第七話
稲穂は夕夏梨の講義が終わるのを待ち、一緒に歩きながら図書館に向かっていた。
市、唯一にして全国でも最大級の蔵書数を誇る。稲穂は子どもの頃から読書は好きだった。だからこそ大学のサークルでは読書部という随分酔狂な部活に入ったのだ。
だからと言って、家に引きこもっいるばかりではない。ちゃんと外でも遊んだ。何の自慢にもならないが友人の数は多い方だと自負している。
こうして後輩にも好かれ、生活にも苦労してない。
恋人という項目を見過ごせば、彼は幸せな人生を歩んでいるといえるだろう。いや、言い切って然るべきだ。
そんな稲穂の人生も陰りが生まれた。
この体に刻まれた呪いの証。何としても早急に解いてもらわねばならない。進行し始めてからでは文字通り手遅れなのだ。
もう一度、あの何の変哲もない日常を取り戻すために、彼は彼なりに努力することを決意していた。
もしかしたら、あの呪い本に解く鍵が隠されているのかもしれない。
素人目には分からないが、きっと千歳なら何か見つけ出してくれるはずだ。
そして、あまり良い思い出のない図書館の前に立つ。
呪い本を手に取ることで体に変化がないのか心配になったが、自分に大丈夫だと言い聞かせる。
意を決して図書館に足を踏み入れる。中は冷房が効いていてこれなら快適に読書がはかどる。
平日にもかかわらず、多くの人がこの図書館を利用している。
夕夏梨の本を返すためにカウンターに向かう背中を見送りながら、稲穂はふと考えた。
どうして図書館に呪い本があるのだろうかと。
現代の文豪の作品や漫画、そしてライトノベル、年代を感じる歴史書までここはすべての本の種類を網羅している。
千歳の家の図書室を思い出す。あそこも個人の蔵書にしてはなかなかの数だ。
話が逸れた。
図書館側が、わざわざあのよく分からない本を買うとはにわかには信じられない。そうすると個人による寄付の線が濃厚だろうか。
寄付をした人は呪いの類をよく理解していない人物なのだろうか。
現に素人である稲穂が呪いを使えてしまっているのだ。おそらくながら、誰にだって手軽に扱えるものもある。
誤用をしてしまったことを考えなかったのだろうか。
そもそもあの本は何年前のものだ。本を編成した年は昭和なのか、大正なのか、それとも明治か。それより昔だとは考えられない。
明治時代の書物というだけでも歴史的価値は高いだろう。
稲穂が気軽に借りられる程度には若い本のはずだ。それか館長も寄付した人も本当に何も知らない可能性だってある。
思考は続けてみるのだが、未だに答えは出ない。
こんなことなら、付け焼刃程度だが推理小説を読み込むべきだった。
「稲穂先輩、難しい顔してますけど大丈夫ですか?」
本を返し終えた夕夏梨が顔を覗く。
彼女の言葉で思考の航海に出ていた意識はようやく、稲穂のいる現実世界に帰還した。
「ちょっと考え事をね。あとは僕の用事だから、赤崎は適当に時間を潰しておいてくれ。多分すぐ終わるから」
「分かりました。適当に本を見てますから終わったら声をかけてくださいね」
稲穂を夕夏梨は別れ、彼はまず階段を上がる。
あの本は二階にあったはずだ。
急ぎ足で本棚を見て回る。本の場所の記憶も少しだが薄れかかっている。正確には思い出せない。それほど前のことでもないだろうに。
自分の記憶力に自信を持っていたが、その自信もぽっきり折れてしまいそうだ。
しかし完全に思い出せないわけではない。ある程度は覚えている。
本を指でなぞりながら、見落とさないために慎重に確認していく。
稲穂の指が止まる。
「あれ……?」
たしかにここにあったはずだ。すすけて黄ばんだ古い本が。
周り本棚を何度も確認するが、しかし見つからない。
誰かに借りられたのか。それとも館員が場所を間違えているのか。
こうなってはしらみつぶしに調べるしかない。
どれだけ探せど探せど、目当ての本は出てこなかった。やはり誰かに借りられているのか。
急いで一階に戻り、カウンターの女性に尋ねてみた。
「あの、僕が以前借りた呪い本って今誰かに借りられてますか?」
出来るだけ平静を装って話す。女性は困った顔をして、履歴を調べてくれた。
待つこと、実に三分。
その三分は、石を水が穿つごとく彼にはとてつもなく長いときに感じた。
「その本はですね、つい先日持ち主もとに返されましたよ。何でも、先祖が残した大事な遺品だったそうな」
女性がそう伝えると、稲穂はどっと疲れがあふれ出した。
「そうですか、ありがとうございます。お手数おかけしました」
となると、千歳に連絡を取らなければならない。呪い本は見つからなかったと。
図書館内での携帯電話の使用は禁止されているので、一度出るしかない。
その前に夕夏梨に声をかけておかなければ。
彼女は、一階の丸テーブルに座っていた。何かを読み込んでいる。稲穂は不意に気になって後ろからあえて声をかけずに、覗いて見た。
この町のおすすめデートスポットと書いている。
情報誌のようだが、誰かと行くのだろうか。
こう書いては失礼だが、彼女の浮いた話は高校時代から聞いたことない。
余計なお世話なのは知っていたが、稲穂は自分とばかり遊んでいないで、他の人と遊んでみたらどうだと言ったことがある。
すると彼女は「稲穂先輩と遊ぶのが楽しいから良いんですよ。彼氏とか、無理して作るものじゃないですから」と笑っていた。
先輩という色眼鏡をはずせば、彼女だって東や千歳に劣らないぐらいには顔は整っている。
加えて彼女は二人にはない、人懐っこさがある。
動物で表すなら犬。だろう。
もちろん悪い意味で言っている訳ではない。犬のように可愛らしいところがあるのだ。その気になれば彼女の想い人などすぐにでも落とせるだろう。
先輩として後輩の恋路にとやかく口出しするのはと思うが、話のタネぐらいにはなるはずだ。
「今度誰かと行くのか?」
大きな声で話せないので、稲穂は後ろから囁く。
彼女は驚き、余程稲穂に見せたくないのか勢いよく情報誌を閉じる。そこまで驚かなくてもいいだろうに。
「せっ、先輩……! 驚かせないでください……!」
「ごめんごめん、そんなに驚くなんて思ってなくて」
稲穂が手を合わせて笑いながら謝ると、彼女は一瞬だけムスッと頬を膨らませたが、手ぶらな彼を見て質問した。
「調べ物は終わったんですか?」
「うん。僕の用事はもう済んだから、赤崎がもういいなら帰るけど」
「私も大丈夫です。じゃあ帰りましょうか」
彼女は情報誌を手に取り、戸棚に戻す。
そして二人、歩を合わせて図書館を後にする。
一体、あの呪い本の持ち主は誰だったのだろうか。稲穂の心の中ではどうも引っかかっていた。あの本は使い方を知らなければ、呪いを信じていなければただの紙の束だ。
それこそ、学生間の悪ふざけでもしない限り手に取ることすらないだろう。
さすがに稲穂に現在の持ち主の名前を聞き出すことはできない。
千歳にどう連絡すればいいだろうか。
スマートフォンの画面とにらめっこしているが、一向に文が出てこない。自分を信じて頼ってくれた千歳をがっかりさせたくない。
だが、本を確保できなかったのは稲穂のせいではない。不運が重なったのだ。たまたま稲穂が仮に行ったときに、本は持ち主の元に帰った。
頭を悩ませているが、連絡しないわけにはいかない。
メールを打ち、送信する。
さて、どんな返信が来るのか。
はぁ。と無意識のうちに出てしまったため息。
きっと横で歩いている夕夏梨にも聞こえてしまっているだろう。
落ち込む彼の状態を知ってか知らずか、夕夏梨は稲穂の手を引く。意図とせず繋がった手は温かくて安心できた。
「先輩、この商店街の近くでよく当たる占い師がいるって話ですよ。試しに行ってみませんか?」
空はすっかり紅色に染まっており、烏が高々と飛んでいる。考え事をしてる間でも自然と足は彼女について行っていた。
商店街では、人々が行きかっている。晩御飯のおかずを買う母親と疲れた顔で帰ってきているサラリーマン。近くに学校があるのか、高校生たちが下校している。
「占い師……?」
「そうです。夕方にしかいないらしくて。いつもなら学生で一杯なんですけど、この時間ならまだ」
このご時世で占いが盛況。いや、悩み事が多い学生なら占いに頼ってしまうのも無理はない。誰しも右か左かを自分で決めることが億劫になるときもある。
気分転換には良いのかもしれない。
「当たるの?」
「はい! それはもちろん! 必ず当たるってウワサですから」
「分かった、行ってみようか」
夕夏梨は占い師がどこにいるのか知っているらしく、ぐいぐいと稲穂を引っ張っていく。
人通りの多い道を外れ、裏路地を歩く。
どんどん活気ある声が遠ざかる。まるで違う世界に来ているようだ。
この路地を抜けた先に何があるのか。子どもように胸が高鳴っていた。入り組んだ路地をさらに入り、野良猫ににらまれながらも進む。
何度目かの角を曲がった先に、如何にもな男が座っていた。
丸テーブルに高級感あふれる紫のテーブルクロス。水晶は置いていなかった。
ボーラ―ハットを被り、黒で統一している服装。座っているので身長は分からなかったが、それでも立てば稲穂より大きいだろう。
帽子の奥で光る双眼は、二人を捉えていた。
周りには人はいない。稲穂たちが最初の客なのか、丁度人がいなくなったときに来たのか。
「お客さんかな。さぁ、どうぞどうぞ。おかけになって」
占い師は気さくに話しかけ、二人に椅子に座るよう促す。
怪しさ満点の姿に稲穂は警戒して近づく。詐欺とかではなかろうか。それとも背後からがたいの良い男がいて、法外な金を要求されないだろうか。
不安がいくつも頭を過る。
「そちらのお兄さん、緊張しなくても大丈夫だよ。私はちゃんとした占い師だから。詐欺もしないし、後ろからがたいの良い男も来ないよ」
稲穂が考えていた不安を占い師に言い当てられて、心臓が飛び出そうになる。
嫌な汗が噴き出る。
警戒しながらも、椅子に座る。
「二人とも初見さんだね。さて、何を占ってほしいんだい?」
夕夏梨が手を上げて、こう言った。
「私の将来を占ってほしいです!」
すると占い師が頷き、夕夏梨の正面から見据える。
彼女は身を強張らせ稲穂から見ても緊張しているのが分かる。
「綺麗な目だね。うんうん、なるほどね。なかなか努力は報われない人生になりそうだ。だけど、安心してくれ。今の努力のやり方ひとつ変えるだけで何事も上手くいくよ」
怪しげな水晶も、安っぽいタロットカードも出てこない。ただ三枚の紙を三角形の点に配置しているだけ。それで本当に当たるのだろうか。
稲穂は訝しげに占い師を見つめる。
「次はきみだね。彼女と同じように将来を見て欲しいのかな?」
コクリと頷く。
「私はね、この三点の紙の間から人の未来を見るんだ。きみは疑っているようだけど、本当なんだ。多くの人は信じてくれないけどね。それじゃあ手始めに直近の未来を言い当てるよ。ここを去ってから、すぐに女性からのメールが来る。ふむ見たところ……きみの人生は、これからも先が大変そうだ。流れに流されないようにしっかり自分の意志を持つべきだ。まっ、こんなところかな」
当たるのか心配だが、会話をする前に後ろから来たのはがたいの良い男ではなく、女子高生の集団だった。
「こう言っては何だが、私の占いは必ず的中する。それでもちんけなものさ。見るだけで何かしてあげられるわけじゃない。お代は初回限定の千円だよ」
男の言うことに一言二言返したかったが、この細い路地で大人数でたむろするには近所にもよろしくない。
惜しさを感じながらも初回限定金額の千円を机に置き、その場を後にした。
そしてスマートフォンが震える。
「……!」
千歳からメールが帰ってきたのだ。
あの占い師の言っていることが当たった。これが偶然の可能性も当然生きている。だが、あの偶然ではないと何かが稲穂の中で囁くのだった。
彼は一体何者なのだろうか。
恐ろしさ半分、彼を本物の占い師と信じてみたい奇妙な気持ちが半分稲穂の中で渦巻いていた。




