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7/12

六、定休日

 月曜日。

 窓の外は青空で、様々な表情を持つ空の中でも一番明るいのが雨上がりの朝だということにはじめて気づく。

 昨日の雨粒がまだ木の葉っぱや窓ガラスなんかに残っていて地面に水たまりが生まれていたりする。

 僕はまるで緑や地面の間からも太陽の光が注いでいるような錯覚に陥った。

 今日ようやく太陽が登場したのだ。

 眩しい青空に誘われて、その空を見上げた途端、マレットゴルフや古い楽譜のことはすっと頭の中で薄くなった。

 今日はアラジン山へ行けるのだ。


 朝食を食べるとすぐに三日ぶりのアラジン山へ向かった。

 プールが開く時間より一時間以上も早く着く計算になるが、それまでは池のほとりのベンチで本でも読んでいれば済むことだ。

 このところのお気に入りの日常がやっと戻ってくることが僕はなにより嬉しかった。


 いつものように川すじに沿って歩いてなだらかな斜面を進むとアラジン山に入る。

 しかし、その日、アラジン山はいつもと様子が違っていた。

 入り口に入った瞬間、なんだか静かな気がしたが、自分のミスに気づいたのはプールの入場券の自販機に『定休日』の案内板がぶら下げられているのを見た時だ。

 図書館も同様に『本日休館』のついたてが入り口の自動ドアの内側にあって、あと何時間経とうが開く気配はない。

 僕はしばらく呆然としてそれからプールと図書館の外側を意味もなく一周した。

 その日、アラジン山の施設全体が休みなのは間違いなかった。


 しばらくしてやっと頭が働き出す。

 しかたないので家へ帰ろうかとも思ったが、振り返って図書館の入り口を見た時、コウキチがやってきて開いてないと知ったら、やっぱりがっかりするだろうなということに思い当たる。

 どうしようかと思ったが、コウキチが来るかもしれないので僕はしばらく待っていることに決めた。

 図書館の前の小さな段差に座り込む。

 ちょうど建物の影に入っていて、水辺のベンチほどではないがまあまあ心地良い。

 場所を決めると僕はそこでスミエさんから借りた本を読み始めた。


 そうして時間をつぶしているとやっぱりコウキチは姿を見せた。

 空と坂の地平線の間から現れたコウキチは今日も青い自転車に乗っている。

 坂道を上がってくる自転車はひどくゆっくりだ。

「よう。」

 坂を上りきったコウキチはわきの駐輪場に自転車を固定させると僕の方へ近づいてくる。

 アラジン山の斜度のせいですこし息が上がっていた。

「やっぱ、来てたか。今日休みだろ。」

「うん、そうみたい。」

 コウキチは図書館が休館日なのには驚いていなかったので不思議に思って僕は聞く。

「休みなの知ってたの。」

「たぶん休みじゃないかと思っていたくらいだ。」

 僕の知っている大人はあんまりそういう無駄なことはしない。

「まあ、ジュースでも飲もう。」

 そう言うとコウキチは自販機に向かった。

 それからコウキチは、歩きながらよく晴れた空を見上げてふと笑ったので、それで僕も気持ちの良い風が今日もこの丘に吹いていることに気づく。

「ところで、タケシ。あの空を見てごらん。白い雲があるだろ。」

「うん。」

 コウキチはバックから大きめの本を取り出した。

 僕はそれからコウキチが何をしようとしているかなんとなく分かって嬉しくなった。

 そうだ、コウキチと最初に話した時はセキランウンのことを教えてくれた。

 そしてこの週末、青空続きの天気が途切れて雨が降ったから、きっと僕と同じように空の様子を気にしていたに違いない。

 だから空への興味が高まったのだ。

「雲には種類があって名前があるんだよね。あの雲はわた雲でしょ。」

 僕は本屋でぼんやり眺めていた本のことを思い出して、雲の名前を口にしてみた。

 コウキチの方も僕が同じように空に興味を持っているのが分かったので嬉しそうだ。

「そう、わた雲はセキウンとも言う。じゃあ、あの雲が成長中なのか、弱まっている途中なのかは分かる?」

「それは難しいよ。」

「そんなことはない。ちゃんと本に書いてあった。」

 そう言って手にしている僕に本の表紙を見せる。

 僕が本屋で眺めていたのとは違うやつだ。

 シールが付いているから図書館から借りておいたものらしい。

「雲の下が影みたいに黒っぽい。」

「そうかな。」

「薄いけどね。で、上側がモクモクした感じで、輪郭が上へ広がるように変わっていくから今は成長中だよ。」

「じゃあ、弱っていく時は?」

「空側がケバケバになるらしい。」

「へえ。そんなことも書いてあるの。」

「そうさ。風が強いとまんまるな不思議な雲の形になる。空で起こっているヨモヤマごとはみんな雲が教えてくれるんだ。」

「へえ。なんかすごいね。」

 そうして二人で本と雲とを眺めてみる。

 確かにコウキチの借りている本には雲から分かる空のヨモヤマごとが書いてあった。

 ただ、やっぱり難しいのは雲の発達で、どうも発達している時も頭が押さえられて背が伸びない場合があるらしい。

 コウキチは僕よりも深く本の知識を吸収しているようだったが、輪郭がモクモクすることと大きくのびることの違いは説明しきれないようだった。

「やっぱりもっと図書館で調べてみなきゃダメだな。読んでない天気の本があったから見てみよう。」

 コウキチはすこし気分を変えるようにまた空を見上げて、それからようやく自販機でジュースを買った。

 雲の話で喉が渇いていたのを忘れていたようだ。

 そして、またふと思いついたように図書館の先を指差す。

「蒸気機関車、見たか?」

 コウキチが指差すその先には、現役をずいぶん前に引退した蒸気機関車が芝生の上に展示されている。

 触ったり運転席に入ることができるように再加工されてここへ運ばれたものだ。

 上塗りを何度もしたと思われるペンキの感じが強そうで僕は好きだった。

「うん、何度も見てるよ。」

「あれ登れるの知ってるか?」

「え? でも登ってはいけませんて書いてあるよ。」

「今日は休みだからいいんだ。自分で責任をとれるならな。そういうことって大事だよ。ルールにも言い伝えにもだいたい理由がある。それを分かった上で付き合っていかなきゃいけない。」

「ふうん。昔話とか民話のこと?」

「そうさ。民話では怖がらせることで危険な場所を知らせたり、大事にすることを教えたりもしてる。理由っていうのはそういうもんさ。ルールはそうして出来たりもする。」

「学校でもそう?」

「学校でもそうさ。ただ、学校の場合は先生が責任をとらなきゃいけないことが決まっているから、その場合は先生の言うことを必ず聞かなきゃいけない。」

「ふうん。」

「そんなことより言いたかったのは蒸気機関車のことだ。いいか、蒸気機関車ってのは昔は人がさんざん手入れしなきゃいけなかったから、どこでもよじ登れるようになっているんだ。」

 そう言ってコウキチは蒸気機関車の方へ歩いていく。

 僕もそれに従うと、近づいた足元にはやたらと小さく白い看板があって、『機関車には登らないで下さい』と書いてある。

 その看板を僕は以前にも確認したことがあった。

 コウキチはそれに構わずに機関車の真正面の金具に手をかける。

 今まで気づかなかったが確かにハシゴらしき鉄枠があちこちに付いている。

 僕もコウキチにならって蒸気機関車を登り始めた。

 運転席どころか車輪の上や石炭置き場、はては屋根の上まで確かに自由自在だった。

「こっちだ。こっち。」

 僕が運転席の天井を覗いていると下の方からコウキチの声がした。

 呼ぶ方に行ってみると機関車の真正面にコウキチは立っていた。

「いいか、ここから運転席を通って、石炭を積む所からもう一度地面に降りることができるはずだ。やってみるか。」

「うん。でもゆっくりね。追いつけないよ。」

 そうしてひとしきり蒸気機関車で遊んだ。

 結局、怪我をした時の責任について深く考える事態になる前に二人とも『機関車のぼり』の遊びに満足できた。



 時間がたっぷりと余っている僕とコウキチは、その後に普段あまり行かないアラジン山のあちこちを見て回ることにした。

 ちょっとした冒険だ。一人での冒険はここに来てずいぶんやってきたが、二人での冒険というのはまた違った楽しさがある。

「隊長、この先にも道がありますよ。どっちに行きますか?」

「じゃあ右に行こう。」

「あ、でも、右に行くとあっちはさっき歩いてきた所じゃないですか。なんだか知っている方へ戻るのは冒険らしくないんじゃないでしょうか。」

「うん。」

「左に見えるのはあれはなんでしょう?」

「よし、左に行こう。」

「隊長、了解しました。」

 コウキチは冒険隊の隊員役がうまく、隊長である僕に適度なタイミングで判断を促したり、うまくなだめすかしてみせる。

 林の回廊を進む散策路がアラジン山の公園を取り囲んでいるのを知ったのはこの日だった。

 そして所々エスケープコースがあって、公園内部と出入りが出来るようになっている。

 コウキチと僕はその散策路を効率悪く二周した。

「隊長見て下さい。あそこに湖が見えます。」

「よし、あそこへ行ってみよう。」

「ベンチもありますよ。隊長、もう私は疲れました。すこし休ませて下さいよ。」

「よし、分かった。あのベンチに着いたら休むことにしよう。」

「いや、待って下さい。なんだかお腹が空いてきました。」

「よし、そうだな。湖に食べられる魚がいないか探してみよう。」

「それより隊長、この山の先でお弁当が売ってました。それを買ってきてここで食べるのはどうでしょう。」

「うん、そうだな。それもいい。どこだ。」

「アラジン山の入り口を右に行ったあたりなんですが、どうやって行ったらいいでしょう。」

「こっちだ、行くぞ。」

「はい、隊長待って下さいよ。」

 お弁当を売っている店までで探検隊ごっこは終わりにして、コウキチはそこでお弁当とお茶を二つずつ買った。そこで冒険隊口調をする遊びもおしまいだ。

「ああ、冒険隊ってのは疲れるなあ。」

 コウキチがややうらみがましく言った。

 でも顔は笑っている。

「でも、面白かったよね。冒険もたくさんできたし。」

「そうだな次は冒険隊じゃなくて自然保護隊がゴミ拾いしたりするのにしようぜ。いくらなんでも今日は歩き過ぎだ。」

「いいけど、それは面白いの。」

「少なくともアラジン山がもっと綺麗になる。」

「うん、じゃあいいよ。」

 アラジン山まで戻る時も僕は先頭で歩いた。

 元隊員のコウキチはお弁当を二つぶら下げて後に続く。

 アラジン山へ戻ると僕たち元冒険隊は池の方へ向かった。


 最後に落ち着いたのは水辺のベンチだ。

 ゆっくりと白鳥を眺めることができるので、そこもコウキチと僕のお気に入りの場所にしていた。

 そのベンチに座って僕たちはお弁当を食べる。

 なんだかおいしいお弁当だと思った。それからまた目の前の空を見て思い出したことをコウキチに話しかける。

「ねえ、雨が降った次の日って空が明るい気がするんだけど。」

 コウキチは答えを知っているのかと思ったが、そうではなかった。

「そうだな。また今度図書館で調べてみようか。」

 どんな空にしても広がっているのは夏の空、今日も暑かった。

「あーあ、泳ぎたいな。」

「明日になればプールが開くさ。天気も良さそうだしな。」

「うーん。でも泳ぐつもりだったからさ。今日は楽しかったけど泳いでないんだって思い出すとなんかつまんなくなる。」

「つまんないか。」

「ちょっとだけね。」

 本当はとても充実した日だったのだが、僕はすねるように贅沢を言ってみた。

 すこし甘えただけだったのだが、少し間があってからのコウキチの返事はあまり簡単な内容ではなかった。

「まあ、気持ちは分からないでもない。なんかあるべきものがなくなる時ってさ。会社でもそうだけど落ち着かないもんだ。」

「会社でもってなにさ。」

「今思ったのは仕事のパソコンが壊れた時だ。自分が仕事で毎日使ってるのが壊れて昨日まで使ってたデータや書きかけのものなんかが全部手の届かないようになってしまう、前にそんなことってあったんだ。青ざめるけど壊れたらしょうがない、忘れちゃいけないことも忘れてしまえる理由になる。肩の荷が軽くなったような気分さ。」

「ふうん。壊れて良かったってこと?」

「ある意味そうだな。まあ諦められないでいたことを頭から消さなきゃいけなくなる。それまでためこんでいたやらなきゃいけないこと、いつかやろうと思っていた宿題なんかが全部なくなるんだ。そりゃあ、やりかけのことをまたやるのは嫌だけどさ。費やした時間なんかなかなか諦められない。でも、それで本当に必要なものをまたゼロから構築できる。それってちょっとしたストレス解消なんだ。」

「ふうん。でも夏休みなのによく会社のことなんか思い出すよね。結局コウキチは早く会社に行きたいんじゃないの。」

 僕はちょっとチャチャを入れただけのつもりだったが、コウキチはその一言に言葉を詰まらせた。

 ちょっとへんな顔になって口をつぐんだので、僕はあわてて雰囲気を変えようとした。

「ねえ、前にも聞いたけどなんか面白いことってないの?」

 コウキチは何かを思い出したように間の抜けた返事をする。

「・・ああ、それはあるはずだと思ってるよ。」

「見つかりそう?」

「夏休みももう半分経っちゃうんだよな。まだ答えは見つかってないのに。」

「なんの答え?」

「夏休みの宿題さ。その答えを出さないと俺の夏休みは終わらないんだ。」

「それは忘れちゃいけないの。会社のコンピュータみたいに。」

「答えを出しかけたんだから、コンピュータが壊れたってまたすぐにやり直さなくちゃいけない。つまり最初に片付けるべきものなのさ。」

「ちょっと厄介そうだね。」

「そうだな。いや、でも本当はさ、そのための夏休みなんだ。宿題のために夏休みがあるっていうのも変だけど、実際のところ俺の場合は宿題をするための夏休みかもしれない。」

「うん、僕もそう思う時あるよ。」

「まあ、宿題って意外と大事なんだよ。宿題のない夏休みなんてないんだから。」

 僕にとっての宿題ってなんだろう、コウキチの話を聞いていたらもっと宿題を探さなくちゃいけないような気がしてきた。そして僕は頭に浮かんだことをそのまま言葉にする。

「そういえばね。僕は夏休みの間に出来るようになりたいこと、いっぱいあるんだ。オルガンを上手くなりたいし、あと野菜もおいしく食べられるようになりたい。サラダを残すと伯母さんたちが悲しそうな顔するから。キュウリはダメなんだけど、このごろ少しはね、トマトは食べきれる日もあるんだ」

 その時、わずらわしかったり難しかったりで避けていることを口にしたのは自分でも意外だった。

「オルガンは?」

「上手に弾けたらおばあちゃんが喜ぶから。」

「そうかじゃあオルガンは目標かもしれないし、サラダは宿題かもしれないな。」

「え?」

「宿題と目標は違うだろ。五十メートル泳げるようになるってのは宿題じゃくて目標だ。宿題と目標と両方整理しないで持とうとしてもダメ。だいたい後で無理が出るからね。何も持たずに出来たらいいけどそうはいかないんだから。気づかずにでもいい、宿題も目標も両方がんばればいいんだ。結局最後は同じことになるんだからさ。」

「同じことってどんなこと?」

「それはまだ分からない。だから宿題も目標もやるんだ。」

 そういえば前に夏休みの目標を聞かれて僕は五十メートル泳げるようになりたいと答えた。

 その時に聞かれたのは夏休みの宿題じゃなくて確か目標の方だった。

「じゃあ、コウキチはなんで宿題だけなの。」

「俺の目標はここの図書館だ。最初から決めていた。だって宿題だけで目標のない夏休みなんて冴えないからさ。」

「じゃあ、僕もちょっとオルガンの練習をしようかな。おばあちゃんも喜ぶかもしれないし。」

「そうだ、水泳もがんばれ。でも目標ばっかりやっていちゃダメだ。宿題もやらなかったらダメだぞ。」

「うん、分かっているよ。オルガンも水泳もがんばるよ。」

「それに自分で決めたんだったら野菜もな。」

「・・・うん、分かっているよ。それより展望台の方へ行こうよ。午前中と違う雲が見えるかもしれないし。」

 昼下がり、気持ちのいい風の吹く丘、時間はあっという間に過ぎていく。

 人けのないアラジン山でコウキチと僕はそれから再び親友のように午後の時間を過ごした。


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