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呪いの館  作者: 宮城まこと
三頁目
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第五話

 稲穂は寝苦しさを感じて目を覚ますと、部屋の気温が二十五度を超えていた。

 天気予報では、今日は三十度ぐらいまで気温が上がるらしい。

 六月もまだ中旬。もはや、初夏など言っていた昨日が嘘のように思える。

 目覚まし時計の朝を告げる甲高い音より、早く起きてしまったがもう一度寝ようとは思わなかった。

 今日は土曜日。せっかくの休日だ、睡眠に時間を使うのも悪くないが、千歳のことも気になる。

 あくびを一つして、稲穂は起き上がる。

 カーテンを開けると夏の日差しが飛び込んできた。

 部屋一面が夏色に染められたときに、インターホンが鳴り響く。

 時刻は八時。こんな朝早くに誰が来るというのだろうか。

 新聞の勧誘なら、この間きっぱりと断ったはずだが。ここで居留守を使っても仕方がないので、稲穂は寝癖を気にしながらドアを開ける。

「はい、どちら様です……か?」

 目の前には外の夏の景色に負けないぐらい、鮮やかな女性がいた。

「ごめん稲穂ちゃん。来ちゃった」

「どうして東さんが!?」

ふふふと東が微笑むが、稲穂は状況が飲み込めず、まばたきを何度もしてしまっている。

 彼女と何か約束をしていただろうか。たしかに、今度お酒を飲みに行こうと約束したが、まさか朝から飲みに行こうと言うのではなかろうか。


 東の言葉に生唾を飲む。

「千歳ちゃんも子犬の世話が大変だろうから、色々買ってみたの。私、あの子のお家知らないから稲穂ちゃんに教えてもらおうかなって」

「ああ、なるほどそういう事でしたか……」

 稲穂はそっと胸を撫で下ろす。

「あっ、今安心したでしょ? いくらお酒が好きな私でもこんな朝から後輩を飲みになんて誘わないわよ」

 ぎくりとして稲穂は背中に嫌な汗をかく。

 東は初めて会ったときから、心の中を覗いているのか、考えていることをぴしゃりと当ててくる。

 東薫はどこか掴みどころのない女性だ。と常々稲穂は感じている。

「嫌だなぁ、そんなこと思ってないですよ。それと、玄関で長話もなんですから、どうぞ中に入ってください。今日は特別暑いですから、麦茶ぐらい出しますよ」

 稲穂は手慣れた感じで東を家の中に招き入れる。

 これもまた呪いの館で、解呪師の特訓をしているからだろうか。

 透子にはこき使われ、来客の相手が上手くできない千歳に代わって話を聞き、ここ一か月で随分と稲穂の性格は良い方向に変わっている。

「稲穂ちゃんったら、人が変わったみたい。前はどんなに頼んでも家に入れてくれなかったのに。なんだが、人間としての余裕が出てきたみたいね」

 苦手だった年上との接し方も、当然透子に叩き込まれたのだ。透子と比べてみればどうということはない。


 そんな稲穂の苦労や努力など露とも知らず、彼の後ろで東は後輩の成長を喜んでいた。

「もしかして、千歳ちゃんのおかげだったりするのかしら?」

 この人は本当に他人の心が読めるのではないだろうか。

 そんな気がしてならない。

「えっ、まぁそうですけど……」

 稲穂が振り向くと、東の瑞々しい唇と人の心を見透かさしてしまいそうな瞳を携えた顔があった。

 この距離はさすがに卑怯だろう。

 稲穂は驚いて一歩下がる。

「千歳ちゃんと稲穂ちゃんってどんな関係? 友達……っていうには少し違う感じがするわね」

 東の瞳には稲穂の動揺した顔がはっきりと映っていた。

「違いますよ!? 僕と千歳さんはただの友達です! 大体何の根拠があってそんなこと言うんですか」

 稲穂が否定しても東は納得しなかった。

「ふふふ、根拠ならあるわよ」

 予想外の言葉に稲穂はさらに困惑して、間抜けな声を出してしまう。

「へ?」

 東は自信満々に根拠を語り始めた。

「稲穂ちゃんって、私とか夕夏梨ちゃんのときでもそうだけど、女性を呼ぶとき大体苗字で呼ぶじゃない? 三年間一緒にいた夕夏梨ちゃんですら、つい昨日ようやく名前で呼んでもらえるようになったのに、千歳ちゃんのときだけは、すぐに千歳さんって呼んだのよね。これって夕夏梨ちゃんと同じかそれ以上に千歳ちゃんを大事な女性(ひと)だって思っているから。ここまで来ると、ただのお友達って関係じゃないなって私は思うの。どう、違う?」


 もうこの人はいっそのこと、探偵にでもなったらだろうか。この美貌と推理力が合わされば、天下無敵の女性探偵に成れるのだが。

 東のただただ高い観察眼と、津田稲穂という人間が東からどう見られているのか、はっきりと分かった推理だった。

 しかし一番恐ろしいのは、東自身が何の躊躇いもなく物事の核心に触れることが出来ることだ。

 いつか抱いたこの胸の中に渦巻いている感情が、彼女の前だと赤裸々になってしまいそうになることが、何よりも空恐ろしい。

「でも、親戚の人だとか小さい頃からの幼馴染とか言われちゃうと、この根拠が使えなくなっちゃうのよね」

 東はにっこりと笑って、荷物を降ろし机の前に座る。

 稲穂は先ほどとは違た意味で胸を撫で下ろし、冷蔵庫から麦茶を取り出した。

 このひんやりとした冷たさが今の稲穂にとっては心地よかった。

「東さんが飲んでいる間に僕は着替えますから、それが終わったら一緒に千歳さんのところに行きましょうか」

「そうだ稲穂ちゃん。朝ごはん、今日のお礼ってことで食べてないなら私が作るわよ? こう見えて私、卵料理が得意なの!」

 ろくに食材が入っていない冷蔵庫を開けられるのが嫌だったのか、彼女のせっかくの申し出をやんわりと断った稲穂だった。


*****


 荷物を持った東をさすがにハイヒールで山道を歩かせるわけにもいかず、館の前までタクシーを使った。

 思わぬところで出費がかさんでしまったが、致し方の無いことだ。

 彼女が稲穂の家に訪問してから実に二時間。

 ようやく目的の場所に着けた。

「ここが千歳ちゃんの家なのね。家って言うより、館だけど……」

「僕も初めて見たとき驚きましたよ」

 屋敷を見上げる東に稲穂は笑いながら言った。

 彼女の反応から察するに、呪いの屋敷にウワサについては知らなさそうだ。

 これなら余計な誤解を生まずに済む。

「それじゃあ入りましょうか」

 稲穂は手慣れた様子でベルを引く。

 千歳なら起きているだろうが、寝間着のままで出迎えないか心配だ。

 暫くしてから、相変わらず古びた屋敷の扉が音を立てながら開いた。

「……おはよう、ございます。稲穂――さん」

 まだ眠いのだろうか、あいさつが随分とたどたどしい。

 無理もない、動物を飼ったことのないならば、一日世話をしただけでも疲労がたまってしまう。

「おはよう、千歳ちゃん!」

 稲穂の後ろからひょっこり東が顔を出す。


 千歳は少々驚いた顔をして、あいさつを返す。

「おはようございます。……それで今日は、どんな御用で?」

「あの子犬のお世話が一人で大変そうだったので、手伝いに来ました」

 千歳の目線は、稲穂から東の持っている紙袋に移った。

「なるほど、分かりました。……では、中にお入りください」

 屋敷内に入り、千歳は東を応接室へと通した。

 稲穂も続けて入ろうとしたが、千歳に袖を強く引っ張られ、動きを止めた。

「どうしました?」

「少し、お話が」

 東に茶菓子を出すため少し待ってもらえるよう伝え、稲穂は千歳に手を引かれるまま台所に向かったのだった。

 台所に着くと千歳はため息をついた。

「おい稲穂、お前来るんだったら連絡の一つぐらい寄越せ」

 急に変わった口調に稲穂は声を出して驚いた。

「とっ、透子さん!?」

「馬鹿、デカい声出すな。東ってやつがここに来ちまうだろうが」

 千歳――透子は何故主人格が交代しているのか手短に稲穂に説明をした。

 いつものように千歳は目を覚まして、稲穂のために教材を作るため透子に変わり、作業していたところに稲穂たちが来てしまったのだ。


 交代直後の弊害を気にしてか、透子が千歳のふりをしていたのだ。

「すいません、僕の方も忙しくて連絡するのを忘れていました」

「いいか、必ず連絡しろよ。それとあの犬のことについて千歳から話があるからちゃんと聞けよ」

 稲穂は謝ると、今度からは必ず来る前は連絡をするように釘を刺され、透子は千歳に代わった。

 千歳が目を覚ますと、すぐさま稲穂は状況を説明した。

「そう、でしたか……。あの、透子さんの言った通り、こちらに足を運ばれる際は……事前に連絡をしてもらえると、助かります。……寝間着のまま、対応しかねませんから」

 千歳は顔を赤らめてそう言った。

 千歳は稲穂に手を貸してもらいながら、ゆっくりと立ち上がる。

「今度からはちゃんと連絡します」

 もし、連絡をせず館に訪問したら寝間着姿のごく自然体な千歳が見られるかもしれないと、脳裡を駆け抜けていたが邪念を払うように稲穂は首を左右に何度も振る。

「あの子犬のことでしたよね……。あの子、透子さんに代わると逃げてしまうようで。もう少しすれば、姿を見せてくれるはずです……」

 千歳が言った矢先、東の笑い声が館中に響く。

 どうやら、あの子犬は東の元に現れたらしい。

 稲穂は千歳の身体を気遣いながら、応接室に向かった。そこには、あの子犬が東と想像通り戯れていた。

「随分懐かれていますね、東さん」

 子犬に顔を舐められいる東を見て稲穂が言った。


 動物にここまで好かれるのも、彼女の人柄ゆえか。

「ああ、千歳ちゃん。今日はこの子について話したいことがあったの!」

 千歳は首をかしげ、東の対面の席に座り、稲穂も依頼人と話すときのように千歳の横に座って話を聞く。

「それで……お話というのは?」

「昨日、犬を飼っていいか聞いてみたの。そうしたら、近隣住民に迷惑をかけなきゃ大丈夫だ、そうよ」

 稲穂と千歳は同じように、そっと胸を撫で下ろす。

 この館は危険なものが多くある。呪い本など特にそうだ。人間のように好奇心で誤って使ってしまうことはないだろうが、一概に無いとは言い切れない。

 ならばいっそ呪いとはまったく関係の無い人物に引き取ってもらった方が良い。

 それに東ならば安心してこの子犬を任せられる。

「でも、ゲージとかまだ買ってないから、もう一日だけ、この子を預かってくれない?」

「そういうことでしたら……」

 苦労をかける。今度千歳に何かお礼をしなければならない。

「今日はこれを言いたかったのと、この子の様子を見てみたかったのと、千歳ちゃんの家がどこにあるのか知りたかったの。また暇を見つけたら遊びに来てもいいかしら?」

 東にそう笑顔で言われると、断れないのは男女とも同じだ。

 おそらく例外はほとんどいないだろう。

「それじゃあ、ドックフードとかおもちゃとかも置けたことだし、私はそろそろ予定もあるから帰ろうかな」

 

 東は立ち上がり、部屋に取りつけてある柱時計を確認した。

「いけないもうこんな時間! 仕事に遅れちゃう!」

 東は携帯電話を取り出して、誰かに連絡をしている。

 仕事とは一体何だろうか。稲穂にも想像がつかない。

 東が手帳を見ながら電話をしている最中、千歳に袖を優しく引かれる。

「あの、少しお話が」

 耳打ちで千歳が話し始める。彼女の吐息がくすぐったいが、我慢して会話に集中する。

「昨夜……あの子犬が、いつの間にか私が無くしたはずの万年筆を咥えていたんです」

「それが一体?」

 千歳は一呼吸おいて会話を続ける。

「偶然だと良かったのですが……気になってしまい、透子さんに代わって見てもらったんです……」

 ごくりと稲穂は生唾を飲む。

「あの子犬には……『もの探し』の(まじな)いがかかっていました」

 稲穂は目を見開いて驚愕した。まさか人間だけではなく、犬に呪いがかけられているなんて。

「それって、どうなるんですか?」

「ええ、その事なのですが……透子さんが言うには呪い自体は未完成なもので……効力は、日に日に衰えていくそうです。見立てではあと三日もすれば完全に無くなるはずです。……幸い、危険なものではないので、効力が無くなるまで放置しても問題ないとの判断でした」

 もの探しの呪い。稲穂も先日勉強したばかりで記憶に新しい。

 その呪いをかけられた者は、無くしたまたは消えた者から物を探せる効力を得る。と教わった。

 

 だが、問題はそこではない。

 仔犬に呪いをかけた者がいるということが、稲穂たちにとって一番の問題だ。

 この町にまだ知らない呪い師が、それともまだ回収していない呪い本でもあるのだろうか。

「稲穂ちゃん、千歳ちゃん! 私帰るから! じゃあねまた今度ゆっくりお茶でもしましょ?」

 東は千歳との新しい約束を取り付け、荷物をまとめて、館を出ていく。

 稲穂たちも玄関まで見送ったが、東の背中を寂しく見つめる仔犬の姿が、二人の胸を締め付けた。

 稲穂はまだ知らなかった、寂しさに瞳を潤ませているこの小さな存在が彼ら自身の運命を大きく動かしていくことを。

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