正装を着る、時間がかかる
~再生された英雄譚~
それからは本当にただただ時間が過ぎるのだけを待っていた。
お客さんの数も減り、同時にホールで働く看板娘たちの姿も減っていった。
ちなみにこの『青銀の都宿』、そのご飯処では従業員のことを看板娘というのだと。
そして業務が終了した娘は外に出たり、階段で上に上がったりと、そんな光景を眺めていたところ、今ちょうど聞きたかった声が耳を通過していく。
「手を出したらダメよ?」
そう言ったリルは既にエプロンを外し、あの青と銀の正装の姿になっている。
腰に手を当て仁王立ちのポーズ、可愛らしい。
冗談めかしく言ったことも含め、本気だと思っていない彼女はただ藍をからかっただけのようだ。
そんな彼女の帰りを待っていた張本人は、気になっていることを軽く話しながら、部屋に戻ることを選択。
もちろん選択肢など表示されていないので、歩いて自分の意志で戻るのだ。
「看板娘たち、上に上がったりしてたけど、ここに住んでるのか?」
「全員というわけではないは、ここで働いてる娘みんな下宿させたらそれだけで部屋が埋まっちゃうもの。
帰るところのない娘は新しい家が見つかるまで、ここで働きつつ住まわせているだけよ。」
「すごいな、ちゃんと経営者なんだ。」
「一応ここの店主だし、それに...。」
「それに?」
「ううん、ただ見過ごせないなって。」
「帰る家がないって、やっぱりそういう事か。」
すこし悲しそうな顔を浮かべた彼女に、申し訳なくなり何となく状況を察し話題の転換を図った。
「そういえば、俺、『開かずの間の住人』なんて変なあだ名がついているそうだけど。」
「どうしたの、気になる?」
「いや、そうじゃなくて、すまんかったな。
上辺でしかないけど、お前の苦労を思って、迷惑かけた。」
「いいのよ。
それに私そんなに迷惑だなんて思ってないわ。」
なんて良い娘なんだろう。
ちょっと照れたように顔を背ける彼女を見て、照れではなく憧れに近い感じの嬉しさを覚え、藍も少し頬を染める。
ツンデレ気質かと勝手に勘違いしていたが、通常の感情が乏しく、照れるときは盛大に照れるタイプの可愛らしい女の子だった。
そんな彼女はバレていないとでも思っているのか、絲璃と自信の顔の間にある髪の毛をくるくると指でいじりながら、せわしなくその場であっちへこっちへ足を動かしている。
そんな彼女を思って立ち上がった藍、早速部屋に帰ってこの制服を着るために移動を始めた。
「あぁ、それとッ。
なんか猫耳の娘に絡まれた。」
「猫耳?
単瞳種の方と地槌種の方じゃなくて?」
喋っていたところでも見ていたのか。
「あー違う違う。
看板娘の方だ。」
「あー、サーニャの事ね。
何か言われたの。」
「別にそんな大したことじゃなかったな。
お前の好きなタイプがどうとかゥッ―――――」
とそこまで言った瞬間、光のような速さで、しかし全く痛みがないようにリルの両手が藍の口元を覆う。
それによって声が制限されてしまった。
その態勢で顔を見せないようまた下を向き、明らかに無理しているようにプルプルと小刻みに震えている彼女。
もう一度言おう。
なんてかわいいんだ。
「あーの猫舞種、ホント覚えてなさいよ―――――!!」
照れて怒ってズカズカと上へあがるリル。
その背中を嬉しそうにやれやれと首を振った藍は追いかけていった。
見るだけで癒される生物。
これは、素晴らしいものを見つけてしまった。
新しいおもちゃをもらって目を輝かせる少年のように、新しい感情をくれるリルのことを愛おしく思ってしまう藍であった。
二人は同じ呼吸、歩幅、感覚で7階までの階段を上がった。
それはもう文句の付け所がないくらい不正なく。
それなのにどうしてだ。
藍はかなりの運動の後かのように息を切らしているのに、対するリルは何のその。
全く持って平気そうなリルに視線を送る。
「お前、すごいな。」
「...どうして階段だけでそんなに疲れているのよ。」
「いや、まぁ運動不足だ。」
「みたいね、さてそれは困った。」
呆れられたかとも思ったが、案外そんなことはなく、未だ心配の視線が注がれている。
多分かなりの間眠っていたこともあっての運動不足であると勘違いしていそうだ。
「もともと、運動が好きじゃないんだよな。」
「そう、なのね。
でもこれからは忙しくなるわよ。」
そこに触れないように、真実を話し気を落ち着かせてやることに成功。
そしてすぐに忙しくなるという意味不明な返しをもらった。
「忙しくなるって、何かあるのか?」
「えぇ。
冒険、してみたくない?」
「ッ!?
...したい!!!!」
すぐにその内容について納得。
昨日まで心配性かのように付きっ切りの看病であったがゆえに、その張本人からの外出許可はなんともありがたい。
その言葉が聞けて、元気よく返事を返した藍はルンルン気分で彼女の後を追う。
またその様子をみて、張り切って嬉しそうに笑うリルの顔は見えていないが。
そして二人は 706号室の前につき、鍵を開けてから二人で中に入った。
そこにはこの世界にきて特に見慣れた景色の空間が広がっている。
そのままリルはタンスの方へ歩いていき、扉を開け中に入っている制服を取り出した。
「じゃあ、藍。
全部脱いで!」
「うん!んんん、ん?」
「服、全部脱いで。」
「あー、はい。」
(特に恥ずかしがりもしないのか。
何なんださっきから言動によっては顔を赤らめたりしているくせに。
特にこの世界に来てから見た自分の体は他人に見せても恥ずかしくないくらいには鍛えられていることは間違いないが、それでも心の準備とは話が別だぞ。)
そう心の中では渋っても、相手も何も思っていないんだし、恥ずかしがるほうが間違いなのか。
考え直した藍は、今後の自分の生活方針として、『かなり余裕があるようにふるまう』性格で行こうと一つ決意をした。
そして言われた通り、ラフな格好を脱ぎ捨て、ついでに前部と言われたから肌着も脱ぐ。
さらにおまけの―――――
「ちょちょちょ、なんで下も全部脱いだのッ!?
隠して、隠してよ―――――」
「おお、お前が全部って言ったんだろうがッ!!!」
「それでパンツまで縫いぐバカがどこにいるのよ!
異性の前よ、正気なの???」
...早速設定がぶち壊れてしまったぜ。
何から何まで見せてしまった藍は藍でもうテンパりあたふた。
そしてそれを見てしまったリルもリルで今まで以上に顔を赤くして片手で目をふさぎつつ、もう片手は少し離れた位置で藍の体に被せるように視界を遮っていた。
まぁ無意識に指の隙間が開いているようだが。
しかしそれに気が付く状況の藍でもないため、急いで後ろを振り向きパンツを履き直すところはまるっきり見られてしまっていた。
「も、もうしっかりしてよ。」
「それは悪かった、申し訳ない。」
ほんのり気まずい雰囲気が流れ始めそうになる前に、先に声を出そうと藍が制服の着方をご教授願う。
「それじゃあ、着方を教えてくれ。」
「わかったわ、それじゃあ、まずこれを履いて。」
そう言って渡されたのは、履き方に何も変わりない制服のズボン。
それを受け取った藍は難なくそれを着こなし、工程は次に移った。
次に渡されたのはこれが早くにして最難関とでもいうべきだろうか制服の上。
「まずは腕を通して。」
「これ、右?」
「違う、逆。
...そそ、でそれが左。」
「なんか、身ぐるみはがされたみたいにボロボロなんだが?」
「そこからボタンで留めてくの、まずは右側に垂れ下がっているそれ、左の下生地に留めて。
そう、で次は左の上生地を今の右に...そそ。
あとはそう、首元のボタンを留めて、ファスナーを下ろす...よし。」
着方を教わる、というよりも着させてもらっている方が近いか、かなり至近距離で手取り足取り教えてもらっている。
しかしこの状況、というよりリルがこうやって何かしてくれているところが、新妻感があって素敵だ。
新妻といっても手慣れている、そんな彼女の距離感に、ほんのり頬を赤く染めているところで、先程の決意を思い出して、急いで顔の熱をとる。
(余裕を持て、俺。)
彼女に息がかからないよう、こっそり深呼吸を一つ。
その間律儀にも彼女はちょっとしたしわを伸ばしてくれたり、体の周りをくるくる回って破損部がないか、間違いがないかを確認してくれていた。
そしてその確認ごとが終わったら、最後の工程として、謎の紐を渡してきた。
「これは、なに?」
「結紐よ。
正装とかの場合、これを両腰から前に垂れるように付けるの。
諸説あるけど、正装を着る場で走ったりとか危険行為をしないことを言わずとも相手に伝える効果があるのだとか。
まぁ私はかわいいからこれを採用しているんだけど...っとできた。」
そう言って彼女が装着してくれた結紐とやら。
左端のベルトループからひざの少し下あたりを通って右のベルトループへ渡された少し頑丈めの紐。
確かにこういった装飾は、正装で集まる場にてお洒落且ついい意味で行動の抑制になり、それでいて見せびらかしているような感じのしない謙虚な意思疎通を可能とさせるだろう。
もちろん走れば引っかかって転ぶだろうし、歩いているとき歩き辛い事この上ない。
しかしそれだからこそ人は慎重に行動する、そしてそれが好印象へと繋がるのだ。
(...あ、そういえば日本国にいた時も正装には結紐なるものが付いていたような気がするな...。)
そんな場所に招待されるようなこともなかったし、そんな身分の者でもなかったがゆえに忘れかけていた事実。
確かにこれまで過ごしてきた日本国にも同じような紐が正装の際には用いられていたことを今ようやく思い出した。
(こういうところをリスペクトしている。
それに今付けてみたら確かに歩き辛いし蛇足感は否めないが、これはこれでかっこいい。
さすが最新のゲーム、品もいいしセンスもある。)
慣れない結紐を腰を左右に動かすことで少し躍らせて、改めて不快感になれるべく体に当てながらリルとの会話を続けていく。
「かっこいいな、これ。
で、もう装備は終わりかな?」
「ううん、まだ。
はい、これ。」
「ん?
結紐?」
「そう、私にもつけて。」
着替え終わった藍にリルが手渡したのは今しがたつけ終わったのと同じ結紐。
そしてその言葉のすぐあと、自身の服をめくってスカートの腰部分を露わにするリル。
恥ずかしがるように少し顔を俯かせた。
残念ながら恥ずかしがるようなことはないだろうとばかりに、下着のせいで腹部の肌は見えていない。
しかし女性が、それも麗しき乙女が自分の服装をあげているというのはなぜこんなにも心揺り動かされるようなことがあるのか...
(ダメだダメだ、平常心だ。
余裕をみせろ、余裕を。)
しっかりと気合を入れ、彼女から受け取った結紐の両端を持つ藍。
そして手を伸ばすはリルのスカート。
別にやましい事なんて何もない。
そもこれは正装を完璧に正す行為、いうなればスーツの際にネクタイを締めるようなものと同義である、多分。
それなのに、どうしようもなく手が震えた
結紐の両端はチェーンフックになっていて簡単に取り付けることが可能だが、手汗でかなり手こずりそうな予感がする。
(ええい、ままよ。)
心の中の掛け声で、一気に手を伸ばしフックをかける。
外れないようにしっかりと口が閉まったのを確認して、次は逆。
途中指が彼女のスカートないし、それを隔てて太ももに触れるようなことがあったが、一切気にしない。
(くそ、こいつ、変な声出すなよ。)
はずだったのだが、どうしようもないのはリルも同じよう。
ビクッと体を震わせることもそれに合わせて声を出すことも、抑えようとしているのかわからないとばかりに聞こえてくるのは、変に集中しているからではないだろう。
そうして体感かなり時間がかかった結紐の装着は終了。
二人して変に汗をかきながら肩で息をする始末。
「それで、看板娘たちは既にこれ付けてたろ。
なんでお前は今更なんだよ。」
「いいでしょ、一緒に付けたかっただけだから、気にしないで。
...ふぅ、よし。
それじゃあ、早速外に出ましょうか。」
「お、おう。」
さらっとすごい可愛らしいことを言われたが、ほんの無意識だったのか特に照れた様子もなく早々に部屋を後にするリル。
少々呆然としていた藍は、ハッと我に返ってすぐに彼女を追いかけた。
部屋の温度は、来た時より少しだけ上昇していた。




