アラジン山の夏
全てを書き終えて、あらためて振り返ってみても本当にたいしたことのない夏だったんだと思う。
一人旅だ冒険だと騒いでいたわりに大きな事件に遭遇したわけでもないし、泳ぎが同じくらいうまくなったのは学校に他に何人もいた。
だけど今でも僕にとってはあの街で過ごしたあの夏が、最高の夏なのに変わりはない。
長野の祖母はそれから数年後に体調を崩し亡くなり、結局僕はあの夏以来、朝の散歩を一緒にすることはなかった。
伯母たちとは今も交流があるが、コウキチがいないアラジン山には結局いつも足が向かなかった。
だいたいが母の生家に泊まっても一泊くらいで、とてもあの夏のようにのんびりした感じであの景色を眺める状態にはならなかったのだ。
今振り返っても二週間もあの街で過ごせたのは幸運としか言いようがないものだった。
当時は大人に憧れていたのかもしれないが、時は経ち僕はもうずいぶん前から大人になってしまった。
今置かれている環境はあの頃とはずいぶん違う。
大人といってもいろんな種類があることを知ったし、コウキチのような大人は実際それほど多くないことも知っている。
でも理想の大人を教えてくれたのはコウキチだった。
今の僕はたぶんあの時のコウキチより年齢は上にはなっているが、あの頃のコウキチみたいにまだなれていない。
自分の生き方をいつもちゃんと考えて、時に子どもを本気でうらやましいと思ったり、それでいていつも優しさのそばにいるような、そんなあの夏の感じ。
結局僕はまだそれほど自分の持つ幅というのが広くないんだと思う。
でも、誰かに優しくされることはあってもその意味が分からなかった子ども時代からはかなりの進歩だ。
そう思ってせめて自分を慰めている。
コウキチが言っていたたくさんのこと、教えてくれたこと。
その本当の意味を僕は今でも深くかみしめることがある。
スミエさんに聞けばひょっとしたらコウキチが今どうしているか分かるかもしれない。
だけど僕はそれをするつもりはなかった。
僕にとってのコウキチはあの夏が全てだからで、それ以上のことを僕はコウキチに望んでいないからだ。
そう僕はきっと、あの夏休みのコウキチに今でも憧れていられるから、生き方に迷う必要がないのだ。
だからこそコウキチに感謝をしているし、そしてそれが僕の唯一必要なこだわりなんだと思っている。
大人になって気づいたこと、それは夏休みの目標と宿題のことだ。
目標も宿題も大切な誰かのためだけじゃなくって自分のためでもあること。
その当たり前のことに気づいてから僕には完全に迷いはなくなった。
だからもし弱気になる自分がいたらそれはコウキチの記憶を頭のどこかに置き忘れているだけのことだ。
目標は誰かの笑顔のためだし、それに自分が笑えるためのものだって。
宿題は誰かの悲しい顔をなくすためだし、そしてなるべく自分が悲しまないためにあるんだって。
やるべきことを全てやって、それでも一生に一度くらいは昔の物語の登場人物と同じように、何かを強く願う場面が来るかもしれないとコウキチは言っていた。
僕はたまに自分がそうなった時のことを想像してみることがある。
さんざんもがいて最後に祈りたくなって、その時、本当に僕にその資格があったとしたら何を祈るべきかということを。
今、そうした事態になれば僕はたぶんコウキチのことを祈るはずだ。
コウキチがあの頃のコウキチのままでいられるように、そして僕やまわりの人々がコウキチと仲良しでいられるようにと。
きっとそうであれば僕たちみんながうまくやれているということだから。
だからもし僕が何かを祈るんだとしたら、あの夏の幸福な人々のことをきっと頭に浮かべて何かを願うだろう。
(了)