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アラジン山の夏

 誰にだって一生のうちに何度も思い出す光景というのがある。

 僕の場合は少年時代にあの街で過ごした短い夏がそうだ。

 わずか二週間ほどだったが、あの夏で僕の価値観が決まったというか、弱った時の自分の行動パターンがすりこまれたような気がする。

 とりたてて今の自分が好きというわけじゃないけど、自分の過去と現在、そして目先の未来を切り離すことなんて出来ないし、あの夏は大切な思い出にしなきゃいけないというのは、もはや自分の根っこの部分の決め事になっていた。

 だから僕はあの夏の思い出を簡単に誰かに話したりはしてこなかった。



 皆と同じように僕の中でも時間の進み方は少年時代と変わってしまっている。

 子どもの頃、今年こそ自分の性格を変えてみようとか、この夏休みは毎朝ジョギングをしようとか、変化はひどく期間を持っていた。

 だけどそのうちに一週間で新しい価値観を取り込むことにチャレンジしなくてはいけなくなったり、ひどい時はこの週末だけでなんとか人生を変えられないものかと思うことだってある。

 ようするに僕はもうあんな日々を取り戻せないし、だからこそあの夏がとんでもなく大切で、今でも大好きなのだ。


 コウキチの近況を僕は知らないし、この先もたぶん二度と顔を合わすことはないだろう。

 心の中にコウキチは生きているから、だからもういいじゃないかと思えるくらいには僕は十分に大人だ。

 もしどうしてもコウキチを探して今の生き方を確かめなくてはいけないと思ったなら、それはよくないサインでしかない。


 やっぱり失敗していたと確かめて、無念や懺悔なんていう自分の得意じゃない心に支配されて、それで何か忘れようとする場合だろうから。

 あの思い出がしっかり心に焼きついてそして今でもコウキチが大好きで、コウキチのようになりたい僕には必要ない状況設定だ。


 今はもう遠い記憶、大事な思い出の夏。

 もう一度あんな心が平穏な時を過ごしたい気持ちはあるが、それはたぶん贅沢な願いごとだ。

 もしコウキチとまた会えたならお礼くらい言いたい気持ちはある。

 でも、もう今さら会えるはずもない。

 だから僕は、コウキチにありがとうと言う代わりに、コウキチのような生き方をしようとそう決めている。


 たいした事件もなかったのに、とんでもなく心に焼きついてしまった、それが思い出の夏の僕なりの評価だ。

 たぶんこれはもう一生変わることはないんだろう。

 大人になってからずいぶんと時間が経つが今でも何かの拍子にあの夏の何気ない会話が頭に浮かんだりする。

 細かな内容まで覚えているのはきっと思い出す回数が多いからだ。

 ただ、何度も記憶をたどっていくうちにその時自分が感じたことか、思い出した時に感じたことなのか、もうよく分からなくなってきた。

 そのせいかこの頃は思い出が擦り減って変質してしまう前触れを感じることがある。

 それは迷った時の心の拠り所を今に求めるようになったからかもしれない。

 自分のスタイルに合わないことをやっても何も感じていないと気づいた時、美徳や正義感なんてものが昔と全然違ってしまっていることを認識する。

 だから今のうちに、まだ思い出の色が変わりきってしまう前に僕は書いて残しておくことにした。

 それは自分だけのため、未来の自分も過去の自分も関係ない、今あの思い出とともにいる自分だけのための物語だ。

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