一、穏やかな街に住む人々
小学校四年の夏、僕は母親の実家に二週間ほど預けられることになった。遊んでばかりの小学生で家にこだわりなどなかったが、あまりに話は突然だった。
父と母に揃って仕事の都合と言われたら十歳の僕には反対のしようはない。
母の生家は信州にあって、僕は高原の中にあるようなその街が結構好きだった。
小さい頃から人ごみが嫌いだったし、高層ビルがほとんどなくて街のどこにいても四方から山が見下ろしてくれるのも心がなごむ。
その街には祖母と母の姉の家族が住んでいて、それも僕がそこを好きな理由の一つだった。
初めての一人旅、といっても家からさほど遠くないターミナル駅から長野にある駅改札までという極めて限定的なものだった。
母が特急のホームから送り出し、長野の駅では伯母が迎えに来てくれる。
電車に一人で乗って降りる駅を間違えず改札を抜ければ良いというわけだが、それだけでも僕は十分興奮していた。
年に一度程度しか顔を出さない特別な所だから近所でのお使いや頼まれごとなんかとは全然違うからだ。
冒険の日、まずは母と一緒に移動して家から一時間ほどの特急の出発駅にたどり着く。
見慣れない駅のホーム、母の言葉をいい加減に聞いていたら発車の時刻となった。
母はいそいそと電車から降りると窓から手を振る。僕の席は窓側で、電車が動き出すと同時に、そこから見える母の姿やホームの景色はあっという間に流れていった。
特急の車内、最初はふつうの電車と比べて速さを感じなかった。
ただ、高層ビルや建物の背中が立ち並ぶ線路の両側なんかが普段乗る電車と違っていて、すこし特別に思えたので窓からの景色を見続けた。
用意していたお茶やお菓子にすこし口をつける。寝過ごさないように気をつけてと母は言っていたが、僕は寝てしまうつもりは全くなかった。
車窓に映る景色は人工の建物から変わって、次第に緑や山々の稜線が流れてくるようになる。
夏の濃い緑色は生命力というものを一つの景色にまとめていた。
しばらくすると、まだ稲穂が垂れる前の生き生きとした田んぼの緑が風景の中に増えてくる。
窓から見える景色をぼんやりと眺めていたら、その景色の中に誰かがいるのに気がついた。
緑色の幻、それは人の形をしていてせわしなく足を動かしては僕に手を振っていた。
足の速い緑色の服を着た彼は電車が大好きなようで、盛んに窓の外から電車を眺めては僕に話しかけてくる。
彼は眩しい緑色の稲田とか緑が茂っている所しか走れないようだった。
だから、田んぼばっかりの景色の時はいいが、それが少なくなると、車窓から見える緑の場所に合わせて電車から離れたり、急に近づいたり、かと思うと突然、大ジャンプしたりと忙しい。
停車駅が近づき緑が減ると彼は次第に移動できなくなって一旦見えなくなる。
そして、その駅を出発すると線路わきの樹木なんかからこっそり顔を出して、スピードが上がるとやがて彼本来の素早い跳躍を繰り返すようになるのだ。
僕は目的の駅までの道のりを聞いたが、彼は地図とか地名とかに全く弱かった。
結局、駅に着くたびに僕が駅の名前を覚えて、電車が動き出して再び現れた彼に駅名を教えてあげたりした。そんなことをしていたので彼とはすぐに友達になって、そしていろんな話をしていたような気がする。
例えば今日の冒険のこと、家族や学校のこと、それに友達や近所の出来事なんか。
彼は自分の話もしてくれたが、その内容はなかなか理解できなかった。
聞き取りにくかったり知らない単語があって聞き返すと、すでに彼は別の場所から別の話を始めているからだ。
彼の動きを追って声を聞いてるだけでずいぶんと忙しく、結局、彼の話した内容はほとんど覚えられなかった。
やがて目的の駅が近づく。
スピードが落ちてくるとさらに彼の声を聞き取ることが難しくなる。
たぶん彼は景色が流れていくような状態の中でしか本当は存在できないのかもしれない。
ホームのすぐ手前の小さな緑地の所で、彼は最後に右手だけ上に出して見せてバイバイのサインをしてくれた。
「岡谷、岡谷です。出口は左側です。岡谷を出ますと次は塩尻に止まります。」
車内のアナウンスは僕が降りるべき駅名を告げていた。
僕も窓に向かって小さく手を振ると忘れ物がないか慌てて荷物を確認した。
初めての一人旅、特急の電車の中で、僕はほとんどずっと窓から外を眺めていたのだった。
電車を降りて階段を上がると出口は一つしかない。
小学生の僕でも迷いようのない構造だ。見慣れた一組の人影を見つけたところで僕の最初の一人旅は終わった。
多少のもの足りなさはあったが、久しぶりに見る優しい親戚たちの顔を見てやはり安心する。
電車を降りる時に頭の中の大半を占めていた緑色の服を着た友達、彼は一体なんだったのだろうという疑問はすぐに消えてしまった。
「こんにちは。」
「タケちゃん、久しぶり。えらいねー、よく一人で来れたね。」
「こんにちは。またすこし大きくなったね。」
迎えに来てくれたのは伯母と従姉のスミエさんだ。
この二人は少なくとも僕が知っている中で最も穏やかな家族の一員である。
それはあまりに鷹揚で他人の悩みには如才ないというか、関与はない。
つまりは理想的な親族と言えないこともない。
伯母は運転が得意だったが、その日、運転してきたのはスミエさんの方だった。
スミエさんは二人姉妹の姉で、最近車の免許を取ったばかり。
今日はちょうど休みだったので練習ついでに車を出したのだと照れるように話してくれた。
姉のスミエさんは地元の幼稚園に勤めている。
妹のユウコさんの方はまだ大学生で、すこし離れた街で一人暮らしをしているはずだ。
スミエさんの新車に乗りこめば家までは三十分ほどでたどり着く。
家に着くと祖母が玄関口で待っていてくれた。
「こんにちは、おばあちゃん。」
再会の時、祖母が両手をのばすと届きそうな所に自分の位置を変えておいて声をかける。
武骨者だったという祖父はもう亡くなり、祖母は目が不自由なため出歩くことはあまりない。
「こんにちは、タケちゃん。ああ、こんなに大きくなって。」
目の見えない祖母は肩のあたりから頭をさするように触って歓迎してくれる。
それで孫の大きさを確認して成長を実感するようだ。
祖母は濃い茶色の色メガネをかけていて、うっすらと見えるまぶたはいつも閉じていた。
目が見えなくなってからもう何十年と経っているから、自分の家にいる時は身の回りのことはほぼ一人で済ますことが出来る。
どこに何があるのか完全に分かっていて、本当は目が見えているのではないかと疑うくらいだ。
僕が間違っていつもと違う所にザブトンを置いたくらいでは完全に対処をする。
祖母は別棟に住んでいて、まず僕はスミエさんと一緒にお菓子や祖母の入れてくれたお茶をごちそうになった。
「お母さんもお父さんも元気?」
祖母がお茶に口をつけながら話しかける。
急須は祖母が使いやすいように取っ手の所が常に立っていた。
祖母はそうしてすこし高い所を手でそろりそろり探って、それからしげしげと取っ手をさわり、急須の前後を取っ手の形で確かめる。
そしてようやくそれでしっかりと急須を手に取ることができるのだ。
「うん、でも二人とも忙しそうだよ。」
「そう。」
「おじさんもおばさんも働いてるんだもんね。東京の方の会社はなんか忙しそうだよね。」
「うん。二人ともなんかいつも忙しそうなんだ。」
「タケちゃんの学校はどうなの? 忙しい感じじゃないよね。」
その質問をしたのは祖母ではなくスミエさんだ。
スミエさんは幼稚園に勤めているので学校関係にいろいろ興味があるようだった。
「昼休みくらいしか校庭でしっかり遊べないんだ。だからジュップン休みは忙しくない。」
僕は学校のタイムスケジュールと遊ぶ予定なんかを祖母たちに話して時を過ごす。
茶飲み話というのが僕は苦手だったが、祖母とスミエさんが交互に出す質問に答えたり感想を聞いているうちにあっという間に時間は過ぎた。
しばらくすると夕飯の手伝いをしなくてはいけないというスミエさんに促されて、僕とスミエさんは伯母たちがふだん住んでいる母屋の方へ移動した。
居間に着くと今度は伯母がお茶と漬物を出してくれた。
去年ここを訪れた時もよくお茶を飲んだ気がしたが、その記憶は間違っていないようだ。
漬物を一つ二つつまんでいると、すこし後に役所勤めの伯父が帰ってきた。
それから伯母の家で夕食を頂く。食事の間中、伯母は一人で来たことを何度も褒めてくれた。
これまでも伯母の家で食事をごちそうになる時はいつも野菜と漬物がたくさん食卓に載っていた。
この家での食事は一年ぶりくらいだったが食卓の傾向も以前と全く変わっておらず、伯母がたくさんの野菜を目の前に運んできてくれる。
しかし困ったことにその頃の僕は野菜を食べるのはあまり得意ではなくて特に生のキュウリが苦手だった。
「キュウリ苦手なの? じゃあトマトを持ってきてあげようか。」
「トマトもいいや。サラダは得意じゃない。」
「うちは野菜以外なにもないからね。お豆腐ならあったかしら。」
その家族は皆野菜好きなのでほぼ野菜に彩られた食卓が日常なのだが、キュウリやピーマンが食べられなくてそのほかの野菜も進んで食べたくはない僕にとっては難易度が高すぎた。
結局、その夜は僕にだけおかずが一品追加され、勇気をふり絞ってふだんなら投げ出すくらいの野菜をなんとか平らげた。
具だくさんの味噌汁、カボチャの煮物、つけ合わせ、などなど。ただし、キュウリの入っているサラダは強敵で、その日の食べ残しはその一品になる。
到着したのは金曜日でその週末は伯父が何度もボードゲームの相手をしてくれた。
親戚の家にはいくつかボードゲームがあったが、特に僕が気に入ったのは『人生ゲーム』だ。
ボードにくっついている緑の山の感じとか、車に乗っている人がだんだんと増えていく所とか、なんだかとても楽しい雰囲気がして何度も何度もゲームを繰り返しルーレットを回し続けた。
数回は伯母も一緒だったが、来客や食事の準備やらがあってほとんどは伯父と二人。
回数を重ねるうちに勝手なルールを加えるようになって、一人が二人分の車を動かして合計の金額で最後は順位を決めたり、あまりに差が離れすぎると一回休みになったりとゲームは進化していった。
僕の相手をしてくれるもう一人は祖母である。
僕は祖母のいる別棟の部屋を借りて寝泊りしていたので、たまに祖母に朝ごはんを作ってもらっていた。
祖母は動作はゆっくりではあったが毎日を忙しそうにしている。
家の中で家事をしたり、よく点字で何か打ったりしていた。
俳句を詠んでいるらしいのだが、最初僕には点字の意味する所が全く分からなかった。
点字とは目が不自由な人が読み書きをするためのもので、初めて見た時にはロボットに解読させる暗号のようにも思えた。
点字には針に握り手をつけたような道具を使う。
握りしめる木製の部分からは細い鉄の棒が出ているが、その先端は丸い。
それで紙に穴を開けるのだ。
穴と言っても完全に貫通させるのではなく、木の下敷きが適度な所で針をとめるので、小さな出っ張りが紙にできる格好になる。
その小さなデコボコのついた紙をひっくり返して指でなぞると祖母のような目の見えない人でも文字が読めるというものだ。
点字を教えてくれと祖母にせがむと祖母は根気良く同じことを説明して繰り返してくれた。
サイコロの六のような穴があって、母音ごとの穴の開け方、子音ごとの穴の開け方が決まっている。
一つのブロックに母音と子音を重ね合わせるように打つのだ。
ブロックの位置を決める金属の止め具があるが、それに紙を挟んでは行を変える作業を祖母はとてもスムーズに行なう。
僕は目を使っても全然祖母のようにはいかなかった。
点字を打つのは難しいが、まして読むとなるとさらにハードルは上がる。
千枚通しのような針で穴を開けた紙を裏返して、そこに指をあててなぞりながら文字を拾うのだ。
指の感触だけでは一ブロックがどこで六個の穴がどうなっているのかは簡単には分からない。
ましてや点字の六マスは読む時と打っている時とで左右反対になっていて、一行の流れは打つ時は左から右だが読むときは右から左になるのだ。
祖母が点字で打った俳句を読みとるなど到底無理で、僕は手ほどきを受けつつも心の中では諦め気味だった。
点字を書いたり読んだり、家のこともきちんとこなしたりと、祖母がさりげなくこなしていることは僕には全く手が届かないことだった。
祖母を尊敬するのはそんなことを実感する時だ。
祖母の家には古いオルガンがあったが、そのオルガンも僕が手に負えないものの一つだ。
なんとか音の出し方が分かる程度で、いくつかの鍵盤を同時に押すとそれらしい音になることまでは自力で探り当てた。
そこでまん中の鍵盤から順番に両側から鍵盤を押していく。
しかし、そんな即興の音づくりにはすぐに飽きてしまう。
「もう止めちゃうのかい。もっとやったらいいのに。」
最初にオルガンで遊んでいた時、気がつくと祖母が背後に座っていた。
「えー。だってなんにも弾けないんだもん。」
「そんなことないわ、上手だったわよ。今のはなんて曲?」
「今、適当にしただけだよ。」
「そんなことないわ、良かったわよ。もう一度やって。お願い。」
視覚が失われた祖母にとって聴覚は大事な道具であるとともにかけがえのない楽しみであることに気づいたのはその時だ。
オルガンの上には祖母の母、つまりは僕の曾祖母の写真がある。
目が見えなくともそこにあることはひどく重要で、きっとオルガンと曾祖母の写真は祖母にとって同じくらいの重さなのだ。
そんなことに気づくとなんとなく申し訳なくなり、やはり伯父に『人生ゲーム』をやろうとねだりにいく。
この街での生活はそんな出だしだった。
野菜中心の食事が不満ではあったが、伯母たちの家では最初の二日ほどは基本的に僕はお客さん扱いしてもらっていた。
その申し訳なさに気づいて、いくらなんでも悪いと思い出したのは伯父と一緒に『人生ゲーム』をしていた日曜日の夕方だ。
「明日からはまた仕事か。」
伯父がポツリとつぶやいた。伯父はいつものニコニコ顔だったが、せっかくの休みを僕とのボードゲーム漬けにさせてしまったこと、つまり伯父に無理をさせたという事実にようやく思い当たる。
最初の二日でおそらく伯父は僕と二十回以上はゲームをした。
伯母は家事や身の回りのことでいつも忙しそうだったが僕の顔を見るとすぐにお茶を勧めてくれた。
外に用事が多くあって家から出たり入ったりのスミエさんも居間に一つだけのテレビの前によく誘ってくれたし、また最近読んで面白かったという本を次々に貸してくれる。
一方で、僕は全く気を使っていなかった。
祖母にでたらめなオルガンを聞かせたのは二回だけだし、食事に出てくるキュウリやトマトはなかなか食べようとしない。
明日から昼間に伯父はいないことを考えるとまずもってお客さん扱いしてもらうことを自粛すべきだと気づいた。