【ドルトロント】
~再生された英雄譚~
「君の両親はもうこの世にいないね。」
「ええ、いませんね。」
一瞬だったが確かに一時時間が止まったように空気が凍った、ような気がした。
「不快な質問をしてしまってすまない。
続きだが、祖父母も、兄弟も、親戚もいない、間違いない?」
「...何で知ってるんですか?」
こわい、すごく怖いですよ。
口に出さずともそう思っていると、僕の表情から御古都さんは何かを読み取って笑った。
「色々と調べさせてもらったと言った通りだ。
もう少し怒られると思ったが、君は思った以上に心優しいな。」
「あぁ、そうですか?
まぁ実際その通りですし、二人のことも記憶にないので、それに関しては特に怒りなんて湧きませんよ。」
僕はこの世界で文字通り独りぼっちだ。
僕が死んだところで悲しむ人がいるのだろうか。
両親は僕が物心つく前にどこかに行った。
その後すぐに僕を引き取り、育ててくれた祖母も歳で亡くなった。
両親が死んだことや、祖母に育てられることになって経緯はすべて今は亡き祖母から聞いたものだ。
二人ともなぜ死んだのかわからない。
だから僕から両親に対して思う感情といえば、両親がいたらしいというものだけだった。
祖母が亡くなったのは僕が18歳になった時だ。
もう立派な大人で、泣くことはなかったが、寂しいものは寂しかった。
高校を卒業して大学にもいかず、親孝行もとい、祖母孝行をしようとしたそばに亡くなった。
一人になった実感はあったがそれでも普通に生きていけることには気づき、次第に祖母がしてくれていた家事なんかもしっかり身についていった。
いずれは祖母のことも悪い意味ではなく忘れるようになり、こうして今でも平凡に暮らしている。
「僕は別に両親に会いたいとか、死んだから悲しいとか、全く感じていませんので。」
あまりにも普通に、そう自然に伝えた。
「そうか。
君の苦労は、私にもわかる。
そういう私も両親はいないのだ。
同じ境遇を抱えている君に、私の気持ちがわかってくれる君にどうしても頼みたいことがある。」
そういうと御古都さんはしっかりと僕の目を見て口を開く。
「今からまた単刀直入に、それも意味不明なことをいうぞ。」
そういうと御古都さんは一呼吸を入れてからまた僕を見て―――――
「君の命を私に売るつもりはないか。」
「...何言ってんすか。」
本当に不思議に思った。
何言ってるんだろう。
少し遅れて追いついてきた思考によると人身売買の話でもしているんだろうか。
そんなべたな展開ではないな。
「どういう意味ですか?」
とりあえず意味は分からないが話を聞いてみよう。
「私が科学者であるということはもうすでに話しているね?」
「いや聞いてないです。」
「おや、そうだったか。
すまない、先を急ぎすぎた。
順を追って説明させてほしい。」
そうして彼女はきちんと自分の過去を話していく。
御古都唯は幼いころに両親を亡くした。
交通事故で両親と私が乗っていた車が横転したらしい。
自我はしっかりとしている、それに両親の顔をしっかりと思い出すことができる。
それなのに事故当時の記憶は抜き取られたかのようになくなってしまった。
そうしていつしか目は閉じられ、次に目を覚ました時は病院のベッドの上だった。
隣には祖父母が立っていて、ずっと手を握ってくれていたのはしっかりと覚えている。
その時は彼らが祖父母なのかすらわからなかったが、自己紹介をされたのはそのすぐ後で、その時に自分の置かれている状況と祖父母の話、両親の話を聞いた。
初めて聞いたときは、周りの大人が言っていることが、小さい自分には理解できない言葉なのだろうと思って聞いていた。
しかし何度も繰り返される度に「両親が亡くなった」という単語の意味を知り、次第に涙の量は激しさを増していく。
その間もずっと祖父母は私に寄り添って慰め続けてくれていた。
そのまま私は祖父母に育てられることになる。
小さいなりにしっかりと生きていかなければならないという使命感を感じ、死に物狂いで勉強していった。
そうして様々な知識を取り入れ、活用し、厳しくも優しく、誠実に育ててくれた祖父母への恩返しとして、とある機器を作り出した。
それが今回人体実験に使われるバーチャル・リアリティを超えた仮想投影機器、通称【ドルトロント】。
歳で足腰が不自由になった祖父母のため、自分にできる最大の恩返しは何か、考えた先に導き出した答えがこれだった。
色々な面でこれまでの恩を形にして返したかった彼女の最高傑作にして、最高の感謝の印。
しかし、祖父母はこれを受け取らなかったらしい。
簡単な話、二人に現世の未練は微塵もなく、長生きもするつもりもない自分たちが受け取っても意味のない代物だと判断したそうだ。
それでもあきらめきれずなんとか二人の役に立てたいと考えていたころ、祖父母の行きつけになった店で働くお気に入りの僕に白羽の矢が立った。
「ざっくり説明するとこんな感じになる。」
「なるほどざっくりですね。」
話を聞き終えた僕は色々な感情を味わっていた。
同情や尊敬、サウダージ。
「それで君には力、というよりも体をかしてほしいんだ。
異世界やら魔法やらに関する本をよく読んでいる、そしてこの話に興味を示すはずの君はどうかな?」
僕のことを調べた、と言っていた通り、今この人の前では僕のすべてを見透かされているような感覚に鳥肌が立つ。
「はい、正直すごく楽しそうだと思いました。
僕でよければ力を貸します。
あぁ、体を。」
申し訳なさそうにそう提案してくる御古都さんには悪いけど、めちゃくちゃ楽しそうだとしか思わない。
「そう、そんなにあっさりと決めてしまってもいいの?」
「はい、楽しそうですし、別に何とも。」
僕からしてみれば退屈な日常にひと時の安らぎ、ただのゲーム感覚だ。
「それに―――――」
ガチャッ――――
「お待たせいたしました、どうぞこちらに。」
そう言って入ってきたのは僕をこの部屋に連れてきてくれた若いほうの執事さんだ。
「あぁ、わかった。」
返事をした御古都さんは今まで僕と話していた時のやわらかい雰囲気はなく、仕事モードにでもなったようにしっかりと変わった。
「絲璃さん、行きましょう。」
彼女に連れて僕は椅子から立ち、彼女の後を追う。
「お待たせしました絲璃さん。
どうぞこちらにおかけください。」
そう言って僕に手で椅子に座るよう勧めるのは朗らかなおばあさん。
応接室から少し歩いた場所にあるこれまた大きな部屋。
そこには椅子に腰かけるこれまたきれいな服装になった老夫婦が座っていた。
「あ、どうも。」
二人に挨拶とお礼を共に済ませながら椅子のほうに向かう。
その道中、部屋の中央にある巨大な機会に目を奪われ続けていた。
椅子に腰かけると同時に御古都さんも腰掛け、おじいさんとおばあさんの正面に僕、上座の一席に御古都さんが腰掛け、テーブルに向かい合う形で椅子に着いた。
「あれ、なんですか?」
腰掛けるや否や御古都さんに部屋の中央にある大きな機械に目線を送る。
「あれが【ドルトロント】ですよ。」
簡単に答えてくれる御古都さん。
「それで、絲璃さんはなんて?」
今度はおばあさんが御古都さんに尋ねた。
「すべて了承してくれるみたいですよ。」
と、先ほど二人で話した内容を老夫婦に話していった。
自分の祖父母に対して敬語なのは少し違和感を感じたが、気にすることのことではみたいだ。
「そうですか、よろしかったのですか?絲璃さん。」
そう言って心配そうな表情を浮かべるおばあさん。
「えぇ、大丈夫ですよ!
何だか楽しそうですし、僕からすればゲームみたいなものですよ。」
ゲームという単語か僕と老夫婦の間では同じ感覚なのか一瞬言葉につまずいたが、これまた気にすることではなかったみたいだ。
おばあさんは心配そうな顔から一転、うれしそうな顔になって声音を弾ませた。
「そうですか。
よかったね、唯ちゃん。」
一言一言ゆっくり話していくおばあさんは今まで以上に落ち着いて朗らかだ。
「はい、それでは絲璃さん、詳しい説明を行っていきます。
そして大事なことも言いますから、ちゃんと聞いて覚えておいてくださいね。」
くぎを刺す御古都さんの目は、微笑む口元とは反して笑っていないことから、よほど大事なことなんだろうと、改めて聞く準備を整える。
「わかりました。」
そこからは詳しい説明が行われて行くことになる。
部屋の中央に置かれたメタルの近未来型の箱舟。
丸々としたボディに、一切の傷はなく、それぞれの結合部の隙間は全く見えない、本当に中がベッドのような空洞のただ楕円形の物体。
それが【ドルトロント】だ。
【ドルトロント】は仮想世界に現実世界の肉体、人格、精神をそのまま投影する新開発の設備である。
その実態はまだ世の中に出ておらず、機材、機械関係でいえば、売り上げ、利益率、すべてをとって右に出るものはいないと世の中に名を轟かせている、御古都グループがひそかに研究しているものだ。
VRとしてその名は広く浸透している現代においても、フルダイブ型のシステムが研究段階であるにもかかわらず、御古都グループのそのさらに先を歩む技術によって作られた【ドルトロント】。
その仕組みはそれを開発した御古都唯以外誰も知りえることがない。
彼女が持ち寄った機械を組み合わせるだけの研究者たちは、一代一人で世に名を知らしめた彼女の実績を信じ従い、何のためらいもなくその装置を完成させた。
使ったところを見たものはいない、そう絲璃藍が初めての被検体なのだ。
しかし、その研究者たちはこの部屋に入ることを許されていない。
この装置の研究も、はたまた藍が実験台となって起こる変化を見ることすら敵わない。
それは一重にとあることが原因だ、と言われたが、その詳細までは教えてくれなかった。
次にもう一度確認が行われた。
知っての通り僕には家族はいないし、働いていたのは自分の生活のため。
それゆえ、この実験で何かしらの不具合が起こったとしても別に構わないのだ。
と伝えると御古都さんは困ったようにも安心したようにもとれる表情を見せた。
それでも働いて稼いだお金はもったいないのでクレジットカードと通帳を御古都さんに渡し、暗証番号を教えることにした。
はした金だが、何かにはなるだろう。
その行動によって覚悟は済んでいることを強める。
間もなくすべての確認が終了して、今度はその使い方を教わる。
使用方法は発展途上なだけに近未来のようなシステムはなく、睡眠導入剤と精神安定剤、さらに本体は動いていないのにもかかわらず、それ以上の働きを見せる脳のダメージを軽減する注射。
その他もあれやこれやといろんな薬を打たれたり飲まされたりした。
使い方自体は寝れば起動するらしい。
実に簡単である。
最後に今後の話をされた。
これが一番重要らしいので、意識がもうろうとする中必死に記憶していく。
「いいですか、仮想現実の中へと通された後はこれからいうことに従ってください。
そんなに難しいことではないので、しっかりと覚えてくださいね。
まず、投影されたあなたはとある家のベッドにつくように設定しました。
その家の主と会うまで、その場を動かないでいてください。
あったらその方にヴィヴェラ・アルメイデと伝えてください。」
「ヴィヴェラ・アルメイデ...」
「そうです、ヴィヴェラ・アルメイデ。
その後はその方の言う通りに自由に遊んでくださって結構です。」
本当に覚えやすかった重要な話がすぐ終わった。
「それだけでいいんですか?
特に、何かしてほしいことやら、研究材料になるような行動はしなくても?」
「いえ、その必要はないです。
本当に自由に暮らしてくださって結構ですよ。」
そういうと、御古都さんはとても可愛らしい笑顔をみせる。
「それと現実世界から仮想世界の通話、またはその逆もできないようになっています。
他にも、あちらの世界の絲璃さんのステータスは、こちらで設定させていただいています。
何不自由なく暮らしていけるようになっていますので、ご安心ください。」
追加の説明を淡々と説明口調で語る彼女。
なぜか、その表情には曇りの感情が見え隠れしているような気がしてならないのは、おそらく気のせいだろう。
その後はそれほど重要そうではない会話をしながら少しの時間が過ぎ、そうしていよいよ【ドルトロント】を使うときがやってきた。
僕と御古都さん、おばあさんと二人の執事の五人で【ドルトロント】に近寄る。
「それでは絲璃さん、【ドルトロント】の中に乗って横になってください。」
「わかりました。」
返事をして靴を脱ぎ、【ドルトロント】、というよりは普通にベッドに寝転ぶかのようにフカフカのものに乗る。
「あ、靴はそのまま履いておいてください。
でないと向こうに靴を履いていない状態で飛ばされるので。」
「あぁ、投影...」
今さっきまでさんざん言われていた投影そのものの言葉を浮かれ、忘れかけていたことに苦笑。
「すみません、浮き足立っちゃって。」
「いえいえ、ですが、あの言葉は忘れてはいけませんよ。」
「ヴィヴェラ・アルメイデ、ですよね。」
「そうです、それでは、横になってっください。」
彼女に言われるとおりにベッドに横になって、目を閉じる。
「最後に注射を打ちます。
これは睡眠に落ちるというよりも、気絶に近いほど強力な薬になります。
一瞬気分が悪くなるかもしれませんが、そのために向こうに行って脳への障害軽減の注射を打っているので、大丈夫だとは思いますが、覚悟はしていてください。」
そういう彼女の言葉に少しだけ怖いな、と感じつつも返事を返す。
「それは、世間には公開できないわけですね。
わかりました。
このままずっと目を閉じていて構いませんか?」
「えぇ、それでは少し待っててください。」
御古都さんがそういうと少し離れたのをなんとなくで感じた。
それと入れ替わりに誰かが近づいてきたような気がして、その正体にすぐに気が付く。
「絲璃さん、本当にありがとうね。」
「あ、おばあさん。
何がですか?」
「せっかく御古都ちゃんが作ってくれたものだから、その気がなくても心残りでね。
使ってくれる人があなたでよかったわ。
「そんな、本当に僕でよかったんですか?」
「あなたがよかったのよ。
それに、私もおじいさんも、これ以上長生きなんてする気はないの。
こういう機械は私たちにはよくわからないし、若いあなたならきっと大丈夫よ。」
おばあさんはそういうと目を閉じたままの僕の手を握った。
彼女たちのさらに奥で今まで座っていたおじいさんが立ち上がり、こちらに近づいてくる足音が聞こえる。
「元気でな。」
「え?」
今のはいったい誰の声だったんだろう。
なんだか、懐かしいような...。
「もうおじいさん、こんな時に恥ずかしがらなくてもいいじゃない。
ふふ、最後までごめんなさいね。」
そう言いながら辺りでは張り詰めた朗らかな空気が流れ始める。
「それでは、始めます。」
すぐ後に御古都さんの声が聞こえて、二人が離れていく気配を感じる。
「絲璃さん、それでは初めに色々な機械を調整するので、痛いかもしれないけど、我慢してね。」
その言葉のすぐあと、手術なんかで聞く心拍の音や、そのほか色々な機器を運ぶ車輪の音が聞こえてくる。
(やっぱすごい大がかりだな。
ここまでしないといけないなら、まだ世の中に公表するまでは時間がかかりそうだな。)
と痛みに耐えるために脳内で色々なことを考えていく藍。
「それでは最後の注射を打ちます。
いいですか、最後にもう一度確認です。」
一呼吸おいて語る彼女の声は、ふらふらする脳内に何となくしか聞こえなかったが、多分大事なことを言っているんだろう。
「ヴィヴェラ・アルメイデですよ。
そしてその方の言うことをよく聞いて行動してください。
準備はいいですか?」
何となくきいた彼女の声の最終確認にこれまた何となく頷く。
「それでは行きます。」
間もなく絲璃藍は自身の首元に激痛を感じる。
(あ、腕じゃなくて首に打つんだ。)
そう思ったのは一体どの世界にいた僕だったのだろうか。
その思考はすぐにシャットアウトされ、意識は闇の中へと消えていく。




