ではそう思って見たのですが、映った自分を見て一瞬誰かわかりませんでした。
ほぼ毎日鏡を見ていたはずですが、マナー講師の先生でも滅多に着ないような渋すぎる色にオパルールでも過ぎた型落ちのドレスはまるで時代に取り残された田舎娘のよう。
その上髪が落ちないようにきつくひっつめたせいで目が細くつり上がり何も考えていないのに怒っているようにしか見えない、キツそうな少女が鏡の前に立っていました。
それを見てわたくしは何をやっていたのだろう、とむなしい気持ちになりました。
化粧を落とせば窪んだ目と濃いクマが目立ち、疲れ果てた労働者のように頬が痩け、母が褒めてくれていた髪もパサパサに広がっていました。
確かにこれでは浮気をしたくもなるでしょう。こんな恐ろしい見た目が婚約者では恐ろしくて手も繋げませんね。
ショックではありましたが妙に納得した後はしばらくぼんやりと外を眺めるだけの日が続きました。
しかしそれもすぐ飽きて勉強をし始めました。
王子に好かれていないとはいえまだわたくしは婚約者。オパルールの民のために出来ることを学ばなくてはと経済や地方の収穫物の変動を調べているとそれら全てをヴァンに取り上げられてしまいました。
「アルモニカ様。休息、という意味をご存じですか?」
にっこり微笑んだヴァンは今市井で流行っているお菓子と美味しい紅茶を用意してくれました。
侍女達が淹れたお茶も美味しいですがヴァンが淹れると同じ銘柄でも不思議と風味が変わって飲みやすい。
用意されたお菓子に絆されて勉強を諦めたアルモニカは読書に切り替えた。
といっても程よく軽く、程よくのめり込まない簡単なものばかりで暇潰しには丁度良くそして少し物足りなかった。
そんな頃にヴァンがいそいそと大きな袋を抱えてやってきました。
「これは?」
「新しい枕です。固さが違うものをいくつかお持ちしました」
寝室の雰囲気を一新させたヴァンは枕に着目して、テーブルの上に置きました。触ってみると確かに少しずつ固さが違うみたい。
「でも固さが違う枕はすでにあるわよ?」
ベッドにいつも二つから三つそれぞれ違う枕を常備していて気分で使い分けている。
あれではダメなの?と聞けば持ってきた枕はわたくし用に微調整してあるのだと言います。
「見た目がそれぞれ違うようにその人に合う大きさ、固さが違います。落ち着く眠り方もパターンはあるものの千差万別です。
多少寝づらくてもこの枕でならすぐ寝れるというものもありますから新しい枕に抵抗がないようでしたら是非試してみてください」
わたくしが倒れてからヴァンの口数が一気に増えた気がする。それにどこか生き生きしていて楽しそう。
必要ないと思いましたが折角用意してくれたのだし、と思って使ってみることにしました。
「びっくりしたわ。この枕で寝たらスッと眠れたの!」
「それは良かったです」
どうかしら?と半信半疑で使ってみること三つ目。
一つ目、二つ目はいまいちピンとこなかったのですが三つ目はとてもすんなりと寝れたので驚きました。
それを伝えればその他の枕の感想を聞いて改良すると回収していきました。三つ目の枕は残してほしかったわ。
次にヴァンが持ってきたのは寝間着用の生地でした。落ち着く触り心地だと安心して眠れるのだそうです。
それはわかる気がしてこれだという生地を選んで何点か作ってもらうことになりました。
そういえばこんなに楽しく生地を選び出来上がりが楽しみだと思えたのは久しぶりです。
そういえばわたくしはもっと明るい色が好きだったんだわ、と思い出した。
「久しぶりに良い買い物をしたわ」
「アルモニカ様は倹約家ですからね。もう少しご自分のために使われてもよろしいかと」
「ダメよ!お父様達から資金をいただいてるとはいえ、魔法学校建設には莫大な費用がかかるのよ?少しでもそっちに充てて素晴らしい学校を作らなくては……」
そこまで口にしてその魔法学校が消えたことを思い出し唇を噛んだ。あの後影にもう一度調べてもらったけれど事実は変わりませんでした。
それでも信じられなくて自分の足でこっそり見に行ったけれど覆ることも夢から醒めることもありませんでした。
厳選に厳選を重ねて選んで着工させた場所には知らない建物が堂々と作られていて門も外壁の色も何もかも別物に変えられていました。
服だってそう。
オパルールの伝統だ、しきたりだと王妃様に言われてなんとか揃えたけど講師の先生には不評だった。
『王妃様はいずれ義母様になられるのだから、もう少し王妃様のご意志を汲み取った格好をなさってください』
だそうで。
どうやらわたくしの格好は婚約者は嫌だという反抗心から地味な格好をわざと着ていると思われていました。わたくしは本当に王妃様の口から『婚約者は地味な格好をするのが伝統だ』と聞いたのです。
そのうちこれは王妃様の嫌がらせなのでは?と気づきましたが、婚約者を続けるしかない以上、怒られない地味な格好で時折使用人と間違えられ命令されながらも耐える方法しか思い付きませんでした。
思い出すだけで涙が出そう。
「ではひとつ提案があるのですがよろしいでしょうか?」
「……何かしら?」
涙を見られるのが恥ずかしくてこっそり拭うと、メイド達がズラリとやって来てヴァンが微笑んだ。
「彼女達が是非ともアルモニカ様に奉仕したいと言っております。お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「え、ええ。いいけど」
一体何が始まるの?と不思議に思っていたらまず湯船に入れられて体の隅々まで洗われ、たっぷり香油を使い、全身を揉みほぐされ、磨かれ、ピカピカになった。
「え、待って?今日何かのパーティーでもあったかしら?」
ここまで徹底するなんて公式の大事なパーティーくらいしか思いつきません。もしかして予定を見落としていた?と慌てると侍女達がいいえと否定しました。
「お嬢様が参加すべきパーティーの予定はありません。ですが、なんでもない日でもよろしいではありませんか」
「気分転換でも思い付きでも、わたし達はいつでもお嬢様を美しくしたいのです!」
「わたし達は常に準備していますのでいつでもお声かけください!」
ヴァンに習って美肌効果アップやシェイプアップの技術を獲得したんですよ!
キラキラと目を輝かせるメイド達に彼は何を教えたの??と過りましたが、披露する場がなければ覚えた技術が無駄になるのは確かです。
なにせわたくしは公式以外のパーティーに出たことはなく、わたくしに招待状を送ってくる方もいません。
わたくしもパーティーはあまり得意ではありませんし、オパルールに来て不得意になってしまいました。
来た当初友人知人を作りたくて自主開催を申し出たことがあったのですが『ドレスすら用意できないのにパーティーなど開く必要はない』王子に一蹴されました。
ならばと一人で参加することを申し出ても王妃様に恥ずべきことだからやめなさいと言われてましたね。
だからわたくは参加することも友人知人を作る交流すら持てずずっと孤軍奮闘をせざる得ませんでした。
使用人達の言葉に上手く乗せられた感はありますが、鏡に映った自分の姿が以前よりも元気そうでした。
それに化粧をしなくても血色がよくクマも薄くなったと思ったら気分も上昇してなんでもない日に綺麗になるのも悪くないなと自然と笑みが浮かびました。
読んでいただきありがとうございます。