ゲームのメモを落としたら攻略対象に拾われて(SS)
人里離れた山中に置かれたカルメイア学園。広大な敷地の中央には神殿のような趣の白い校舎が建ち、周囲を咲き誇る花園が囲う。華やかな庭園に敷かれたレンガの道に一冊のノートが落ちていた。
拾ったのは、花たちに太陽の恩恵を運ぶ光の精霊――ではなく、絹糸のような眩い金髪と、多くの女性を魅了してやまない甘い顔立ちが目立つ、今年入学したばかりの一年生の少年。
拾い上げたノートの表裏には、持ち主を示すような特徴がなく、少年は申し訳ないと思いつつ中を開く。
しかし中に記されていたのは、見慣れない文字の羅列。
棒を繋げたような角ばった文字。以前文献で見た記憶がある。東の秘境で使われている物ではないだろうか。しかし、角ばった文字の間の、この国で使われているものよりも丸みのあるそれには見覚えがない。角ばった文字よりもこちらの方が多く、全てはわからないが、角ばった文字が、東の秘境と同じ言語であるなら、部分的に読み取れた。
開いたページの、角ばった文字が連なる最上部に目をやる。
「『攻略』、『対象』?」
なんとなく意味はわかるが、その下に感覚的に書かれている文字は読めないため、何のことだかよくわかない。
首を傾げながらノートを閉じる。
とりあえず、こんな特徴的な字を扱える人間なら探せばすぐ見つかるだろう。落し物として教員の誰かに渡そうと考えながら校舎に向かおうとしたとき「あああああああ!!」と叫び声がして、驚いて周囲を見回すと、女子生徒が少年を指差して立ち尽くしていた。
彼女は、素早く少年のもとに駆け寄ると「それ! 私のですっ!」とノートを指して叫んだ。
「あ、そうなの? よかった。ところでそれ――」
「ありがとうございます! 失礼しますっ!」
中の文字について訊ねようとしたら、少女はノートを掠め取って突風のように走り去ってしまった。
置いてかれた少年は呆然として、ため息をつく。
「もうちょっと、話したかったな」
校舎内の談話室まで走って、ソファに腰を落ち着けてようやく一息つく。この学園には、お茶をしながらゆっくりと学友たちと語り合う為の部屋がいくつもあった。
「あー、びっくりしたぁ」
まさかよりにもよってメイン攻略対象に拾われるなんて。
内容を考えると冷や汗が出るのも止められない。こういうときの為に日本語で書いといてよかったと安堵する。
漢字は、東の秘境の言語として存在するが、漢字、ひらがな、カタカナも数えて三種類の文字で構成される言語を理解できる人間はこの世界には存在しない。
「探し物は見つかったのか?」
刈り上げの、スポーツという言葉が似合いそうな少年が新しいティーカップに紅茶を注ぎ、ハァコの前に置く。
「はい。あ、お茶ありがとうございます、坊ちゃん」
一口。
ハァコ好みの砂糖の加減に味。
「相変わらず紅茶入れるの上手いですね」
「お前がよくサボるから、慣れちまったんだよ」
「あれ? てっきり好きでやっているものと。なんなら今から私がやりましょうか?」
「いやいい。俺がやる方が美味いから」
そう言って、自分用のお代わりを注ぐ坊ちゃん。
それはハァコも認める事実である。ハァコとしては同じように入れているつもりなのに、味に違いが出ることが不思議でならない。
主にお茶を入れさせるなど、執事長にでも見られたら大目玉だろうが、彼は屋敷にいて、今は主と二人だけなのでハァコはのびのびと寛いだ。
ページを開く。
『攻略対象
マリアヌス……メイン攻略対象。王子。
ヒロインとの出会い・入学式でヒロインのハンカチを拾って渡す。』
……よく拾い物する王子様なのかな?
すでにヒロインとは出会っていて、さきほどのが何かのイベントというわけでもないことをノートの情報で確認して、好感度上昇イベントを横取りしたわけではなかったとほっとする。
この世界が恋愛シミュレーションゲームの世界だとハァコが気づいたのは、坊ちゃんの遊び相手として務めるようになった幼い頃。それまでただの平民として町で過ごしていた彼女は、坊ちゃんを通して貴族社会を覗き見たとき、初めてなはずなのに聞いたことがあるような、見たことがあるようなことがゴロゴロと出てきた。さらには、今の自分よりも成長した少女が自分が過ごす国を舞台にしたゲームをしている過去の夢を見て、色々と思い出したのだ。
魔法が発展したファンタジー世界を舞台にした学園もの。
そしてこのノートは、ハァコが覚えている限りのそのゲームについて情報をまとめた物。
何のためにこんな物を作ったのか。それは、効率的に、そしてできるだけ近くでヒロインのストーリーを鑑賞するためだ。
「あ!」
坊ちゃんの声に顔を上げると、彼は窓にへばりついていた。
近づいて横に並び、ハァコも窓の外を見るとこの世界のヒロインが歩いているところだった。
「やっぱ可愛いよなあ」
デレデレと顔をだらしなく緩める坊ちゃん。
当然だろうとハァコは無言で頷く。
なにせ彼女は愛される存在だ。きっと坊ちゃんのように入学式で彼女に一目惚れした者は少なくないはず。
多い、と言えないのは、彼女は確かに愛されるのだが、今はまだ多くの敵意を向けられる立場にいるから。
ここは、今でこそ魔力を扱う才能さえあれば身分問わずに入学が可能となっているが、かつては貴族のみに門が開かれた学舎。そして、これは現在もそうであるのことだが、基本的に平民が学校に通うのは十五歳まで。十六からは働きに出るので、この学園の高等部に通ってるのは、ある程度の余裕があるか、ハァコのように、主を側で支えるために送り込まれた者ぐらい。
こう言うとまるでハァコが、才能もないのに使用人として主にくっついて入学しただけのようだが、ちゃんと入学条件はクリアしている。
この学園は使用人の連れ込みが禁止なので、入学する子供と同い年で入学資格を有している使用人を生徒として入学させるのだ。黒寄りのグレーだが、学園側は黙認している。
学園は、身分によって差別はしない、と公言しているが生徒間には主従関係が潜んでいるわけで、身分を意識せざるをえない。自然と、平民は貴族の影に潜むような学園生活を送っている。
しかし、そんな括りに囚われないのがヒロイン。
ハァコが知る通り、誰よりも大きな才能を秘めた彼女は、少しずつそれを開花させ、平民にも関わらず、貴族を差し置いていまや学園中の注目の的。そして貴族たちから妬まれ、疎まれる彼女は苦難な学生生活を過ごしながら、数人の少年たちと絆を育み、そのうちの一人とハッピーエンドを迎えるのである。
「なあなあ。プレゼントを贈ろうと思うんだけど、何がいいと思う?」
ハッと我に返る。
いつの間にか天に向けていた握り拳を降ろし、プレゼント?、と首を傾げる。
ニコニコと笑顔を浮かべる坊ちゃん。唐突に思考の海に沈み、変な動きを見せるハァコの奇行にも動じていない。
平民でありさらには使用人失格なハァコにも友人にするように接し、平民のヒロインにも最初っから素直な好意を見せる数少ない貴族。伯爵家嫡男であり、彼がいる限りハァコの将来も安泰。ハァコが人でなしにでもならない限りは、見捨てないだろうと信じるぐらいには信頼を寄せられる善人。容姿だって、街に出れば女の子から声をかけられるぐらいに悪くない。
だがしかし。
坊ちゃんは攻略対象じゃないから、無理なんだよねえ。
あなたはどうあがいてもヒロインとは結ばれる運命にありません。などと残酷なこと、ハァコはとても言えない。
「坊ちゃん……坊ちゃん、プレゼントの前にまずは自分を磨きましょう」
「え?」
「坊ちゃんはもう少し女心とか、女性の扱いを学んだ方がいいと思います」
「ええ? なんだよいきなり」
「いいですか坊ちゃん。彼女はとても可愛くて、モテます。つまり坊ちゃんは数多のライバルを押し除けて彼女の心を射止めないといけないわけですが、ナンパにあってあたふたして私を盾にするような女慣れしていない坊ちゃんには少しむず――」
「いつの話してんだよお前は!」
顔真っ赤にして昔の恥に耳を塞ぐ坊ちゃん。
「まあとにかく、まずは自分自身で彼女の気を引けるようになりしょってことで。ほら、えっと……王子みたいに」
「なんだその無理難題。けど、自分磨きか……よし」
やる気が出たようでなにより。
ハァコはほそく笑む。
もっともらしく言ったが、実際はヒロインから遠ざける為のいい加減にアドバイスを装っただけ。坊ちゃんが騒動に巻き込まれて不要な怪我を負うのは避けるべきだ。
モブ主従らしく、隅で大人しくしてましょうね坊ちゃん。
けれどハァコの目論見は、呆気なく崩れる。他でもない、ハァコを自身が繋げてしまった縁によって。
ハァコがノートを落としてから数日後。
予想外の奇襲を受けた。
「やっと見つけた」
ハァコは最初、それが自分に向けられたものだとは思わなかった。しかし、前を歩いていた坊ちゃんが止まって振り返り、そしてハァコを見たので、自分に何かあるらしいとわかった。
振り返るとマリアヌスが立っていた。
「ねえ君、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
ハァコ一人であれば即逃亡なのだが、主の手前で王子に対してそんな無礼はできない。溢れる焦りを内心に押しとどめ、視線をやや下に向ける。
「なんでしょう?」
「君、秘境の文字がわかるんだよね?」
なぜっ、あ、あのときやっぱり中身を見られていた? 落ち着け、内容まではわからないはずだ。
動揺を滲ませず、小さく頷く。
ぱあっとマリアヌスの目が輝いた。
「やっぱり! 僕、実は外国の文化に興味があってね、少し君と話したいと思ったんだ!」
「っ――」
そんな設定がっ!? くそっ、やっぱりそういう細かいとこが朧気だ。
声に出していたら、さすがに坊ちゃんに窘められそうな態度で自身の失態を呪う。
「いえ、あのせっかくですが――」
ぽん、と坊ちゃんハァコの肩に手を乗せた。ちらりとハァコが窺うと、ニッコリと笑う。
なんだろう、この嫌な予感。
「話ならどこか落ち着いたところでしましょう。実は俺も、王子に伺いたいことがありまして」
「なんだい?」
「俺に、女性にモテる秘訣を教えてください」
「は?」
「ぼっ――」
坊ちゃーーーーーーん!?
真剣な顔した坊ちゃんは、周囲の人が立ち止まって注目していることに気づくと、唖然とするマリアヌスと頭を抱えてフラつくハァコの手を掴み、いつも自分たちが使う談話室へと駆け込んだ。
お茶の用意して来る、と坊ちゃんは茶器とお湯を取りに二人を置いて出て行った。
王子の手前、さすがに自分が行くべきではとハァコはそっとマリアヌスを見る。彼は坊ちゃんが出て行った扉の方を見て呆然と立ち尽くしていた。
そういえば、彼も身分に縛られてきた人間だった。
マリアヌスの母は平民で、そのせいで幼い頃は周囲から疎まれていた。彼が成長すると、好意的な人間が増えていったが、今度は王子という立場から、線を引かれてしまい、彼は人に囲まれながらも常に孤独を抱えて生きていた。
坊ちゃんの行動は衝撃的だったに違いない。
きっと坊ちゃんは、
『え、だって学園内だし。大丈夫だろ』
とか言うんだろうなあ。
嫌な予感、というよりはやらかした感をビシバシと感じるハァコは、マリアヌスと二人っきりという気まずさから、早く坊ちゃんが帰って来ることを祈った。
どうしてこうなったとハァコは頭を抱えて蹲った。
いつもの談話室のテーブルに並べられた三つのティーカップ。
「フレッド、これ」
「お。あの名店の銘菓じゃん! ありがとうなマリアン。ハァコ、皿に乗せるの手伝ってくれ」
「……はい」
立ち上がったハァコがジト目を向けるも、気にしてないのか、気づいてないのか。
もうすっかり愛称呼びが馴染んでいる。あれからひと月も経っていないというのに。
坊ちゃんの親しみやすさのせいだ。
「ん? なにむくれてんだ。ちゃんと俺の半分やるぞ」
「あ、ケーキなんですねそれ」
花を象った砂糖飾りが細やかな真っ白で上品なお茶のお供。
「二人は本当に仲良いよね」
己の分を分け与える主と、自分の分に加えて当然のように主から分けてもらう使用人を見てうらやましそうにするマリアヌス。
「坊ちゃんは、お菓子はあまり食べませんから、量を減らす手伝いをさせてもらってるんですよ」
「え、もしかして余計なお土産だった?」
しょんぼりとするマリアヌスに、坊ちゃんが慌てる。
「いやいやそんなことないぜ。俺は美味い物ならいくらでも食べる。これは、昔っからこいつ、自分が先に食べ終えると俺の分を涎垂らして物欲しそうに見るから、分けてたら習慣になったってだけ」
「涎なんて垂らしてませんし物欲しげに見てません!」
「ならいらないか?」
「いえ、いります」
貰える物を貰っておくのはハァコの常識だ。生暖かい二つの視線なんて気にしない。
くすっ、とマリアヌスから笑いがこぼれる。
「やっぱり仲良いよ。いいな友達って」
いや王子、私たち主と使用人ですけど。
と、思ってもハァコは口には出さない。
しかし坊ちゃんはこう言うのだろう。
「なに言ってんだ。俺らだって友達だろ」
ハァコの予想通りの言葉でマリアヌスは満面の笑顔で「そうだね」と頷く。
坊ちゃんからこの言葉を聞きたいがために、彼は毎度同じようなことを繰り返す。
女のハートを鷲掴みするクールな王子様キャラはどこへやら。まるで尻尾を振る犬のように甘えている。
本来ならそのマリアヌスを隠れた一面を見ることも向けられるのもヒロインであったはずだ。彼を孤独から救い上げる役目も。
「そうだフレッド。今度の学園祭、よかったら一緒に回らないかい」
「いいぜ」
って、それ大事なイベントぉおおおお!!
学園ものに付き物な学祭イベント。ヒロインはこれで攻略対象と一気に距離を縮める。
坊ちゃんとマリアヌスが知り合ってから、ハァコはできるだけ坊ちゃんの側にいて、ヒロインの方の観察が疎かになっているが、知る限りでは、マリアヌスは坊ちゃんに夢中でヒロインとの関係はまったく進展していない。
これは、どうなるのだろうか。
マリアヌスルートに入っていないとしても、彼はこの世界でヒロインの次のメインキャラともいうべき存在で、各ルートにもヒロインを助ける重要な役割を持って登場する。なのにそんな彼がヒロインと仲良くなっていない。
もうすでに手遅れ感あるけどどうする!?
「フレッド、食べたりなかったら僕の分もいるかい?」
「いや、マリアンが食べろよ。お前が買ってきたんだし」
「僕はフレッドが喜んでくれるのが一番なんだよ」
人知れず悩みを抱えるハァコの目の前で、初めての友達に浮かれている王子は、なにも知らず呑気な坊ちゃんと楽しいティータイムを過ごすのであった。
ゲームのメモを落としたら攻略対象に拾われて、
攻略対象と坊ちゃんが友人になりました。