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十、その夏の宿題と目標

 コウキチがいなくなったのとほぼ同じタイミングで僕がこの街を出る日もやってきた。

「どうも、今回は本当にありがとうございました。」

 やや他人行儀になって母は伯母に礼を言う。忙しい人で翌日の朝には僕を連れて帰る予定だと言う。

「まあ、タケちゃんは本当に毎日プールに行ってたわね。泳ぎも上達したんじゃない。」

 僕はアラジン山で年上の友達が出来たという話をなぜか母にはしてほしくないと思い、早々に話題を変える。

「うん。マレットゴルフっていうのもやったよ。」

「あら、そお。伯父さんに連れてってもらったの?」

「うん。」

「良かったわねえ、いろいろよくしてもらって。それにしてもずいぶんと日焼けしたわね。」

「あのさあ・・。」

「なに?」

「もうすこしここに居たいんだけど。」

 僕がポツリと言うと伯母はちょっと嬉しそうに言葉を返す。

「うちはいいんだけどねえ。」

「ダメよ。これ以上迷惑かけられないわ。」

 母はそう言ってそれから僕に向き直った。

「もうすこししたらお父さんも休みがとれそうだって。夏休みらしいことしてあげなきゃってお父さんも言ってるし、だから旅行に行こうかと思っているの。」

「いいわね、どこに?」

 僕が言葉を返すより先に伯母が興味を示した。

「それが迷ってるのよね。」

 それから母と伯母の延々とした茶飲み話が始まったので、僕は居間から抜け出した。

 最後のその一日をどう過ごそうかとすこし考えたが、やっぱりアラジン山に行っておくことにした。

 コウキチはもういないだろう。

 そんなアラジン山は想像できなかったが、最後となると行っておかなくてはいけない気がしたのだ。



 アラジン山へ向かう道、毎日ここを通ったけど、いつも何を考えていたんだっけ。

 川沿いから道がすこしそれたあたり、道路わきの『ちゃんこ』と書かれた店の案内版、その看を眺めると父と歩いたことをまた思い出す。

 この夏にずいぶんと見慣れた風景だ。

 そのあまりの自然さに明日帰ることが本当に現実になるとは思えなかった。

 もし、この街から明日出発しなくてはいけないとして、僕は帰りも緑色の服の友人には会えるのだろうか。


 アラジン山のプール、休憩時間の終わりのホイッスルが鳴ってすぐに錠剤を取りに行ったら呆気なく拾い上げることが出来た。

 十個以上もの白い丸い固体は表面に刻まれたアルファベットと数字まで読み取れる。

 自分が潜水がうまくなったという自覚がほとんどなかったので試しに僕は潜水でどのくらい進めるか確認することにした。

 二十五メートルプールの端から潜水を始める。

 空気は口じゃなくて胸の中に入れておいて、胸をプールの底につけるように、僕はコウキチに言われたことを思い出しながら潜水を続けた。

 そうすると意外と簡単に二十五メートルの反対側の端まで達してしまった。

 自分でも気づかないうちに水に相当身体が慣れているようだ。


 僕は呼吸を整えてから、思い切って五十メートルプールでクロールに挑戦した。

 夢中で泳いで、息継ぎを何度か繰り返す。

 そうするとやがて五十メートル先の飛び込み台の前まで手が届いた。

 泳ぎきったあと、僕は信じられない気持ちで、しばらくプールに浮かんで空を眺めていた。

 まだ夢の中にいるようなそんな感じ、青い空、夏のジリジリとした日差しがとても気持ち良かった。

『今日が夏の終わりなんだな』

 僕はふと思った。学校の夏休み自体はまだ半月ある。

 でもコウキチのいない夏、ましてやアラジン山にも行けなくなる夏の後半、明日からはただ終わりに向かっていくだけに違いない。

 次にこんな夏が来るか分からない。

 急にこの街が遠いものになっていくようだった。

 プールから上がって更衣室へ向かう。

 アラジン山のプールサイド、あの日の朝と同じように風がすこし冷たく感じたのは標高が高いせいばかりではきっとなかった。



 その日の夜、母も僕と同じ部屋で寝ることになった。

 その時間、母は荷物の片付けをしていて、僕はいつものようにスミエさんから借りている本を読み始めた。

「あら、そんなに本好きだったかしら。」

「スミエちゃんがいっぱい貸してくれたんだ。だいたい読んだんだけど、この本だけまだ。あとすこしなんだ。」

「良かったわね。でも暗いところで読んで目を悪くしないでよ。」

 母とそんな会話をしていると部屋のふすまの向こうから祖母の声が聞こえた。

「ちょっといいかしら。」

「あら、おかあさん。なあに。」

 ふすまが開いて祖母が母のそばへゆっくり座った。そして祖母は手に持っていた何かを母に差し出す。

「これね。タケちゃんが見つけてくれたの。」

 それは祖父の日記だった。

「ちょっとこれ読んでくれないかしら。タケちゃんじゃまだ字が難しいらしいの。」

「漢字が難しいっていうか、ひらがなも変な書き方してあるんだもの。」

 僕の言葉を聞きながら母は日記を受け取ってつぶやく。

「草書で書いてあるの? 読みづらいのよね。」

「それね。私の目が見えなくなった年のだから。その年だけ日記をつけたのかもしれないわ。タケちゃんが見つけてくれたんだかちょっと読んでくれない。タケちゃんと一緒に聞こうかと思うの。」

「いいけどうまく読めるかしら。おとうさんの字、読むのに時間がかかるから。」

 母が高校を卒業する年、祖母は病気になり失明した。日記はその年の一月三日、最初に祖母が具合を悪くした日から始まっていた。


 一月三日の日記、夕食の後に急に気分が悪くなって寝込んだ祖母のことを記した後、日記の中で祖父は正月早々縁起が悪いなどと悪態をついている。

 たぶん生前の祖父は日記と同様のしゃべり方だったんだろう。

 その日の日記には何度も祖母が寝込むなど初めてだと書かれていた。

 その夜、祖父は虫の知らせを感じたのか、それとも本当に子どものように不安になったからなのか、僕には祖父が日記を書き始めた理由はよく分からなかった。


 一月四日の日記、具合が全く良くならずに伯母が付き添って病院に行った。

 しかし原因は何も分からずに戻ってきた。

 病院に幾ら払ったが勿体ないなど祖父の独り言がまた入っていた。


 一月五日の日記・・、その日も祖母は病院に行って後は寝込んでいた。

 頭が痛くてものがかすんで見えるという。

 皮肉めいた祖父の独り言がだんだん増えていく。

 そして日記の内容のほとんどは祖母のことだった。


 一月六日・・一月七日・・、祖母は一旦よくなったようだ。

 しかし、祖父は祖母の目の異常に気づいていない。

 祖父の皮肉はすこし減ったがそれでもページのほとんどに祖母の様子が書いてあった。

 働き者だった祖母の具合が悪いのを悪態をつきながら延々と心配している。


 一月十二日、一月十三日・・、祖母が永遠に光を失ったことを知る。

 栄養失調なのに細菌の侵入が重なっての不幸。

 しかし、失明した後も祖母の体調不良は続いていた。

 その頃の祖父たちの暮らしは決して豊かではなく新鮮な食べ物も十分ではなかったようだ。

 祖父の独り言がさらに増えて日記一日分が数ページに渡るようになった。

 祖父は日記の中でも自分の気持ちを素直に出せない性質だったようだが、それでも実際よりは心の内側を吐露していたんだと思う。

 とてつもなく不安な様子で、その時期、たぶん祖父は日記を書くことで不安を紛らわせたり、自分の心の整理をしていたのかもしれない。


 母は途中で言葉を途切れさせながらも丁寧に日記を読み続けている。

 祖母はそれを黙って聞いていた。

 すこし色のついたメガネの奥で、祖母がどんな表情なのか僕には読み取ることは出来ない。

 その時、僕は布団に入ってやはりただ黙って聞いていた。

 それは静かな静かな夜、外では虫の声がしていたかもしれない。

 すこし色の変わってしまった日記のページのように懐かしく優しい匂いがしていた。


 一月三十一日、二月一日、二月二日・・、障害に苦闘する祖父と祖母、そして家族たち。父の愚痴は日記の中で続いていたが、日記には祖母のために新たな家庭内の決め事がすこしずつ固まっていく様子も記されるようになった。

 祖父は包丁もヤカンも一切台所のものは触らないこと。

 靴の置き場を全て固定すること。

 それから祖母一人で家の中を歩く方法がやけに細かく記されていた。

 日常を新しく切り開こうとする夫婦の様子が綴られた日記。

 毎日の様子がずっと続いている。

 祖父はひたすらに祖母のことが心配でそれでいて何もできない自分がどうしようもなく歯がゆかったのだ。

 俺には家のことは何一つ分からない、場所が分からなくなるからと言って全く触らないというのは気に入らない、俺にどうしろというのだ、全く困ったものだと祖父は悪態を続けていていた。

 祖父の悪態はたぶん祖父なりの祖母を見守る姿で、それはきっと暖かいものだったと感じるようになる。

 そしてとてつもなく大きな後悔があって、毎日毎日、祖母のことばかり考えていたんだろう。


 二月五日、二月六日、二月七日・・、日記はまだまだ続いていた。

 祖父たちは新しいやりかたを編み出しつつ少しずつその日常に馴染んでいく。

 それでも祖父の独り言は相変わらず続いていて、その後悔が消えるまでにはずいぶんと時間がかかりそうだった。

 ひょっとしたら死ぬまでその後悔は続いていたのかもしれない。


 日記を聞いているうちに祖父と祖母の当時の生活に自分も一緒にいるような気になる。

 そうして頭がひどくぼんやりしてきた。

 たぶん僕は寝かかっていたんだろう。

 その日はプールですこし泳ぎ過ぎたから。

 コウキチのいないアラジン山、コウキチがいなかったから僕は今日ただひたすらに一人で泳ぎ続けていたから。


 コウキチは今どうしているんだろう。

 もうこの街を旅立ってしまったんだろうか。

 日記の中の祖父のように、コウキチもきっと僕をこうして毎日見続けていたんじゃないだろうか、呆れたり心配したりしながら。

 そして会社の仕事やその仲間たちにもきっと同じような思いだったんだろう。

 でも、僕はコウキチに結局何もしてやれていない。

 ただ遊んでもらっていただけだ。

 それなのにもうアラジン山で会うことはない。

 ないのだ。

 祖母の目が見えなくなったと分かった時、祖父は本当はどう思ったのだろう、日記にうまく書けなかった感情が本当はもっとあったはずだ、それから二人はどうして生きてきたんだろうか。

 もうその夫婦の姿を僕は知ることは出来ない。

 もっと幼い頃の僕自身のわずかな祖父の記憶、そこにはなんの手がかりもなかった。


 二月九日、二月十日、二月十一日・・、祖父の悪態は続いていた。

 毎日毎日祖母のことばかりを書いていた。

 祖父の毎日の後悔が強かったのは日記の独り言からひしひしと感じられる。

 生前の祖父はずっと強い人であったはずだ。

 それに祖母は今も元気にしている。

 だからきっと祖父はやがて日記を書かないですむようになったのだ。

 少なくともこの日記帳一冊分の間に。


 僕はいつの間にか寝てしまった。

 コウキチは今どうしているんだろうか、そんなことを思いながら。

 僕は祖母に何かしてやれたのだろうか。

 そんなことを思いながら。




 あの年の夏休み、その晩から先のことを僕はあまり覚えていない。

 かすかに記憶にあるのは、帰りが電車でなく車で、緑色の服を着た友達に会えずじまいだったことと。

 それに東京に戻ってからは夏の間中、祖母を真似て朝早く起きて散歩をするようになったこと、そんな記憶が頭の中に散在しているだけだ。

 たしか食べ物の好き嫌いはなかなか直らずにオルガンの練習もしなかった。

 でも、次に長野へ泊まりに行ったら毎日祖母たちの散歩に付き合ってやろうとそう心に決めていたような気もする。

 でも、そんな小さな決心は、やがて断片はとなり、ぼんやりとした記憶の奥へといつしか溶けていってしまった。

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