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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

緑の蓋の

作者: ハル
掲載日:2017/12/27

「お前、本当に辞めるのか?」


人と関わることが苦手な潤伍じゅんごにとって、足取りは鉛を引き摺るようで、何かのバリアでも張ってあるのかと思われる居酒屋の入り口を漸く潜り抜けたのに、乾杯後の開口一番がコレだった。

発したのは、潤伍より半年遅れで同職になった羽鳥昇太郎はとりしょうたろうだ。

近いとはいえ、潤伍より2つ年下の彼は最初から馴れ馴れしくタメ口だった。

不味いビールを一瞥してから、潤伍は短く「ああ」と返事する。

羽鳥は少ないメニューからいくつか見繕いながら、「もったいないなぁ」と呟いた。


2020年、11月2日、9時38分。

東京オリンピックの熱が冷めやらず、世間がまだ浮き足立っていた中でアレは起こった。

[スーパーフレア]

太陽表面にて最大級の爆発現象[フレア]、その何百ないし何千倍のエネルギーを発するのがスーパーフレアである。

フレアは、太陽における黒点に蓄えられた磁場エネルギーが一気に放出される現象で、この時、太陽からは破壊的なまでの大量の粒子が放出される。

その粒子が地球磁場圏に衝突、侵入すると巨大な磁気嵐が引き起こされ、通信システムの障害等を引き起こす。

近年では1859年の3月。

カナダのキャリントン州を中心に、フレアによって大規模な停電が発生し、600万人が被害を受けた。

これは[キャリントン・フレア]と呼ばれる有名な話だ。

2020年に起きたスーパーフレアは、憶測でキャリントン・フレアの500倍はあったのではないかと言われている。

なぜ憶測なのかは簡単な話だ。

スーパーフレアが発したプラズマ粒子は、地球の磁場圏やオゾン層すら破壊し、停電、ナビゲーションシステム、GPSは乱れて交通網は大混乱を起こした。

飛行機はおろか、地球軌道を周回している全世界3000個強の人工衛星は全て墜落。

電車は止まり、勿論コンピューターネットワーク等と云うモノは機能せず、この現象を正確に把握、観測するに可能な機器等は役立たずだったからだ。


その年、小幡潤伍は内定も決まらないまま最後の大学生活を送っていた。

内定を貰えなかったのはただの怠慢だった。

2年半同棲した彼女が亡くなってから、彼は抜け殻同然となった。

蒼井夏あおいなつ

オリンピックを楽しみにしていた夏は、その名の通り潤伍にとっては爽やかな初夏の風のような存在だった。

大学近くの弁当屋でパートをしていた彼女に一目惚れをし、らしくもなくナンパした結果。


「私、軽いヒトって嫌いなんです」


しかし、これまたらしくもなく毎日昼夜の弁当を求め、また彼女をも求め続けた。

遂に失笑交じりに受け入れた彼女の笑顔も、潤伍にとってはまだ新鮮だった。

涙脆くて、困ったように眉を下げながら、でも臆面もなく大口を開けて笑う。

ブランド品には興味を示さず、服も家具も中古を求めることが多かった。

テレビっ子でインドア派かと思いきや、アウトドアでもおおいにはしゃぎ、細かい事を気にせず、少しずぼらな面も気に入っていた。

何をしてもあっけらかんと笑う夏が、潤伍の全てになった。


同棲から半年、潤伍の母親が胃癌で亡くなった。父は高校最後の冬、受験に勝利した後にやはり病が原因で亡くなっていた。

おしどり夫婦とはやされ、息子が恥ずかしくなるくらいに仲の良かった2人だ。

後を追うように静かに逝き、彼女を紹介する事も出来なかった。

普段はすぐ泣くくせに、その時の夏は泣かなかった。

ただじっと、喪主の潤伍を抱き締め続けた。

夏は孤独だった。

小学生の時に両親を事故で亡くし、親戚をたらい回しにされた挙げ句、結局は20ハタチにもならない歳で自らの生計を立てていたのだ。

夏のそんな強さに、優しさに更に溺れていく。

そんな直後、彼女は茶トラの子猫をも拾ってきた。霧雨の中、湿ったダンボールで丸まる子猫を放っておけないと。

動物好きの夏だ。気持ちは潤伍にも解ったが学生用の1Kのアパートで猫などもっての外だと里親探しを勧めたが、結局負けたのは彼の方だった。

郊外にある平屋の古民家を買ったのは、猫、夏との生活、親の遺産、いろんな要因がそうさせた結果だった。

とはいえ、親の遺産が大金のわけもなく、空き家を買ってスッカラカンになった彼らはリフォームを自らする羽目になる。

しかし、それもまた夏のお陰で楽しい作業となった。

潤伍のバイトと夏のパート。

いずれは会社勤めをして、結婚するのだろうな。

漠然とした、しかし確信的な想いがあった。


なのに…。


突然の事故だった。

夏も彼を置いて逝ってしまった。

潤伍には目つきの悪いトラ猫だけが残された。

拾いたての頃は可愛かった子猫も、1年も経つと目つきの鋭い立派なボス猫風になっていた。


「ハギ?」

「そ!おはぎみたいな色してるから」


ソレってきな粉じゃないのか?と聴いた潤伍に、きな粉だと女の子みたいだから、という理由で名付けたのは夏だった。

彼女の亡骸に擦り寄るハギに怒鳴った。


「何で…何でお前だけが残った!夏が居なきゃ意味ないだろ‼」


ぶつけ処ない悲しみは怒りになって猫を部屋の隅へと追い遣った。

夏が思い出されて辛かった一時期は、罪悪感と戦いながら公園に捨てに行った事もあった。

しかし、翌朝になると喧嘩の痕だろうか、傷や血で汚れたトラ柄の身体を丸めて玄関前で待っているのだった。

懐いてるわけでもないのに、ハギは潤伍から離れることはなかった。

その時の後悔の念は、今でも潤伍の胸を刺す。

経験したことの無い盛り上がりを魅せた何十年ぶりかの母国でのオリンピックも、彼には何処か儚い蜃気楼のように感じた。



そして11月2日。

潤伍はいつもの様に仏壇に水を置き、今は亡き3人を想う。

その後で猫と自分に餌を与える。

今日は午後からの講義だな等と考えながら何となく窓に目を向けると、高い秋空が歪んだ。

二度見して両目を擦ってまた見る。

空が歪んでグラデーションの赤と緑が空全体を揺らめいている。


「……オーロラ…?」


何度かテレビで観た事のある光景だ。陽がある分幾らか色は薄いが、アレはオーロラ以外なら何なのか。

1859年に起きたキャリントン・フレアでは、ハワイやキューバでもオーロラが確認できたという。

だが、潤伍にそんな知識など無い。また目を擦って窓に駆け寄り、ベランダに出ようとした途端、点けていたテレビや部屋の電気が消えた。


(停電か?)


スーパーフレアの発生である。それが世界の終わり、いや、地獄の始まりだった。

その時世界で何機の飛行機が飛んでいたのかは解らない。

磁気圏の破壊は人工衛星はおろか、周辺にあった多数の隕石と共に全てが墜落した。

海に面した土地は尽く津波によって壊滅的な破壊を生む。

地球規模の停電はGPS頼りの交通網をストップさせ、世界各地にある原発もが制御不能に陥り、数時間で年間被爆量の1000倍の放射線が降り注ぎ、あまつさえ破壊されたオゾン層により、癌疾患が増大。

世界人口は5分の1、日本では約80万人程しか生き残れなかった。

潤伍とハギもその1人だ。

何故自分が生き残れたのか……それは今でも解らないし、いきなり死を迎えるかもしれない。

この時を生き残った人間全てがその思いを抱えていただろう。


江上利昭えがみとしあき

当時、新進気鋭の若手政治家がいつの間にか比較的被害の少ない地域に街を構え、僅かな生き残りを束ねていた。

そんな場所は全国でおよそ7ヶ所。

およそというのは、7年経った今でも通信機能は麻痺していて連絡手段といえば今のところ手紙しかないからだった。

まるで江戸時代に戻ったようだ。

潤伍はその江上議員の街で警備員をしていた。

人口7568人の小さな街を守るのが仕事だ。

何から守るのか。

秩序や統一を嫌う者はいつの時代も居る。反社会的なはみ出し者達は、盗賊のように食料や医療品等の物資を狙っていて、缶詰や保存食の絶えた昨今、年々被害が増えていた。

潤伍は警備隊結成当時からのメンバーだ。

警備員は自衛隊や警察出身者が多く、潤伍のような学生は稀有な存在だった。

同僚の羽鳥昇太郎は防衛大学の2年生の時にアレに見舞われ、流れ流れてこの街に辿り着いたのだ。

潤伍達のように街を守る者、物資調達する者、他の街との流通等、警備隊の仕事は多岐に渡る。

物騒な職業柄、なり手は少なく荒くれが多い。


「しかし、勿体無いねぇ」


実り少ない土地で造った薄くて不味いビールを、もう1杯、と店員に人差し指を立てながら、羽鳥は呟いた。


「何が?」


潤伍の返事に、羽鳥は素っ頓狂な顔を造った。


「何がだって?エースって言っても過言じゃないお前が、安定した職と安全を捨ててポストマンになるんだぞ!…ソレの何処が勿体無くないんだよ」

「…エースなんかじゃない。大体何のエースだよ」

「そりゃ、そんな称号はないけどさ。攻めて良し守って良し指揮して良し…ま、俺には敵わないケドな」


ビールのおかわりを催促しながら、痩せた焼き鳥に噛み付く。


「何言ってんだ。俺1人居なくなった所で、世の中何にも変わんないんだよ。それに、言うほど安定した職でもないだろ」


警備員は常に危険と隣り合わせだった。賊達は何処から調達したのか、銃火器を持っていた。

これに対抗するには警備員達も武装化せざるを得なくなり、互いにいつ負傷や死を迎えてもおかしくなかった。

また、オゾン層が多少でも機能してるとは言え、昼間に出歩く彼らの発癌率も高い。

勿論、放射能の汚染がどの程度広がっているのかなんて皆無で、警備員でなくても誰しもが死の恐怖に侵されていた。

そんな世の中で安定や安全があるだろうか、と潤伍が物思いに耽っていると、ため息混じりに羽鳥が呟いた。


「お前ってさ……」


ひと呼吸置いたので潤伍は羽鳥を見た。


「人と関わるの嫌いなわけ?」


一瞬の動揺は隠して、潤伍は軽く牽制する。


「あぁ…俺は人間が嫌いだ……面倒なんだよ」


そんな潤伍の牽制も虚しく、羽鳥は何食わぬ顔で勝手に話を進める。


「そうかよ…まぁ、嫌いだか面倒だか怖いだか知らんけど、今日は俺に付き合えや」


やっと来たビールを潤伍のグラスに当てて、ニカッと笑う。

羽鳥の怖いという単語に、潤伍は軽く眉を寄せた。

ただ単に面倒臭いだけだ。人間ってのは何しろ群れたがる。潤伍は以前から面倒ごとにはなるべく関わらないようにしてきた。

警備員のメンバーである153人も多くの派閥に絡められているが、潤伍は無派閥だ。

なのに羽鳥は潤伍を担ぎ上げて無所属派閥を作ろうとしているかのような言動が目立つ。


「で?何でポストマンなんだ?しかもアウト」


ポストマンとはそのまんま郵便屋の事だが、江上議員が昔のハリウッド映画から名付け、何故かその名前が全国区になっていたが、潤伍は何だか気取っているようであまり好きじゃなかった。


「…捜し物が出来たんだ」


羽鳥は、ふ〜んと短く返事して[捜し物]の中身については質問をしてこなかった。

人にくっついて勝手に喋るくせに、肝心な部分には触れてこないのが不思議な奴だった。

だからだろうか、多少の面倒臭さを感じながらも、彼とは5年近くの付き合いになっていた。

スーパーフレアから7年経った今でも、プラズマ粒子の影響は消えず、多少の電力は回復しつつあっても連絡手段は手紙のみ。

インは街中でアウトは街同士での仕事だ。

アウトは[外]という意味でもあるが[死]という意味も持っていた。

公的な、例えばトップ同士のやり取りとなると4〜5人組で、一般でも大概はツーマンで仕事をする。

潤伍は1人を選んだ。捜し物がメインだからだ。


「アイツどうすんの?猫。ハギだっけか?俺、預かってもいいけど」

「連れて行く」

「ハァ〜⁉死んじまうぞ!置いてけよ!」


店中の視線が集まった。

この言にはいくつかの意味がある。通常、外で作業する者は紫外線防止の制服が支給される。

効果の程は解らないが、放射線を防ぐ機能もあるとか無いとか。

それでも一般人よりは病気の発生率は高い。

また、1人きりのポストマンというだけで狙われる確率は高く、慢性的な物資不足に陥っている外の人間には、ハギは貴重なタンパク源だろう。


「特注のカッパを作ってもらった。傘も。…アイツ、結構悪運強いし、まぁ大丈夫だろ」


羽鳥は左右に首を振って大袈裟な溜息を吐いたが、口は何やらニヤついている。

これ以上は突っ込んではこないだろうと予想できた。

羽鳥曰く送別会とやらは、比較的平和理に終わりを迎えた。

1週間の準備期間を経て、7年ぶりに街の外へと出ていくことになるのだった。




「この子ね、面白いんだよ。このケースじゃないと絶対にダメなのね」


明け方の夢で目を覚ます。夏の声が懐かしいと思うほど年月が過ぎたのが哀しい。

彼女はたまにしか出てくれないから。

出発の朝にまたあの夢を見るのはやはり潤伍を旅へと導いているのだろうかと考える。

柔らかい髪が、細い肩が、香りが恋しくて堪らない朝、いつもの様に仏壇に手を合わせ、それから3人の写真を額から抜き取った。

ポストマンの象徴である黒装束の内胸ポケットに忍ばせる。

ひと昔前の学生服のような上下の制服は、ホルスターから銃を取り出しやすいように上着は腰までしかない。

その上から丈がくるぶしまである、これまた真っ黒のコートを羽織る。

帽子とゴーグルも紫外線対策のうえで欠かせないアイテムだ。

ハギには同様の機能を持つ黒いカッパに、背中には赤い郵便マークを付けている。

荷物入れも黒に郵便マークがあるので、せめて荷カゴに荷物を乗せてあるていの防衛だ。

初めこそ多少の違和感を示したものの、ハギは大人しく前カゴに収まってくれた。

カゴには小さな傘も装着されていて、陽の傾きによって角度を変えられるスグレモノだ。

制服と同じ漆黒の自転車の後ろに大量の手紙が、その左右に自らの物資と武器を。

外界との境にある強固な門扉には羽鳥が待っていた。

部屋の鍵は渡してあるのに、結構律儀な奴だ。


「俺くらいしか見送りに来る奴居ないだろ」

(特に気にしてない)

「捜し物、見つかるといいな」

「見つけるんだよ」


羽鳥は大きな溜め息に似合わない笑みを浮かべて、死ぬなよ、と一言。

潤伍にも意識せずに笑みが溢れた。


まずは群馬にある街を目指す。榛名湖はるなこの畔に4000人程が暮らす小さな街。

真っ直ぐに向かえば2〜3日の距離ではあるが、彼らには捜し物がある。

ソレはペットショップかホームセンターか薬局か。

夏は近所のホームセンターで購入していた。

しかし、大きな町痕は賊達の縄張り化していることが多い。だが、事の始まりから危険は百も承知。

潤伍は迷わず熊谷へとペダルを踏み込んだ。


アレが起こった時、潤伍は都内の郊外に住んでいて、大多数の人がそうであったように彼には何があったのがまるで理解出来ていなかった。

初めはただの停電だけだと思っていた。電車が止まり、午後の講義に出なくて済むと内心喜んでいたくらいだ。

しかし、それが1〜2日も経つと流石に不安を感じ出す。

彼の家には昔馴染みの石油ストーブだったので、寒さを防ぐことは出来た。

その頃はまだ食料や生活必需品も購入出来たが、3日目くらいから流通のストップにより混乱が表面化していき、1週間後には見事にパニック状態と化す。

暴動や略奪が横行し始めたのもその頃からだった。

何かが起こったのは分かっても、何が起きたのかは解らないまま一切の情報を遮断された人々の中には恐怖しか湧き上がらなかった。

そんな中でも潤伍は何処かはぐれていて、右往左往する人々の様子が喜劇にさえ観えていた。

田舎では大概の家で畑を持っている。彼の家にも夏が世話した小さな畑があり、根野菜や葉野菜も多少は採れた。

大都会ほど混乱は顕著で、食料を貪り尽くした後に郊外へと流れて来た。

たった1ヶ月程度で社会生活などと言うモノは崩壊し、人間は獣へと堕ちていく。

潤伍はといえば、何とか身を守りつつハギのご飯を探していた。

物々交換が当たり前となった頃、メガホンを持った自転車集団を見かけるようになる。


「私達は、埼玉県の武甲山ぶこうさんから来ました。自主党の江上利昭議員が生き残った皆様と力を合わせ、安心して暮らせる街を建設しようと頑張っております。ですがまだまだ人手が足りません。安心・安全な街作りを目指しております。どうか皆様のお力をお貸しください!」

(こんな時に何処のトンチンカンが選挙運動?)


江上は有名だった。当時37歳で、中央集権の政府からは離れ地方創生に力を入れていて有権者人気も高かった。

自転車集団は何日かおきに現れては演説を繰り返して行く。


「街を作るとは?」


出会って3回目で潤伍は話しかけた。


「なるべく陽に当たらない方がいいぞ。危険なのは暴徒化した連中だけじゃないんだ」

「……どういう事だ?」


潤伍はその時初めてスーパーフレアについての知識と情報を得た。

生き残りの中に専門外ではあったが学者が居て、当日のオーロラと停電、ネットワーク破壊からみて、世界的に影響を及ぼすスーパーフレアではないかとの見解を出したのだ。


「猫連れでも構わないか?」


メガホンの男はあからさまに怪訝な表情を示した。この頃には既にペットという概念は薄くなっていたのである。


「家族なんだが」

「……構わないが、気を付けろよ」


ハギを連れて武甲へと向かったのは、スーパーフレアから3ヶ月後の事だった。




熊谷へ向けて早急に必要だったのは、町の細かい地図だった。通常ルートから外れて移動するには必須だ。

ここまで荒らされる必要があるのかと問いたくたくなるような書店で見つけた地図と暇潰しの本を数冊拝借し、漸く捜し物兼ポストマン生活のスタートだ。


「何だ、テメェは」

(早速か……)

「郵便屋だ」


荒れた町を巡るポストマンはやはり目立つらしい。

半日も自転車を走らせると早々に賊に目を付けられる。


「んなこたぁ分かってる!何でポストマンがこんなトコに居るのか聞いてんだよ!」

「捜し物だ」

「俺らの捜しモンは見つけたぞ」


2人の賊はいやらしい笑みを浮かべて前カゴのハギを指差した。


「イイ具合の肉付きだなぁ」


太っているのは否定できないが、彼は家族である。潤伍は支給されたハンドガンを気だるい面持ちで左腰から抜いた。

正直、雑魚に構ってる暇はない。


「ハハッ!今時そんなモンでビビる奴ぁ居ねぇよ‼こっちは2人だぞ!」


2人が銃を構える前に潤伍は動いていた。

1人の腕を後方に捻り上げて地に押し付け、もう1人が懐から手を出す前に顎先あごさきへ銃口を突き付ける。

左の懐に隠し持っていた2丁目のハンドガンを出し、膝を背中に押し付けられて地でジタバタする男の後頭部に銃口を当てる。


「まだやるか?」

「わ、悪かったよ…」

「武甲の街へ入れ。猫なんか狙わなくても、仕事や食料はある」


無駄だと分かってはいても一応誘ってみる。2人は無言で立ち去って行った。

大体ポストマンを襲おうというのが根本から間違っている。街を守る警備員以上に手練が多いのだ。

1人というのが狙いやすいという単純な判断基準になっていたのなら、相当なアホだと潤伍は思った。

彼は自分の力量を知っていた。

線の細い潤伍を心配した両親は何か武道をと、近くの剣道道場の門を叩いたのが小学3年生の時。それから高校生まで腕を磨いた。

そこで培った眼と警備員としての経験が、1人ポストマンへの決意を固めさせた。

余裕を持ちつつも気を抜かず、5km先のホームセンターをも目指した。


予想通りかなり荒らされている。迷わず自転車のままペットコーナーへと向かうが、餌関係は魚や鳥以外はほぼ無い。

ただ、彼らの捜し物は餌ともおやつとも言えない物だった。

有り難いことにハギは何でも食べてくれたので、キャットフードをわざわざ求めなくて済んだ。


「この子ね、面白いんだよ。このケースじゃないと絶対にダメなのね」


夏との会話が思い出される。

何故今まで忘れていたのか、何故今になって思い出したのか……。

家から自転車で10分程の所にホームセンターがあった。田舎には珍しく大きめのそこは、ペットコーナーも充実していた。

本屋とスーパーも隣接していたので、潤伍達の生活を潤す主な場所となっていた。

そこにアレは売っていた。

たまたま夏が手に取り、ハギが気に入ったのは、緑の蓋のまたたび粉だった。

不思議なことに、別のまたたび粉では見向きもしないくせに、それを緑の蓋のケースに入れると喜んで舐めた。

猫に色や形が解るのかと不思議に思っていたが、夏はよくハギに話かけていた。

おいでと言えば傍に来るし、挨拶すれば返事もする。

帰って玄関のドアを開けると必ず待っているし、大嫌いな病院も事前に何回も言い聞かせれば大人しく従った。

よく考えたらとても頭の良い猫で、またたび粉にこだわりを持つのも当然かもしれなかった。

この旅に出る前にも、潤伍は毎日ハギに言った。


「大好きなまたたび粉を捜しに行こう。一緒に行こうな」


そう、彼らの捜し物は緑の蓋のまたたび粉、正確にはそのケースだった。

何故命懸けでそんな物を捜すのか、潤伍にも正直解らなかった。ハギの為か自分の為か……いつの間にか無くしてしまった、形も朧気おぼろげのそれを見つけてハギにプレゼント出来たら喜ぶだろうな、そしたら自分も嬉しいだろうな。

そんな単純な想いに囚われたら、もう止まらなかった。


「…此処にも無いか……」


ハギの頭をひと撫でし、サドルに体重を乗せる。そんな事を繰り返して2日目の夕方、凡そ街の外で見かけない光景が目に入る。




10歳前後だろうか、少年と老人が畑を耕していた。少年が潤伍に気付く。


「あ!お爺ちゃん、ポストマンだよ!」

(あれが大地か)


歯を見せて笑う少年と老人のことは聞いていた。


「おや…1人とは珍しい」


深いしわが刻まれ、日焼けした顔を撫で付けてしゃがれた声をした70柄見の老人の手を少年が引く。


「あなたが村内松雄むらうちまつおさんですね」


その人は、ポストマンや物資運搬の警備員が必ず通る関所のような、宿泊も出来る休憩所の管理人だった。

そこは街側とも賊側とも商売をしており、暗黙の了解としてそこから1km圏内は中立地帯となっていた。


「おじちゃんはどうして1人なの?あれ!これ猫だ‼猫だよね‼」

(おじちゃん…)

「図鑑で見た事あるよ!うわ〜本物だ‼」

(おじちゃんって俺?)

「へ〜。でもちょっと怖い感じだね」

(そうか…今年で30になるもんな…)


潤伍は少なからぬ衝撃を受けていた。


「触ってもイイ?」

「構わないが、少し休んでもいいか?」

「あっ、そうか。コッチだよ!猫もイイよね、お爺ちゃん!」

「…2人か。大地、案内してやりなさい。爺は茶を用意するから」


少年は嬉しそうに潤伍の手を引っ張って木造2階建ての家屋へと案内した。

造りは古いが、余計な物の少ないさっぱりとした居間には低いテーブルとソファが、続きのダイニングにはダイニングテーブルと4脚のイスがあり、大地はソファへと潤伍を案内した。

老人の淹れてくれた緑茶で人心地ついている最中、大地は水を飲んでいるハギを撫でてみたり眺めてみたりと大きな毛玉を堪能していた。


「これ大地、猫も休ませてやらなきゃ」

「そっか!この子もポストマンだもんね!」


彼の興味は潤伍へと移ったのか、隣にちょこんと座るとニカッと笑った。


「ねぇおじちゃん、あの子の名前は?」


まだ猫だった。


「…ハギ」

「ハギ?」

「おはぎみたいな色をしているからだ」

「おはぎって何?」


大地は11歳だと言った。アレが起きたのは7年前。当時3歳の彼が猫やおはぎを知らないのも無理はなかった。


「こんな色した餅だ」

(雑な説明なのは分かってるから、爺さん、そんな目で見ないでくれ)


へ〜、とイマイチ納得出来てない返事で、大地はまたハギの水飲みを眺めに行った。


「明朗なお孫さんですね」


村内老人は眼を細めた。


「お前さんは、何で猫を連れてポストマンに?」


潤伍は面倒に思いながらも、旅の経緯についてざっくりと伝える。


「緑の蓋の?…保証は出来んが、こっちでも捜してみよう」

(言って見るものだな。ここのような休憩所は各所にあるから、頼んでおくに越したことはない)


その時だった。空き缶のぶつかる激しい音が部屋に鳴り響く。

老人はゆっくりと猟銃を持って立ち上がるものだから、潤伍もハンドガンを持って続く。


「お前達はそこに居ろ」


先程までの穏やかさはなく、険しい声が少年と猫を留めた。

此処は中立地帯で、小動物かも知れないのにこの緊張感はどうだろうか。


「近頃じゃなあ、中立って言葉を知らん馬鹿者が増えてる」

(そういう事か)


警戒を強めると、案の定畑に人影を認めた。

老人は猟銃を構えると、潤伍には回り込むように顎先を動かした。

潤伍が姿を消すと、畑に怒号を響かせる。


「出て行け!此処は中立だぞ‼」


後方に回り込むように移動する潤伍は2人組の賊に何かを感じる。


(あれ?あの2人は…)

「知ってるよ!クソジジィとガキだけじゃ食いきれないだろ!腐る前に俺らが片付けてやるよ!……お?」


叫んだ男の後頭部に銃口を突き付ける。


「俺が買った所だ」

「お、お前…猫の!」

(やっぱり2日前の2人組…そしてやっぱりアホだ)

「中立って教えてやるのも面倒だなぁ」


わざと安全装置をゆっくりと外す。


「わ、悪かったよ…もう、しない…」


確か2日前にも同じ台詞を聞いた気がする。これはまたやって来るとふんだ潤伍は腕の2〜3本でも折っておくかと考える。


「郵便屋!骨を2〜3本折っといてやれ‼」

(…過激な爺さんだ)


潤伍が脚を踏み出した途端に、2人組は何やら叫びながら逃げ出していた。


「…少し甘いな」


村内は猟銃を下ろすと、小さく呟いた。

潤伍は安全装置を戻して左腰のホルスターにしまい込みながら、村内へと近づく。


「村内さん、1週間の滞在は可能ですか?」

「構わんが、どうした」

「あの2人組、またやって来るかも知れない。暫く様子見させてもらいたい」


警備員としての癖が抜けないのか、本来はポストマンの仕事ではないのだが潤伍には放っておくことが出来なかった。

村内は近づく潤伍に向き合い、その進行を妨げるように立つ。


「1つ頼みがある」


何となく嫌な予感がしたが、黙って老人を見る。


「孫を…大地を一緒に連れて行ってはくれんか?」

(は?)


その時、玄関のドアからハギを抱えた大地が飛び出して来る。


「またお爺ちゃんそんな事言って!断られるに決まってんだろ!」


表層的に見たら、孫を安全な街に連れて行って欲しいが、当の孫は此処を離れたがらないという所だろうか。


「村内さん、どういう事ですか?」

「おじちゃん気にしないで。最近お爺ちゃん誰にでもすぐに言うんだ」

「誰にでもじゃない、ちゃんと人は選んでるつもりだ。それに、旅はきっと楽しいぞ。お前にはいろんな可能性があるんだ」

「何処かの街に親類が?」


村内は左右に首を振る。いきなり初対面の少年を託されても困ってしまう。


「お解りかと思うが、これは旅行ではない」


老人は苦悶の表情を浮かべている。切羽詰まったような雰囲気は感じるが理由が解らない。


「猫で手一杯だ。その件は他を当たって欲しい」

「人を見る目はあるつもりだ。お前さんが適任だと思った」

「…何を根拠に?」

「勘だ」


1番厄介な回答である。猫が居るだけでも目立つのに、子供まで連れていたら危険は倍増だ。


「可愛い孫には旅をさせろと言うだろう…大地にはいろんな世界を見てもらいたいんだ」

(少し違うだろ)


潤伍はあからさまに迷惑そうに目を細めた。


「…分かった…この話はまたにしよう」

(またあるのか)


潤伍は小さく溜息を吐くと、家屋へと入って行った。




その日の夜、潤伍の部屋に小さな訪問者があった。ハギと散々遊んだのにまだ足りなかったのだろうか。


「おじちゃん、ちょっといい?」

「どうした?」


ベッドに腰掛けて地図を眺めていた潤伍は、大地を部屋に促した。

少年の表情は昼間と違って何処か大人びた印象に見える。


「…昼間、お爺ちゃんが言った事…」

「お前を連れて行けって話か…大地はどう思ってるんだ?旅に出たいのか?」


少年は潤伍の隣に座り込み、下を向いている。


「行ってみたいなって少しは思う」


膝を抱え込んだ。


「…お爺さんが心配なんだろう?」

「そうなんだ!お爺ちゃんちょっと調子が悪い時もあって…今日みたいな時とか…でも俺何も出来なくて…」


上手く言葉に出来ない様子だが、潤伍には十分伝わった。


「…俺…邪魔なのかな…とか…」


少年は今にも泣き出しそうになり、膝に突っ伏した。


「それは無いな…多分、お爺さんもお前が心配なんだろうよ」

「此処が危ないから?でも旅だって危ないよね?」


言葉に詰まる。少年の言は的を得ていた。


「おじちゃんはいつからハギといるの?」

「もう8年になるな」

「…ハギが邪魔になった事ってある?」


かつて捨てに行った事を思い出したが、それは封印した。


「大変な事もあるが、邪魔に思った事は無い。彼は家族だからな」

「…家族…」

「正直、お爺さんがどうして大地を外に出したいのかはまだ解らない。ても、お前が邪魔だからって理由ではない事は解る」

「どうして?」

「家族ってのはそういうモンだ。お前がお爺さんを想っているように、お爺さんも大地を想っている」

「…そうなのかなぁ」


少年は納得出来ないようでいる。潤伍自身も村内の真意が掴めていないのに、それを理解させようとするのは難しい。


「今日はもう遅い。子供は寝る時間だぞ」


潤伍はズルい大人のように強引に話を切り上げた。

大地は肩を落としたまま、渋々と部屋を出て行く。


老人の朝は早かった。陽が昇る前に目を覚まし、畑で食材を調達すると朝食の支度に取り掛かる。

時間の概念が崩れた今の世で、村内は長年の癖なのか規則正しい生活を送るのが常のようだった。

街の住人が昼間に出歩く事はまず無い。昼夜が逆になったかのような生活リズムが当たり前になっていた。

しかし、警備員や潤伍のようなポストマンは夜のみの移動というのは真夏のみ。

休憩所もそれに合わせて営業している。

休憩所では店を開いている。

乾物等が主であとは薬草を乾燥させた医薬品やアルコール類である。

潤伍は芳ばしい香りに釣られて目を覚ました。

一瞬、夏が朝食の用意をしてくれたような錯覚を起こした。その後の現実に軽く落胆する。

潤伍にとってはもう慣れてしまった心の修正作業。


「早いな」


階下に降りた潤伍に、老人は背を向けたまま挨拶とも取れる言葉をかけた。


「すまんが、卵を採って来てくれんか。庭に小屋がある」


言われるまま庭に出て、うん、と大きく背伸びする。朝靄の中の澄んだ空気を肺に送り込んだ。

庭の隅に建てられた小屋には、10羽程の鶏が細かく鳴いている。

腰までしかない高さの扉を潜り、6個の卵を抱えて再び外に出ようとすると、元気な声が飛び込んで来る。


「おじちゃん、おはよう!」

「おはよう」


少年に昨晩の暗さはなく、潤伍の杞憂も晴れた。無理してるかとも思えたが、一晩寝てスッキリとしたかもしれない。大地の性格はまだ計り知れない。

回収した卵を大地と共に村内に届けに行く。

卵は貴重で中々手に入らない。久しぶりのまともな朝食に気分が高揚した。

食事の後、潤伍は見回りついでに近くの書店へと足を伸ばした。というのも、大地の勉強に必要な学習ドリルを頼まれたからだ。

街では学校もあるが、大地が通うことは出来ない距離にある。同年代との交流のなさも村内の心配の一つだろう。

潤伍はドリルと共に数冊の児童文学書も手に入れ、書店を後にする。

休憩所に帰ると客が来ていた。

その5人の顔を潤伍は見知っていた。埼玉〜群馬間の物資運搬専門の警備員達だった。


「小幡!」


大声で潤伍を呼んだのは、群馬の榛名流通担当の隊長である藤田正人ふじたまさとだった。


「こんな所で会うとはな!おい!羽鳥に聞いたぞ」


分厚い手で両肩をバシバシと叩かれる。


(痛い)


武甲〜榛名間を移動する藤田は何故か潤伍を気に入っているようで、以前から自分の隊に勧誘していた。


「お前、何で俺に断りもなく郵便屋なんぞになってんだ」

「…捜し物が出来てしまって」


潤伍は藤田の強引さが多少苦手ではあったが、嫌いにはなれなかった。


「それも聞いたよ。一言相談でもしてくれれば捜しモンも手伝ったのによ」

「こ、個人的な捜し物ですから…」

「ったく!水臭ぇ奴だなぁ」


藤田は文句を言いつつも白い歯を見せて潤伍を小突いていた。そんな所に大地がトコトコと近づく。


「藤田さん、ハギのおじちゃんの事知ってるの?」

「おう、知ってるが…おじちゃんは可哀想だなぁ。俺より10歳は若いんだぞ」


藤田は大地に両手を広げて見せた。


「そっか!じゃあ、ハギのお兄ちゃんだね!」


潤伍にとっては少しホッとした瞬間だったが、猫は名前で呼んで潤伍はお兄ちゃんなのがまだ彼らの距離だった。

藤田達は2時間の休憩の後に出発するという。

村内は藤田等が運んできた物資の整理、大地は潤伍の持ってきたドリルで早速勉強していた。

男達は居間に残される形となり、それぞれが好きな格好で休息をとっている。

潤伍は藤田とダイニングテーブルに座す。


「そうか、お前も頼まれたのか」

「と言う事は藤田さんも?」

「あぁ、中々必死で声を掛けられてな…子供は嫌いじゃないが、大地自身が望んでの事じゃないように感じてなぁ」

「大地は自分が邪魔な存在なのではと思い悩んでいるようで…なだめるのも必死ですよ」


その時、珍しい事にハギが潤伍の膝に飛び乗ってきた。


(珍しいな…何か欲しいのか?)


その様子もなく、何度かその場で廻ってそのまま膝の上で寝そべる。


「お!ヤキモチか?可愛い奴だなぁ」

(そうなのか?)


潤伍にも判りかねる行動だった。結局、村内の真意は解らず仕舞いで終わった。


「榛名に来たら声を掛けろよ!」


そう言って藤田達は旅立って行った。見送った後、曇り空の下で畑仕事を手伝う。大地はまだ勉強だ。


「お前さん…結婚は?」

「…いや…」


老人はまだ言葉を欲しているようだった。


「…1人…するんだろうなって相手は居た」

「アレでか?」

「いや、それ以前に事故で…」


少し陽が差してきたので、休憩がてら話をする機会が出来た。


「何故、大地を旅に出したいんです?」

「…ここを見ろ。何も無い…大地にはいろんな経験をしてもらいたいんだ。外の世界を知ってもらいたい…それだけだ」

「経験は良いが、危険が伴う。多分ここよりも」


老人は下を向き、右の掌を見つめながら答えた。


「それでもだ」


静かだが頑なだ。潤伍は老人の真意を掴めぬままだった。

結局、例の2人組はおろか他の賊の襲撃も無いまま1週間が過ぎ、潤伍の旅立つ日が来た。


「お兄ちゃん、また寄ってね!」


老人と2人、大地も寂しい思いをしているだろうと考えると、村内の杞憂もまた納得がいく。


「1周するまでに考えといてくれ」

「俺は寄り道するから、1〜2ヶ月じゃ済まないですよ」

「構わない。帰りに寄ってもらいたい」

「また来てね〜!ハギ!お兄ちゃん!」


潤伍は複雑な思いでペダルを踏み込んだ。




4日後、結局熊谷ではケースは見つからなかった。手紙を預かっている手前、あんまりのんびりはしてられない。


「おい、お前。止まれ」


本日3回目の登場である。ゴロツキのくせにマメな奴らだ。

潤伍は苛立ち紛れに速攻で威嚇射撃をした。雑魚はこれで大体ビビる。


「おいおい、血の気の多いポストマンだなぁ」


どうやら雑魚ではなかったか、ただのアホかもしれなかった。厳つい顔のゴリラみたいな大男は、ノンビリとした口調だった。


「俺は忙しいんだ」

「まあ、待て。コイツを覚えているな?」


ゴリラの後ろから腰を低めに出できたたのは、本日2回目にボコボコにした奴だった。途端に5人が建物の影から現れた。


(とうとうこういう日が来たか)

「俺たち黒狼こくろうに手ぇ出したんだって、わざわざ教えに来たんだ。少し付き合えや」

(黒狼か)


熊谷を拠点にした割と大きなグループだった。埼玉と群馬を股にかけて手広く闇商売をしている。

賊と言っても物資を横取りするのは主に下っ端で、大元は闇ルートを使い薬物や銃器の取り引きで生計を立てている、言わばアレ以前の小規模暴力団のような存在だった。

ポストマンのルートに熊谷は入っていない。

気をつけていてもやはりこの事態は無理もないと思う。

潤伍は熊谷市内にある住宅展示場の1つ、豪勢な和風住宅の一軒へと連行された。

居間には親分か幹部か、サングラスの奥の瞳は測りかねるが意外と小柄な男が深々とソファに座していた。


「猫を連れたポストマンの噂は聞いていたが、意外と若いな」

「………」

「フン…俺の娘が猫を欲しがっている。安全と引き換えでどうだ?

「彼は家族だ。アンタは自分の安全のために娘を売るのか?」


潤伍にとっては息子も同然になっていたハギは、実際の子供より手が掛からないかもしれなかった。

彼が鳴くときは、トイレか水かご飯か。その微妙なニュアンスさえ掴めば世話に困ることは無い。

しつこく触らなければ噛むこともなく、抱っこも嫌がらない。

ので、今は潤伍の腕の中で会話に耳を傾けている。


「…?…ゴーグルを取ってもらおうか」


それには大人しく従った。さて、これからどう切り抜けたものかと考えていると、小柄な男は深々と腰を落としたソファから飛び上がるように立ち上がると、一言。


「2階に…2人だけで」


サングラスの男は周りの部下達を制して、潤伍を2階の一室へと促す。


(何が起こるんだ)


扉を閉め、背中を見せたまま無防備な男。今襲えば100%成功しそうだ。


「…ジュゴン?」

「……は?」

「お前、ジュゴンだろ!潤伍!小幡潤伍!」


名前どころか、潤伍にとっては思い出したくもないあだ名まで言い当てた男はサングラスを外して向き直る。

その顔を潤伍はしっかりと覚えていた。


「良太…沖本良太おきもとりょうたか!」

「そうだよ!おい!お前何やってんだよ!全く!」


良太は大喜びしてハギごと潤伍に抱きつくものだから、ハギは苦しそうに鳴いて飛び出した。


「おぉう、悪い。しっかし久しぶりだなぁ!」


潤伍の背中を遠慮なくバンバン叩く。


(痛い!)


途端に階下に向けて叫ぶ。


「おい!茶を2つと猫用のミルクも用意しろ!」


沖本良太は幼馴染みだった。高校まで同じ学校で家も近くで家族ぐるみの付き合いだった。

潤伍は大学に進学して、彼は家業のバイク屋を継いだ。

夏が亡くなってからは音信不通になり、というか潤伍が不通にした。

彼とはそれ以来8年ぶりだった。


「…なんか、お互いに年をとったなぁ」


良太は少し遠い目で静かに呟く。


「アレのお陰で、いろいろ有り過ぎたな」


暫くは今迄の昔話を語り合い、気付けば陽が傾いていた。


「昔のよしみで見逃してもらえないか?殴った彼には謝罪する」


初めに襲ったのは黒狼で、苛立っていたとしても多少やり過ぎたとは潤伍も思っていた。


「言いたい事は解るがなぁ…俺の馴染みだからって見逃したんじゃなぁ」

「ハギはやらないぞ」


暫く腕組みをして考え込む良太。


「いや、猫はいい。一つ別の頼みを聞いてもらおう」

(また嫌な予感)

「俺達は薬はヤラねぇ。色と武器しか扱ってねぇんだが、4日前だ。3人組のポストマンがイチャモン付けて殴った挙げ句、無銭しやがったって女が駆け込んで来たんだ」

「そいつ等を引き渡せと?」

「見つけるだけでいい。後はこっちの流儀だ」

「…分かった。連絡はどう取る?」

「悪いが2人付けるぞ」

「仕方がないな…けど、探し方はこっちの流儀だ」


昔やってたみたいに互いの拳をぶつけ合った。


(2人付けるって…コイツらかよ)


1人は潤伍によってボコボコにされた奴と、もう1人は彼を連れて来たゴリラだ。


「まぁ、知らねぇ仲じゃねぇし、宜しくやってくれ」


潤伍は良太のこういうガサツさが昔から気に入らなかったが、信用はしてたので改めて従うことにした。

まずは小柄の男に向かって頭を下げた。


「…大丈夫か?やり過ぎてすまなかった」


一応謝罪はしたものの、何となくお互いに重い空気が流れる。青アザだらけの男は小さく、上野ッス、と名乗ったきり口を開くことはなかった。

後で分かった事だが、この時の上野は口の中を切っていた為にあまり喋れなかったらしい。

ゴリラは本間と名乗った。奇妙な3チャリの旅が始まってしまった。




「あんた、猫の為にそのケースとやらを捜してるって?」

「そうだ」

「変わった人だねぇ」

「よく言われる」


正確には、よくわからない奴、という何とも表現し難い言い回しが多かった。

そんな会話の中、潤伍が正規のルート通りに群馬の榛名湖を目指すものだから、本間は疑問に思ったのだろう。


「おい、いいのか?…捜し物は」

「こっちが優先事項だ。女性の証言から4日前に榛名に向かっている。俺は寄り道してたから、恐らく俺より後に武甲を出たチームだとしても、急がないと追いつけなくなる」

「…あんた、頭良さそうだな」

(何でだ?)


本間は大袈裟に感心して潤伍の背中を大きく叩いた。

潤伍は痛くて軽くむせた。

彼らは2日はかかる工程を休まずに進み、1日半で榛名湖にある街へと辿り着いた。

温泉の出る湖畔の傍、山林を切り開いて建築された街は妙に賑わっていた。

榛名郵便局へと向かい、受付の今日は祭りだと聞いた。入局手続きを終えた潤伍はすぐさまお付きの2人の元に向かう。


「おい、ツイてるぞ。今日は祭りだそうだ」

「お前!祭りでワクワクしてんじゃねぇぞ!」


この頃になると、上野の口も幾分か回復に向かっていたようで、よく喋るようになっていた。


「ジュゴンよ〜、気持ちは解るが今ははしゃいでる場合じゃねぇよ」

「お前らアホか!そしてジュゴンって言うな!いいか、この1週間で入局した3人組は2つ。1組は4日前に出発してる。時期からして俺達の狙いはまだ街に居ると考えていい。目当ては祭りだろう」

「そうか!祭りに便乗して取っ捕まえられるし、その後は好きに出来るな!」

「やっぱ頭良いな!」


本間のその後の背中への平手を潤伍はかわすことに成功した。本間は着地するはずの手が空を走り遠心力でくるりと回転した後、上野の腫れた頬を強かに叩いた。


「…避けるなよぉ」


潤伍は無視して話を続けた。


「3人組の人相も確認済みだ」


潤伍達は着替えて一般人を装い、浮かれる街へと紛れて行った。


「ねぇ潤君…これ失敗だったね…」

「だなぁ…」


夏と2人で気合を入れて浴衣をも着込んで出向いた花火大会。人混みに揉まれて浴衣は着崩れるし、慣れない下駄で足も痛くて堪らなかった過去を不意に思い出す。


「おいジュゴン、アイツらは?」

(夏との思い出をブチ壊しやがって)

「違う…。本間、今度ジュゴンって呼んだら、そのでっけぇ鼻っ柱を折るからな」

「じゃあ何て呼ぶんだよ。沖本さんはジュゴンで良いって」

(良太の野郎)

「ジュゴン以外だ」


その時だった。入出局の受付で聞いた通りの3人組が目に入る。


「アレだ」


よっしゃ!と飛び出す2人を制する。近くに警備員が居たので暫くの尾行を要求した。


「いいか、殴るのは一発だけにしておけ」

「何でだよ!アイツらは女に酷い仕打ちしといて無銭したんだぞ!」

「あぁ!一発で終わりじゃ黒狼の名折れだ!」

「シッ!落ち着け。一発で終わりにはしない。少し考えがあるんだ」


潤伍は右のポケットをまさぐった。


「いいか、何をしたか全部吐かせてから殴れよ」

「…何か知らんが…オバッちゃんが言うなら…」

(ちょっと待て)

「…何だオバッちゃんって」


イントネーションが違ったらオバちゃんって聴こえそうだ。


「ジュゴンが嫌なんだろ?だから小幡のオバッちゃん」


普通に小幡と呼ぶ発想はないのかと潤伍は頭を抱える。距離の縮め感が半端無い所が、少し羽鳥を思い出させた。


「とにかく、何をしたかが問題だからな」

「…わかったよ」


2人共に渋々といった様子でなんとか了承した。

最初に3人がに声を掛けたのは潤伍だった。ポストマンとして先輩にアドバイスを求めたらすぐについて来た。


「何しろ数週間前になったばかりだから、いろいろ勝手が分からなくて」

「だろうなぁ、この職は甘くねぇ」


1人が得意気に言う。


「あんた達みたいなベテランなら武勇伝もいっぱいあるんだろ?そうだ、最近あった事とか教えてくれないか?」


3人は酒も入っていて鈍そうに首を捻った。


「最近かぁ?…アレは武勇伝なんてモンじゃあねぇしなぁ」

「何でも教えてくれよ。参考までに」

「そういえばこの前、色町の女をヤッちまったなぁ」

(来た!)

「ヤッたって?」

「いやぁ、一気に3人は相手にデキねぇなんて言いやがるからちょっと脅してやったんだよ」

「…どんな風に?」

「その女はガキが居るらしくってなぁ、知り合いの警備員がガキ専門の奴でって話始めたら泣いて縋って来たんだよ」

「柱に縛り付けて散々遊んでやったなぁ」

(鬼畜か‼)

「最後に金なんて言いやがるから、俺らも言ってやったんだよ」


ゲラゲラと下品な笑い声を上げる。潤伍でさえも拳を握り締めずにはいられなかった。


「…何て?」

「俺達は満足してねぇから払う必要ねぇっ」


言い終える前に上野が殴りかかっていた。


「オバッちゃんもう十分だろ!この野郎が〜‼」


本間もブチ切れている。気持ちは痛いほど分かった。その女の恐怖と苦痛を思えば尚更だ。

しかし、ここらで止めなければ、死なせる訳にはいかない。

潤伍は警備員を呼び、その場を収める事となった。彼以外の5人が逮捕され、事情説明の為に潤伍は警備隊屯所を訪れる。




「藤田隊長は居るか?武甲の小幡と伝えてもらえば分かるはずだ」


受付に告げてから数分後、藤田は小走りに潤伍の前に現れた。強面のいかにも屈強な体躯を持つその人は、潤伍を見止めた途端に白い歯を見せた。

事情を説明すると、う〜んと考え出した。


「黒狼に組するとはいえ、女1人に3人で暴行しました」

「証拠は?」


潤伍は小さなレコーダーを差し出す。それは捜し物のついでに電池と共に拾ったモノだった。

藤田は途端に潤伍の腕を掴むと、とんでもない所へと入室する。

そこは警備隊屯所から100m程しか離れていない、同じ敷地内にある中央直轄部の中心人物が居る部屋だった。

つまりこの街のトップだ。

質素で機能的なその部屋には、何処から持ってきたのか豪華なソファだけは立派に鎮座している。

その人は地味なデスクで書類の山に埋もれて仕事をしていた。

挨拶の声で藤田であることを確認していたその人は、顔も上げずに答えた。


「どうしたぁ」

「どうも、お忙しい中すいませんねぇ。ちょっくら会ってもらいたい奴が居ましてね」


そこで初めて正面に面を上げた人物は、とても事務仕事が似合うような細身でもなく、議員という単語が似合うような雰囲気もなく、どちらかと言えば武闘派のようなガッシリした、しかし顔だけは穏やかな印象が強い何とも不思議な男だった。


「武甲に引き抜きたい奴が居たが、ポストマンになっちまったってこの前話したでしょう」

「おぅ、覚えてるぞ。ソイツが?」


潤伍は短く自己紹介をする。


「宜しく。俺は一応榛名を預かってる池川哲夫いけがわてつおだ」


名前も雄々しい。


「いろいろ話を聞きたい所だが、本当にスマンな。今は忙しくて」

「今すぐ聞いて欲しい話があるんすよ」


藤田の真剣な表情に、池川はすぐに手を止めた。


「以前からアウト連中の風紀の乱れに苦言を仰っていたでしょう。今回はある件の物証が出ましてね」

「どういう事だ?」


藤田が目で合図するので、潤伍は端的にあらましを説明してからレコーダーを流した。


「これを期にきちんとした法整備を敷いて、犯罪者は裁くべきではありませんか?」


藤田は力強くデスクを大きな両手で叩く。


「雑務に追われてる場合じゃないか…」


この時、何処の街でもしっかりとした法が存在しておらず、街ごとのトップが何となく決定した事がゆるりと実行していることが多く、街の特徴はトップの良識と良心によって決まっていた。

武甲は元議員がトップを張っていたため、割としっかりとした統率系統が成っていたが、それでも独裁感は否めない。


「よし!やはり議会を作ろう!」

「ですね。今迄何となくで終わらせていた事に枠組みを作る。個々を束ねるには頃合いでしょう」

「だな!議会を開いて法律を作り直して裁判を開こう!まずは選挙だな!」


何となく2人の盛り上がりに水を指すようで申し訳なかったが、潤伍は口を挟んだ。


「…すみませんが、黒狼の2人とあのポストマン達は?」

「黒狼の2人は3日後に釈放!3人のポストマンは正式な裁判が出来るまで勾留!小幡君はレコーダーを証拠品として提出するように!」


何とも決断が早く気風の良い人物だろうか。なのに何故書類が山になるのか不思議であったが、潤伍は圧倒されていた。

潤伍自身、ここまでの成果を期待してのレコーダー作戦ではなかったか。

証拠として提出すればおざなりに終わることなく、あの鬼畜達に犯罪者のレッテルを貼ることが出来るなら、彼等には大きな罰を受けるだろうくらいにしか考えてなかったのである。

ポストマン然り、流通担当警備員でも犯罪に手を染める者も少なくない。

特にポストマンは人伝の評判が仕事の有無に関わってくる。

彼等の仕事量に当然影響するのだ。

しかし、まさか街の立法にまで発展するとは。いや、きっとこれは1つの街で収まる話ではないだろう。

池川ならば古い日本政治の因習を引き継ぐこと無く、良い治世が敷けるのではないかと潤伍は思う。

そしてそれは街の良いモデルになるだろう。他の街との連携も取れれば、新たな日本の誕生となるだろうか。

池川を見ていると、明るい未来を想像させられて我知らずに胸が踊っている自分に潤伍は驚いていた。

暫くこんな感情を味わってなかった。


(未来か…)


潤伍は夏を亡くして以来、未来どころか明日さえ考える事を辞めていた。

いつもその場の判断だけで動いていた自分の未来は何処に向かっているのだろうかと思う。

池川は早速案件に取り掛かっていたので、潤伍達は静かに部屋を出た。


「驚きましたよ。いきなり街のトップに会わせるなんて」

「悪かったな。池川さんは俺の大学時代の先輩でな、今迄それなりに今の世を憂いていたんた。俺もな」

「…すごいですね…俺は自分の事で手一杯ですよ」

「なぁ!今夜開けとけよ!お前とは一度酒を酌み交わしたかったんだ」


藤田は強引な誘い方をしたが、潤伍は悪い気はしなかった。そのままの脚で勾留中の黒狼の2人に会いに行った。

3日の勾留は賊にしては破格の待遇だった。事の終着を報告したところ、2人共にポカンと口を開けていた。


「あ、あのよ〜…何か難しい話になってるけど…」

「大きくはあるが難しくはない。今迄泣き寝入りしてきた被害者が加害者を裁く権利を得るんだ。多分、以前の日本に比べて面倒な手続きとかは減って時間もかからなくなると思う」


これはあくまでも池川の印象と潤伍の期待が大きく入っていた事は否めない。

2人は事の大きさについて行けてないようだった。


「とにかく、アイツらは結構な期間勾留される。その後に裁判だ。お前たちは3日後に出れる。個人的にも社会的にも制裁を受けるんだから、黒狼としても充分じゃないか?」

「お、おぅ…多分。でも沖本さんに報告するまではどうなるか分からんぞ」

「解っている。それまでは榛名に居るようにしよう」


どうせ急ぐ旅でもない。勾留されてしまった2人には申し訳なかったが、潤伍には沖本の仕切る黒狼に殺人をさせる気は初めからなかった。

取り敢えず上手く行き過ぎた結果に潤伍は満足していた。




その夜、店はこじんまりとした居酒屋で客も少数。いかにも潤伍の好みの店だった。

7時と言われ6時50分に着いたのに、藤田は既に出来上がっていた。


(早い…何時から居たんだ)

「お〜!小幡!お疲れ!」


大ジョッキを上げて1人で乾杯している。長い夜になりそうな予感を覚えた。

初めはポストマンになった経緯や警備員の在り方等を語っていたが、唐突に藤田は切り出した。


「お前、今の世の中をどう思う?」


顔面を真っ赤にしてるのにこの饒舌さはどうだろうか。潤伍は質問の意味を測りかねた。


「どうって何がです?」

「…俺はな、思うんだ…。地球が怒ってるってな」

「…地球が…怒る?」

「知り合いの元学者がな、言ってたんだ。あんなスーパーフレアが前触れもなく起こるはずねぇって」


潤伍は静かにジョッキを傾けながら黙って次を待つ。


「大規模なフレアが発生するのは、恒星とこれに近接する大型惑星の磁場が捻れ合ってある点まで達すると爆発するらしい。ただこの銀河系でいうと、太陽に最も近いのが水星だが、木星のような巨大なガス惑星磁場とは比べ物にならないくらい弱い。木星が水星の内側の軌道に入って来るようなら可能だそうだ」


意外な博識さに驚きつつ、潤伍は続いた。


「でも、木星がそんな動きを見せれば事前の観測で発見できるでしょうし、地球や他の惑星にも影響が」

「あぁ、影響するだろうな」

「じゃあ、何で…」

「だからぁ、地球が怒ってるんだよ」

「はぁ〜?」


専門的な天文学の話からいきなりファンタジーチックになって、潤伍は思わず力の抜けた返事をしてしまった。


「やれ戦争だ内紛だ、テロだ。小さいのは収賄、密造、捏造、隠蔽。人間は人間同士だけじゃなく動植物までも壊す。地球にとっちゃあ害虫だよ」

「…害虫駆除ってことですか…」

「俺はそう思ってる。だから、今迄みたいな生活は望んじゃいけないんだ。俺は、今の現状は自業自得だと思うね」


潤伍は羽鳥も似たような事を言っていた事を思い出す。


「俺はさ、今の方が好きだなぁ。そりゃ亡くなった方は本当に残念だと思うよ。俺の家族も居なくなったし…。でも、人のほとんどは農作業で生計を立てて、セレブとか爆買いとか訳わからん奴らも居なくなって物欲は小さくなった。質素な生活に馴染んで来てるんだよ。それって本来の生き方な気がする」


その時には、そんなもんかとか適当に答えた覚えがある。


「おぅ、何か羽鳥とは気が合いそうだな!」

「人本来の姿…」

「下手に進化した世界よりは、今の方が自然との共存は可能かもな」


皆、いろんな事を考えて生きていた。


(俺はどうだ。何も考えていなかった。ただ息をしてただけじゃないのか?夏が居ない。そこに逃げ込んでいただけじゃないのか)

「…俺には…よく分かりません…ただ」


藤田はジョッキを傾けながら、潤伍の二の句を待った。


「ただ…自分にはどんな未来があるのか、何が出来るか考えたいと思います」


藤田はどんな答えを期待していたのか、素っ頓狂な表情の後ニカッと笑う。


「それでいいと思うぞ。人の為自分の為世の為、それぞれが考えて楽しく暮らせればイイな」


何だかとんでもない難題を自分に課してしまったような、少し恐怖さえ感じた夜だった。

夏が居ないという事実を完全に認め、次の1歩を踏み出さなければならない。

彼女の全てを思い出として受け止めなければならない事が、潤伍には酷く重い事に感じた。


榛名を発つのに8日を要した。上野と本間は約束通り3日後に釈放されたが、沖本良太への報告とその結果を待つのにその日数が必要だったのである。


「オバッちゃん!良かったな!」


本間は遠くから大声で潤伍を呼ぶ。


(恥ずかしい)

「法整備が敷かれる事はこちらも動きにくくなるだろうが、それは今迄とそう変わらないだろう。だが、証拠を上げればこちらにも権利がある事が保証されたのは大きな収穫だ。あの野郎共は一度ブチのめしただけじゃあ気が収まらねぇところだったが、これで年単位での勾留の後で裁判だ。警備隊との抗争も予想してたが、その心配も必要なさそうだ」

「って言ってたぜ」


上野は良太の台詞そのままを胸を張って伝えた。


「…それは良かった。で、俺の処分はどうなったんだ?」

「そんなモン決まってんじゃねぇか!俺達もう兄弟になったようなモンだ!今後、俺達のシマで猫を連れたポストマンに手ぇ出す奴は居ねぇよ」

(兄弟になったつもりは…)


不意に潤伍は聞きたくなった。


「お前達はどうして黒狼に入ったんだ?街に行こうとは思わなかったのか?」


本間は鼻の頭をコリコリと掻きながら7年前に想いを馳せた。


「俺達ゃあよ、前科持ちが多いんだ。俺や上野は窃盗で収監されてる時にアレが起こってよ…。俺達は餓死寸前迄放置されてたんだよ。死んじまった奴も居た」

「そんな時、沖本さんが助けてくれたんだ」

「街も良いかもしれない。でも、やっぱ合う合わないってのがあってよ、俺達にはくわよりコッチよ」


本間は銃を撃つ指真似をした。

それぞれの過去と現在がある。当たり前なのに何故今迄それに想い至らなかったのか。

自分だけが過去に縛り付けられているようで、疎外感よりも羞恥心の方が強かった。

潤伍はいたたまれない気持ちになり、何気ないフリをして高い空を見上げた。

目に写ったのは遠く迄見渡せる緑とその鮮やかさだった。

本当に何故気付かなかったのか。

オゾン層及びネットワークの破壊。地獄に堕ちたと思っていた。常に死と隣り合わせの生活に、当然人々は怯えて肩を寄せ合って暮らしているとばかり思い込んでいた。

しかし、世界は美しかった。

排気ガスの全く存在しなくなった大気は、遙か彼方の山々を見透かし、空の青は何処までも澄んだコバルトブルーが飛ぶ小鳥を包んでいる。


「どうした?オバッちゃん」

「…綺麗だなぁ」

「あ?」

「…いや」


潤伍はその大気を思い切り胸に吸い込んだ。今夜、星を観てみようと思った。


「今を生きるか…」


潤伍はスッキリとした笑顔を、目を丸くする2人に向けた。


「…笑った」

「…笑ったな」


自分の中のいろんな感情に気付き始め、何故か少し心の軽くなった潤伍はその日の内に榛名を後にした。




潤伍は松本市に来ていた。

青木湖という湖の畔に街が1つあるらしいが、長野に入ってから賊の類が見当たらない。

かつての町跡は閑散としていて、それは何処でも変わらなかったが意外な事に此処には犬猫の姿が良く目に付いた。

長野では食料不足が起こらなかったのか軽かったのか。

治安が安定していたため、3日かけて大きな町を捜し尽くしたが、やはり緑の蓋のまたたび粉を捜し出す事は出来ずにいた。

松本にある休憩所と街に捜し物の依頼を残し、潤伍は早々に岐阜へと向かう事にした。

驚いた事に、岐阜では山ではなくそのまま瑞穂市を中心に長良川に沿うように人々は暮らしていた。

休憩所は無く、細長い街は警備員からしたらとても護りにくそうだと思った。

逆に街が平地にある為物資調達は行いやすい。

潤伍はそのまま瑞穂市を拠点として捜し物をすることにした。

途中、ハギの為に魚を求めた小さな店に、膝に真っ白な美猫を乗せた可愛らしいお婆さんが居た。

ハギは去勢手術を行っているので、この白猫がメスだとしても襲うことはない。

縄張り意識も薄いので仲良くなれるかどうかは相手にかかっている。


「そちらさんも連れて着んしゃい」


カッパを脱がせて傍に寄せると、2匹で鼻をヒクヒクさせて挨拶をしていた。

喧嘩の様子はないのでハギを自由にしてやった。


「こちらはハギと言います。そちらは?」

「ミーちゃんって言うんよ」


安直だ、と潤伍は思った。やはりメスだった綺麗な顔をしたミーはハギの匂いをしきりに嗅いでいる。

ハギにも友達が出来たと思ってもいいのだろうか。


「えぇ子じゃねぇ、ハギちゃんは」


猫同士とお婆さんが遊んでる間に潤伍は干し魚を見繕う。

ポストマンの宿泊所は基本自炊だ。魚の他にも必要な物がある。


(これは干し肉?500円って何の肉だ?)

「牛肉じゃよ」

(安っ‼)


潤伍はその値段に驚く。ビーフジャーキーは武甲でも珍しく、結構な高値で取り引きされる。

長良川の上流に大規模な牧場があり、この店はその直営だとお婆さんは説明した。

聞けば、お婆さんの息子がその牧場を運営しているとの事だった。

小さなその店は宿泊所に居たポストマンから聞いた場所だったので、どうやら御用達なのだろうと想像出来る。


「ハギちゃんは何歳になるん?」

「もう8歳になります」

「ミーちゃんはまだ3歳なんよ。私が死んだらどうなるか…」

「……今は誰がいつどうなるか分からない時代ですから…」

「そうじゃねぇ…」


ハギを残して潤伍が死ぬ。潤伍を残してハギが死ぬ。どちらがせめて幸いかと考える。

アレ以前から彼の周りには死が身近に在った。

残された側の辛さが解るからこそ、自分がハギを送った方が良いのだろうと思う。

ハギの苦労している姿を想像すると胸が痛くなった。

しかし、ハギが居なくなる事を想うとやはり胸にチクリと針が刺さるのだった。

潤伍は煮干しを3kgとビーフジャーキーを2000円分購入して店を後にした。

帰り際、お婆さんとミーのセットが、何故か切なさを感じさせた。

今の世は誰が何処でどうなるか分からない。しかし、それは昔から変わらない事だった。

死を身近に考える。当たり前の事を受け入れる事を人々は漸く出来るようになった。

それが良い事なのか潤伍には分からなかったが、自分もいろんな覚悟が必要であることをやっと思い出した。

アレの直後、暴徒化した人々により様々な物が略奪された。

金が幸せの物差しだった時代は終わり、物資食料が最も貴重な物となる。

またたび粉が略奪の対象になったかどうかは分からないが、今の処彼等に収穫は無かった。

現在でも円が通貨として流通しているが、その価値はかつてとは変わった。

物に溢れた時代、金を稼ぐ為の金と、生きる為の金では同じようでいて全く違っていた。

今は実にシンプルだ。

1週間の滞在後、滋賀に向かう前にもう一度ミーの居る店へと顔を出した。

此処のビーフジャーキーは破格な上に美味だったが、それだけではなくもう一度ハギとミーを会わせたかった。

2匹が遊んでる様を眺めながら、潤伍はふと村内老人と大地を思い出していた。

お婆さんがミーを心配した一言が、彼とハギの今後を考えさせた。と同時に村内氏の想いも今更ながらに潤伍に覆いかぶさってきた。

漬物をお茶請けにお婆さんと向き合い、疑問をぶつけてみた。


「不躾ではありますが、ミーを息子さんに預けようとは思わないですか?牧場を営んでいらっしゃるんでしょう」

「いずれはねぇ…それも考えてるけどねぇ…」


自分で言いながらやはり胸が痛んだ。

潤伍にとってハギは夏との子供のように思っている。それはお婆さんも同様だろう。

娘を手放すのは相当辛い決断である。孤独であるが故…。

潤伍もお婆さんも村内も。

やり切れない想いを抱えつつ、今度は5000円分のビーフジャーキーと大量の煮干しを購入して店を後にした。

珍しくハギが鳴く。いつもの鳴き方とは違う甘えたような声が、潤伍の切なさに追い打ちをかけた。




滋賀県は日本一の湖、琵琶湖に街を構えている。何処も水辺に街を建設するのは水源確保の為だ。

しかし、潤伍は此処には長居するつもりはなかった。

というのも、彼は熊谷へ急ぎたい気持ちでいっぱいだった。

気になりだしたら即行動に移したいのが彼の性だ。

大地を旅に連れて行くかどうかは未だに悩みの最中ではあるが、話をしっかりと聞いていなかった事が気がかりで仕方なかった。

捜し物の件もあったが、今はあの2人にもう一度会うことが彼の心を占めている。

琵琶湖と言っても広く、街は長浜市の一画にひっそりと佇んでいるとの事だった。

潤伍は寄り道をせずに正規のルートで街へ向かった。

突然の銃声が前輪を掠める。前につんのめる前にハギを抱えて横に転がって茂みに身を隠す。

久々のお出ましは何人だろうか。

音からしてかなり遠くからの狙撃だろうに、危うくハギに当たりそうだった。

胸の中の毛玉を確認すると、どうやら彼に被害はなさそうだ。

そっと草むらにハギを下ろすと、身を屈めてじっとしている。

猫は大きな音が苦手なのだ。


「ハギ、動くなよ」


潤伍は狙撃箇所の確認をするために、ゆっくりと木立から顔だけ覗かせた。

刹那、その木立に銃弾が撃ち込まれる。


(腕の良いスナイパーが居るのか…厄介だな)


恐らく賊は3人以上で、1人が狙撃で援護して残りで物資を強奪する手口だと思われた。

潤伍は自分の居る場所を確認する。まずはスナイパーを何とかしないと打つ手がない。自転車の後方にはライフルが在った。

もう一度ハギを見てから潤伍は動き出した。

一度木立の右側に姿を見せてから素早く左側から自転車に向かう。

木立を掠めた銃声の後、次弾装填の数秒でライフルの確保に成功した。

潤伍は身を低めに別の木立に身を寄せる。ハギが隠れているはずの場所を見るが、彼の姿を確認する事は出来ない。

言う通りにしていることを願うばかりである。

木立から茂みに転がり込み、葉の隙間からライフルを構えた。弾は8発。

暫くの静寂は相手も潤伍の位置を見失ったせいだ。

道を挟んで反対の荒れた田んぼの跡の更に奥の林から人影が2つ。

潤伍は迷わず引き金を引き絞り、1人の脚を撃ち抜いた。

圧倒的不利な立場から手加減などしていては危うくなる。

相手の人数が分からない以上、威嚇射撃などせずに全力で排除するのが定石だ。

雲が動いて天使のトンネルが一筋降りてくる。

2時方向にキラリと何かが光って銃声が響く。潤伍は光に向けて1発。反応がないのは外した証拠だ。

きっと狙撃手は位置を変えただろう。


(次は外さない…)


潤伍は弾を銃身に装填して引き金に指を掛けた。

再びの沈黙に潤伍は重い漆黒のコートを脱ぐと、枝を使って茂みの外に囮を作った。銃声と共に場所を確認すると間髪入れずに指を引き絞った。

銃声の余韻の中で悲鳴が聞こえてきた。何処に当たったかは定かではないが、反撃不能な何処かに命中したのだろう。

潤伍はライフルは構えたままでゆっくりと茂みから立ち上がると、声を張り上げた。


「こちらに交戦の意思は無い!このまま引くなら良し!でなければ覚悟しろよ‼」


数秒後、男が2人手を挙げて出てきた。賊は4人居たらしい。


「撃つな!引くから怪我人だけ回収させてくれ!」


賊が田んぼで転がってる男を引き摺り姿が見えなくなってから、漸くスコープから瞳を離した。

良識があると言ったら語弊はあるが、戦力半減で撤退を決めてくれた敵に感謝したい気分だった。

自転車の前輪のパンクを確認して、静かに声をかけた。


「ハギ、おいで」


何回か呼ぶと辺りを見回しながらゆっくりと出てきた茶トラは、潤伍を確認しても見を低くしながらソロソロと近づく。

小さな音も聞き逃さないその耳は、前後左右に警戒を続けている。


「ハギ、おいで。もう大丈夫だから」


彼にとっては突然起こった大音量の撃ち合いだ。銃を使ったのは初めてではないが、よく逃げずにじっとしていてくれたと潤伍は安堵の息を吐いた。

ハギは潤伍の傍に来ると、擦り寄るわけではなく横に腰を下ろして、黒いカッパが煩わしそうに顔の毛づくろいを始めた。

休憩がてらハギには煮干しを少し、潤伍もジャーキーを咥えながらパンク修理をすることにした。

勿論、道の真ん中なんて危険は避けて茂みの中の少しのスペースであった。

日陰の作業でも汗が滲んだ。

アレから7度目の秋はもう深かったが、今日は少し暑い。

何とか四季を保ってくれているおかげで、夏以外は人々もある程度は活動が出来る。

ポストマンもさすがに夏の炎天下での配達は出来ず、夜のみの移動になる。

秋とはいえ、本来ならばまだ夜の行動が通例ではあったが、捜し物の為に時間を費やす彼等は、少しでも陽が陰ると移動を繰り返していた。

さわさわとそよぐ秋風が気持ちの良い午後。

黒いカッパの茶トラが何度も位置を確認しながら漸く寝転んだので、潤伍も仮眠を取ることにした。

琵琶湖に着いたのは夜も更けた頃だ。潤伍は受付に手紙を託すと、受取は榛名行きのみを注文した。

岐阜と長野を跨いでいるので、群馬行きの手紙などたった4通のみであったが、1時間程の食事休憩を取るとその脚で引き返す選択をする。

気になりだすと即行動に移したくなるなるのは彼の気性。

ポストマンになると決めてから警備員を離職するまでも1ヶ月とかからなかった。

ただ、途中の休憩所は利用し、緑の蓋のまたたび粉をお願いする事は忘れなかった。

勿論、彼がいくら体力があろうとも、休憩無しでの自転車の旅はとても保たない。ハギの体力やストレスも心配だった。

時には休憩所で、時には空の元で、彼等は自然や賊達と戦いながらそれでも半月で榛名に戻ってきた。

そんなに遠い過去でも無いのに、随分懐かしく感じた。




受付に着くと早速武甲への荷物を要求したが、手配に1〜2日はかかるとの事。前日に武甲への手紙が出でしまった後だったからだ。

潤伍にも生活がある。岐阜と長野をすっ飛ばしたので、切実なところだ。

思いもよらず出来た休日をどう過ごすか迷っていると、不意に声をかけられた。


「お〜!オバッちゃん!」


この呼び方も何だか懐かしい。


「本間、こんな所で何してるんだ?」

「いや〜、此処の隊長さんに被害者の女連れてくるように言われてな。今は聴取中だ」

「そうか…少しづつでも進んでるようで良かったな。良太や上野は元気か?」

「2人共元気だ。それより報告があるぞ」


本間は得意気に鼻を擦っている。


「俺と上野な、村内の爺さんの手伝いしてんだ」

「村内さんの?」

「あぁ、最近調子悪いみたいでなぁ。俺らもアソコはちょくちょく世話になってたから沖本さんに相談したんだ。カタギになるつもりもねぇが、爺さんが迎え入れてくれたもんで、自然にそうなっちまった」

「…随分な展開だな…大地はどうしてる?」

「自分が休憩所を継ぐって駄々こねてるが、爺さんが反対しててなぁ。今は冷戦中だ」


潤伍は顎の下に手を当てて少し考える。


「俺達が休憩所を乗っ取るんじゃないかって思ってるみたいだ」

「いい時期に来たかもしれないな…」

「あ?」

「いや…聴取はいつ迄だ?」

「そろそろ終わる頃だろうよ」

「そうか。3〜4日したら休憩所に寄る予定だ。宜しく言っといてくれ」

「おぅ、分かった」


丁度その頃、聴取を終えた女が警備隊屯所から出できた。華奢な女は長い髪を1つに纏めて、美人だがとても商売女とは思えない質素な格好をしていた。


「本間ちゃん、終わったよ。あ〜疲れた」

(ちゃん呼び…似合わん)

「アンちゃん、丁度良かった!コイツが例のオバッちゃんだ」

「オバッちゃん!ありがとう!アンタのおかげでアイツ等捕まったんだってね!本当にありがとう!」


アンと呼ばれた女は潤伍の手を握り締め、ブンブンと力強く握手を振った。


「いや…アンタの方が辛かっただろう。元気そうで何よりだ」

「あら、結構男前じゃないの!今度来てよ!たっぷりサービスするからさ!」

「…あ、あぁ…」


曖昧に返事はしたものの、潤伍にその気はなかった。

思い出すのは夏の冷えたつま先や柔らかい肌触り。その香りをまだ忘れられずにいた。

自分でもどうかと思うことがある。どんなに想っても彼女はもう居ない。

でも確かに居たのだ。そして潤伍の中にはまだ居る。

彼の中では夏との思い出がまだ思い出に出来ていなかった。


2人と別れてから宿泊所にハギを落ち着かせると、ぶらりと街へ繰り出した。

選挙ポスターの代わりのような、政策を刷った紙が街のあちこちに貼ってある。

池川の行動力には驚愕するばかりだ。

此処まで強行軍で来たので、暫しの休憩はハギには良かっかもしれない。猫は本来引っ越しがあまり好きではない。

この様な旅はハギには酷かもしれないと初めは思った。でも、潤伍はどうしてもハギを連れて行きたかった。

潤伍が送った3人の死に際に、彼は立ち会うことが出来なかった事が原因かも知れなかった。

突然に死を知らされ、その亡骸を確認する事しか出来なかったのである。

例えば潤伍1人で旅に出たとして、羽鳥に預けたとして、その間に互いに何かがあったらと考えると恐ろしくなった。

潤伍はかなりハギに依存してるのだろうか。それもまた恐ろしく思うのだった。




2日後、漸く武甲への手紙の束が集まると、潤伍はある決意を固めて休憩所を目指す。

晴天が邪魔して到着は翌々日の夕方になった。

潤伍は村内に会って驚いた。

たった半年足らずで随分痩せてしまっていたからだ。


「郵便屋…無事に一周してきたか」


村内はベッドに横たわっていた。店には上野と大地が居たのでハギはそちらに任せて、潤伍は村内の寝室で話をする。


「…村内さん……癌なのか…?」

「多分な。…痛みが大してないから、膵臓すいぞうかもしれん」

「…アンタ…解ってたな。自分が長くない事。だから大地を離しておきたかったのか」


多分、潤伍が現れる前から自覚があったのだろう。だから大地を誰かに託したかった。

潤伍は漸く老人の真意を掴んだ。


「ヤメた」


村内は潤伍の言葉に落ち窪んだ目を見開いた。


「俺は今日、大地を旅の第一段階として武甲ヘ連れて行こうと思ってた。此処からなら近いし、慣れるために近場からって思って」

「そ、それじゃあ」

「でもヤメだ」


村内は次の言葉を待った。


「…俺は大切な人達を失った。…その死に目に立ち会えなかった。俺はいつも一足遅かった…」

「…………」

「大地にも同じ目に合わせるつもりか。それはいつ迄もしこりが残る。アンタは逃げてるだけだ」

「…大地を辛い目に合わせたくなかった。自分がこの世でたった1人なんだと絶望するんじゃないかと…それが怖かった…」


村内の気持ちも痛いほど理解できた。潤伍自身も絶望を味わった。今が在るのはハギのおかげかもしれない。


「大地はそんなに弱い子か?1人で逃げても遺された者には悲しみしかないぞ」

「まだ11だぞ!孫の未来が心配なんだ…。あの2人は良い奴らだが賊だ」


潤伍は老人の興奮を収める為にひと呼吸おいた。


「大地は任せろ。街に定住させるか旅に連れて行くかはまだ決めてないが、アンタが逝った後は俺が責任を持って預かろう。…でもそれは今では無い。一緒に乗り越える事こそが大地の為だ」


村内はゆっくりと身体を起こすと、ベッド際のテーブルに置かれた水を一口、口内を潤した。


「大地の両親は小さい会社で共働きしててなぁ。アレが起こったときに運悪く飛行機の墜落で会社ごと…。大地にはわししか居ないんだ」

「人は1人では生きていけない…。でも、絆を作っていくことは出来る。アンタも大地も1人じゃない」

「…お前さん…以前とは変わったな」


自身の変化を潤伍も感じていたが、不快感は無かった。

ポストマンとしての旅を始めてから出会った人々が、短くとも自問の時間を潤伍に与えた。

現実から逃げるように1人を選んで生きてきた潤伍は、それでも1人じゃなかった。

ハギは夏との絆の証でしかないと思っていたが違ってた。

人は誰かの支えや役に立つことで、生き、そして生かされていた。

全ての生き物は繋がっていて、それを受け入れると生きる喜びが出来る。

旅のキッカケは緑の蓋のまたたび粉だった。でも、それはただの理由でしかなかった。

潤伍はハギの為に動いていただけに過ぎなかった。それが喜びで[生きること]だった。

そしてそれは皆も同じ。誰かを想い、誰かの為に…。

それは顔も知らない誰かかも知れない。店を開く者も牛を育てる者も、潤伍の服を洋裁する者、畑を耕す者。

それも皆が繋がっている証拠である。

どんな世の中であっても、それは確実にあるそこに在る繋がり、絆であった。

今の潤伍には感覚でしか無いかな気持ちは、村内に伝わっただろうか。


「お前さんに改めて頼みたい。大地を宜しく頼む」

「分かった。でも残りの時間、大地としっかり話をすることだ」


老人はしっかりと目を伏せて頭を下げた。

扉の外で鼻をすする音が聞こえた後、ゆっくりと寝室の扉が開く。

潤伍の茶を用意した大地だった。


「聞いてたのか?」


村内はあからさまに慌てて問うた。

少年は気不味そうだったが、不意に顔を上げた。その眼は涙で赤く腫れ上がっている。


「お爺ちゃん…死んじゃうの?…だってただの風邪だって…」


場を外そうとした潤伍の腕を老人の痩せた手が掴んだ。


「大地…スマンな。爺は多分もう長くない」

「薬は?なんかないの⁉」


潤伍に縋るその瞳に耐えられず、目を伏せて首を振った。


「お爺ちゃん、ゴメン!俺、お爺ちゃんがそんなに悪いなんて知らなくって!」

「大地、悪いのは爺だ…嘘をついて悪かった」


大地は茶のセットを放り出して老人に抱きついた。


「大地、本当にすまんかった」


潤伍はいたたまれなくなり目頭に熱いものを感じたが、小さく深呼吸して大地の肩に手を置いた。


「大地、今すぐじゃない。ゆっくりとお爺さんと話をしろ。その時が来た時は俺を頼れ」


潤伍はそれだけを告げて寝室を出た。

廊下では上野が涙目で壁を背に立っていた。


「…お前も聞いてたのか」


潤伍は呆れた溜息を吐き、上野と共に階下へと降りていった。


「ふ、2人で脅かそうぜって…。立ち聞きするつもりじゃ…」

「お前らも分かってたんだろ?爺さんが長くない事」

「そりゃあな…あの痩せ方を見れば誰でも癌を疑うよ。でも爺さんが言い張るからよ」

「…今日は本間は居ないのか?」

「基本的には1人づつだ。今週は俺の番なんだ」


潤伍は上野が淹れた茶を挟んで、ダイニングテーブルに座した。


「お前ら、手伝いって言ってるが今後どうするつもりだ?」

「う〜ん…休憩所が無いとお前らもだけど俺らも困るんだよ。でも俺らが後を継ぐかって言われたら…ちょっと考えちまうなぁ」

「俺は大地を預かるつもりだ。大地が自分で考えて将来を決める迄は覚悟してる。もしかしたらその時に休憩所を継ぎたいと言うかも知れない」

「本間や沖本さんとも相談してみるよ。所詮俺らは賊だ。街には入れねぇかもしれねぇけど、ちょっとの時間なら休憩所も良いかもな」

「あぁ、もう少し時間はある。よく相談して決めてくれ」


潤伍はもう1人、しっかりと話をしなければならない人物が居た。

もう一度寝室へと赴く。


「…少しいいか」


少し落ち着いた様子の大地に声をかけると、少年は静かに頷く。


「大地、今はまだお爺さんとの時間を大事にしろ。だが、時間が限られてる事も確かだ。…急いで考えることはないが、逃げることは出来ないのは解るな?」


唇を固く噛んで頷くので、潤伍はまた胸に刺し込みを感じて少年の小さな頭に手を置いた。


「良い子だ。今、お爺さんの前で誓うよ。1人前になる迄お前をしっかりと預かろう」


潤伍にも不安はあった。子供の育て方など知らないし、ましてや自分の子でも無い。

しかし、この旅で変われた自分に少しだけ自身を持とうと思う。

誰しも完全無欠ではない。

間違っても良い。でもそれを無意味にしてはいけない。

この出会いにはきっと意味が在る。

潤伍の旅に意味があったように…。


「俺は一度武甲に戻る。また此処に寄るよ」


大地は潤んだ瞳で、しかし毅然と潤伍を見た。その細い肩をポンと1回叩いて休憩所を後にした。

今日は曇天。移動にはもってこいの天候だが、西から黒く厚い雲が流れてきている。


「雨になるかもな…」


ハギのカッパを点検して傘を真上から少しだけ前輪側に傾けた。


「ハギ、絶対に緑の蓋のまたたび粉を見つけような」


愛想の無いトラ猫は耳だけ潤伍に向けてカゴの中で丸まった。





おわり




病気を患いながら、何とか書きました。読みづらかったらスミマセン。


いろんな意見をお待ちしてます。どうぞ宜しくお願いします。


次回作は未定ですが、なんやかんやと考えてはおります。

その際はまた読んで頂けると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 非常に読みやすい文章で、無事最期まで読み終えることができました。 スーパーフレアによって大きく変わった世界と、絶望的な状況の中でも少しずつ前へ進んで行く登場人物たちが、魅力的だと思います。…
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