第六話
それから三日後の出来事だった。
子犬は東によって引き取られ、テツという名前をつけられた。
テツにかけられたもの探しの呪いを知ってか知らずか、東はテツに無くしたものを見つけられる才能があると言い始めたのが、引き取って一日後。
稲穂が、冗談半分であの人は本当に呪いと無関係なのだろうかと疑い始めたのも同日。
そして東はこう言った。
「このテツの特技を使ってもの探しをさせよう」と。
これには彼女なりの考えがあるのだ。まず一つに東の人望をもってすれば、良い意味でも悪い意味でも人が寄ってくる。だとすれば、自ずとテツについて知っている人物が現れるかもしれない。
二つ目に、このテツの活躍のウワサが町内に広がればいずれ飼い主に行き当たることもあり得る。
飼い主に関しては稲穂や千歳も気になっているところだった。
テツに呪いがかかっていることは、先ほども書いた通りだ。
稲穂たちにとっては呪いをかけた人物は誰なのか。飼い主がかけたのか、それとも迷子になっているテツに通りすがりの呪い師がかけたのか。
千歳が藤宮に確認をしたところ、この町に呪い師と呼べるのは彼しかいないとのことだった。
よもやと思い、十津川真嗣にも連絡をしてみたところ、そんなことはしていないと断言された。
たしかに、彼らのような人間が呪いだけかけて迷っている子犬を放置するとは考えにくい。
ならば、考えうる可能性は絞られてくる。
呪い本を持った誰かが、テツに呪いをかけた。
それしかない。呪い師協会にも属しておらず、使い方を間違えれば危険なことになりかねない呪い本を使役している。
そう想像したとき、稲穂にあの痛みがよみがえる。
あの痛みを誰にも味わえさせたくない。こうならないように稲穂は解呪師を目指したのだ。
テツを引き取って二日目から、東によるもの探しボランティアが始まった。
もちろん、稲穂と夕夏梨も手伝いをして効率よくもの探しが出来るように尽力したが、さすがに一日では飼い主は見つからなかった。
そして呪いの効力が消えるはずの今日、その兆候は今朝から見られた。
幸い、稲穂は本日の講義はすべて休講となって一日中テツの世話をするつもりだったのだ。
もの探しの依頼は三件、昨日は十五件も回ったのだ。朝という事を鑑みれば、このぐらいが妥当というものだろう。
昨日まで無くした物の匂いを嗅ぐようにして、ぴたりと当ててきたテツだったが、正確な位置が分からずおろおろとしていた。
稲穂はテツと一緒に懸命に探した。
一件目は三十分。二件目は一時間。三件目は二時間。
ちなみに昨日の依頼はすべて十分で探し当てている。
「今日は、テツの調子も良くないみたいだからボランティアは止めにしましょうか」
この東の一言により、本日のもの探しのボランティアは中断された。
現在は夕方を迎えたが、一向にテツは変わった素振りを見せていない。
もしかすると、もはや呪いの効力は消えてしまったのではないだろうか。
確かめたい気持ちはあるのだが、稲穂には千歳や透子のようにそれを確かめる術はない。
明日にでも千歳に大学に来てもらって、呪いが解けているのかの判断をしてもらいたい。
部室にはテツを可愛がる東と、夕夏梨、そして稲穂しかいない。
どんよりとした沈黙が場を包んでいた。
「東さん、テツの様子はどうですか?」
昨日はあれだけ喧騒になっていた部室が恋しいのか、堪らず稲穂は東に聞いた。
「体調は良いわよ。さっきもおもちゃで遊んでいたしね。ただ――」
東は寝ているテツを可愛がりながら、稲穂の質問に答えた。
「ただ?」
「この子、寂しそうなの。多分、飼い主が恋しいのね」
東は、そこはかとなく哀しみにも取れる笑みを浮かべ、こう呟いた。
「そっか。私じゃあ、きみの飼い主の代わりにはなれないか……」
稲穂が再び声をかけようとしたとき、東はテツに首輪にリードをつけた。
「気分転換に散歩でもしてくるね。稲穂ちゃんと夕夏梨ちゃんは、ここで仲良くお話でもして待ってて」
テツも散歩だと分かると元気に立ち上がり、尻尾を振りはじめる。
稲穂は、喉元まで出かかっていた言葉を飲み込むしかなかった。
「……分かりました。気をつけて行って来てくださいね」
稲穂と夕夏梨は、テツと一緒に散歩に出掛ける東を静かに見送った。
東は散歩に出かけ、子どもの頃に見た夕焼けに染まる空を見上げた。
じきにこの空は藍色に染まり、星々が散らばる。
彼女は昔から夕焼けがあまり好きではなかった。
友達と別れる時間でもあったから、そして夜の闇は別れを暗に示唆しているように思えるからだ。
楽しい時間は永遠には続かない。
いずれ、どの時間にも終止符が打たれる。
誰かと何かと別れを告げるときはいつだって悲しみが伴う。
みんな、ずっと笑っていられたらいいのに。
それが東の願いであり祈りでもあった。
誰かが悲しんでいる顔を見るのが嫌い。誰かが独りでいるところを見るのが嫌い。子どものようなわがままだった。
だが、彼女はあくまでもわがままに振る舞う。己の行動一つで場を和ませることも出来ると知っているから。
自分が笑顔になることで他人も笑顔になることを、彼女は子どものときから知っている。
しかし、それは人間の話であって動物だとまた話が違うのだ。
いくらこの子犬の気持ちが汲めたとしても、完全に理解できるわけではない。
自分にとって最善を尽くしてきたとしても、テツにとっての飼い主の代わりにすらならない。
テツが――この子が、どれだけ愛情を向けられて育てられてきたか分かる。
毎晩、夜の月に向かって寂しげに鼻を鳴らしている。それは千歳の元にいたときから変わらない。
ならばこそ、この子の飼い主はどうしているのだろう。
こんなに愛情を持って育てた愛犬が迷子になっているのに、どうして探す素振りすら見せないのだろう。
町中に張り紙もした、友人間での情報の共有もした。それでも、この子を探しているという人は見つからなかった。
だからこそ、一言文句を言わずにはいられない。
視線を空からテツに戻すと、テツがぐいぐいとリードを引っ張る。
どうしたことだろうと、テツが行きたいように進ませてみる。
これは『もの探し』をしているときと同じだ。
東は呪いのことは何も知らない。無くしたものを探し出せるという呪いの効力を、彼女はテツの特技として見抜いた。
だが、東は知らない。この呪いは物だけではなく、者をも探し出せる呪いであると。
消えそうな蝋燭の火を燃え上がらせるように、テツが徐々に走り出す。
東もついて行くのに必死だった。
リードもするりと手から抜けていき、テツは神社へと続く階段を駆け上がっていく。
東には不思議な予感があった。この先にテツの飼い主がいると。
この町に残る由緒正しき神社。参拝者は少なくなったが、縁結びの効果があると聞く。
東も呼吸を整えてから、階段を上がる。
階段の先には、作務衣を着た素朴な雰囲気を醸し出している四十代ぐらいの男性がいた。
男性は屈んで、テツを撫でている。
間違いない。彼がこの子の飼い主だ。
「北斗……おまえどこに行っていたんだよ。心配したんだぞ?」
北斗。それがテツの本当の名前。
「あなたが、その子の飼い主さんですか?」
東は一応尋ねた。
男性が彼女に気がつくと、申し訳なさそうな顔をして立ち上がる。
「はい、そうです。もしかして、この張り紙、あなたが作ってくれたんですか?」
男が手に持っている、よれてくしゃくしゃになってしまった張り紙を見せる。
気の悪そうな男ではない。服装の汚れ方から察するに、張り紙を見つけるまではテツを探していたのだろう。
これでは怒る気にもなれない。
「テツが――その子が可哀想でしたから」
だが、あえて怒ろう。その子のために。
「あの、色々な事情があるとは思いますがどうしていなくなってすぐに探してあげなかったんですか?」
声を荒げて怒鳴りつけはしない。しかし、静かな怒りは表情まで出てしまっていた。
「それを言われると面目ありません。言い訳がましくなるのですが……仕事柄一週間ほど工房に入りっきりでしたので、この子がいなくなっているのに気が付きませんでした」
男は素直に頭を下げて謝った。
「私に言われるまでもないと思いますが、命を飼う。いえこの小さな命に責任をもって世話をするということを、もう一度考えてあげてください」
この子がどれだけ、あなたを思っていたか伝えてあげたい。そう思ってもあえて口にはしなかった。
この男性はそこまで愚かではない。きっとわかっているはずだ、どれだけ寂しい想いをさせてしまったのかも。
「はい、肝に銘じておきます。この度は申し訳ありませんでした」
男性はもう一度深く頭を下げた。
「それでは、私はこれで失礼します。じゃあねテツ、元気でね」
言いたい事も言えたことで、東は名前が呼ばれた方を振り向くテツに手を振る。
「……おまえ」
それを見た男性は東を呼び止めた。
「あの! 僕は、北村宗太郎と言います! あなたの名前は?」
北村の問いかけに、東は答えた。
「私は、東薫です」
「東さん……。どうやらこの子は、僕よりもあなたの方が好きらしい」
「え?」
北村の言葉に東は驚きを隠せない。
「僕は仕事柄、工房に籠ることがとても多い。愛情を十分に注いできましたが、北斗の世話も長い時間出来るわけじゃない。無責任かもしれませんが、もしよければ、北斗をお願いできますか? それにこの子は、北斗よりもテツと呼ばれるのが気に入っているらしい」
北村はもう一度屈み、テツと話をする。
「いいかい、テツ。おまえは東さんと暮らすほうが幸せになれる。それにおまえは行きたいんだろう? あの人と。今まで構ってやれなくてすまなかった、これからも元気に暮らすんだぞ」
最後に目一杯テツを撫で、可愛がった。
「本当にいいんですか?」
東が尋ねると、北村はゆっくりと頷く。
「さぁ、行け。今日からずっとあの人がおまえの飼い主だ」
この小さな命が選んだのならもう何も言うことはあるまい。尊重するだけだ。
東は別れに対して、こうも思っている。
悲しいだけではなく、大人に成るため、そして新しい楽しさを知るための第一歩でもあると。
子犬はそれを知ってか知らずか勢いよく走り出す。紅く燃える世界を背にしたまま。




